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影武者信玄 ~ 御旗楯無も御笑覧あれ ~   作者: 浦賀やまみち
林の章

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第09話 風林火山、その極意




「義輝様、頭を低く! ここからはこう! 腹這いになって進みます!」

「お、おう!」


 岩清水祭の一件を境に周囲の態度は変わったが、その顕著な例が義輝様だ。

 二条城への呼び出しは週一から毎日へと変わり、それまで決して踏み込んでこようとしなかった景虎に関わる話題を話しかけてくる様になった。


 しかも、それだけは飽き足らず、何処へ行くのも俺を連れ立とうとする始末。

 それを何らかの理由で断れば、断るのが心底に心苦しくなるほどにしょんぼりと落胆する有り様。

 今、俺達は義輝様が嘗て都落ちした際に逃れた『朽木』へ大晦日の前々日から訪れているが、これも大変だった。


「良いですか? 気付かれたらおしまいです。気配を殺して、自然と一体になるのです」

「お、おう!」


 話の発端は一ヶ月半ほど前。義輝様と将棋に興じていた時の出来事だ。

 元々、ヘボ将棋しか打てない俺が教養の一つとして将棋を仕込まれた義輝様に勝てる筈も無い。

 その時も旗色は悪くて、腕を組みながら次の一手を長考していると、義輝様が不意に柏手を打って、こんな提案をしてきた。


『そうだ。大晦日と正月を朽木で過ごさないか?

 随分と世話になった者が居てな。是非、お前に紹介したいんだ。そうそう、お前の好きな温泉も有るぞ?』


 だが、俺はすぐに断った。

 京の北に位置する朽木はそう遠くないが、行くとなったら一日では帰ってこれない。

 神道に深い関心を持つ者として、正月の初詣は義務に等しい。神社が数多に在る京から出るなど以ての外であり、どうしても退くに退けなかった。

 義輝様がやはり酷く落胆したが、その場に同席していた藤孝殿がとりなしてくれ、俺が次の一手を放つと共にこの話は立ち消えになり、記憶の底へ沈んで消えてしまう筈だった。


 ところが、五日前になって、それが急浮上。

 信君を筆頭とする諏訪から一緒に来た護衛達が旅支度を忙しなく行っているのを不思議に思い、その理由を尋ねてみたらビックリ仰天。俺の知らないところで朽木行きが決定していた。


 どうやら幾人もの事情聴取の結果、義輝様は俺の説得は無理と悟り、俺の知らないところで桃や信君といった外堀を少しずつ埋めてきたらしい。

 それとなく、ゆっくりと一月の時間をかけて、まず最初に正月の賑やかさを超えた五月蝿い京都の煩わしさを語り、次に風光明媚で静かな朽木の素晴らしさを語って。


 出発の前日まで俺が知らなかったのも義輝の策に他ならない。

 二週間ほど前に義輝様の奥方二人が桃を誘い、足利家の別荘がある嵐山へ二泊三日の小旅行を出かけているのだが、この時に義輝様の奥方二人からこう言い含められた様だ。


『信玄様はお忙しい人ですから、こちらで準備を済ませておきましょう。

 そして、当日になったら驚かせるんです。きっと大喜びしますよ? 

 正月の都は本当に騒がしくて、信玄様ほどの方になると、三が日を過ぎてもなかなか休めませんからね』


 俺は義輝様の奥方二人と、義輝様は桃と面識は有った。

 しかし、肝心の義輝様の奥方二人と桃の三人は小旅行以前に面識は無い。


 それだけに妙だと感じてはいた。

 まだ同行者に俺と義輝様が含まれているなら話は解るが、小旅行に出かけたのは義輝様の奥方二人と桃の三人だけ。普通、面識も無いのに小旅行を誘ったりはしない。


 だが、俺は気軽に付き合える女友達を桃に作ってあげたかった。

 岩清水祭の一件が影響してか、京都での桃の知己は俺の機嫌を損ねまいと義務的な関係ばかり。不審感をすぐに捨てて、たまには女だけで楽しんでこいと桃を笑顔で送り出してしまった。


「ほら、あの茂みを抜ければ……。」

「な、なあ……。こ、こんな場所、いつ見つけたんだ?

