王子の求婚
「それを僕に言ってどうなるんですか」
「まあそう不貞腐れるな。……いや、茶化すのも無神経か。いかんな、こういうところが仲間たちにも呆れられているのだったな」
ローレンス王子は月明かりの中、精悍な顔に憂い交じりの苦笑を浮かべる。
本当に、嫌になるほど男前だ。
アーバインさんとはまた違った方向性でありながら、どこか同じように、「高く遠い何かを知っている男」の風格が、単純な造形を超えて人を惹きつける……そんな笑み。
それもあるいは、僕が勝手にコンプレックスを持っているだけなのかもしれないけれど。
「ユーカが吾輩の求婚に応えたならば、貴様は身の振り方を考えねばならんだろう。いくら『力』を譲渡されたとはいっても、まだユーカの導きなくして世渡りができるとは言えまい。アーバインは女が目当てだ。貴様に入れ込んではいない。あのエルフ娘も道標にはならんだろう」
「……それは」
「あるいはユーカを頼り続け、その身に『力』の馴染むまでこの地に居座る……というのも道の一つかもしれんが、あのユーカの後継者が、そんな消極的に日々を過ごすのは、果たしてどうか」
「っ……」
「昼間はああ言ったが、吾輩とて貴様が非凡なものを身につけたというのは認めている。斬岩、斬空をああまで自在に振るうことができるならば、騎士団で充分にやっていけるだろう。……よそではまちまちだが、王都の四騎士団は冒険者上がりの者もそれなりにいる。ユーカが嫁入りを承諾し、冒険者としての前途に迷ったならば、その道に行くのもひとつの選択肢だ」
……もう上手くいった気か。
とは思うけど、悪気はないんだろうな、とも思う。
ユーカさんを口説く方法の話こそ、僕に言っても仕方がない。
それに、ユーカさんがもしも少しでも乗り気だった場合、承諾の障害となるのは、まさに僕の存在だろう。
今こうして話せば、土壇場で僕を盾にぐずられる余地を潰しておけるわけだ。
ならば先に話を通すのは、確かにそれなりの意味はある。
「……僕は騎士にはなりませんよ」
「そうか。好きにしろ」
ローレンス王子はあっさりと頷いた。
元々、ヒューベル王国軍は戦力充分で当面の危機はない。だから僕を登用することに執着する意味もない。
あくまで言うだけは言っておく、程度の意味しかないんだろう。
「フッ。まるで横恋慕のようで妙な気分だが……話はそれだけだ」
王子は僕の肩を軽く叩き、元の部屋に戻っていいぞ、と促す。
僕はメガネを押し、何か言おうかと少し考える。
……何も思いつかなくて、小さく溜め息をつくだけに終わる。
ユーカさんは、全然そんな関係じゃない。
冒険仲間で、師匠のようで、親分のようで、どこか妹のようで……でも、それだけだ。
それ以上には踏み込めない。
僕はまだ、中途半端に技を覚えただけの素人。それ以上の何者にもなれていないし、堂々と仲間だと言い切るのすらおこがましく感じるのに、余計に踏み込むのは増長だと思う。
……ユーカさんは王子の求婚を受けるだろうか。鼻で笑って流すだろうか。
僕にはその予想さえ、はっきりとはできやしないのだ。
ただ無言で、僕は部屋に戻る。
「内緒話は終わったか?」
「ああ。……別段内緒というほどでもないが」
ユーカさんは肉を喰い続けながら待っていた。
そして、王子はそのユーカさんの横に立ち……おもむろに跪いて。
「ユーカ。ユーカ・レリクセン。……どうか我が妃になってくれまいか」
「え、ヤだよ」
王子の告白は一蹴された。
そのあんまりにもあんまりな蹴り方に、ホッとしてしまったのもつかの間。
……ローレンス王子はジッとユーカさんを見つめたまま、言葉を続ける。
「吾輩は本気だ、ユーカ。……あの解散の日、貴様は顔を隠した不審者であるからと吾輩を退けたが、吾輩は顔を見せたぞ。次の不満はなんだ」
「はぁ? 不満つーかお前……そもそもアタシはお前好みのゴリラじゃねーだろ、もう」
「うむ。だがそれでも、吾輩が生涯を共にするに、この世で最も相応しい女は貴様だった。それだけだ」
「……何言ってんだお前。酔ってんのか?」
「吾輩は貴様の望むものなら何でも用意しよう。ゴリラをやめて娘としての幸せを堪能したいと言っていたな。これより幾年か……夫婦の務めもあるので永遠というわけにはいかんが、この国で望める最も華やかな生活ができよう。美の極致を知り尽くす職人たちに貴様を磨かせ、あらゆる最高の衣装を日ごと楽しむのも思いのままだ」
「そりゃお前……まあ王族だからそうだろうけどさあ。アタシもう死ぬほど色々ブッ殺して稼いでんぞ? 贅沢したいだけならお前の助けなんざいらねーよ?」
「……かもしれんな。言い方を変えようか」
髪を掻き上げ直し、王子は続ける。
