館の奥に
「死体は腐っていない。……死後三日と経ってはいないな。ファーニィ君。体温を調べてくれるか。今は籠手を外して不覚を取りたくない」
「……冷たいですね。死んだのは今さっき……ってわけでもなさそうです」
アテナさんとファーニィが手近の使用人らしき死体を調べている。
僕は光の無詠唱魔術を使って視界を確保するのに専念。そう長持ちはしないが、何十分もこの場に滞在するわけでないならそれでも充分だろう。
「……トーマは、ここには……いそうにないな」
死体をゆっくり見て回る。
他にレリクセン家の人間を知らないから探りようがないだけだが、とりあえずトーマの死体はない。
「アテナさん、死因は?」
「まちまちだな。首を掻っ切られているのも、背中から刺されているのもある。が、あらかた刃物というのは間違いない」
「あらかた、ってことは」
「何で殺されたか判然としないものもある。見る限りでは失血死ではない、ということしかわからない」
「…………」
多数の人間をいちどきに殺すにあたって、普通に考えればパターンは二つ。
魔術による一斉殺戮か、刃物などの暴力による速攻殲滅か。
失血死でないものはおそらく魔術だろう。しかし両方を並行でやるのはどういう状況だろうか。
魔術で殺せるなら対峙前にみんな魔術で仕留めるのが理想だし、刃物でいくなら反撃が怖いが魔術を使うより手っ取り早い。
どちらかだけで行くのが作戦としては自然だ。
あるいは魔術でファーストアタックして倒せるだけ倒し、残りを刃物でやった……?
流れとしてはありそうに見えるが、でもそんなガバガバの作戦で一家全滅なんて企てをやるのも少々据わりが悪い。
こういう犯罪はもっと緻密にやるものだろう。押し込み強盗か怨恨かは知らないけれど、そんな泥縄みたいなやり口で、本来は相当な戦力を持っているはずの魔術師本家を滅ぼせるのか……?
何者の仕業だ?
少なくともアーバインさんではない。彼とはまだ交戦して半日も経っていない。
いくら怪我をファーニィが治して本調子だとはいえ、彼がそこまで無謀なら、とっくに玉砕覚悟の突入は決行しているだろう。
それに彼なら魔術で倒してみるような真似もおそらくしない。殺人技術が図抜けているのに、隙を晒して妙な殺し方をする理由がない。
考えられる可能性は……。
「アイン。奥に進むぞ」
「ユー」
「……もしかしたら一つぐらい、死にきれてないのがあるかもしれねー。マードはそういうのを蘇生するのが得意だった。ファーニィもやりゃあできるはずだ」
「ええー。確かにマード先生時々そういうのやってたけど……私にできるかなあ」
「つべこべ言うな。やって駄目なら仕方ねーからとにかくやれ」
屋敷は広い。このエントランスホールだけでも相当な死体の数だが、他の場所をくまなく探せば、文字通りの「死に損ない」や、もしかしたら隠れ抜いた生存者がいるかもしれない。
まあ、五体満足ならいつまでもこの屋敷に閉じこもるとも思えないけど……。
何があったのか、確かめないと。
魔術師の名家というだけあり、色々な部屋があり、それぞれの用途も広い。
ただの居住部屋や食堂、台所、使用人部屋に客間、書斎……といった一通り想像できる部屋以外にも、謎の部屋がたくさんあり、ユーカさんにその役割を教わる。
「ここは魔術書庫だな。比較的低級な魔術関係の本を収めてあったはずだ」
「魔導書じゃなく?」
「魔術書。わざと魔術文字では書かれていない本だ。理論解説や仮説や応用の例示なんかを目的にしてる本で、魔術の発展研究を目的としてる。以前はほとんどの魔術体系は口伝でそういうのを教えてて、呪文や魔導書、魔導具って成果物しか表に出さなかったんだが、近年じゃ結局先達が直接ゼロから教えないといけないのは能率が悪いってんで、ある程度の基礎は本にしておこうってのが主流なんだ。それである程度手の内がバレて、権益が目減りするリスクあるんだけど、弟子の面倒見てる時間を研究に当てられるってのは、それだけ一門の地力が上がるってことにもなってな」
「へー……」
