表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/15

5.採寸


 翌日。

 挙式のドレスの為、フローティアは私室で仕立て屋に採寸されていた。


 フローティアの前に立つのは、蜘蛛に似た下半身を持つ美女だ。体躯はフローティアよりも頭三つ分も大きい。

 けれども、真紅のドレスを見に纏う彼女の上半身は人にしか見えなかった。

 緩くウェーブのかかった赤く艶やかな髪を持ち、思わず女性でもうっとりしてしまうような美貌を持っている。


 フローティアは幸いなことに虫が苦手ではなかったので、彼女の姿に過度に怯えずに済んだ。


 何より、あまり躊躇っているとリヴィメラが『心配ですか? 私が側についていましょうか』と囁いてくるのだ。

 冗談じゃない。早々に追い出して、全てを彼女にお任せすることにした。


 リーリーと名乗った怜悧な美貌を持つ彼女は、その近寄りがたい容姿とは異なり、ひどく気さくな態度でフローティアを褒め讃えた。


「まあ! なんて素敵なんでしょう、麗しのお姫様! こんな素敵な人にあたくしの作ったドレスを着て頂けるだなんて、我が君に仕えた甲斐があると言うものですわ!」


 身体を支える二対の足とは別に、残った二対の腕で器用にフローティアの採寸を進める彼女は、うっとりとした表情で最上段の手を揉み合わせた。


 合間合間に過剰なほどの賞賛を受けながら、時折好みの色合いやデザインを尋ねられる。

 冥府の挙式には色の指定がないそうで、どんなものを身につけてもいいそうだ。


 フローティアは少し考えてから、ひとまず、絶対に金と碧の装飾はつけないでほしい、と頼んだ。


「まあ、よくお似合いですのに!」

「……よくない思い出があるの」


 フローティアは曲がりなりにもアランの婚約者だった。

 夜会には必ず、彼の目と髪の色を持つ装飾品を身につけ存在感をアピールするようにと、父から強要されていた。


 受けてもいない寵愛を偽装するだなんて、とんだ恥知らずだ。アランはそれをフローティアの愚かな執着と嘲り、笑った。

 苦い思い出だ。出来れば思い出したくもない程に。


 フローティアは緋色が好きだ。それも、目の覚めるような鮮やかな真紅が。

 気高く燃える炎のような緋色は、いつもフローティアの憧れだった。結局、一度も身に纏うことはできなかったけれど。


「貴方のように美しく着飾れたら、嬉しいわ。現世ではずっと、好んだ色を身に纏うのは許されなかったの」


 思わず素直な想いを口にしたのは、恐ろしい程の美貌を携えた美女が、まるで恋する乙女のように頬を染めながら希望を尋ねてきたからだろう。

 言ってから、どうせすぐに王妃ではなくなるのに浅ましくも希望を伝えるだなんて、と胸が痛んだ。


「承知致しましたわ! 必ずやこのリーリーめが王妃様に相応しい、上等なドレスを捧げて見せますとも!」


 けれども、華やかに満面の笑みを湛えるリーリーが誇らしげに告げる様を見ると、想いを吐露したのは間違いではなかったのではないか、と思えた。

 真相を伝えた後には、きちんとお詫びをして正当な対価を支払って購入しよう。きっと、彼女の作るドレスは素晴らしいものだろうから。


「式典に限らず、あたくしに王妃様のドレスを仕立てさせてくださいませ。恐れながら申し上げますが、昨夜の貴方様があれほどの美しさを持ちながら、真の輝きを持ち得なかったことに合点が行きましたわ」


