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7.名と実


 ニンアの執務室は、部屋自体が円柱状の作りになっていた。

 床の形も少し変わっていて、彼の作業するデスクが室内で一番高くなるような作りになっている。

 種族の関係で、こういう作りの部屋が落ち着くのだそうだ。


 ユラが連絡を入れてくれたとはいえ、ニンアは突然訪れたフローティアに驚いている様子だった。

 もしかすると、何か重大な決別があったとでも思っている顔だ。

 結婚における事情を話したばかりであるから、無理もない話だろう。


 ユラは事情を知らないため、再び部屋の外で待っていてもらう。

 何処か緊張しているニンアに、フローティアは手短に用件を話した。王妃という存在の役割について聞いて、少し聞きたいことが出来たのだと。


 聞いている途中、ニンアは一瞬『その説明もなく!?』とひっくり返りかけたが、なんとか持ち堪えたようだった。

 ついでに、この会話は絶対にリヴィメラには聞かれていないことを明言しておく。

 幾度か瞬いたニンアは、深い溜息を落とすと、おそらく冥府特有の何かしらの言語で、一言だけ小さく何やら呟いた。

 呟いてから、しばらく自責の念で呻いていた。


「リヴィメラがわたくしに隠していること……いえ、聞かれていないから話さなくとも良い、と思っているようなことが無いか知りたいのです。教えてくださらない?」

「もちろん、もちろんでございます、何だろうとお話しいたしましょう」


 額を抑えていたニンアはやや疲れた様子で、かちかちと嘴を鳴らした。

 来客用の椅子に腰掛けるようフローティアに促して、自身は壁にかけられた紐上の支えに寄りかかる。


「まず、真っ先にお伝えすることが一つあります。我々が王のために王妃を望むのは、世界の存続のため、ではございません」

「…………どういうことかしら」


 フローティアの声に滲んだ猜疑を、ニンアは正しく聞き取った。


「ああ、いえ、その、我が王の説明は極めて正しいものです。そして、少なくともバグラス様やイールミール様に仕えていた使徒たちの望みは、この冥府が現世にも劣ることのない豊かで恵まれた世界となり、未来永劫繁栄していくことにありました。

 ですが、その、我々の場合は、もっと私的な……何と言えばいいのでしょうか……」


 ニンアはフードの端を更に深く下げ、迷うように不明瞭な呟きを溢す。


「実のところ、冥府はこれまでに二度、完全な闇に呑まれた時代があります。

 つまりは、世界全体が完全な虚無となり、我が王以外の全ての存在が完全に消滅していた時期が、二回ほどあるということです」


 フローティアは、静かに目を瞬かせた。

 処理能力を超えた情報を投げられた気がする。


 食事による循環を維持し続けると、世界は闇に呑まれてしまうのだと聞いた。要するに、分類としては滅亡である。

 フローティアは説明を聞いた結果、それは冥府の王であるリヴィメラにとっても困るのだと受け止めた。

 彼にとっての問題と、フローティアにとっての喪失を、両方都合よく埋められる役目が『王妃』なのだと。


 だが、ニンアは『闇に呑まれた時代』があったと言う。

 城や水晶の森しか残っていないとはいえ、現状では冥府は闇に呑まれ切ってはいない。

 ニンアの言葉とリヴィメラの説明を合わせると、つまり、『闇に飲まれる』こと自体は特に重大な問題ではないように聞こえる。


「……闇に呑まれたとしても、冥府は再び元に戻る──という認識であってますの?」

「ええ。我が王さえ存在し続けるならば、ですが」


 フローティアは口をつぐんだまま、ニンアの言葉を待った。

 ニンアは時折言葉をどう選べば良いか迷いつつ、ゆっくりと、できる限り誠実な響きをもって説明を重ねた。


「言ってしまえば、冥府の存在は、我が王によって保たれているのです。何分、根源に一番近い御方ですから。

 リヴィメラ様さえ残っているのならば世界は残りますし、相応の期間さえ経てば、再び虚空から新たな冥異水晶が発生し、兎が生じ、そして新しい種が生まれ、あらゆるものが存在し始め『王』が生まれ、それらが外部から別個の種を喚び、この世界を豊かにしていくことが可能です。


