はじめての巨大モンスター
50メートルの巨獣の威圧感は、想像以上だった。
20メートルの蛇までなら戦った。その倍とちょっとだろう、と自分に言い聞かせていたところもある。
だけど、僕より頭半分程度背が高いだけのフルプレさんでさえ、実際に対峙したらその圧だけで潰される心地がしたのだ。
体長なんて単純な数字では、本当の恐怖は計れない。
「……人間が戦える、もの、なの……!?」
カミラ嬢がガタガタ震えながら後ずさる。
まだ奴との距離は数百メートルはある。すぐに交戦するような距離ではないし、向こうがこちらを敵として認識できるかも怪しい。それにも関わらず、だ。
正直なところ、僕も今までの冒険者としての多少の経験がなければ、同じように震え、それどころか腰を抜かして這っていたかもしれない。
「命を軽視できる」程度の精神性で受け流せる恐怖では、ない。
「滅び」という概念が、目の前にあるのだ。
一粒一粒の命なんて、もとより問題ではない、と言わんばかりの。
だが。
「あれくらいならまあ……下手するとフルプレだけでも追い返すくらいはできる、かな?」
「いやーどうかなあ。フルプレこういう時トンチンカンなことすっからなあ」
ユーカさんとアーバインさんは焦った様子もない。
さすがに堂々と身を晒してはいないが、物陰から獲物を見る目には絶望の気配は全くない。
「というかアーバインさんじゃ決め手にならないんですよね? ユーちゃんも別に伝説の武器とか超つよい必殺技とかあるわけじゃないんですよね? ……どうするんです?」
ファーニィの質問に、二人は揃って腕組みをして。
「そーだなあ……まあ確かに正面からいってサクッとやれる決め手はないな」
「マードかリリーちゃんあたりがいれば、やれることに幅が出るんだけどね……俺たちだけってーと押せ押せの戦いは難しいよな」
「戦う気は変わらないんですね……」
「まあ下手すると一日かかるかもしれないけどな」
「俺の見立てだと明後日までかかってもおかしくない。まあフルプレがどれだけ連れてくるか次第だ」
「……やっぱりフルプレの出方待ちだよなー最善手は」
一応、いきなり突撃はしないようで少し安心するものの、とりあえず勝つビジョンは僕には何もない。
頭の大きさだけでもヘルハウンドを丸かじりできそうな怪物だ。剣一本でどうするんだ、としか言えないだろう。
しかし。
「とりあえずアインが今、このパーティの最大火力だからな。頼りにするぜ?」
パンッ、と僕の腰を叩くアーバインさん。
「……ユーじゃないんですね」
「いやお前、さんざん見てきただろ。今のユーカって普通の子供だぞ?」
「普通かどうかにはちょっと自信がないですけど……でも僕はこの前のサーペントが今までの最大で、アーバインさんじゃ攻撃が刺さらないんですよね? ……勝つ流れが見えてこないんですけど」
「まあ、ユーカは“邪神殺し”だからな。いけるんだよ」
「それは実績としてはそうですけど! どう勝つかのプランはあってここに来たんですよね!?」
「……ユーカがここにいる。だったら勝つんだよ。あと、お前ちょっとだけ認識が違うぜ」
アーバインさんは帽子を目深にかぶり、目を細める。
「それはただの実績じゃない。ユーカは“邪神殺し”という『存在』なんだよ」
「は?」
僕がさらに問い質そうとするも、近くに騎士団の足音が近づいてきて中断する。
「全員止まれ! 整列!」
戦闘の鎧の中から、あのミルドレッド・スイフト女史の声がする。
僕たちは彼らから少し離れた路地に引っ込んでいるので、注意深く見回さないと見つからないだろう。
急に城からいなくなった僕たちを、彼女やフルプレさんはどう思っているだろう。
