9.現世
数日後。
フローティアは外出用の軽装に着替えていた。
淡い色合いのワンピースに鍔の広い帽子と、踵の低い靴。
佇まいとしては、お忍びの貴族令嬢という雰囲気だ。
王妃となった以上は、早急に冥府の闇を晴らすべきである。
土地が広がり、そこに新たな存在が生じれば、『王』となる者が生まれるのも早まるからだ。
その者が無事に王妃を迎えれば、少なくともフローティアの役目は一旦必要がなくなり、大きな憂いなく離縁できる。
フローティアは婚姻に当たり、リヴィメラと改めて幾つかの約束を交わした。
中でも一番重要なのは、『フローティアが離縁を願った際には必ずそれに応じること』だ。
リヴィメラのことだ。今は応じてくれるつもりでいたとしても、長い時を過ごす内に有耶無耶にしてくる恐れは十分にある。
仮にこの先それでも良いと受け入れられる時が来たとしても、フローティアにとっては『選択肢がある』ことそのものが重要なのだ。
フローティアが望んだのは、自分の意思を持って選ぶことの出来る未来だ。
何も、全てが自由である必要などないし、そんな生き方など有り得ないと彼女は分かっている。
けれども何かを選択するときに、自らの意思が介在する道が残っていてほしい、とフローティアは願った。
その道に進むためにも、冥府を活性化する必要がある。それには望んだ場所についての確かな記憶を持っていなければならない。
フローティアにはこれといって楽しい思い入れのある土地は無いものだから、それなりの自由を得た今、実際に見に行って、記憶に焼き付けてくるのが一番良い、となった訳だ。
「それで、現世に移動する時には貴方に触れていた方が良いのよね?」
身支度を整えて正門までやってきたフローティアは、隣に並び立つリヴィメラを見上げた。
今回向かう先は、遠方の領地にある花畑だそうだ。
どうやら、リヴィメラは此処からフローティアの好きな花を貰って来ていたらしい。
きっと気に入るだろう、という彼の言葉に、フローティアも今回は特に異論はなかった。
むしろ、行き先も告げずに連れていかれるとばかり思っていたから、いくらか安心したくらいだ。
「ええ。支えていた方が着地に不具合がなく済みます」
「そう……じゃあ、よろしくお願いするわ」
告げると同時に、リヴィメラの手がフローティアの腰を緩く支える。
引き寄せられるままに身体が近づき、何事か口にしようとした時には、もうフローティアの視界は沈むように暗闇に呑まれていた。
* * *
足場を失うに近い浮遊感の後に、ゆっくりと目を開く。
そこにはなんとも長閑な、それでいて丁寧に手入れのされた花畑が広がっていた。
色とりどりの花が並ぶ広大な土地の端に、古い造りの小さな屋敷が建っている。
振り返ると、良く目を凝らさないと見えないほど遠くの方に何処かの街があるのが見えた。
フローティアにとっては見覚えのない街並みである。
随分と遠くに来ているらしいことだけは分かった。
日差しは麗らかで、落ち着いた気候だった。
そよ風が頬を撫でていき、フローティアは揺れる帽子を片手で軽く押さえる。
薄く開かれた唇からは、素直な感嘆の息が溢れ落ちていた。
「どうやら気に入っていただけたようですね」
「そうね。とても、そう、とっても、素敵だわ」
隣に立つリヴィメラが、フローティアの表情を見て機嫌よく呟く。
彼はフローティアの手を取ると、そのまま花畑の端にある屋敷の方へと足を進めた。
いくらか整備されている小道を進みながら、リヴィメラは言葉を続ける。
「管理の方がいるので、許可を得て花を幾つか頂いていました。見て回った限り、此処が一番に美しく咲いているようでしたから」
「確かに、一度見たら忘れられないくらいには美しいわね」
一眼見て心を奪われてしまう程には素晴らしい、愛情を込めて整えられたことが良く分かる花畑だった。
惹かれるままに目を向けるフローティアの頬は、感動による昂りで薄く紅色に染まっている。
そうしてしばらく、連れられるままに進めていたフローティアだったが、不意に小さく首を傾げた。
「待ってちょうだい、リヴィメラ。貴方、此処の方と関わりが?」
「分類上は無機物の方なので心配ありませんよ」
それは、幾重にも先回りした返答だった。