 ……我が王の元に集う使徒たちは、その全てが、これまでの冥府の衰退を覚えているものです。ですので、城の者はこの世界が闇に呑まれようと問題がないことを知っています。

 では何故王妃を求め、我が王に伴侶を伴っていただきたいと願ってきたのか、と言いますと」


 ニンアは言葉を切ると、何処か落ち着きなく、両手の先を擦り合わせた。


「あの方に、数百年にも渡る孤独を味わっていただきたくはないからです」

「…………孤独」


 それは何というか、リヴィメラには一番そぐわない言葉のように思えた。

 ニンアにも分かっているのか、彼の嘴から、ほんの少し笑い声に似た吐息が溢れる。


「闇に呑まれている間、冥府からは現世に干渉ができません。

 つまりは世界が再構成される間、あの方はずっと、虚空で待ち続けていらっしゃるのです。


 もちろん、我が王は、恐らくその程度の孤独など何とも思わぬことでしょう。

 我々が全て消失し、己以外に何も存在せぬ闇の世界で永久にお過ごしになられたとしても、あの方は何も苦しむことなく時が流れるのを待つことでしょう。


 そして偶発的に新たな存在が発生し、同じように冥府の円環を成すのをただ見守られるのです。

 それは最も根源に近い者としては限りなく正しい。間違いありません。

 我々があの方の味わう孤独を想像し、杞憂を抱くこと自体が過ちですらあります」


 ニンアの声はなぜか恥じ入るような響きを伴っていた。

 フローティアからすれば、それは何ら恥じることのない感情のように思えるというのに。


「ですからその、これは我々の我儘なのです。

 例えば……そう、例えばフローティア様にとって、敬愛する大切な方が、何の楽しみもない永遠の闇の中で何百年と過ごし続ける様を想像してみたとして、ただそれを受け入れて待ち続けるだなんてことが出来るでしょうか?


 少なくとも、私には出来ません。出来ませんでしたが、こればかりは我々がもがいたところでどうともなりませぬ。

 なので、是非とも、最愛の王妃を見つけていただき、私や他の者たちが消失を迎えた後も、我が王には希望に満ちた世界で長く過ごして頂きたいのです」


 詰まるところ、彼はとてもリヴィメラを大事に思っているのだ。

 リヴィメラはあまり、というか全然、分かってはいない様子だったけれど。

 彼は世界の全てを知っている代わりに、個の存在については知らないことがあまりにも多すぎる。


 なんて勿体無いことをしているのだろうか、あの男は。

 私よりも何百倍も長い時を生きているというのに。


 フローティアは思わず、呆れの混じったため息を落としかけて、飲み込んだ。


「次に申し上げることがあるとするならば、歴代の王妃様が正気を失われたのは、当人の耐性によるものですので、婚姻という契約に伴う副作用のようなものではありません」

「そう、それは……良かったわ」


 良かった、と言い切っていいか少し迷ってせいで、フローティアの声には弱く響いた。

 ごくごく僅かな戸惑いだったので、ニンアが気付いた様子はない。


「加えて言えば、顕現によって心身の健康に害が出る、ということもありません。まあ、具現化の希望が足りないと多少歪なものが出来上がるだけです」

「成程……契約による干渉ですものね、失敗することもあると……ええと、それは、冥府にとってはあまり良くないことなのかしら」

「いえいえ。面白ければ、それはそれで」


 面白ければ。予想しなかった答えに、フローティアはごく自然に首を傾げていた。

 これまでの人生にはあまり存在してこなかった価値観である。彼女にとって『失敗』とは、罰と大体同義で組み合わされている言葉だ。

 まあ、それが偏ったものである自覚もあるので、特に口に出すこともなかったが。


「ああ。それと、寿命が延びます。これはどちらかというと、長期的に冥府のものを食することで起こることですので、王妃だから、という訳ではないですが」


 何の気無しに付け足された情報も、なかなかに衝撃的なものではあった。

 だが、ニンアにとっては特に重大なものとして扱っていないようである。

 丁寧に合わせて接してくれているとはいえ、彼もやはり冥府の者ということなのだろう。


「他に問題らしい問題というと……私の方では特には……闇に呑まれ切る前は外界と行き来もできますから、フローティア様がお望みならば口に合う食事も外に探しに行けますし。

