二人の道
一度気が抜けると立ち上がれない、というのは、特にこういう時に出るものだ。
いや、僕は別になんともないんだけども。ユーカさんが一度眠らせたら、翌朝全然動かない。
別に病気とかではない。話しかければ唸るように返事はする。
ただ、起き上がるのを放棄しているように丸まってしまった。
「……人は動いている時は悩まずに済む。正確には、次に何をすべきだと自己を急かし続けることで誤魔化せる。……だがそれをやめた時に、悔恨と無力感に身を浸してしまうと、思いが身を押し潰す。もう一度切り替えるのはなかなかの難事だ」
「……そうなるとわかっていて休ませたんでしょう」
「まあ、な。豪快ぶっているが、ああ見えて根は繊細な女だ。一度落ち着いてしまえばああなると思ってはいた。……そろそろ、長めに休ませてやってもいいんじゃないかと思う」
アテナさんは死体焼きを続けながら、感傷的な声で言った。
「王子にしろ、マード殿やリリエイラ殿にしろ、がさつなユーカに随分と過保護だと思っていた。だが、こうして付き合うとなんとなくわかる。ユーカは努めて豪快で短慮な乱暴者を演じている。そういう風にしなければならないと思い込んでいる。男でもたまにいるよ。本来の性格とは違うのに、強がりが身に染みついて離れない……自然な笑い方も泣き方も忘れてしまったような見栄の塊が」
「…………」
「アイン君。ユーカは一度全てを捨てたんだ。捨てたからには新しい生き方をさせてやるのが本来の歩みというものだ。いつまで似合わない英雄ごっこをやらせるんだ? もう夢の名残から身を引いてもいい頃合いだろう」
「……でも」
「君は強くなった。おそらくは、元のユーカと同等以上に。……ユーカは重要な切り札足りえる力をまだ持っているが、それをもう手放させてやるべきだ。君だってわかっているはずだ。もう一度ユーカに“超一流の冒険者”をやらせるのは無理がある」
「それは……」
「不幸な、と言い捨てるにはあまりにも凄惨な出来事ではあるが。……あいつがこの懊悩の末に、自分の姿を見つめ直し、身を鎧う力の幻想を真に手放し、英雄でない人生を歩み始める。それが今なのだとしたら、邪魔をしてやるべきではないと思う」
アテナさんの言葉は理路整然としていて、そうだと思わされる。
全く、反論の余地はない。
元々、僕が簡単に死んだら困るから、しばらくの間は付き合ってやるよ、という話でしかなかったはずだ。
そして僕は強くなった。きっと誰も想像もしなかったくらい。
とっくにユーカさんを、本来いるべき可愛い世界に向けて送り出してもいいはずなのだ。
実際、ユーカさんのパーティ内でのポジションは、冷静に言えばそこまで重要でもない。たまに効いてくる伏兵、といった感じの位置だ。
代わりがいないから外せない、ということはない。
もちろん彼女に救われた戦いは多かったけど、いなければいないで、それなりの相手にそれなりの戦い方をするのが筋というもの。
ただただ、僕が離れたくないだけだ。
本当はそんな感傷は振り切って、お互いに行くべき道を行くのがいい。
僕は自分でモノを考えないといけないし、ユーカさんはいくら“殺意の禁呪”があったって、体はもう一般人程度なのだ。油断すればどこで死んでもおかしくないのだから、危険のない世界に生きないといけない。
わかってる。わかってるんだ。
「…………」
「とはいえ、そう綺麗にはいかないのだがな」
「アテナさん……?」
「考えてもみろ。この惨劇は結局ユーカに反応して起こされたものだ。ここでユーカが脱落したとして、この先はどうする。私たちはどういう大義名分を背負って奴を追撃する?」
「……うっ」
「殺されたのはユーカの近親者たちだ。一般的に言って許しがたいことだが、ユーカはその近親者によって命を狙われていた側面もある。何より私たちは冒険者だ。他人のお家騒動がどれだけ残虐だったからと言って、当人抜きで何をしていい理由になる?」