フローティアの懸念は、リヴィメラという存在に触れることになった現世の人間の身を案じたものである。
魔法を感知する能力のある現世の存在は、大抵リヴィメラを前にすると強い恐怖を抱く。根源的な恐怖を抱き続ければ精神が疲弊し、心が壊れてしまうことも有り得る。
フローティアの幼少期から通っているようだし、これまでに問題がないのなら、それなりに付き合い方は心得ているのだろうが……と言い切れない辺りがリヴィメラなのだ。
故にフローティアは管理をしている者への純粋な心配から問いを口にしたのだが、それはリヴィメラも察するところだったらしい。
「何十年も前に作られた魔道具の一種で、人型をしています。元は製作者と共に此処の管理をしていたそうですが、今はお一人のようですね。自律思考をお持ちで、土地の権利が精霊契約で引き継がれているので、許可を得る為に知り合いになった、というところです」
「……そうだったの。その、……ごめんなさい」
「何がです?」
「だから、要らぬ心配をしてしまったことよ。貴方を信じていないみたいで、……いえ、そうね、信じては……いないのだけれど、」
フローティアはそこで、いったん言葉を切った。
少し首を傾けて、帽子のつばを手持ち無沙汰に摘む。
確かに、フローティアはリヴィメラが現世の人間に無自覚に危害を加えていないか不安に思い、問いを口にした。
リヴィメラはその全てを見透かして、先回りでフローティアの懸念を払った訳だ。
心配がなかったのだから、不必要な疑いをかけたことを謝るべきかと思ったのだが、フローティアは途中で思い直した。
今回不要だったいうだけで、排除していい憂慮ではないからだ。
「信じないくらいがちょうど良いのよね……貴方って……」
つぶやきと共に目を向けたフローティアに、リヴィメラは何が楽しいのか小さく笑った。
これまでのあれそれを思い出していることは、全て伝わっているようだ。そのまま、細波のような笑い声を響かせながら、フローティアの手を引いて小さな屋敷へと向かう。
リヴィメラは慣れた手つきでノッカーを鳴らした。ちなみに、もう片方の手はフローティアの手を取ったままである。
わざわざ振り払うことも出来ないでいると、奥から人影が現れた。
「やあ、おきゃくさん。きょうは なにを おさがし?」
それは、鋼鉄製の大きな鎧のように見えた。
細みで装飾も丸みを帯びているため、厳しい印象は受けない。
だが、顔だけは甲冑に似た仮面のような作りになっていて、少々威圧感がある。
身丈も、リヴィメラよりもほんの少し低い程度だ。
幼い子供が見たら驚いて泣き出すかもしれない。
金属を擦り合わせたような声音だが、口ぶりはゆったりとしている。
「こんにちは、ウェイル。今日は花を貰いに来た訳ではありません。貴方の素敵な花畑を、是非とも私の大事なお友達に見せたいと思いまして」
「ああ、すてきなひとね。おきゃくさん いってたね」
ウェイルと呼ばれた鎧は、兜の部分を軋ませながらフローティアへと向けた。
「これ? きてくれてありがとう、ちいさいおきゃくさん。とてもかんしゃ」
「此方こそ。今までに見たことのない素晴らしい花畑で、感動しましたわ」
完全自律稼働型の存在は、フローティアにとっては中々の衝撃であった。
だが、拙いながらも言葉を交わそうとする管理人の想いに応えるように、優美な笑みで挨拶を返した。
その笑みの柔らかさには、リヴィメラがフローティアを正しく『友人』と紹介していくれたことへの安堵も含まれていたかもしれない。
「おおお、うれしいね。うぇいるは ハカセほど うまくはできないからね。りっぱにやっていきたいとおもってることです、かんしゃ」
「博士?」
「ウェイルを作成した魔導技師です。二十年ほど前に亡くなったそうですよ」
「ハカセ、ひゃくねんいきる ゆったけど むずかしいね。でもきゅうじゅうさんねんいきた、りっぱなおとこ。うぇいるは あとひゃくねんくらい うごくから、おきゃくさんも あとひゃくねんは おはながたのしめる。たのしんでってね、どうぞ」
「ええ、ありがとう」
笑顔で礼を述べたフローティアに、ウェイルは満足そうに頷いて奥へと引っ込んでいった。
