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温泉街からの出立

 翌日。

 次の移動を決めたとはいえ、さすがにキャンプ地にいろいろ置き残したままなのでその片づけをする。

 とはいえ、いろいろ顔を近づけないとよくわからないので僕はあまり役に立たない。

「……お前昨日からやたら顔近いぞ」

「ご。ごめん。でも表情がわからないから、どうしてもつい顔近づけちゃうんで……」

 ちょっとした話をする際にユーカさんやファーニィに顔近づけすぎて押し戻されること多々。

 僕としても変に意識されるのは良くないとは思うのだけど、相手の顔がほぼのっぺらぼうになってしまうのは、それ以上にコミュニケーションとして不自由なのだ。

 目を細めるとそれはそれで「何嫌そうな顔してんだよ」とか言われるし。

「ほっとくとどんどん顔が近づいてくるんでそのうちキスしそうで困るんですけど? いやアイン様がどうしてもしたいというならやぶさかではないんですけどやっぱりムードみたいなものが欲しいのが女ごころ的な」

「いやキスしたいわけでは断じてない」

「そこまで強く否定することなくないですか!?」

 ファーニィはなんかショックを受けているけど、じゃあ会話のついでにちょっとでもキスを狙ってるって言われて嬉しいかなあ。

「アインはダメだな。そこはもっとこう押してくとこだろ。もうちょいハンサムポイント上げて押せば行けちゃう感じだろ」

「お前はそういう生き方じゃからよかろうがのう」

「えっ、女の子がまんざらでない態度取ったら乗るのが作法じゃない!? 他にグッドコミュニケーションある!?」

「そんなんじゃから女ったらしとしか呼ばれなくなるんじゃ」

 マード翁はマッチョ化がまだ解けない。というか一度マッチョ化すると元に戻るのに数日かかる。

 その腕力で撤収作業をもりもりと進めてくれる。

 ずっとマッチョ化したままでもいいんじゃないかと思うが、彼曰くこの状態だと治癒術を細かく使って全身のバランスを維持しないといけないので、見た目より面倒な形態らしい。

