城の夜
夕方になって城に帰りついた。
ドラセナに拉致されたのが昼ちょっと前だったので、なかなか長旅になってしまった。
「戻りました……」
「おー。随分かかったじゃねーか。……なにその女」
「水霊騎士団長のミルドレッド・スイフトさん、らしい」
「王都直衛騎士団にスイフト家出身の者は多いので……よろしければミリィとお呼び下さい。お初にお目にかかります、『邪神殺し』のユーカ様」
「…………」
ユーカさんは変な顔をしていた。
僕が初対面の相手にいきなりユーカさんのことをバラしているのが意外だったのだろう。
「お前ホント美人に弱いな……」
「いやちょっと聞いて? 別に美人だからとかそういう理由じゃなくて」
「彼がローレンス王子に招かれた人物である、と信じるに足る関係性が、通り一遍の説明からは見いだせなかったものですから」
女騎士の簡潔な説明に、ユーカさんはちょっと呆れた顔をして。
「……はぁ。つまりあれか、不用意にウロウロして騎士にぶつかりでもしたのか」
「……ぶつかったというか、迷いに迷ってそこで聞くしかなかったというか」
「何でそんなに迷うんだよ。城なんかどこからでも見えてるだろ」
「見えてたけど辿りつけなくて……だって僕、はっきり見える状態で王都歩いたの、今日が初めてだったし」
「ったく、それならあのドワ子にちゃんと帰りの案内も頼めよな」
「……次はそうする」
いや本当、なんでそのままフラッと帰れると思っちゃったんだろうね、僕。
反省。
「……しかし本当に、この方が、ローレンス王子すら勝つのは難しいと言い切った『邪神殺し』のユーカ様なのですか?」
ミルドレッド……ミリィさんは、落ち着いた物腰ではあったが明らかにフルプレさん側の人らしい。
一応道すがら説明したのに、ユーカさん本人を見て「やっぱり信じられない」といった顔。
そりゃ今のユーカさんじゃフルプレさんに勝つのは無理だと思います。
「なんだ、そんなに証拠が見てーか? つってもアタシ流は騎士どものやり口とは合わねーけどな」
「……どんなやり方でも、それに足るものがあるのなら見せていただきたく」
「そうか」
ユーカさんは頷くと同時、消える。
……そして、ミリィさんが完全に浮いて吹っ飛んだ。
「……っとぉ。へへ、どうよ」
「い、今何したの」
「あ? 普通に剣振っただけだけど?」
手には練習剣。
騎士たちが打ち稽古に使っている、刃を潰してあるやつだ。それをだらんとした脱力状態から無造作に振り上げつつ、凄い踏み込みをした……のだと、思う。
「そんな動きして大丈夫なの……?」
「そんな動きってなんだよ。別にそんなに無茶はしてねーぞ。……今は体が軽いからな。無理にパワー出そうとするより、瞬発力を武器にして奇襲と急所狙いを主眼にした方が持ち味が活かせそうだ、って、この前の山籠もりあたりから試してんだよ」
「……またゴリラ化しちゃうじゃん」
「だからパワーは二の次なんだってば。これは呼吸っつーか歩法がミソでな」
などと話している間に、倒れていたミリィさんが震えながら起き上がった。
「っ……そ、それだけでは……まだ!」
「あっそ」
ユーカさんは剣を肩に担いでそう言うと、再び異様な踏み込みで一撃を叩き込む。
ミリィさんも流石に二度目は受け止める……が、ユーカさんはスライディングするように足元をすり抜けて飛び跳ね、今度はミリィさんの後頭部にジャンプ後ろ蹴り。
モロに食らったミリィさんは顔から地面に落ちる。
……ついさっきまで兵士たちが駆け回っていた運動場なので荒れていて、まあそのおかげで無惨なことにはならずに済んだともいえるけど、泥にまみれながら起き上がった彼女の姿はちょっと痛々しい。
「どんどん行くぜ? 言い訳はすんなよ?」
「く……!」
ユーカさんがさらに何か攻め立てようとしたところで、ヌッと全身鎧が割って入る。
「やめんか。ミルドレッドもムキになるな。貴様が地に塗れるところは兵たちに見せれば士気に関わろう」
「っ……王子!」
「チェッ。なんだよ、途中で邪魔するくらいなら最初から押さえろよなー」
と言いつつも、さほど残念そうでもなく剣を下ろすユーカさん。
……ユーカさん、決闘をまともに受けるのはバカだとか言いながら自分ではこういうのやるんだな……いや、彼女の中では決闘じゃなくて喧嘩に入るのか?
