5.5 アラン
アラン視点/飛ばしても問題ない回
「忌々しい魔女め……!」
第一王子アランは、薄暗い部屋で一人唸っていた。
強く握られた拳が、苛立たしげにテーブルに叩きつけられる。
室内には寝台を含めてごくごく簡素な家具しか用意されていない。
この部屋は言わば反省室のようなものなので当然の話なのだが、アランは質素な作りの部屋を見るたびに、腹立たしさを抱いていた。
どうして自分がこのような目に遭わなければならないのか。
それもこれも、あの今忌々しい魔女──フローティア・バーノッツのせいである。
まさか冥府の王と契約をしているだなんて。
道理で、普段から何をしてやっても余裕の態度を崩さない訳だ。
あの不気味なまでに完璧な笑みも、遥か高みから見下すようにして助言を吐く様も、己が冥府の王妃になれることを確信しているからこそ出てきた余裕に違いない。
なんて穢らわしい女だろう。やはり己の目は正しかった。あの女は、邪悪な魔女なのだ。
アランは昔から、それこそ顔を合わせた時から、フローティアのことが嫌いで堪らなかった。
確かに表面上は美しい相貌をしている。そして優秀で、極めて聡明だと言える。
だが、あれは人間ではない。あんな不気味な存在が人間である筈がない。
アランの本能はそう言っていた。
正確に言うならば、アランの意識自体はそのように認識していた訳ではない。
あまりにも理解の及ばない存在であるが故に、それらは単に得体の知れない恐怖としてアランの胸に潜んでいた。
嫌悪の起因はフローティアという存在への恐怖だったが、それ以外の全てが気に食わなかった。
全てを見透かしたような微笑みも、他の追随を許さない卓越した魔法も、わざとらしく謙ってくる高慢な心根も。
全てが悍ましくてならなかった。
あの女が隣にいる限り、アランには永遠に安寧など訪れないのだ。
何も知らぬ愚かな民たちは、フローティアの表面だけを見て『素晴らしい貴族令嬢』などと褒め称える。
そうして、同じ口でこそこそとアランの不出来を嘲笑うのだ。
この先一生そんな目に遭うだなんて、遭い続けるだなんて、アランには我慢がならなかった。
ところで。
アランは知らぬところであるが、この婚約は国王が望んだものである。
それは父の目から見ても不出来な息子を、なんとか王太子とし続ける為の判断だった。
婚約者が──要するに、使える道具が傍らで全て補佐すれば、アランは何も考えず王らしく振る舞うだけでいい。
国王から見ても、当然のようにフローティアは歪だった。
人間としてはあまりに奇妙で、奇怪で、気色が悪い。
だが、道具として見ればこれほど優秀な存在はいなかった。
当然、息子もそのように考えて上手く利用するだろう、と考えていたのだ。
要するに、息子の愚かさを、可愛さのあまり見誤っていた訳である。
婚約破棄の断罪劇は、国王が冬祈の儀に出ている間に行われていた。
戻ってみればフローティアは姿を消しているし、息子は男爵令嬢と婚約し直すと言っているし、第二王子派は此処ぞとばかりに引き摺り下ろそうとしているし。
あまりのことに胃を押さえて倒れ込んだ王は、それでも意識を失う前にアランを反省室に入れることだけは言いつけた。
この状況で息子を守るにはそれしかなかったのだ。
父の息子は少しも理解していない様子であるが。まあ、今更己の現状を正しく理解したところで下手な苦しみが増すだけだろう。
アランはあまり出来の良い方ではないが、彼を支持するものは一定数存在する。
彼の容姿が、建国の英雄である初代国王に生写しである為だ。
むしろ、出来がよろしくないからこそ支持している、とまで言える。
表舞台の飾りとしておくのにこれほどまでに相応しい人材はいないだろう。
ところで、アランとアランの取り巻き達は、フローティアを断罪したのちに罪人として捉え、表舞台から消すつもりだった。
煩わしい雑務は全てフローティアに任せて、華やかな役目だけを謳歌するつもりだったのだ。
むしろ愛しいミシェルを虐げた罪をその程度で許そうというのだから、寛大な処置に感謝してほしいほどだった。
だというのに。あの女と来たら。
これでもかと冥府の王からの寵愛を見せびらかして、対等に振る舞える存在だと誇示していくだなんて。
どれだけ此方を馬鹿にすれば気が済むのだろう。
衝動のままにテーブルを叩いたアランは、息を整えるようにしばらく俯いてから、そっと呟いた。
「ああ、ミシェル……不安で泣いてないと良いんだが……」
彼は全く知らないことだが、ミシェルは既に北の修道院へと旅立っている。
そして彼もまた、近い内に見張りを兼ねた護衛と共に辺境の地へと旅立つことになるだろう。
婚約破棄だけなら、別に此処までの処置にはならなかった。下手すれば、傀儡の王としてでも君臨する道はあったやもしれない。
問題は、婚約を破棄した相手が『冥府の王のお気に入り』である、という点だ。
あの場にいた中でも複数人が、『フローティア・バーノッツは冥府の王が選んだ妃だ』と断言したのだ。
機嫌を損ねたせいで王族に不幸があってはならない。これまで何もアクションがなかったのはある種の制約のためであり、あの場で姿を現した以上、この先何一つ安心など出来ないことなど、少し考えれば容易に分かった。
本来はアランを含めた取り巻き一同、すぐにでも始末しておくべきである。
だが、王は辺境の地に閉じ込めることを選んだ。
アランは全く知らない話だ。
そして、知らないままで終わる話である。




