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影武者信玄 ~ 御旗楯無も御笑覧あれ ~   作者: 浦賀やまみち
林の章

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第03話 戦国美食化計画




「豚ぁ?」


 信繁さんが素っ頓狂な半音を上げた声を発して驚く。

 その目は大きく見開かれて信じられないと言わんばかり。


 ここは屋敷奥の渡り廊下を渡った先にある小さな離れ。

 山の沢から引いた水が注ぐ池に囲まれ、唯一の出入口である渡り廊下には人が歩くと軋んで音を立てる仕組み『鶯張り』が施されており、信繁さんが常に影武者でいるのも辛いだろうと息抜きの為に作ってくれた俺の書斎である。


 だから、ここでは素に戻れるし、信繁さんもその認識で話してくる。

 無論、事前の人払いは必要だが、兄弟二人だけで酒を飲みながら語り合いたいとでも言っておけば、この屋敷にそれを止める人間は居ないし、誰も不自然に思わない。


 また、そういった理由から密談にも持って来いの場所でもある。

 俺と共にタイムスリップしたスマートフォンはとうの昔にバッテリーが切れて、只の綺麗な板になってしまっているが、この離れから俺が知っている、或いは思い出した未来の色々な知識と技術が信繁さんを介して世に放たれていた。


 ちなみに、信繁さんが甲斐からここを訪れるのは一ヶ月に一回か、二回程度。

 一応、俺は義信の後見人である為、義信がこの一ヶ月でこんな事をしましたよと定期報告に訪れている。


 その影武者的に聞いても聞かなくても良い話によると、最近の義信は随分と頑張っているらしい。

 どうやら、前回のお説教が効いた様だ。あれ以降、季節は春を迎えたが、義信はここを訪れていないし、信繁さんも見違えた、一皮剥けたと絶賛している。


 俺も一安心である。これで将来は安泰の筈だ。

 俺が知る歴史において、義信は晴信に反乱を起こしている。

 桶狭間の戦い以後、晴信の戦略方針が変わり、義信の奥さんの実家である駿河の今川家を攻めようとした為であり、この世界ではもう有り得ない可能性だが、やっぱり不安は少し有っただけに。


「はい、豚です」

「豚と言うと……。あの毛の生えてない猪の様な?」

「その豚です」

「ブイブイと五月蝿くて、猪と逆にすぐ逃げ出す?」

「だから、その豚ですってば」


 さて、今回のお題は豚の畜産。

 秋が過ぎ、冬が来て、春になり、俺が戦国時代にタイムスリップしてから約九ヶ月が過ぎたが、やはり食事の食材は農作物が中心である。


 当然だ。日本は明治を迎えるまで肉食を忌避しており、畜産という考えそのものを持っていない。

 ただ、俺が肉を食べたいと言ったら、その日は無理でも翌日には食べられる立場にあった為、その大事な事を忘れていた。


 しかし、春前に猛吹雪が二週間も続いた時の出来事。

 あまりの寒さに鍋が食べたい。それも肉鍋がとボヤいたら、翌々日の夕飯に希望した猪鍋が出てきて、さすがに変だと感じた。


 その日、猛吹雪は最高潮に達して、十日目。

 商人達の足ですら完全に止まっていたにも関わらず、猪の肉が手に入ったのは何故かと賄方に尋ねたら驚くべき答えが返ってきた。

 毒沢の先住民全員は中山道から諏訪へ入ってくる獣達を退治する役目を担った猟師達の家であり、なんと俺がこの屋敷に移り住んでから食べてきた肉は全てが彼等からの献上品だと言うではないか。


 そうとは知らず、俺は肉が食べたいと言って、毒沢の先住民達に猛吹雪の中を狩りに行けと無茶を強いたのだ。

 解っているつもりで解っていなかった自分の発言力の大きさを思い知らされ、慌てて毒沢の先住民達を呼んで俺が許されているポケットマネーから褒美を取らせたが、彼等は逆に恐縮するばかり。

 これはまずいと春になってからは彼等が住んでいる区画を日頃の散歩ルートに加えたが、俺の姿を見かけた途端、子供は蜘蛛の子を散らす様に逃げ出して、それぞれの家は慌てて戸板をぴしゃりと閉められる始末。