厄介事を知るなり去った、と軽蔑しているだろうか。あるいはそれでよかったと安堵しているだろうか。
それとも、僕たちが参戦する気でいることも見越しているんだろうか。
……複雑な思いで彼らを見つめる僕らの前で、規律正しく整列を終えた騎士団を、女騎士団長は剣を振り上げ、鼓舞。
「我ら水霊騎士団、王都の最大最後の守り! 他の騎士団に後れを取るな! あの程度のモンスターに怯むな! 王国に栄光あれ! 王都に安寧あれ!」
『おおおおおお!!』
全身鎧の騎士たちが応えて吼える。
そして、彼らは臆することなく水竜に向かって陣形を保ち、前進していく。
「……あんなのと、戦いになるんですかね」
ファーニィが呟く。幾度目かもわからない繰り言。
……そして、巨獣との距離が100メートルを切ったあたりで、状況が動く。
敵が、小さな抵抗者たちを認識したのだ。
そして、明確に一歩を踏み出す。
二歩。
三歩。
『っっ……!!』
それだけで騎士たちに動揺が広がるのがわかる。
勇んではみたものの、実際には潰される以外の運命が見えないほどの体格差だ。
いくら鎧を着ていたってそれがなんになるのか。仲間が何十人もいたってそれでどうなるというのか。
それを、ただの歩みで思い知らされる。
「怯むな! 手筈通りに! ……斬空隊、構え!」
ミリィさんの指示に従い、前列にいたハルバード隊が揃って構える。
……そうか、ハルバードで出すこともアリか。
剣よりモノが大きい分、僕も「六割」の加減がしやすそうだ。
そう思いながら見ていると、ミリィさんの手信号で彼らは一斉に「オーバースラッシュ」を放つ。
「……てんで駄目だな」
ユーカさんが呟く。
夜の闇を切り裂いた十数条の斬撃は、しかし水竜には小揺るぎもしない程度の打撃を加えたに過ぎなかった。
「全員、アインが何も考えないで撃つ程度の威力しか出せてねー。あれじゃ斬れねーよ」
「……今の僕なら斬れるかな」
「わからねー。あれよりはだいぶマシだろうけど……くそ、フルプレはまだか?」
ユーカさんが苛立ったように見回す。
「あんな雑兵じゃ無駄死にだ。人数いるなら散らして奴を疲弊させるのが一番役に立つだろうが」
「仕方ない。俺そろそろ手を出そうか?」
「こっから刺さるか?」
「ちょっと難しいけど頭を狙えば注意は引けるんじゃない?」
不穏な会話をしている二人に、ヒッとカミラ嬢が距離を取ろうとする。
まあ仕方ないよね。
「……僕はどうしたら?」
「とりあえずの作戦……ってほどでもねーが、アーバインが撃つ。奴の気が散ってる隙にアタシらはその間に奴の側面に回って背中に登る。あとはありったけぶち込む。以上だ」
「思った以上に雑だ……」
「私は? ねえ私どうしましょうか!?」
「ファーニィちゃんは俺の横。マードがいるとムチャクチャもできるんだけど……ま、それでなくても長期戦になると治癒師は大事だからね」
一応ファーニィもやる気がまだあったのは立派だ。逃げても仕方ないよなーと思っていた。
「んじゃ行くか。……アイン、ついて来いよ!」
「うん。……カミラさん、適宜下がって! 僕らに付き合う必要ないから!」
正直、結局勝ち筋について聞きそびれたので、背中に乗ったところでどうなんだ、という気持ちはある。
だけどユーカさんを一人で行かせるわけにはいかない。僕の力も当て込まれているんだ。
できるというならできる、というゴリ押しも、アーバインさんほどの人が言う以上、無根拠ではないのだろう。
マード翁も、ユーカさんには僕の知らない何かがある、と示していたし……僕はそれを信じよう、と決め込む。