「一太刀も受ければ納得するだろうと思っていたのだ。ミルドレッド、理解したか。ただの子供と同等の筋肉で今のをやるのが、ユーカという女だ」
「っ……は、はい」
「それだけのハンデを理解しながら、本気で勝負などするものではない。ここは吾輩が預かる。顔を洗って来い」
「……わかり、ました」
しゅんとした感じでミリィさんは引き下がり、フルプレさんは兜の中で溜め息をつく。
「……筋はいい女なのだが、どうもムラっ気でな。調子のいい時はなかなかなのだが……まあその剣技も行儀が良すぎて、人以外と戦えるとは思えぬ。何より筋肉が足らん」
「いやお前、まさかとは思うけど女騎士全体に前のアタシと同レベルのゴリラ求めてない?」
「…………」
「自分で言うのもアレだけど、あそこまでゴリラだとマジで女として認識する奴ほとんどいないかんな? 人として色々捨ててる肉体だかんな?」
「……そこまで言うことはないと思うのだが」
……フルプレさん、割と本気でゴリラユーカさんが好みだったの……?
解散前のアレは、英雄としてのユーカさんになんとか戻って欲しくて出た妄言だと思ってたんだけど。
「戦う女が頑強で何が悪いのだ……子を産む上でも太く強いに越したことはなかろう。世間は間違っている……!」
「……それは逆にお前、女を機能性で判断し過ぎじゃね?」
「男とて、筋肉のない者がある者に勝ることはなかろう」
「……うん、そうだな」
ユーカさんはいろいろ諦めた顔をした。
フルプレさんはそもそもにして価値観が違う。人を評価する基準に「可愛い」とか「綺麗」という軸がなさそうだ。
そして、ついでのように僕の……革鎧という、多少肉襦袢的な役割を果たすものを排した僕の肉体を眺め下ろして。
「小僧、貴様もそんな肉体では、いくら小技を磨いたところで長くは持たんぞ。それでユーカの後継を名乗るのは吾輩は認めん!」
「アタシが認めるからいーんだよ。お前何の審査員なんだ」
「少なくとも我が国の軍では取り立てはせん!」
「入らねえっつーの。アインは冒険者だっつーの」
略取から守るように、僕の肩……には手を回しきれないので、腹のあたりに手を回してギュッと捕まえるユーカさん。
……まあ彼女にとっては「子分に肩組んで守る」感覚なんだろうけど、女の子にこうまでくっつかれるのはやはり妹以来なので、なんかちょっと照れ臭い。
「それよりフルプレ、あれいいのか」
「ぬ?」
「アーバインがさっきの女ナンパしてるけど」
「本当に油断も隙もない!」
ドスドスと大股でアーバインさんを捕まえに行くフルプレさん。
もしかして、僕の相手が終わってからずっと、アーバインさんを抑えるのに終始してたんだろうか。
夜。
ローレンス王子に戻ったフルプレさんの手配により、なかなか豪華な夕食が部屋に運ばれてきた。
迷子になっていて昼抜きだったので、腹いっぱいの食事はありがたい。まあ冒険者やってると昼抜きは往々にしてあることだけど。
「フルプレがこういうの用意するとさー、いつもなんというか、肉々しいよねえ」
骨付き肉をかじりながらアーバインさんがぼやく。
いつもなのか。
まあユーカさんたちの関係を見るに、冒険中の食料の手配なんかも決まった人がやってたわけじゃなく持ち回りだったんだろうな。
……ある程度固定のパーティだと、そういう準備は得意な誰かが専従することが多いんだけど。
トチると生命維持にダイレクトに関わる部分だ。不慣れな奴にやらせて失敗するより、性格的・能力的に向いている奴に頼むのが安全なのだ。
……まあ、それぞれ細かい代金を気にしない程度には金持ち冒険者だし、フルプレさんが合流するころには後詰冒険隊での物量作戦が使えたわけだから、そのへん大雑把でよかったんだろうけど。
「肉も嫌いじゃないんですけど……もっと野菜とか果物欲しいですよねー」
僕の治療から解放された後は昼寝していたらしいファーニィは、山となった肉、肉、肉……にへの字口。
「まあ王族の保証付きの特上肉はありがてえじゃん。なあアイン。……平らげろよ?」
「さすがに全部は無理じゃないかなあ……」
なんか頭ぐらいありそうな骨付き肉が二個に、揚げ肉、燻製肉、串焼き、シチュー……と、普通に食べ盛りの男子でも四人くらい満足しそうな量がサーブされている。
これ、あれだよね? 足りないとは言わせない、みたいな奴で、食べ残すのは前提だよね?