 リーリーは潜めた声に、秘密を解きほぐした者特有の得色を滲ませながら囁いた。


「詰まらない男のために着飾ること程、馬鹿らしいこともありませんものね?」


 艶やかな声だった。羨望を受けることに慣れ切った、強く輝く美しい女の声だ。

 フローティアはリーリーを見上げる。彼女の瞳には確かな敬愛と、母を思わせる慈愛があった。


 思わず息を呑んだフローティアを、彼女は愛おしげに目を細めて見つめている。

 揶揄うように指先が頬を撫でたところで、リーリーは大袈裟に身を捩った。ちょうど、後ろに控えるユラが、その腕を二人の間に割り込ませたので。


「リーリー様。もしやとは思いますが、王妃様を覗いた(・・・)のですか?」

「だって、王妃様が随分と寂しそうにしてらしたのだもの。憂いを取り除くのが臣下の務めではなくて?」

「だから許可もなく心の内を暴くと? 王妃様は現世のお方なのです、無礼は控えていただきたい」


 訳も分からず二人を見やるフローティアに、振り返ったユラが少し弱った声音で呟く。


「……リーリー様には心を読む力があるのです。まさか王妃様にこのような無礼を働くとは思っておらず……」

「あら、でも変なことは少しも覗かなかったわ! それに王妃様は素晴らしい魔力をお持ちだから深いところなんて覗けやしないし。現世の男って碌でなしばっかりなのねえ、って驚いていただけよ。全くもう、我が君は何をなさっていたのかしら」


 フローティアが目を見開くのを見て、リーリーは小さく笑みを浮かべた。

 庇うように立つユラの向こうで、艶やかな美女は口元に指を立てる。秘密を表す仕草は、現世も冥府もさほど変わらないらしい。


 リーリーは、フローティアの心を覗いた。『碌でなし』の男には、きっとアランを含めた数人が入っていることだろう。多分、フローティアの弟も。

 もしもそれがあの卒業パーティでの記憶だと言うのなら、きっと彼女にはフローティアとリヴィメラとの関係も知れてしまったに違いない。


 この美しいひとは、フローティアをどう思うだろうか。王妃になるつもりもないのに、言い出せもせず流されるままにそれらしく振る舞っている様を見て、どう感じるだろうか。

 不安を隠し切れない顔で見上げるフローティアに、リーリーは優しく、そして何処か愛おしげに微笑んだ。


「ああ、可愛い可愛い王妃様。何も心配なさらないで、リーリーは貴方様の幸せを願っておりますわ。どうぞ、御自分の為にこそ其の身を着飾ってくださいな」


 身を屈めたリーリーは、採寸の終わりを告げてフローティアの身なりを整える。

 ほんの一瞬、耳元に口を寄せたリーリーは、潜めた声で悪戯っぽく囁いた。「碌でもなさでは我が君も大概ですもの」という艶やかな声音に、フローティアは思わず、息が抜けるように小さく笑ってしまった。


 渋々と言った様子で身を離していたユラが、何やらむっとした顔で呟く。


「いくら陛下の次に根源に近い御方とはいえ、このような振る舞いは看過出来るものではございません」

「もう、ユラってば真面目ねえ……それとも嫉妬かしら?」

「リーリー様!」


 咎めるように響いたユラの声音に、リーリーはわざとらしく「ああ、怖い!」と我が身を抱きしめる。

 小さな笑い声を響かせながら身を翻した彼女は、親しみを込めた挨拶を残すと、たおやかな仕草で部屋を後にした。


「申し訳ありません。実力も位も申し分のない上級使徒なのですが……振る舞いがあのように奔放な御方で……」

「全く構わないわ。素敵なひとね」


 フローティアのそれは、心からの言葉だった。

 何かに迷ったように視線を送るユラに、フローティアは言葉を補強するかのように晴れやかな笑みを浮かべる。

 本当に構わないのよ、と繰り返すと、ユラは少し困った様子だったが、一先ず受け入れて納得してくれた様子だった。


 冥府は楽しいところだ、とリヴィメラは言った。

 それは冥府が、というより、彼の城に住む者たちを指しているのかもしれない。


 出来れば、王妃ではなくなった後も此処で過ごせはしないだろうか。

 例えばそう、下働きや、次に来る王妃の侍女としてでもいいから。


 ……でも、そうなると、リヴィメラの相手を他の誰かに回すことになるのではなくて?