 明らかに怖がられているし、嫌がられてもいるのは間違いない。

 文句を一言も言ってこないのは俺がこの周辺の支配者だからであり、この不健全な関係を改善する為に考えたのが豚の畜産計画である。


 畜産を行うにはまず祖になる豚達が必要になる。

 それを捕まえて来なければならないが、猟師の毒沢の先住民達にぴったりの仕事と言えよう。


 無論、彼等には彼等が今日まで続けてきた生活が有る。それを少し捻じ曲げて貰うのだから相応の対価は必要になる。

 俺としては当面の礼金は俺が許されているポケットマネーから出して、畜産が軌道に乗ったら、それを功績に毒沢の纏め役の家を武士に取り立てる予定だ。


 そして、ノウハウが完成したら、豚の畜産を甲斐と信濃の全域に広げてゆく。

 豚は丈夫で多産な上、肉と脂は勿論の事、皮や骨も役立つ。きっと領内の発展に一役を買ってくれるだろう。


「お前、正気か? 四足を食べようなんて、それもその為に飼って増やそうなど」


 だが、こうも何度も問い返してくる辺り、信繁さんの抵抗は非常に強かった。

 前述の通り、肉食を忌避している為だ。まるで俺を別世界の住人の様にまじまじと見つめながら眉を顰めている。


 その予想した通りの反応に苦笑する。

 しかし、それがいつまで保つかが見もの。予想していた以上、当然の事ながら反論もばっちりと用意してある。


「でも、籠城戦でいよいよとなったら、馬でも何でも食べるでしょ?」

「それは……。まあな」

「第一、猪は食べて、豚は食べない。その方がおかしいですよ」


 たちまち信繁さんは返事に窮した。

 武士にとって、馬は友であり、宝であり、戦場を駆ける大事な足。

 戦場で武勲を欲するなら、誰よりも早くチャンスへ辿り着ける馬が無くては始まらない。

 だから、下級の貧しい武士は馬を手に入れようと躍起になるし、手に入れたら手に入れたで馬の健康維持の為に大枚を投じる。


 だが、その大事な相棒である馬でさえも籠城戦となり、兵糧が尽きたら食料となる。

 この場合、生き残る為だが、戦場では精を付ける目的に籠城戦以外でも猪や鹿などの肉を食べる事がある。


 事実、生島足島神社から諏訪まで帰ってくる道中。

 誰が獲ってきたのか、猪と鹿が一回づつ献上され、皆と鍋で囲んで随分と盛り上がった思い出がある。その点をすかさず攻める。


「いやいや、イノシシと豚は違うぞ? その昔、帝が……。」

「ぶーーっ! 残念でした。

 天武天皇が禁止したのは牛、馬、犬、サル、鶏の五種類の獣で豚は含まれていません。藤孝殿にちゃんと確認しました」


 それに対する反論に『やっぱり』とほくそ笑む。

 伝家の宝刀でばっさりと斬るつもりだったのだろうが、その宝刀が実は錆びている事を教えてあげる。


 俺の言葉の中にある『藤孝殿』とは、あの戦国時代のリアルチート『細川藤孝』を指す。

 室町幕府十三代将軍『足利義輝』の側近中の側近にして、武芸、和歌、茶道、蹴鞠、囲碁、料理と何でもござれの当代一流の文化人。説得材料としてはこの上ない。


 どうして、そんな文化人と知己を持っているのかと言ったら、つい一週間前ほどにここを訪れていたからだ。

 その訪問理由は足利義輝からの上洛要請だが、俺は義信に家督を譲った身。そんな事を言われても困ると告げて、義信に丸投げしており、そろそろ甲斐へ着いた頃だろう。


「何? 細川様が? 

