レジェンドの指南
僕の特訓は基礎トレーニングから始まった。
「治癒術は普通の傷とか筋肉の傷みなんかはすぐ戻せるんじゃが、本人の基礎体力には手が出せんからの。そこはとにかく鍛え上げるしかないぞい」
「それでもマードさんがいるおかげで助かります……」
治癒術というのは一般的に時間がかかり、街ではそれ相応に手間賃も払わなくてはいけない。
まあ治癒術者がだいぶ限られ、その時間を占有する以上は仕方のない話だ。
しかしマード翁の治癒術はとにかく速い。ユーカさんの失った手を数十秒で再生したという話や、この間の遺跡で瀕死の冒険者をサッと完治させた絶技からもわかるように、ほぼどんな傷でも一分以内で治してしまう。
おかげで走り込んでガタガタになった足腰や背筋の痛みは、一瞬で癒してもらえる。
根本的な部分の鍛錬に集中できるというものだった。
「……これでユーカさんの体も鍛えられないですかね。せめて普通よりちょっとマシくらいに」
「本人も気にしちゃいるとは思うがのう。ただ、あそこまでよわよわになるのは初めてっぽいから、ちょっと戸惑ってるようじゃ」
「……そういや、子供の頃でもあんな弱かった覚えがないみたいなこと言ってたな」
「またゴリラ化するのも本末転倒じゃしの。それにあの体なりに利点は見出しとるようじゃから、落としどころはそのうち見つかるんじゃないかのー」
「……ところで」
マード翁に真面目に尋ねる。
「ユーカさんの体のことなんですが……」
「ん? 手を出して良いのかとかそういう話かの」
「突然下品なこと言わないで下さい。そうじゃなくて、今まで何人かの治癒師に『体内がボロボロでいつ壊れてもおかしくない』と言われてきたんです。あれ、どういうことですか」
「……あー、普通はそう見えるんじゃな」
「マードさんの見立てでは違うんですか?」
「あー……まあ、そうじゃな。……今に始まったことではない、とだけ言っておくか」
「?」
「そのうち、お前さんが本当に頼れる男になったら本人が聞かせてくれると思うぞい」
マード翁は曖昧な顔でそう言って、僕の背中を叩き、トレーニングの続きを促す。
それ以上、マード翁は話す気はない、ということか。
……僕は走り込みを再開する。
ユーカさんも前回は僕が貧弱過ぎていろいろ教えあぐねていたみたいだし、今回はむやみに急がずにやろう。飛翔鮫みたいなのが飛び込んできても、マード翁とアーバインさんがいるうちは中断はしなくて済みそうだし。
そんな僕を横目にしながら、マード翁はファーニィに治癒術を教え始めている。
「ファーニィちゃんも治癒術使いなら、治癒術は両手当てが基本というのは知っとるじゃろ」
「ま、まあそれは……基本というかそれ以前というか……片手でやると全然治癒しませんよね?」
「うむ。まあ普通そうじゃの」
「……いや普通というか、違う人いるんです?」
「ワシなら指一本でも全然いけるぞい」
「なんで!?」
「そこが治癒術を漫然と使ってる奴とガチ勢の違いなんじゃよ。……まあ世間の9割9分が漫然側なんじゃけど」
「……えっと、つまり……なんか今私すごいこと聞こうとしてません?」
「うむ。まあメチャメチャありがたい教えじゃ。……というか聞いても難易度高いんで、実現できない奴がほとんどなんじゃが。……まあ騙されたと思って。手始めに、今両手でやっとることを親指と小指でやる練習をするんじゃ」
「え、ええ? おやゆびとこゆび……?」
「慣れたら三点、四点……そうやって治癒術の発動点を増やしていく。そうするとだんだん治癒速度が早くなる、っちゅーのが要点じゃ。世間のほとんどの治癒術師は、これをやらんで生来の才能で勝負しようとするから、ワシみたいにシュパッと治癒できんのじゃよ」
「え、ええー……? ちょっ、これって片手の指でふたつ同時に文字書くぐらい変態技じゃないですか……?」
「ワシもう自分で数えとらんけど、多分片手あたり40個ぐらい発動点作ってるぞい」
「キモッ」
「そーゆー言い方はよくないと思うんじゃが!」
……走りながらマード翁の言う「方法」を想像して……想像しきれなくて諦める。
生来の治癒術師であるファーニィですら、初歩だけで「変態技」と言い切るくらいなのだ。その極致にある感覚なんてわかるはずもない。
とりあえず、そう簡単にファーニィにマード翁の代わりはできそうにはないのだけはわかった。
基礎練の後はしばらく休み、今度はユーカさんとアーバインさん監修による必殺技練習の時間。
「とりあえずこの岩を『オーバースラッシュ』でブッタ斬るのがこの合宿の目標な」
「……それ斬っていい岩?」
「知らねーけどまあ、あの店主に配慮してマードがさっき岩場から運んできたから、やっちまっていいと思う」
「えぇ……」
高さも幅も僕の身長ぐらいある大岩。
いくらなんでもちょっと目標高くないかなあ、と念のため剣の柄尻で岩を叩いてみる。
もしかしたら砂岩とかで脆いかもしれない、と思ったのだが別にそんなことはなく、硬い音だけが返ってきた。
「……無理では」
「前のアタシならできた!」