「今の貴様の、可愛らしい外見に余人が感じる魅力は吾輩にはわからんかもしれん。だが吾輩は、貴様という女の本当の魅力は誰よりも理解しているつもりだ」
「は……?」
「他のあらゆる者は、伝説的な強さや、それのもたらすカリスマこそが魅力と言うものもあろう。あるいはそれを離れた今の貴様の外見にまんまと釣られる男もいるだろう。アーバインのように。……貴様の持つ大貴族にも匹敵する富が知れ渡れば、それを目当てに褒めそやすものもいるかもしれん。いずれにせよ」
王子は胸に手を当てて。
「それらは貴様の一面に過ぎん。だが、どれもが鮮烈であり、目が眩まずにいられるものはそういまい。……客観的に言って、吾輩は貴様の強さも、富も、今の外見も関係なく、貴様を愛することができる唯一の者だ」
「随分勝手なこと言いやがるなあ……」
「生まれながらに“持てる者”であるゆえにな。不純な愛はよくよく見知っている。……だが吾輩は違うぞ。貴様と肩を並べ、あるいはそれ以上のものを持つからこそ、この心は本物と断言できる」
そして、再びじっとユーカさんを見つめ。
「ゆえに、運命の相手だとも言えよう。貴様とて、半端な男と夫婦に収まる己の姿は想像できんはずだ。才にしろ財にしろ、釣り合わぬ相手との生活は続かん。恋をしようにも、最低限の条件すら満たせる相手はそう見当たるまい」
落ち着いていれば本当に男前のローレンス王子。
その彼に懇々と口説かれれば、まともな女ではグラつかずにはいられない。
なにしろ王子なのだ。この国で、少なくとも家柄においてそれ以上は望めないという相手だ。
熱い恋や愛は現実に勝るとは言うけれど、それでも家柄の良さと財力は大いに魅力を底上げする。
当然、そこが良くなければ将来が不安定になるのだ。結婚は「人生」の選択なのだから、現実を無視することはできない。
そして年齢はほどよく釣りあい、外見も嫌うほど醜くもない、むしろ一般的にはかなり魅力的、となれば……相当な変わり者でない限りは、悪い気なんかするはずもない。
「…………」
果たして、ユーカさんは。
……意外なほど情熱的に迫るローレンス王子に、赤面していた。
そもそも女として見られることが少なかった人だ。
アーバインさんやマード翁の賛辞は、旧知ゆえの気安さも混じった、からかい半分の口説きでしかなかった。
僕はどこか妹を重ねていた。
真正面から女性として口説かれたのは、今この時が初めてかもしれない。
「あー……えーと……」
「お互い、人並みに子のある家庭を求めるなら、丁度いい歳でもあろう。急に王家に入るのは不安もあろうが、吾輩が誓って不愉快な思いはさせん。だから……」
「ヘイヘイヘイフルプレ。ちょいと待ちなって」
そこで、串焼きを弄びながら頬杖で聞いていたアーバインさんが割り込む。
「その理屈だと俺もユーカの運命の相手だから異議申し立てるぜ?」
「ぬ……」
「同じくらい冒険者としての才能あって、同じくらい稼いでて、しかもユーカのことよく知ってるって意味ではお前よりずっと長いぜ? ついでに超イケメン度は比べ物にならない」
「だ、黙れ! そもそも貴様エルフだろう!」
「なんだよ。エルフじゃ悪いのかよ。子供だって作れるんだぜ?」
「だ、だいたい貴様は女と見れば片っ端から手を出すだろうに! 論外だ論外!」
「そんなんお前が決めることじゃないね。あと俺は遊びで手を出す相手とそうでない相手はちゃんと分ける方だぜ? ユーカが結婚してくれたら家庭人になる自信あるぜ? ……死にたくないし」
「ふざけている!」
「あーもー、うるせーうるせーうるせー!!!」
ローレンス王子とアーバインさんの口論は、ユーカさんの癇癪起こしたような絶叫で止まる。
そして。
ユーカさんは何故か僕をじっと見て……少し、恨みがましい目で見て。
「……フルプレ、今日は戻ってくれ。……考える暇もなしにまくしたてんのは卑怯だ」
「……うむ」
「あとアーバイン。お前だけはねーから」
「何で!?」
愕然とするアーバインさんを見て軽く笑い、ローレンス王子は背を向けて去る。
そして、扉を閉めかけたところで。
「ユーカ。吾輩の名はローレンスだ」
「……知ってる」
「ならば良い」
微笑んで、今度こそ扉を閉める。
僕は所在なく突っ立って、この雰囲気の中どうしていいのかさえわからず。
……ユーカさんは、もう「食え」と絡んでくることはなく。
「ふふふふふ、面白くなってきましたねアイン様♥」
「……楽しそうだねファーニィ」
「特等席で野次れる他人の色恋が面白くないわけないでしょう」
ファーニィだけはめちゃくちゃ楽しそうだった。
ちょっとだけその神経の太さが羨ましい。