そして、いよいよ水竜が水霊騎士団を見下ろし、何らかの攻撃を始めそうな気配を見せたところで……アーバインさんは民家の屋根に飛び乗り、すかさず放った矢が闇を切り裂いて水竜の顔面に突き刺さる。
あの「オーバースラッシュ」の集中打をまるで感じもしないように振る舞う水竜が、その一撃で顔面を跳ね上げ、のけぞって一歩引いた。
……効いてる。わりと普通に効いてるよアーバインさん。
そりゃ、まるでスケールが違うとはいえ、緑飛龍の頭を弓矢らしからぬ威力で吹っ飛ばすのがアーバインさんの弓だけど。そこまで効くのか。
「下がれ騎士ども! お前らじゃ無理だ! フルプレの奴が来る前にみんな死んじまうぞ!」
アーバインさんの怒声に、騎士たちはうろたえるように足並みを乱すが、ミリィさんは対抗するように。
「ま、惑うな! 我々は王都を乱すものと戦うために生きてきたのだ! 命は既に王に捧げたはず!」
「アホか! 時間稼ぎにもならねーっつってんだよ! 今は下がっとけ! プロはこっちだってんだ!」
「騎士たちを惑わさないでいただこう、アーバイン殿! 我らは先駆けとして王都の誰よりも早く命を懸ける義務がある!」
「懸け時じゃねーっつってんのがわかんねーのか!」
アーバインさんはさらに矢を放つ。
水竜はそれをことごとく顔面に受け、ヨロヨロと下がるが……やはり、それは決め手とするには弱いようだ。
やがて、アーバインさんに向かって大きく首を引き、溜めた何かを……一気に吐く。
「うおおおおっ!?」
白い霧が一気に広がる。
いや、霧じゃない。冷気だ。
冷気のブレスを吐けるのか。
「アーバインさんが!」
「構うな! アイツも場数踏んでる、簡単には死なねえよ!」
「どう見ても死んでそうだけど!?」
「そこで生き残るのが一流なんだよ! 奴はヘマはするけど生き延びる勘は本物だ!」
港の倉庫や資材の間を駆け抜けて、僕とユーカさんは水竜の側面に回る。
アーバインさんの安否は心配だが、僕たちも一歩間違えば死ぬ。
ユーカさんと一緒に、その背に駆け登るタイミングを計る。
ヒレ状の脚はうまくすれば一気に腰までは登れそうだ。それ以上はちょっと手間取りそうだけど。
なんとかユーカさんと一緒に登り切れば、「パワーストライク」を背骨に届かせれば……ひとまずは痛打にはなるだろう。
水竜の視界に入らないように身をかがめながら、その瞬間を待っていると……遠くからフルプレさんの声が聞こえてきた。
「吾輩が来たぞ! 吾輩と火霊騎士団に任せよ!」
「……王子!」
ミリィさんの安心したような声も聞こえる。
やっぱり怖かったのかな。当たり前か。
そして……。
「ゆくぞ……!! 食らえ、王都に仇なすモンスターよ! 我が秘奥!」
フルプレさんの雄々しく勇ましい声が聞こえ、僕たちは天を見上げる。
その次の瞬間。
「フルプレキャノン!!」
ドゴン、と激しい音がして、地面が小さく揺れる。
そして、空を……。
視線が通らないように隠れているので見えないが水竜の頭のあるであろう高度を、銀色に光る鎧が通り過ぎ、湖に向けて飛んでいく。
「…………」
「…………」
僕とユーカさんは無言でそれを目で追う。
なかなかの飛距離を出して、沖合い数百メートルくらいのところで水柱が立ったのが見えた。
……そして、ユーカさんと顔を見合わせ。
「……アタシ、アレの嫁にされるとこだった?」
「うん」
「……マジで苦労しかしそうにねーじゃん。逃げてよかった」
頷き。
「よし! アタシらで殺るぞ!」
「……う、うん!」
勇ましく立ち上がるユーカさんに、僕も続く。
……いや、ほんとそこはキメようよフルプレさん。