 フローティアは想像して、それからすぐに、その『誰か』への申し訳なさでいっぱいになってしまった。

 彼がもしもフローティアの次に『壊れた』誰かを伴って帰ってきたら、臣下となっても怒ってしまうかもしれない。

 昨晩のニンアのように。


 そして多分、これからのニンアのように。


 戻ってきたリヴィメラと共に、ニンアを待つ。

 ユラには一度下がってもらった。重要なことはまず、宰相であるニンアにだけ話すべきだ。

 リーリーには知られてしまったかもしれない、と告げたフローティアに、リヴィメラは「彼女なら心配は要りません」とだけ答えた。


「お呼びですか、王妃様。大事なお話がある、とお聞きしましたが」


 礼を取って室内に入ってきたニンアを見つめながら、フローティアはもはや謝罪と申し訳なさに満ちた笑みを浮かべることしかできなかった。





 結論から言うと、ニンアは怒る暇もなく、嘴から泡を吹いて倒れた。


「ニンアさん!? ニンアさん! し、しっかり……!」


 慌てて寄り添ったフローティアが助け起こす。ひっくり返って小さく震えていたニンアを抱き上げると、ふとした拍子に彼のフードが背へと落ちてしまった。

 黒く柔らかい羽毛に包まれた顔は、思っているよりも遥かに幼く見える。きゅ、と細められた瞳には意識があるようには見えない。


 呼びかけても一向に返事がない。

 まさかここまでショックを受けるだなんて! わたくしが話そうだなんて言ったせいで……!


 フローティアは涙目になりながらリヴィメラを振り返った。


「リヴィメラ、ど、どうにか出来ないの? わたくし、冥府の方の身体については何も分からないわ!」

「健康に問題はありません。今、起こしましょう」

「早くしてちょうだい!」


 ソファへと身体を横たえ、痙攣する羽根をすがるように支えながら呼吸を確かめる。

 焦って見上げるフローティアの隣で、リヴィメラは慣れた手つきでその六本指をニンアの頭へと掲げた。


 赤黒い手のひらが、ほのかに紫の光を放つ。照らされた顔には一瞬苦悶の色が浮かび──次の瞬間、ニンアの丸く輝く宝玉のような瞳が意識を取り戻して煌めいた。

 同時に、悲鳴のような声が上がる。


「ああ!! イラメスの三大元素!!」


 跳ね起きたニンアは、側で手のひらを掲げるリヴィメラに目をやると、涙に潤んだ瞳で鋭く抗議した。


「我が君! 目を覚まさせる為だけに真理を見せないでいただきたい!」

「ちょっとだけなので、安全ですよ」


 ニンアはきゅっと我慢した顔でしばらく黙った後、フローティアに目を向けた。

 どうやら、無視することにしたらしい。我が王を。敬愛する我が君を。

 極めて正しい判断だと思ったので、フローティアは言葉を重ねることもなくニンアを見つめ返した。


「お見苦しいところをお見せしました、王妃……いえ、フローティア様」


 ニンアは少しだけ寂しげに微笑んで、小さく頭を下げた。

 フローティアは慌てて顔を上げさせる。彼が謝るようなことは一つもないのだ。

 そもそもフローティアが軽率にリヴィメラと契約しなければ良かったのだし、王妃になるつもりがないならついていかなければよかったし、なんだったら、リヴィメラが事前に城の者に連絡を入れてくれればそれでよかった。