花を整える仕事以外では、ああして隅の暗がりにいるのが一番落ち着くそうだ。フローティアはリヴィメラに手を引かれるまま、花畑へと向かった。
「二十年前に亡くなられたということは、その時点でウェイルさんは完成されていたということよね……博士という方はとてつもない天才だわ……」
敷地内でも一等見晴らしの良い場所へと案内されたフローティアは、道すがらずっと考えていたことを呟いていた。
あそこまで完全な自律型の思考回路を持った魔法道具──否、もはやあれは魔法存在と定義するべきだろう──は、王都でも研究の進んでいない分野である。
きっと、王都の魔法学徒が見つければ中隊でも引き連れて拘束し、解体して全てを解明しようとしかねないだろう。
だが此処は、稀代の発明品が過ごす土地にしては、あまりにも穏やかな空気が流れていた。
辿り着いた先には、装飾の施された真っ白なベンチが置かれている。これもウェイルが手入れをしているのか、年季を感じさせる作りだが綺麗なものだ。
その前方には、色とりどりの花々が、更に大きな花の紋章を描くような形で並べて植えられている。
ベンチの方がやや高い作りになっているので、腰掛けるとちょうど見渡せるようになっていた。
「もしかして、人避けの魔法がかかっているのかしら? でも精霊結晶は見当たらないのよね……」
促されるままにベンチへを腰掛けてしばらく、フローティアはハッとした様子で立ち上がった。
「分かったわ! この花畑自体が大きな魔法陣になっているのね! ウェイルさんが手入れを怠らなければ、普通の人は此処には近寄れないのだわ! ほら、彼処に並んでいる仕切りを装った杭は、きっと陣形を組む為の魔術道具だもの!」
発見が更なる感動を生み、フローティアは思わずといった様子で隣のリヴィメラへと顔を向けた。
その顔には満面の笑みが浮かんでいる。が、数秒と間を空けずに、フローティアは口元をそっと押さえて、ぎこちない動きで再度ベンチへと腰掛けた。
隣に座るリヴィメラは、その昔、課題が解けたフローティアが、家族に叱られない程度の小さな声をあげて喜んでいたのを見守る時と同じ空気を漂わせていたからだ。
フローティアは何処か落ち着きなく指先で髪を梳きながら、なんとか淑女らしい態度を取り繕った。
此処が冥府の城でなくてよかった、と密かに思いながら。
若干の居た堪れなさを覚えつつ隣を見やったフローティアに、リヴィメラは特に言及することなく、視線を前方の花々へと向けた。
「ええ、その通りです。本来此処にはウェイルの許した人間以外は近づくことが出来ないような制約が施されています。人類種にしか効力がないので私は訪れることが出来た訳ですが、それでも此処まで自由に行き来できるのはウェイルに直接許可を得たからですね」
冥府のものを阻む精霊結晶は、貴族でもなければ入手が困難だ。
天才の魔法技師といえど用意は出来なかったところを見るに、彼はおそらく平民出身だったのだろう。
そもそも、そうでもなければ、此処までの天才が誰にも名を知られず、このような土地でひっそりと暮らしていた訳がない。
「博士という方は、どういう方だったのかしら」
「ウェイルからは何も。彼はウェイルに名すら教えていきませんでした」
「そう……。もしかしたら、柵に捉われていたくはなかったのかもしれないわね」
「そうですね。何せ、墓も残すなと言ったそうでしたから」
フローティアは、風に靡く花々を見つめながら、もう一度小さく、そう、とだけ呟いた。
名前も残さず、墓所も用意させずにこの世を去った天才魔法技師。
きっと、彼にとってはウェイルとこの花畑こそが残していきたいものだったのだろう。
より一層、強い思いで目に焼き付けるように景色を追うフローティアの隣で、リヴィメラがそっと言葉を紡ぐ。
「この景色だけでも十二分に感嘆を覚える美しさですが、その土地に宿る想いを知ってこそ、記憶は鮮明になるものです。
ウェイルを貴方に紹介したのはその為です。彼も、そして彼の慕う博士も、忘れられない程には衝撃的な存在でしょう?」
「ええ。素晴らしいわ」
フローティアの口元には、彼女が常日頃から心がける淑女としての笑みではなく、年頃の少女が浮かべるに相応しい、気の緩んだ笑みが浮かんでいる。