 普段の老人状態の方がそういった意味で神経を使わないし、他人への治癒術もフルスペックで使えるため、彼としてはマッチョになっていない時の方が楽なんだそうだ。

「もっとみっちり特訓したほうがよかったんだろうけど……」

 キャンプ地を眺める。数日だけど、ちょっとだけ愛着は湧いた。

 安心して頼れる(ファーニィ以外)人たちに囲まれて過ごす時間は、夢中だったけど、思い返せば安らいだ。

 僕、そういう時間が冒険者になってから今までなかったよな。

 ……これから仲間が増えれば、そんな生活が当たり前になるんだろうか。

 全然想像がつかないな。僕もユーカさんたちのようなパーティを作れるのかな。

「ま、これからしばらくは旅しながら、だな。メガネ直したらまた来りゃいいさ」

 ぽんぽん、と僕の背中を叩いてユーカさんはテント材を荷車に積み込んでいく。

 ……メガネないと走るのもおぼつかないから、仕方ないんだよなあ。

 というか、僕こんな状態で王都まで歩けるんだろうか。心配になってきた。

 ここまでも何度かコケたし。

 ……ロゼッタさんが出てきてササッと代替品出してくれたりしないかな、なんて少し思うけど、あの人はあくまでユーカさんの御用商人だからなー。

「王都までの間に敵とか出てきたらどうしよう」

「雑魚ならアタシがやるよ」

「いえいえ私が。弓を手にしたパーフェクトファーニィにお任せです」

「なあ俺も一緒に行くの忘れてない? さすがにそこらのモンスターにやられるほど三流じゃないよ?」

「アーバインは昨日カッコつけて偵察しといて尾けられたのをもうちょっと反省しろな? 一流気取りのやるこっちゃねーかんな?」

「くっ……辛辣だけどなんか今のユーカに言われると許せるな……♥」

「最近お前マジキモいな……」

 ……まあ今までならユーカさんしかいなかったから任せるのはかなり気が引けたけど、ファーニィとアーバインさんもいるんだから安定感はあるか。

 それでも、できればマード翁にもいてほしかった。

 高レベルで前衛もこなせて、治癒術も超技巧かつ超高速というのは、冒険者としてはあまりにも頼りになる。

 ……とはいえ、頼りっきりでは本当に僕たちは脇役から抜け出せないし、それはマード翁にしろユーカさんにしろ望むところではないというのもわかるので、言わないけど。

「さて、山を下りるか。しかし川風呂もうちょっと堪能したいから、ワシしばらくここ通おうかのう」

「えー。女来ないけどいいの?」

「温泉は女の子とは別の欲じゃと言うに。それに女の子のお尻が恋しくなったら冒険依頼受けるわい。ワシこれでなかなかモテるからのー」

「うわーフカすじゃん。ジジイがそんなモテるわけねーじゃん」

「顔ぐらいしかモテ要素のないお前と違って、ワシは実力と人間性で慕われとるんじゃい」

「お、俺だって実力は!」

「はいはい斥候失敗ご苦労さんじゃったのー」

「んぎぎぎ」

 ……まあマード翁の治癒術に救われたことがあれば、冒険者なら是非とも同行願いたい気持ちにはなるよね。多少のセクハラは我慢してでも。

 荷車を引きながらもう一度キャンプ地を振り返り、メガネがないせいでぼんやりと美しく見える風景に心の中で礼を言って、メルタに向かう。



 キャンプセットは地元の雑貨商にまるごと引き取ってもらう。

 街道旅には過剰だし、今回の山賊団の被害のせいでキャンプ用具は払底しているらしい。

 ……ちなみに、ロナルド以外の山賊はマード翁とアーバインさんのコンビの前には案の定なすすべなく、半分以上は仕留められ、残りは散り散りに逃げるか降伏したらしい。

 それまでに死なずに済んだ者はマード翁が死なない程度まで回復させて縄につけ、ようやく出てきた領主の兵に引き渡した。その先は領主の機嫌次第で奴隷労働か縛り首だろう。

 山賊たちの死体は下手に放っておくと屍食鬼(グール)が引き寄せられてしまうので、集められて魔術で焼却され、被害に遭ったいくつかの家の遺族は、その骨に唾を吐いて踏み砕く。

 それは山賊の末路としての見せしめであり、やられた家族に捧げるせめてもの復讐としての儀式で、こういった戦いのあとにはどこでもやられていることだった。

 ……それを見届けるとさらに何日もかかってしまうので、僕たちはそれを見ずに街を出る。


 生き残りの山賊や酒場の店主によると、ロナルド・ラングラフは王都直衛騎士団の一つ「水霊騎士団」の元団長だった男で、数年前に何かの罪で騎士団を追われ、放浪しているうちにそのあまりの強さから自然と子分が増え、山賊の頭領に収まっていたらしい。