「いや食え。食って自分の血肉にしろ。筋肉をつけるには肉を食うことが早道だ」
「いつもはこれのクォーターサイズくらいだよね!?」
「食い溜めは冒険者の必須技能だろ。フルプレ倒したきゃ食え」
「いやー……正直倒すのにはそんなに興味がないというか……」
双子姫には一応「いつか超えるべき壁」とは言ったけど、倒して何かいいことがありそうには思えない。
「フルプレの妄言は極端だけどな、さすがにお前はもうちょっとマッチョになっていいと思うぞ。鎧だって本当は重いの着られる方がいいに決まってんだし、使える武器にも幅が出るし。何よりお前、下手な攻撃食らうといつもポックリ死にそうで、なんかあるたびにヒヤッとする」
「それは……」
まあ、僕だって死にたくないし、肉食べるだけでそうなれるのなら頑張るけど。
でも結局のところ、急に無理して食べても贅肉になるだけじゃないかなあ……。
やや苦しみつつも骨付き肉を一つ平らげるのには成功。
そしてもう苦しいので、どうやって残りをやっつけたものかなあ……と思っていると、ローレンス王子がヌッと部屋に現れた。
「楽しんでいるか」
「おー。やっぱうめぇな王室御用達の肉は」
「そうだろうそうだろう。まあ吾輩は熱いうちには食えぬので少し羨ましくはあるが」
「?」
「一式毒見が済まねば手を付けられんのだ。対毒治癒術の発達した今となっては、馬鹿らしい話だとは思うが」
王族だとそういうのもあるのか。……まあ、この人殺すなら、暗殺者の十人や二十人差し向けるよりも毒使った方が確かに早そうだけど。
「そういった役目はなかなか取り潰しにはできん。冒険者をやっていた頃はマードという保険もあったので気にせず食えたのだが」
「……お前アタシらの前では絶対食わなかったじゃん」
「万一にも気づかれるわけにはいかなかった。それゆえに仲間として絆をあれ以上強められなかったのは心残りだ」
ゴツめながらハンサムなので、憂い顔は絵になるローレンス王子。
しかしユーカさんとアーバインさんはすごく何か言いたげな顔。
多分「お前が信頼されなかった理由はそこじゃねえ」という感じだろうか。
……まあ、行動だよね。そこ以外の。
「さて小僧。少し話がある」
「?」
ローレンス王子は僕に立てと指で示す。
食べ進むにしても少し休みが必要だったところだ。僕は多少迷った末に、手を拭きつつ立ち上がる。
「なんだよ。ここではできねえ話か?」
「男同士の話だ。無粋を言うな」
「胡散臭ぇなー。言っとくがマジでアインはやらねえからな。あの双子の妹どもにも言っとけ」
「……? マリスやミリスがどうかしたか?」
「アインに色目使ってたぞ?」
「!!」
睨まないで下さい。僕は断ったんだから。
夜のお城は雰囲気がある。
あちこちに篝火が焚かれ、警邏の兵士が常に巡回しているが、それ以外は静かなものだった。
「お城に泊まる」なんて体験、冒険者になるまでは……いや、このアルバルティアに来るまでは、自分がするなんて想像もしなかったな、と少しおかしくなる。
そして妹が小さい頃「お姫様」に憧れていたな、なんて思い出も浮かぶ。
女の子は誰だってそうだろう。どんな貧乏な農奴の娘だって、「お姫様ごっこ」をする自由くらいはある。
……僕の代わりにあいつをここに連れてくることは、何がどう違ったら叶ったんだろう、なんて。
少しだけセンチメンタルになりつつ、ローレンス王子が話し始めるのを待つ。
「……吾輩が第一王子というのは話したな。それはつまり吾輩は王位継承者であるということだ」