それは……難しい、な。
僕たちは義憤で何かをやるべきだろうか。
アテナさんも指摘するように、この家の惨劇はユーカさんにとって一概に悪い事だとは言い切れない。
僕たちだってことによっては戦い、ことによっては幾人も殺す可能性は充分にあったのだ。
そして、そんなトーマに対して、僕たちはどういう理由でもって挑みかかればいいのか。
ここで戦った時は向こうも迎え撃ってくれた。戦いは、成立した。
だが、今から追撃するとしたら、ユーカさん本人がいなくては微妙に噛み合わなくなる。ユーカさんの復讐を代行する、とでも言い張って戦うべきだろうか。
「そう考えると、もしユーカがここで自分を見つめ直してしまっても、どの道ここで離脱させるわけにはいかない……そしてトーマたちを放置もできない。放っておくには不穏なことを言い張っていたからな」
「うーん……」
「この火葬が終わるまでは、ユーカには悩ませておこう。少しゆっくりしてもいい。……だが、最終的には立たせなくてはいけない。アイン君、支えてやれ」
「……はい」
この戦いの先。
ユーカさんと僕の、互いの道の先。
……考えなくてはいけない。今まで通りでは、駄目だ。
ユーカさんの寝ている客間を訪ねると、まだ彼女は丸まっていた。
僕が入ってきたことには気づいてるはずだけど、見もしない。
……僕は何も言わずにその辺の椅子を引き、座り。
しばらくの静寂が流れる。
「……アイン」
「……何」
僕は充分に余裕をもって、ゆっくりと問い返す。
ユーカさんはシーツにくるまって丸まったまま、しばらく口ごもり。
「笑うなよ?」
「内容によるけど」
「絶対に笑うな。何を聞いてもだ」
「……うん、わかった」
「……寂しい」
一瞬、何を聞いたのか理解できなかった。
しばらく咀嚼しても、どういう意図なのか分からなかった。
……黙っていると、ユーカさんはポツポツと。
「みんな、離れていっちまう。帰る場所もなくなった。ロゼッタでさえ、アタシと距離を置き始めてる。……なあ、アタシ、何を間違えたんだろう。アタシは……なんかいけないこと、しちまったのかな……」
「……ユー」
ああ。
……ああ、そうか。
ユーカさんは、そういう思考する人、だったんだ。
寂しいなんて感情とは縁がなさそうと思っていた。
いつだってみんなの中心にいて、どんなところでもいつの間にか騒ぎの真ん中にいて。
いつでも集団に適応して、仲間を大切にして、だから仲間にも慕われて。天性のカリスマってやつ。
だけど、そんなのはやっぱり勝手な幻想で。
ユーカさんにとっては、みんな大切な相手だったんだ。
離れていったメンバーたちだって本当は別れたくない。
嫌っていた実家だって、本当はまだ「帰れる場所」だと信じたかった。何事もなく「おかえり」と迎えてもらえる場所のままかもしれない、という淡い期待もあった。
でも、現実はそうじゃなくて。
「ユー」
「……アタシはこのまま、孤独になっちまうのかな。十何年も戦って、いろんな奴を倒して、抱えきれないような財宝とか手に入れて……それでも結局、何かを掛け違うだけでみんないなくなっちまうのかな。本当はずっとずっと、ゴリラのままで殺し続けて、いつか潰れるまでそうしているのが正しかったのかな」
「……大丈夫だよ」
「でも」
「大丈夫。僕がいる」
このひとは。
……結局、大英雄であるために費やした時間があまりにも長くて。
その心は、やっぱり見た目のままの、15歳くらいの、子供と大人の境目くらいで止まってるのかもしれない。
そうとしか思えないほど、シーツをほどいたユーカさんは外見通りの歳にしか見えなくて。
「僕が、君を一人にしないから」
だから。
僕はその時、やっと。
心の中で「ユーカさん」と呼ぶのを、やめた。