 う~~~ん……。だったら、本当なのか?」


 さすが、藤孝殿が持つネームバリューの力は絶大だった。

 信繁さんは目を丸くさせると、腕を組みながらウンウンと頷いて、持論をあっさりと覆した。


「酷い……。俺は信じていない発言だよ」

「馬鹿者。信じているから、色々と用立ててもやっているだろうが」

「だったら、今度も信じて下さいよ! 豚は美味しいんですって!」

「まあ、確かに……。今ではお前が作った蕎麦切りがすっかり諏訪の名物になっているしな。

 元々、東西南北の荷が集まる場所だったが、それを食べたさに人も集まっている。たったの半年で随分と栄えたものだ」

「でしょ? でしょ?」


 狙い通りではあるが、狙い通り以上の効果でちょっと面白くない。

 この手の未来知識を相談した場合、信繁さんは決まって渋るのに今日は簡単過ぎる。唇を尖らせると、信繁さんが肩を震わせて笑った。

 日々、思い付いたらメモに書き溜めて、信繁さんが訪れる度に相談した未来知識は不採用が圧倒的に多いが、採用されて結果待ちのものも有れば、既に成功しているものも有る。


 その中でも最大の成功が信繁さんが今言った『蕎麦切り』だろう。

 去年の秋頃、今夜は新蕎麦ですよと言われて、夕飯を楽しみにしていたところ、団子状のモノを親指で軽く潰した『蕎麦がき』が出てきて驚いたのがきっかけだ。


 ぶっちゃけ、俺が最初に作った現代における一般的な蕎麦『蕎麦切り』は見よう見まねのなんちゃって蕎麦である。

 日頃、よく食べていた乾麺の袋に山芋入りと書いてあった記憶から擦った山芋をそば粉に混ぜて打ち、それを不揃いながらも麺状に切っただけのもの。

 俺が一口食べた感想は『何かがちょっと違う』だったが、この屋敷で働く者達に振る舞ったら好評を博して、それが諏訪の住人達に口コミであっという間に広がった。

 街の有力者達が食べさせてくれ、食べさせてくれとこの屋敷に連日の様に詰めかけて、蕎麦を毎日打つのが面倒になり、なんちゃって蕎麦のレシピを公開するとこれが諏訪の新しい名物になってしまったから驚きである。


 しかも、人間の食に対する追求とは恐ろしいもの。

 本当に驚いたのは今年の春、南諏訪にある上原城からの帰り道。諏訪の街をぶらりと散策した時に食べた蕎麦だ。

 なんちゃって蕎麦がたった一冬の切磋琢磨で改良され、俺が『これだ!』と満足する蕎麦を出来あげてしまうのだから。この蕎麦には当代一の文化人である藤孝殿もペロリと三人前を平らげてしまったほど。


 恐らく、蕎麦がこうも爆発的に流行ったのには二つの理由が挙げられる。

 まず一つ目は蕎麦が米より低い扱いを受けており、安価で手に入り易いところ。

 特に蕎麦は甲斐信濃の様な山間の寒冷地や土地が肥えていない場所でも良く育つ為、その栽培を晴信が過去に何度も奨励しており、何処の家庭にもあった米の代用品扱いの蕎麦が美味いと解って飛びついたのだろう。


 続いて、二点目。これが大きい。

 麺つゆを成す材料の一つだが、これが無かったら始まらない醤油。

 藤孝殿の話によると、京周辺には既に流通量は少ないながらも存在する様だが、この甲斐信濃にはまだ伝わっていない。


 勿論、俺は醤油の作り方など知らない。

 だが、醤油は味噌が原型であり、味噌が発酵して出来上がる過程で溜まる上澄み液。それが醤油の元なのはとある美食料理漫画を読んで憶えていた。


 この醤油という新感覚の味が大ヒットの原因に間違いない。

 今や、諏訪に四軒ある味噌屋がこの味噌たまりを少しでも多く作れないかと懸命になっている。

 もしかしたら、本物のちゃんとした醤油が出来る日も近いかも知れない。スポンサーにもなっており、その日が実に楽しみで仕方が無い。


 そんな今の俺の大いなる野望は『カレーライス』を作り上げる事だ。

 そろそろ、ヨーロッパ各国の船が九州へ盛んに訪れている頃であり、やってやれない事は無い。


「しかし、お前は食い物ばっかりだな。

 だったらだったで農作物の知恵は持っていないのか? 儂はそっちの方こそが知りたいのだが?」

「いやぁ~……。俺って、残念な事に文系ですから」


 その為にも、豚の畜産計画は是が非でも成し遂げる必要が有った。カレーの肉は豚こそが至高と決め付けている俺だけに。




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