 王都直衛騎士団というと相当なエリートだ。その団長ともなれば、ダンジョンを単独制覇する一流冒険者にも引けを取らない武力だろう。

 彼と戦うなら、せめて剣が欲しかったところだ。それで何か好転したかと言うとやっぱり怪しいところだけれど。

「あんなの野放しにしてるなんて、この国もロクでもねーな」

 ユーカさんは頭の後ろで手を組みながらぼやく。

「あれを本気で討伐するとなったら相当な戦力が動く必要があるし、何より元団長が山賊なんて聞こえが悪いから手を出しあぐねてるんじゃないかな」

「いや、だからこそさっさと狩るべきだろ」

「しくじったらいよいよみんな王国の言うこと聞かなくなるよ」

「だろーけどよ。……ったく、おかげで気楽な温泉旅が台無しじゃん」

 ユーカさんはパワー思考だが頭は悪くない。僕に言われるまでもなく、何らかの政治的理由があることくらいは理解しているだろう。

 というか、僕はなんにもわかってないので「誰もあれを相手にしたくない」という気持ちを汲むことしかできない。

 本気で国に楯突く気ならともかく、山賊としてフラフラするに留まっているなら、皆見失っている振りをして様子を見たいのだろう。気持ちはよくわかる。

 僕だから命拾いした、なんて言うのもおこがましいが、あんな対人戦闘の巧者として完成された剣士、下手につつけばどれくらい殺されるか分かったものじゃない。

 ……そして、マキシムと彼はどういう関係なのだろう。

 親子というほど年が離れているようには見えないが、かといって兄弟と言うには離れている気もするし……もしかしたら家が違うのかもしれない。

 でも、マキシムが同じ一族と言うなら納得もいく。立派な甲冑を身に着けることを前提としたスマートな剣術は、思えばマキシムも同じだ。

 これで姓が似ているだけの赤の他人だ、というのは逆に信じがたい。

「あの様子だとすぐには再戦はない……と思いたいけど」

「こっちの都合としては、な。向こうも明日をも知れぬ身だろうから、待ってくれるとは限らねーぞ」

「……あんなのとまた戦うのは嫌だなあ」

「だから次は後ろから殺せ。モンスターならそうすんだろ。こっちはモンスター専門(ぼうけんしゃ)なんだからそれが正解なんだよ。相手はお尋ね者だ、遠慮はいらねーぞ」

「……うん」

 現実として、それしか勝ち目はなさそうだけど、あんなに隙のない剣豪がそれをさせてくれるかな……というのと。

 ……マキシムの親類なら、なおさら引け腰の戦いはしたくないな、という気持ちが、ちょっとある。

 本当に、いらない感傷なのだろう。

 だけど、そういう戦いであの男を仕留めたとして、僕はマキシムにそれを自慢できるだろうか。

 ……いや、そもそもにして、勝つの自体まだまだ無理な話なんだけど……うん。

 対人戦の技術はそれこそ何年も修練しないと身にならない。高望みなのはさすがにわかる。

 ……だけど、できれば。

 できれば堂々と超えたい、と思う。

 誰にも言えないけれど、腹の底でだけそんな思いを燻ぶらせて、僕は。


「あっ」

 すぐに足元の木の根や埋まり石に足を取られてつまずく。

「あーあー。ホンットに見えねーのな……しゃーねー」

 ユーカさんは立ち上がった僕の手を握る。

 そしてそのまま歩き出す。

「さすがにこれは子ども扱いし過ぎじゃ……」

「子供でももうちょっとマシに歩くっての。メガネ直るまでは我慢しろ、ボーヤ」

「うぅ」

「あー。それはむしろ私の役目じゃないですかね。ユーちゃんじゃコケても体格的に支えきれなくないですかね」

「オメーだってアイン支えられそうな体幹してねーじゃん」

「そんなことないですよ!? エルフって貧弱ですけど一応弓使うからには背筋そこそこ要りますからね!?」

「なーなー。妥協案として俺と手を繋がない? ユーカかファーニィちゃん」

「うぜー」

「あっち行っててもらえます?」

「何この扱い」

 ワイワイ言う僕らを町外れまで見送り、マード翁は立ち止まる。

「んじゃ、達者でな。またなんかあったら会いに来るとええ。……飽きたらワシ別のとこ移動してるかもしれんけど」

「どうせロゼッタなら見つけるから大丈夫だ。またなー」

「ヅラはもっと大人しいのにした方がいいぜー」

 ユーカさんもアーバインさんも、ゼメカイトでの別れと同様、あっさりとした感じで手を振って、それだけ。

 僕はもうよく見えないながら、振り返って。

「あ……ありがとうございました、マードさん!」

「おー。つってもワシ、ユーカとファーニィちゃんはともかくお前さんにはほとんど何もしとらんけどなー」

 あくまで飄々と、最高峰の治癒師はそう言って(多分)手を振る。

 手じゃなくて杖かなんかかもしれない。もう僕の視力じゃわからない。

 ……いや、ホント、僕メガネないと何もできないな。

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