それから二人は特に言葉を交わすこともなく、ただ並んで、日差しに照らされる穏やかで美しい景色を眺めていた。
心地よい沈黙が破られたのは、しばらくしてフローティアが隣からの視線を無視しきれなくなったあたりでのことだった。
「リヴィメラ、前を向いたまま私を見るのはやめてちょうだい。頭が混乱して怖くなってくるから」
「おや、ではきちんと貴方の方を向いて見つめることにしましょうか」
「…………この景色よりも楽しいものではないと思うのだけれど」
「景色を見ている貴方を見るのが楽しいのですよ」
此方からはフードの横側しか見えないのに、やたらとしっかりと見られているのが分かるのはなんとなく居心地が悪い。
そう思って言及したものの、ストレートな物言いに黙り込む羽目になってしまった。
嫌だ、と突っぱねることは出来る。
それをしないのは、単純に、嫌というほどではないからだ。
ただ、どうにも落ち着かない。
迷ったフローティアは、結局言葉を返すのを諦めて、リヴィメラの手を引くようにして立ち上がった。もしも王都でこんな振る舞いをすれば誰かしらが眉を顰めるが、此処では誰もフローティアを咎めるものは居ない。
「これだけ広い土地なのだから、他にも素敵な場所があるのよね。案内してくれる?」
「ええ、もちろん」
笑い混じりに後に続いたリヴィメラが、先導するように足を進める。
フローティアはその笑みを不恰好な誤魔化しへの笑みだと捉えたが、理由は別のところにあった。
ベンチに腰掛けてから、再び歩き出すまでの間に、一度も手が解かれなかったこと。それだけである。
* * *
丁寧に手入れされた花々を見て周り、最後に挨拶をしてから二人は花畑を後にした。
フローティアの手には、ウェイルから贈られた小さな花束が在る。好きな花はリヴィメラに聞いているから、と作られたそれは、確かにどれもフローティアの好みの花だった。
小さめで扱いやすいとはいえ、花束は繊細なものだ。フローティアはそれを、大事に両手で抱えていた。
冥府への移動手段を考えるに、このくらいに丁寧に扱っていた方が安全である。
「では、戻りましょうか」
「……ねえ、リヴィメラ。一つお願いがあるのだけれど」
「一つと言わずいくらでも構いませんが、なんでしょう」
「バーノッツ家の屋敷を、一度見に行きたいの」
フローティアの視線は、支えるように両手で包んだ花束に向けられていた。
意見を言う時にはしっかりと目を合わせることの多い彼女にしては珍しい所作だ。
リヴィメラはしばらくの間、その言葉に答えることはなかった。
俯いたままのフローティアを静かに見下ろしたあと、常と変わらぬ声で言う。
「他でもない貴方の願いですから叶えたくは思いますが、敷地内で精霊結晶が取り除いてあるのは貴方の部屋だけだったでしょう。卒業パーティの一件からしばらく経ちますし、何かしらの対策が取られていると見るべきかと思います」
「それは、そうでしょうね。じゃあ、屋敷の外からでも良いわ」
「まだ何か未練でも?」
投げかけられた問いに、フローティアは二度、ゆっくりと瞬きをした。
薄く開かれた唇が、彼女の意識を通すよりも早く、いいえ、と微かに紡ぐ。
ただ、己の呟きを聞き取ったフローティア自身には、どうにもはっきりと答えを出すことが出来なかった。
赤い唇が、軽く引き結ばれる。
答えを返せずに黙り込んだフローティアに、リヴィメラはそっと告げた。
「そうだとすれば、貴方の精神状態を鑑みて行動するべきでしょうし、すぐに確認に行くのは得策とは言えないでしょうね。ああ、念の為断っておきますが、無理だと言っている訳ではありませんよ。
私は貴方が望めばいつだってそのようにしますが、わざわざ貴方の魂を傷つけるような真似をしたくはない、というだけの話です」
フローティアはそこで、何かに気づいたように顔を上げた。
帽子の下で影となっている瞳が、真っ直ぐにリヴィメラを見上げている。
「……リヴィメラ。貴方もしかして、既に見に行っているのかしら」
「おっと、どの辺りがそのように聞こえましたか?」
「良いから。教えてちょうだい」
「フローティア。繰り返しますが、私は貴方をわざわざ悲しませたい訳ではないのです」
「それでも、知りたいわ」