それを言い切られたところで、そりゃできるでしょうとしか言えません。
ゴリラはまだ遠すぎる。
「とにかくやれ。これからこの岩ぐらいの装甲持ってる敵が出ないとは限らないだろ。泣き言は実戦では誰も聞いてくれないんだぞ」
「そうだけど」
出ないとは限らない、というと青天井じゃないかなあ。
……とはいえ、文句ばかり言っても始まらない。
既に「できる」ことを確認するだけでは山籠もりの意味がない、というのも事実だ。
僕は岩から10歩くらいの距離を取り、剣を振り上げて「オーバースラッシュ」を放つ。
ギャリッという音がして、岩の表面に焦げたような黒い筋が刻まれた。
それだけ。
「……弱」
「わ、わかってたよね?」
「わかってたけど弱い。モンスターどころか人間でも鎧着てたら無理だろこれ」
「鎧着てても一撃で殺せるような技を当たり前に撃つ方が異様だから!」
「つっても弓矢も魔法もそれくらいできるだろ。なあアーバイン」
「……ん、ああ。いや俺としてはアインのソレに改めてびっくりしてるわ」
剣を指さすアーバインさん。
「それ普通の剣だよね? なんかごっつい魔剣とかじゃないよね?」
「魔剣と言えば魔剣かもしれません。こないだフィルニアの鍛冶屋が謎改造しちゃったんで」
「いやその程度で魔剣なんて言わないよ。……ちょっと貸して」
剣を受け取り、しげしげと眺めて振り回すアーバインさん。
イケメンエルフだけあって、その姿も随分サマになっている。
「……うん、まあ……市販品にちょっとイロ付けた程度って感じかな。これでもアインくらいの冒険者なら相当な性能に見えてるだろうけど」
「ええ、まあ」
「俺が確かめたのは、こう……さっきの飛び斬撃のための魔力を元々溜め込んでおくような、リッチな魔導術式とか仕込んであるのかな、ってとこなんだけどさ。……ふつーだな」
「僕、どうもソレの速さだけはユーカさん調べで世界一らしいので……」
「いやマジでわけわかんねえ。今無造作に振り上げるまでの一瞬で溜めきったってこと? フルプレの鎧だってもうちょっと時間かかるよね」
「フルプレのあれはふつーにアタシより準備に時間かかってたぞ。いつも戦闘開始からずっと狙ってるからいつもジャストで発動できてただけで」
二人でフルプレさんの話をしているが、僕はフルプレさんの戦法はじかに見ていないので「あれ」が何のことだかわからない。
「確かに多分世界一だわ。溜めの速さだけなら」
「……これそんなに難しいもんですか?」
「まずその感覚がおかしい。ってか自分でわかんない? 前はできなかったんだろ?」
「できなかったというか、やろうとすら思ったことがなかったので……」
魔力を操って戦うなんて、考えたこともない……とまでは言わないが、剣の振り方すら見様見真似の我流だった僕が、そんな技に自力で行き当たるのは無理だ。
だいたい、戦いを志したの自体が去年だし。
ユーカさんに教わった「必殺技」を使うだけでみんな驚くけど、こんなに簡単ならわりとみんな一言教われば使えるんじゃないのか、とすら思ってしまうくらいだ。
「……んー? じゃあ、アインって元々やればできた可能性もあるのか?」
アーバインさんは突拍子もないことを言う。
さすがにそんなことはないんじゃないかな、と思うけど。ユーカさんの「力」を突っ込まれる前の自分の限界なんて、今からでは調べようもない。
「それよりアーバイン、お前やってみせてやれよ。教えなくてもできるだろ?」
「んー、まあ、そうだね。ちょいと待って」
アーバインさんは剣に両手を添えて、だらりと垂らしたまましばらく突っ立つ。
一分ほどもそのままでいただろうか。
急にグッと身をかがめたかと思うと、普段の様子からは想像しづらい獣じみた鋭く激しい踏み込みを見せつつ、剣を左下から右上へ切り上げるように振るう。
カッ、と剣の鍔元の魔導石が赤く輝き、放たれたオレンジ色の「オーバースラッシュ」は……ズガッ、と僕の時より明らかに激しい音を立てて岩に食い込み。
黒々と、そして深々と、岩にヒビを穿っていた。
「!!」
明らかに僕よりも、威力がある。
「アーバインさんって剣の心得もあるんですか!?」
「いや、そりゃあるよ。冒険者何年やってると思ってるんだよ。大体の武器は一通り使ってるよ」
何年やってるかなんてそれこそこっちは知りようがないんだけど、やはり長命なエルフ。
しかも冒険を「好きでやっている」タイプの冒険者だけあって、いろいろな武器も役も試してはいる、ということらしい。
……改めてこの人、ユーカさんやマード翁とは別の意味ですごい人材なんじゃないか?
「うん。やっぱり俺の方がやれるな」
「……ええと」
「剣をマジで振るのなんて四十年ぶりくらいの俺でも、これだ。まあ多分、アインの飛び斬撃は簡単に出せすぎるのが良くないんだと思うぜ」
アーバインさんは僕に剣を返しながら、ちょっとだけ得意げに、そして少し真面目に。
「『必殺技』だと思わなきゃ、必殺技にならない、ってこった」
肩を叩き、僕に再挑戦を促した。