「はあ」
「王となるからには王統を守らねばならん。すなわち、子を作るのも義務だ。……ゆえに、本来は吾輩も、そろそろ妃を取らねばならん」
その話、僕にしてどうするんだろう。
ぽかんとしつつ、豪傑王子の話題展開を見守る。
「大きな声では言えんが。吾輩はユーカを妃に、と考えていた」
……本気だったんだそれ。
いや、双子姫も言ってたからそんなに驚きはないけど、本当にゴリラユーカさんと結婚しようとしていた、と本人が言うのを聞くとちょっと落ち着かない気分になる。
まあゴリラ&ゴリラのすごい絵面になるな、という、ちょっとしたおかしさもあるのだけど。
僕にとってのユーカさんは今の可愛い方だ。それと本気で結婚したい、という告白は、どうしてもざわつくところがある。
僕と彼女は、力を与えたものと受け取ったもので、今は師匠と弟子。
それだけといえば、それだけだけど。
でも、やっぱり完全には冷静でいられない。
本人には鼻で笑われるだろうけど、僕は彼女を守ろうと思っているわけだし。
「ユーカは王家に釣り合うほどの家柄でもない。本人もあの通りの野蛮人だ。……だが、吾輩にはそれがいいと思っていた」
ちょっとだけカチンとくる。
まあ家柄なんて知らないし、野蛮人と言われれば確かにそうかもしれない。でも、だからって脳筋王子にちょうどいい、と言われると少し言い返したくもなる。
本当は魔術文字を読む知性もあるんだぞ、とか。
女の子らしい生き方に憧れる可愛いところだってあるんだぞ、とか。
……そんなの、ローレンス王子だって理解してないはずはない。でも、言い草的にはそんなのどうでも良さそうに聞こえた。
でも、黙る。まだ本題ではないだろうから。
「吾輩は見ての通り、己の戦闘力には自信がある。だが王としてはそれでは善政は敷けんというのも、理解している。吾輩でなければならぬ事態となれば、それは吾輩自身が戦うということであり……それは英雄的ではあっても、ただの危機でしかない。王自ら、となれば無論、敗死する事態も考えないわけにはいかんというのもな。……そんな事は起こらず、置物の王として時代が過ぎればよい。だが、それだけを期待するわけにはいかん。この力をもって認められた以上、この力を活かすべき時に向けて、備えぬわけにはいかんのだ。吾輩の隣に立つべき女は、たとえ吾輩が死んでも同等の強さを見せられるものでなくてはならん。それくらいでは国は崩れぬ、と、力でもって他国にわからせられる豪傑でなければならん。……だから、吾輩はユーカを欲したのだ」
……ローレンス王子は、そこまで無表情で語り。
そして、小さく苦笑し。
「そのはずだったのだがな。……貴様はユーカの戦いをどれだけ知っている?」
「……僕、ですか?」
「まあ、意地の悪い問いであるのは認めよう。ユーカはあの体だ。あの別れから時間もそう経ってはいない。……奴の真価を見られたとしても、ほんの一部だろう」
一息。
「ユーカは、戦いの中で常に己を研ぎ続ける女だ。一撃、一撃、より強く、より激しく叩き込むために、動きを進化させていく。吾輩はそれに惚れた。その果てに世の理すら曲げ、不可能を可能にさえする、立ち止まることなき野蛮……美しき蛮行に、吾輩は惚れて追い始めたのだ。あれは人同士の戦いでは決して辿りつけぬ強さ。……究極に向けて突き抜けていく暴力の美しさに、吾輩は理屈抜きで憧れを感じた」
そして、王子は。
「今日、改めて理解した。ユーカは、ああなっても変わらずユーカだ。……吾輩はやはりユーカを妃にしたい」