 ああ、ただ、王が共にいないと行き来が出来ないので、何処に行くにも我が王がついて回ることになりますが」


 それはちょっと問題だと言えるかもしれない。

 けれども、そもそもどうせ、勝手に影に入ってくるような男である。

 その程度のことを気にしていたらキリがない、とも言える。


 ニンアはそこで言葉を切ると、フローティアが様子を窺った。

 どうやら、思いつく限りのことは全て答えてくれたようである。

 フローティアはニンアの語った情報の全てを頭に入れると、初めから終わりまでを幾度か精査して、それから小さく頷いた。


「ニンアさん。これはもしものお話なのですけれど」

「なんでしょう」

「もしも仮に私が王妃となって──もちろん内実とは別に、役職上の話ですけれど、闇を取り除いて行ったとして、冥府には新たな『王』が現れるものなのかしら」

「それは……有り得る話ではあります。闇に呑まれた部分が再構成されれば、それは世界が作り変わったことと変わりませんので」

「では、仮に、もしも私が王妃となったあと、冥府に新たな『王』が現れて、その『王』が伴侶を伴われて、私の他にも冥府を安定させる存在が来たら……その時には正式に王妃を辞めることが出来ると考えていい、ということ?」

「それは、そうですね、もちろん、可能でございますが、しかし……」


 ニンアはこの話の行き着く先に気づいたのか、忙しない様子で尾羽を揺らしていた。

 フローティアは一呼吸置いてから、努めて柔和な笑みを浮かべる。


 答えは決まり切っているが、今ここですぐに明言するつもりはない。

 既に彼に対しては一度余計な、本来与えるべきではない衝撃を与えてしまっているし、もし仮に軽率に伝えて、さらに捻れた事態で心労をかけるのはよろしくないだろう。

 そもそもが、この訪問自体がそうであるとも言えるし。


 フローティアは、微笑みと共にニンアに礼を述べるに留めた。



     *   *   *




 部屋に戻ると、リヴィメラは出ていく前と同じようにソファに腰掛けていた。

 本当に、あのまま大人しく(・・・・)していたらしい。


 ああ、いや。出る前と一つだけ違う箇所がある。

 フローティアが隣へと戻ると、いつの間にやら淹れたのやら、前方の卓上には紅茶の準備が整えられていた。

 待っている間、暇だったのだろう。


「契約結婚という形を取るのが最善だと思う、ことにしてみたわ」

「ええ、ええ、確かに。それは貴方が納得する上では最良の選択だと言えます」

「……分かっていたのなら、最初からそのように持ち掛ければ良かったのではなくて?」


 これまでの八年間、リヴィメラは一貫して、『結婚してください』とだけ伝えてきた。

 確かに、出会った当時八歳だったフローティアにとってはそれが一番わかりやすい説明ではある。


 だが、成長したフローティアにこの関係を飲み込ませたいのなら、必要な役目を説明すればよかったのだ。

 何より、リヴィメラ自身が言っていたはずだ。事情を知ればフローティアはきっと王妃になろうと思うだろう、と。


 その誘導が出来ないような男ではない筈だ。

 本当に、心底純粋な疑問を持って尋ねたフローティアに、リヴィメラはほんの少し、不自然な間を置いた。


「フローティア、貴方はどうにも勘違いしてしまうようなので、改めてお伝えしましょう。私は愛する者を伴侶にしたいと望んでいるだけですよ。

 想いが先で、役割は後です。順序が違います」


 笑い混じりに響いたそれは、何処かほんの少しだけ寂寥を含んでいるように聞こえた。

 この八年、あまり耳にした覚えのない声音だ。

 フローティアは何の気無しにリヴィメラを目を向けると、フードの奥に広がる宵闇を見つめて、少し眉を下げた。


「待ってちょうだい。その、言葉を選び直すから」


 別に傷つけるつもりで口にした言葉ではなかった。

 そもそも彼が傷つくのかどうかさえ、どうにも謎なところではあるが。


 ただ、単に謝るのも話が違う気がした。

 フローティアはこれまで本当に命の危機を感じて過ごしてきたし、リヴィメラが楽しげに愛を囁くたびに生きた心地がしなかったのだ。

 頭がおかしくなって死ぬかもしれない、と思っていたのだ。


「そうね。じゃあ、言わせてもらうけど」

「はい」

「口説き方が下手よ」


 それは極めて正直な感想であった。

 あの口説き方で、気が狂って死ぬかもしれない……以外の感想を持つ令嬢がいるのなら見てみたいものだった。


 唇を尖らせながら、用意された紅茶を手に取る。

 拗ねた物言いになったのは、半分は意図したもので、もう半分はごく自然な感情に由来したものだった。

 彼の前では、何も取り繕う必要はないのだ。


 隣に座るリヴィメラは、宵闇に似た暗がりを微かに瞬かせて、なるほど、と呟く。


「では、是非とも貴方から手解きを受けねばなりませんね」


 それは普段通りの、愉しげな笑みの混じった声だった。



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