意思を持って告げたフローティアに、リヴィメラはほんの少しの間を置くと、温度の変わらぬ声で答えた。
「貴方の私物が全て庭で焼かれていました」
息を呑んだフローティアは、すぐさま、切り替えるように意図して息を吐き出した。
「…………そう」
予想していなかった訳ではない。どころか、当然のようにそうだろうと思っていた。
彼らがこれまでフローティアの私室に手を出さなかったのは、彼女自身が家族の行いへの対策と警戒をしていたからだ。
部屋の主がいなくなった今、バーノッツ家の者は忌々しい記憶を払拭するべくどんな手段を使ってでも片付けることは容易に想像が出来た。
ただ、理性で予測が出来ることと、感情が抱くものは別だ。
だからこそ、フローティアは分かっていても確かめに行くことをしなかったし、自分で行けないにしろ、リヴィメラに頼むこともしなかった。
今日ふと口に出してしまったこと自体が、感情の発露の一つでもある。
フローティアは何かを堪えるように口元に笑みを浮かべると、気を取り直した声音で謝罪を口にした。
「ごめんなさい。こんな素敵なところに案内してもらった日に聞き出すことじゃなかったわ。
ただ、今更だけど取りに行けたらよかったと考えていたものがあったから、残っていたら嬉しいなと思っただけなの」
「そうですか。ちなみに、何を? 代わりのものを探せるかもしれませんよ」
フローティアは、緩く首を振った。
「いいの。代わりは無いから」
取りに行きたかったのは、リヴィメラに貰った花で作った押し花だ。
フローティアのために好きなものを、と持ってきてくれたものが枯れてしまうのが惜しくて、引き出しに隠せる程度のケースを用意して保管していた。
そんなにも大事にしていると知られるのが恥ずかしかったから隠していたのだが、きっと彼のことだから、そこに何が収まっているか自体は知っていたことだろう。
「どうせなら、新しく作ってしまえばよろしいのでは?」
ほらね、とフローティアは誰に向けた訳でもない呟きを脳内で零した。
ただ、事実を把握していたとしても、そこに込められた意味を、リヴィメラはきっと正しく汲み取れない。
フローティアは、先ほどまでの耐える為の呼吸ではなく、はっきりと呆れを含んだ形で一度深呼吸をした。
「例えば、そうね。リヴィメラ、貴方の好きなものが──」
「貴方ですね」
「……では、わたくしと全く同じ魔力と容姿を持つ存在がいたとして、初めの私が消えてしまった後にその存在が用意されたとしたら、……いえ、なんだかこの話だと意味が分からなくなってしまうわね、やめましょう。
もっと良い喩えを探すことにするわ。少し待ってちょうだい」
物の価値を示す喩えに、生き物であるフローティアを出すと非常にややこしいことになる。
そう思って話を仕切り直そうとしたフローティアに、リヴィメラは明確に納得のいった声で、「ああ」と呟いた。
「なるほど。例えば貴方がこの先の永遠の中で再度同じ魂を持って生まれ直したとして、容姿も声音も同じであろうと、それは決して私の愛しい貴方ではない、と。そういうことですね」
フローティアの瞳が、驚きを持って幾度か瞬いた。
それは自分が説明しようとしていたことが正確に伝わったことへの驚きでもあったし、リヴィメラがそれを『代わりは無い』ものの例えとして用いたことによるものかもしれない。あるいは、生まれ直しを前提とした思考も含めてのものだったかもしれない。
ともかく、幾重にも重なった衝撃は、正確な形を残す前にぶつかり合って霧散してしまった。
「ええ、まあ……そういうことかもしれないわね」
ぎこちなく頷いたフローティアの隣で、リヴィメラは続けて何度か頷いたような素振りを見せている。
「ではやはり、バーノッツ家を見に行くのは控えた方が良いですね。失われたものは戻りません、わざわざ傷つく必要もないでしょう。
どうします? ご希望なら許可さえ頂ければ短期記憶を少々弄って差し上げますが」
「絶対にやめてちょうだい。絶対に。いい? 絶対によ」
力強い響きで釘を刺したフローティアに、リヴィメラは笑いながら了承を返す。
ひとしきり笑い終えた彼は、出発の時と同じように優しくフローティアの腰を支え、冥府へと帰った。




