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影武者信玄 ~ 御旗楯無も御笑覧あれ ~   作者: 浦賀やまみち
林の章

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第06話 将軍謁見




「う~~~ん……。」


 現代において、城郭は数十年どころか、数百年の時を経た遺跡であり、文化財である。

 城内に入れば、建築に使用されている木材は水分を完全に抜けきって、煤などを表面に付着して黒ずんでおり、その長い時の積み重ねを目で感じ取る事が出来る。


 しかし、戦国の世では現役バリバリの防衛施設だ。

 遺跡と呼べる様な古い城も存在するが、新しい城も多くて存在して、そうした新しい城の木材はニスを塗ったかの様に若々しい。


 ここ、二条城は特に新しいらしい。

 新築の香りが仄かに香る評定の間に一人。俺は将軍『足利義輝』が姿を現すのを待っていた。


 それも既に随分な時間を待たされていた。

 だが、仕方がない。本来なら謁見は午後からの予定だったのを俺の都合で午前に変更して貰ったのだから。


 俺達一行が二条城へ到着した時、将軍は剣の鍛錬中だったらしい。

 せっかく遠路遥々来てくれたのに薄汚れた姿では会えない。身奇麗にする為、謁見を前に一風呂を浴びるのを待って貰えないかと言われては待つしかない。


「う~~~ん……。」


 そんな理由で待っている内、俺ときたら廊下をドシドシと踏み鳴らして訪れた時の鼻息の荒さは何処へやら。

 予定を強引に繰り上げてまで将軍に直訴しようと考えていた祇園神社で感じた憤りを今ではすっかりと鎮火させていた。


 恐らく、これは藤孝殿の策だ。

 そうでなかったら、幾ら何でも待たせ過ぎ。先ほど結構な時間をと言ったが、現代の時間単位で言うなら一時間は軽く超えている。


 おかげで、俺の腹はたまにお代わりが運ばれてくるお茶で満腹。

 身体を左右に揺すってみると、腹の中から音がたぷん、たぷんと聞こえるし、厠へ既に二度も行っている。


「う~~~ん……。」


 相手の意図が解れば、あとは容易い。

 向こうが望む通り、こちらは憤りを収めて、今は退屈を持て余していますよと素直にアピールしたら良い。

 それで姿は見えずとも何処からか俺の様子を窺っている者から謁見の準備が整った合図が送られ、暫くしたら将軍が姿を現すに違いない。


 冒頭でも言ったが、ここは評定の間。

 数えたら三十畳。ここに座れと最初に案内された座布団と間に二枚の畳を挟んだ先の上座が一段高くなっている点からそれが解る。


 そして、上座の奥にある床の間。

 現代では家屋の洋風化が進み、古い家くらいでしか見かけなくなったソレは一見すると無駄なスペースにしか思えないが、それは大きな誤りである。


 床の間に飾られる掛け軸や季節に応じた生花は家主のもてなし。

 訪問客を目で楽しませて、家主が中座した時などの退屈を紛らわせる役割を担っており、それが会話の潤滑油にもなっている。


 つまり、床の間に飾られている調度品に関心を払っていたら、それが退屈を持て余していますよというアピールになる。

 しかし、残念ながら糠に釘、暖簾に腕押し、馬の耳に念仏、カエルの面に水。俺は美術品全般に興味を持っていないから困る。


 天下の征夷大将軍が居城とする床の間に飾られている調度品だ。

 生花も、それを飾る花器も、青染めの皿も、鷹の絵が描かれた掛け軸も国宝級の品だろうがまるで興味が惹かれない。


 それこそ、上座の将軍が座る座布団の左側。肘置きの脇息と反対側に置いてある『地球儀』なんて、時代を先取りした最大の目玉に違いないが、俺の認識は置き場を持て余す只のゴミでしかない。

 小学校に入学した時、学習机と一緒に両親から買って貰った記憶は有るが、その用途はせいぜい高速回転をさせて遊ぶくらい。最終的には衣装タンスの上に置かれ、中学校の時からずっと埃を被って放置されていた。


「運は天にあり、鎧は胸にあり、手柄は足にあり……。」


 だが、『しかし』である。

 自分が座っていた背後。閉められた襖に貼られた書からどうしても目が離せなかった。


 最初は単純にアンバランスな配置が気になった。

 閉められた襖の六枚一組の内、書が貼られているのは右から三番目の一枚のみ。明らかに不自然な配置である。


 これだったら襖に貼らず、掛け軸にするべきだと思ったところで気付く。

 その内容の中途半端感からこの書には続きが有り、それを左隣に貼る予定なのだと。


 そして、なるほどと納得して頷くが、その直後に今度は『あれ?』と首を傾げた。

 中途半端感を感じた事自体がおかしい。その言葉に見覚えと言うか、聞き覚えと言うか、知っている様な気がした。


『天運はどうする事も出来ない。

 だが、自分をどう守るか、どう戦うかは己の心構えと日々の鍛錬の積み重ねにある。そして、自分の功績もまた自力で勝ち取るものだ』


 それが理由だろう。書の言葉は俳句の様に短く少ないが、その短く少ない言葉の中に込めた作者の意図がするりと解った。

 旅の道中、藤孝殿に俳句や短歌を幾度も詠んで貰って、その度に解説を交えた勉強会を開いていたおかげで俺も心得えくらいは持つ様になったが、まだまだ門前の小僧程度。こうも簡単に読み解けるほど俺の教養は高くない。