 ただ、そのどれもが、もはや言ったところで意味をなさない言葉だった。


 代わりに何を言ったものか。言葉を探すように目を逸らしたフローティアは、ふと、気づいてしまった。

 羽毛に覆われているニンアの頭部は、まるで毟られたように、後ろだけ皮膚が剥き出しになっている。


 彼はきっと、これを隠すためにローブを被っていたのだろう。

 理由があるのは察していたのだから、それとなく戻しておけばよかった。


 そう反省すると同時に、ニンアは少々ばつが悪そうに頭をフードで覆った。


 影の落ちた瞳と目が合う。

 素知らぬふりをするのも逆に不誠実な気がして、フローティアはそっと彼へ問いかけた。


「それは、もしや、リヴィメラのせいで?」


 心因性の脱毛というのは、重圧のかかる役職の者にはよくあることだ。

 彼はこの城の宰相なのだから、さぞや気苦労も多いことだろう。


「まさか! いえ、その、まあ、我が王は常に、今もまさに、私めにありとあらゆる心労をかけようとなさっているようですが、それとは関係はありません。これは……私めの弱さが招いたものです。それだけです」


 ニンアは多くは語らなかった。

 フローティアも、深入りするまいと言及は避ける。


 気を取り直すように咳払いを響かせたニンアは、幾分か落ち着いた様子で切り出した。


「本来はただ許容する訳にはいきません。王妃様は冥府の希望です。しかもようやっと見つかった、根源に耐え得るお方です。私としては、魔法契約に乗っ取り、そのまま婚姻を結んで下さるのが何よりの願いです。

 ですが……そうですね、我が王が貴方様とまずは友愛という絆を結びたいと仰るのではあれば、我々はそれに従いましょう」


 諦念と敬愛を半々に含み、そこから更に呆れをはみ出させた様な笑みで寂しげに微笑んだニンアが、納得した様子でソファを降りる。

 その背を見送るリヴィメラが、ふと小さな呟きを落とした。


「残った王が私ではなく、バグラスか、イールミールだったら良かったのですがね」

「何を仰いますか! 我が王は最後に残った、冥府を支える唯一の柱です!」


 ニンアは力強く反論した。勢いよく振り返った彼のローブが翻り、一瞬尾羽が見える。


「よろしいですか、我が君! 貴方様はそれはそれは難解で不理解で、我々のような真理に及ばぬ者から見れば恐ろしい程に根源に近いお方ですが! 貴方様こそが我々の王であり、素晴らしい統治者なのです!

 王妃を定めるのが悍ましい程に下手なことくらい、些細な欠点に過ぎませんとも! ええ! 莫大にして些細な欠点です! その程度で貴方様の価値が揺らぐことも、我々の忠誠と敬愛に翳りが差すこともありませぬ!」

「ニンア、そんなに叫ぶとまた倒れてしまいますよ」

「ともかく!! もし少しでも臣下への申し訳なさがおありなら、その素敵な素晴らしい御友人に、淑女の口説き方でも習ってみてはいかがですか!!」

「それは確かに。良い案ですね」


 呑気に相槌を打ったリヴィメラに、御前を失礼致します!と叫んだニンアは、何やら収まらぬ様子で跳ねるように扉の向こうへと下がった。

 閉じた扉を見やってから、フローティアは抱えていた疑問を口に出す。


「……ねえ、リヴィメラ。一つ聞きたいのだけれど」

「どうぞ。一つと言わず幾らでもお答えしますよ」

「……冥府の王妃というのは、現世で言う王妃以外に何か重要な役割があるのかしら?」

「当然、ありますよ」


 リヴィメラは言葉を切った。幾らでも、と言っておきながら、そこから答えが繋がる様子はない。


「…………教えてくれる?」


 フローティアはソファに腰かけ直すと、リヴィメラに隣に座るように促した。思えばこうして隣り合うのは初めてかもしれない。

 リヴィメラはいつも、フローティアを見守るように傍に立つのが常だった。


「もちろん構いませんが、しかしですね、フローティア。貴方は優しいので、聞いてしまえばきっと王妃になりたくなってしまいますよ」

「そう。貴方がそう言うなら、そうかもしれないわね。でも聞かせてほしいわ。今の私と後の私が意見を違えて喧嘩するとしても、それは私自身の責任だもの」


 きっぱりと言い切ったフローティアに、リヴィメラは静かに、いつものように楽しげに笑った。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