 こ、この屋敷は……。わ、儂も子供の頃から何度となく利用しているが……。」


 その結果が現状だ。

 陰謀が明るみになった時点で年末年始を朽木で過ごす計画の中止を宣言したが、男は女の涙に勝てないというのは本当らしい。

 桃が顔を両手で覆いながら声を押し殺しながら泣き、謝罪を何度も、何度も繰り返す様を見せられては白旗をあっさりと上げるしか無かった。


 だから、これはせめてもの慰めであり、当然の権利だ。

 俺が望んだ女の友情が桃と義輝様の奥方二人の間に結ばれているのをこの目でしっかりと確認しなくてはならない。

 その為なら背の高い藪が肌をチクチクと刺して、湿気を吸った土が顔や手足を汚そうと前を、ただ前を突き進まなければならない。


 唯一の誤算は危険な旅路へ出発するにあたり、義輝様に見つかってしまった事か。

 覚悟を決めた以上、退くなど以ての外。同行を仕方なく許したが、その五月蝿さが命取りになると義輝様はどうして気づかない。


「しっ! 静かに!」

「お、おう!」


 やはり同行を許すべきではなかった。

 小さな後悔を抱きながら最後の藪をゆっくり、ゆっくりと音を立てぬ様に掻き分けると、熱気の壁が顔を焼いた。


「桃さんが羨ましいわ」

「えっ!? 何がです?」

「さ、昨夜も、その……。し、信玄様と愛し合ったのでしょう?」

「ど、どうして、それを?」


 そして、桃源郷が目の前に広がった。

 少し見下ろす角度、目標まで約五メートル。湯気をほかほかと上らせる白い濁り湯の岩風呂があった。


 しかし、声は聞こえても肝心のその姿が見えない。

 洗い場には誰も居ない。桃と義輝様の奥方二人の三人は岩風呂に浸かっており、この位置からでは角度的に見えない場所に居るのだろう。


「じ、侍女達が話していましたよ? よ、夜遅くまで、その……。

 ふ、二人の睦み合う声が聞こえてきて……。あ、当てられて、なかなか寝付けなかったと……。」

「あわわ……。は、恥ずかしい」


 なら、見える角度に移動するだけだ。

 幸いにして、最後の藪を抜けるのは窮屈だったが、ここの岩場はこれ以上の前進は危険でも左右はそこそこ広い。


 但し、体勢を変えるのは慎重に慎重を重ねなければならない。

 かけ流しの温泉の湯気で岩が濡れている上に苔が所々に生えていて滑りやすい。腹這いから四足になり、神経を手足に集中しながら横移動を行う。


「お前、本当に凄いな。昨夜はそこでも……。だろ?」

「どうして、それを?」

「お前と風呂で月見酒を洒落込もうとしたら、声が聞こえてきて遠慮したんだよ!」

「それは申し訳ない。でも、今は静かに」

「お、おう!」


 歩幅にして、左に一歩半。三人の姿が遂に見える。

 義輝様の側室『薫殿』が岩風呂に浸かり、正室『紫殿』と桃が岩風呂の縁に腰掛けての足湯状態。


 特筆すべきは三人全員が全裸である点だ。

 今の時代、風呂と言ったら蒸し風呂を指すのが一般的だが、蒸し風呂でも、湯風呂でも入浴の際、男は褌を、女は湯浴み着を着けるのが常識である。


 しかし、現代の感覚を持つ俺は風呂と言ったら全裸が当たり前。

 特に公衆浴場ではタオルを湯船へ入れるのはご法度。自分のモノに自信が有っても、無くても堂々とフルオープンだと父親から厳しく躾けられた。


 それ故、最初は従っていた今の時代の常識が次第に面倒となってしまい、今ではすっかりとフルオープン入浴に変わっている。

 そんな俺に影響されたのか、結局は入浴途中で脱がずにいれなくなる為にいちいち着るのが面倒になったのか、桃も今ではすっかりとフルオープン入浴になっていた。


「そ、それでね。ど、どうしたら、そうなれるかを教えて欲しいの」

「どうしたらと申されましても……。

 はっ!? もしや、失礼とは存じますが……。御前様は将軍様と仲が?」


 そもそも、服を着用したままで水に入ってみると解るが、あまり気持ちの良いものでは無い。

 それに湯から上がった際、肌に張り付いた布が気化熱で冷やされる為、暑い夏場はともかくとして、それ以外の季節は辛い。絶対に湯冷めをする。


 ましてや、今は冬だ。昨夜は雪も降っている。

 全裸でも湯から上がったらブルリと震えるのだから、服を着ていたらブルブルと震えて堪ったものじゃない。


 風呂全体を改めて見渡してみるが、最初から全裸で入浴しているのだろう。湯浴み着は何処にも見当たらない。

 恐らく、三人で小旅行に行った際、桃が全裸で温泉に入るのを目の当たりにして、紫殿も、薫殿も感化されたに違いない。


 正しく、眼福である。

 これを怪我の功名と言うのだろうか。桃には欲しがっていた京特産の反物で着物を作ってあげよう。


「いえ、仲は決して悪くないのです。