「何処かで……。何処だ?」


 だったら、この言葉は約四百年後の現代まで受け継がれている偉人、英雄の名言に違いない。

 しかし、それが誰なのかがどうしても解らず、魚の小骨が喉に引っかかった様な苛立ちを覚える。


 書が貼られた襖の前に腕を組みながら左へ、右へと歩く。

 角度を変えながら何度も立ち止まって眺め、皺を眉間に刻んで穴が空くほどに凝視する。


「気になるか?」

「んっ!? まあね」


 だが、それを没頭し過ぎたのは良くなかった。

 突如、すぐ背後から聞こえてきた声に思わず相槌を返して振り返り、一呼吸の間を空けて、目が飛び出るほどにビックリ仰天。


 いつからそこにいたのか、将軍『足利義輝』が微笑みながら立っていた。

 晴信の影武者である俺にタメ口を聞ける者はそう居ない。自己紹介が無くても、その正体がすぐに解った。


 それを裏付ける様にこの評定の間に先ほどまで居なかった二人が将軍と共に居る。

 一人は縁側に正座して座る藤孝殿。もう一人は将軍のすぐ左隣に片跪きながら役目故に顔を上げてはいても目は伏せている太刀持ちの小姓だ。


「こ、これは失礼を致しました!」


 慌ててジャンピング土下座。我ながら見事に決まった。

 この程度で有り得ないとは思うが、俺の馴れ馴れしい無礼な態度が将軍の勘気に触れ、武田家に悪影響を与えても困る。


「はっはっはっ! 良い、良い! それより、この襖書きが気になるか?」

「はっ! 日々の精進を戒める素晴らしい金言かと!」

「うむ! 儂も気に入っている!

 だから、ここに置いたのだが、おかげで気が抜けぬ! 毎日、必ず目にするからな!」


 しかし、その心配は要らない様で胸をホッと撫で下ろす。

 将軍は上機嫌に声をあげて笑い、俺の無礼を気にした様子は無い。


 俺が知る歴史において、剣豪将軍と名高い足利義輝。

 武辺者らしく、その気質は剛気なのだろう。声が無意味に大きくて、ちょっと苦笑を誘う。


「しかし、さすがだな。

 遠く離れていても、その書に気配を感じるとは……。」

「それは如何なる意味で?」

「その書は景虎が書いたものだ」


 そう思っていたら、声のトーンを下げてきた。

 その何やら含みのある言い方に顔を上げると、将軍は視線を俺に暫く無言で向けた後、書に視線を戻すと共に作者の名前を明かした。


「景虎がっ!?」


 喉に引っかかっていた魚の小骨が取れ、気分はすっきり爽快。

 顔を弾かれた様に襖の書に向けて、つい『そう、それだ!』と続けそうになった言葉を飲み込む。


 この書は長尾景虎が残したとされる合戦の心得えだ。

 後世に残っている心得えには更にあと三文が追加されているが、現時点では最初の一文のみ。まだ未完成なのだろう。


「以前、景虎が上洛した時、この二条はまだ建築途中だったのだが……。

 建築に財を叩いたが為、客をもてなすモノが無いとつい嘆いてしまったら、景虎がそれならと書いてくれたのだ」


「ほほぉ~う……。それを聞いては黙っておれませぬな」

「んっ!?」


 それにしても、この心に滲みて広がる感情は何だろうか。

 襖の書が長尾景虎の作と解った時点で爽快感の中にポツリと小さく湧き、その由緒を将軍から知った今は爽快感を一気に塗り替え、ざわざわと落ち着かない気持ちは。


 まさか、晴信の影武者を演じている内、心も晴信に近づいてきたのか。

 確実に言えるのは、天下の征夷大将軍が居城とするこの二条城の中心で長尾景虎が高らかに名乗りを挙げているならば、晴信の影武者たる俺も名乗りを挙げずにはいられないという事だ。


「藤孝殿、この襖に貼れるほどの紙を一枚用意してくれないか?」

「おおっ! 信玄、お前も書いてくれるか!

 これは凄いぞ! お前と景虎の書が列べば、我が家の家宝になる!」

「いやいや、景虎の書など引っ込めたくなるほどのモノを書いてみせますよ?」


 前述にも有るが、俺が持つ俳句や短歌の心得はまだまだ門前の小僧程度でしかない。


 だが、俺は知っている。約四百年後の現代にまで受け継がれ、現代社会でも十分に通用する晴信の金言を知っている。




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