 ただ、その……。ね、閨の方にはあまりと言うか、滅多に足を運んで下さらなくて……。」

「滅多にと言うと具体的に?」

「つ、月に一度か、二度……。」

「ええっ!?」


 そんな事を考えながら鼻の下を伸ばしていると、実に興味深い話が聞こえてきた。

 俺と桃の場合、どちらかがよっぽど疲れているか、桃の体調理由で無理な時以外は二日と空けた事が無い。


 なにしろ、娯楽が少ない。

 その上、夜の明かりに必要な油は決して安くない為、夜の暗い中で出来る事と言ったら限られている。


 だったら、紫殿が抱えている悩みの原因は何なのか。

 頭の中で閃きが走り、俺にも見せろと身を寄せてくる義輝様から慌てて距離を取る。


「もしかして、衆道? 嫌だ、近づかないで下さいね?」

「ち、違う!」

「しっ! 静かに!」

「お、おう!」


 気のせいか、義輝様が荒ぶった瞬間、桃がこちらへ視線を一瞬上げた様な気がする。

 慌てて乗り出している身を引っ込めて、右の人差し指を口に立てながら義輝様を睨み付ける。


 ちなみに、衆道とは男同士の同性愛を意味する。

 海外と違って、日本最大の宗教である仏教は同性愛を否定していない為、この時代と言うか、日本は近代になるまで禁忌とされず、武士の嗜みとまで言われていた。


 何故ならば、戦場に女性を連れてゆくのは難しい。

 だが、戦場は生存本能に血が猛って荒ぶる場所。それを鎮める手段は己自身で鎮めるか、男同士で鎮めるかの二つしか無い。


 それでも、俺の様な現代の感覚を持つ者も存在する。

 その理由は様々だが、そう言った者達は自分を衆道の対象として見られては困るせいか、今の義輝様の様に過剰な反応を示す為、とても解り易い。


「ええっと……。菫様は?」

「私もそれくらいしか……。」

「じゃあ、御二人で合わせても、月に三、四回? もしかして、衆道?」


 もっとも、駄目だ、駄目だと俺を嗜めながらもここまで付いて来た時点で違うのは解っていた。

 しかし、それを知らない桃は俺と同じ結論に達したらしい。つい吹き出しながらも義輝様を指さしてからかう。


「ほら、やっぱり!」

「違うと言っている! 紫は近衛家、薫は九条家の出身だぞ?

 貴族には武家とは違う作法というものがあってだな! 儂だって、辛いんだ!」

「だけど、御二人は現に寂しい思いを……。

 ……と言うか、勿体無い。あの実にけしからんおっぱいを独り占めしているのに」

「こら! 紫を邪な目で見るな!」


 それが大失敗の始まりだった。

 義輝様は先ほど以上に荒ぶったばかりか、上半身を迂闊にも起こしてしまい、俺が息を飲んで目を見開いた次の瞬間だった。


「そこ!」

「ぬおっ!?」

「「キャっ!?」」


 桃の手から放たれた垢すり用の竹棒が棒手裏剣となって飛来。

 慌てて義輝様は上半身を仰け反らせて避けるが、その際に膝立ちしている足を滑らせて、岩風呂へ盛大な水飛沫を上げて落下。紫殿と薫殿が何事かと短く悲鳴をあげる。


「ぷっはっ! 痛たたたた……。」

「えっ!? ……よ、義輝様?」

「桃さん、私の後ろに!」

「は、はい!」


 ここに至っては是非も無し。即座に撤退を開始する。

 このまま居残っていたら、とばっちりを喰らうのは目に見えていた。


「ち、違う! ち、違うんだ!」

「何が違うと言うのですか!

 他人の妻の湯浴みを覗くなんて、征夷大将軍とあろう者が恥を知りなさい! 恥を!」

「ほ、本当に違うんだ! わ、儂は信玄に唆されて! ほ、ほら、あそこだ! あ、あそこ!」

「桃さん!」

「はい!」

「……って、居ないじゃありませんか?」

「なっ!? ず、狡いぞ! ひ、一人で逃げたな!」


 つい先ほどまで居た場所に風呂桶一杯分と思しきお湯が降り注ぐ。

 かけ流し口の新鮮なお湯を放ったのか、視線を一瞬だけ向けると湯気がもうもうと立ち上っている。


 間一髪、危ないところだった。

 昨夜、入浴の際に確かめた時、かけ流し口の新鮮なお湯はとても熱かった。

 もし、ちょっとでも不意に触れたら、火傷を負うほどではないが、声をあげてしまうのは確実。俺がここに居るのがバレていた。


「疾き事、風の如し……。静かなる事、林の如し……。

 さらばです。義輝様。恨むのでしたら、ご自分の間抜けさを恨むのですな」


 あとは桃が風呂を上がり、着替えを済ませるまでに部屋へ戻るだけ。

 大事なのは決して慌てない事だ。慌てるあまり転んだり、思わぬ何かを壊しでもしたら、それが騒ぎになって覗きも連鎖的にバレてしまうからだ。




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