結構大きい部屋に本棚が並び、綴りの本がぎっしり詰まっている。
近年とは言うが、僕が思うようなスケールの「近年」ではないのだろう。これだけの数の本が全部重複しないというのなら、何人がかりで何年かけて書いたのか、想像するだけで気が遠くなる。
多分、魔術師的には百年やそこらは「昔」じゃないんだろうな。
「低級と言えば低級だけど、ジャンルがすごい幅広いわよね……魔術だけじゃなくて治癒術とか古代史の研究資料もあるし」
リノが背表紙を眺めて唸る。
ユーカさんは肩をすくめた。
「ウチは広く浅くって感じだったからな。総合的っちゃ聞こえはいいが、過去に複数の分野でそれぞれ名を上げた使い手がいたせいで、一族で方向性をまとめきれなかったんだ。サンデルコーナーみたいな『コレだけはウチが一等』って強みは何もない」
「まとめればいいってものでもないと思うけどね。……魔術師って、その資質を活かした真理の探究が本分でしょ。ウチは結局お金儲けばかり」
「だが、何の形でも目に見える業績がないってのは家の格を落とすことになる。ジジイどもはそれが一番堪えるみてーだな。祖先から継いだ家名が軽んじられ、忘れられていくことが我慢ならなかったみてーだ。ロクに喋ってるのを聞いたこともなかったが、アタシみてーな失敗作ができちまったことに苛立ってるのはよくわかった」
「…………」
失敗作、か。
本当にそうなんだろうか。
「殺意の禁呪」……禁呪と呼ばれるだけのものであるのなら副作用もあるだろう。
ユーカさんの魔術の腕が壊滅的なのも、だから物理攻撃と魔力剣技に頼るしかなかったのも、意図したことなのではないか。
……だが、そうだとしても疑問は残る。
それなら、英雄となったユーカさんの存在自体がレリクセンの「功績」であることを、大々的にアピールしてやらなければ、家名を上げることにならないのではないか。
「元々荒っぽいヒューベルの魔術師家だ。できれば戦争なり巨大モンスター相手に活躍できる、リリーみたいな魔術師こそ理想だったんだろうけどな」
「強いって意味ではそう大差ないでしょ、ユーも」
「ゴリラの頃のアタシでも戦争じゃ大して役に立たねーよ。人間相手の戦いはモンスター戦とは違う。避けも弾きもない棒立ちで受けてくれるってんなら、いくらでもブチのめしてみせるけどな。……どっち相手でもバカ強いアインみたいなのはイレギュラーなんだよ」
「それは、まぁ……」
僕も「バカ強い」と言われると多少異議はあるが、あのロナルドやフルプレさんと曲がりなりにも勝負が成立する時点で、昔の僕とはもう別人だという自覚はある。
……そんな無駄話をしている僕らをよそに、アテナさんやクロード、ファーニィは真面目に探索をしている。
「ここには人の気配はないように思えるが、どうだファーニィ君」
「私もそう思いますけど……こういう部屋って隠し通路とかありそうで油断なりませんよね」
「ロゼッタさんを連れてきたかったところですね……」
ロゼッタさんはアーバインさんに従う、ということで、あそこで別れたきりだ。
まあ、元々こんな修羅場に連れてくるべき人でもない。既に殺戮現場であったというのは想定外だが、そうでなくても激戦が予想されたのだ。彼女を守りながら戦うというのはあまりにリスキーという他ない。
「そもそもロゼッタさんには視えていたはずですよね、この家の惨状。アーバインさんに伝えなかったんでしょうか」
「さてな。……伝えたところでああも自罰的になっているアーバイン殿には無意味と考えたか、あるいは」
「あるいは……?」
「……この殺戮すら、些事だったか」
「?」
アテナさんの声には妙な確信めいたものを感じた。
でも、どういうことだ?
些事……仇だと思っている連中が死んでいるのが、些事?
魔導具庫、戦闘演習室、武器庫、多目的工房……あとユーカさんもよくわからない魔法陣部屋など。
いくつもの部屋を眺め、そのうちのいくつかでは死体を発見した。
その中にはユーカさんの母親と思われるものもあった。
「……やっぱりショック?」
「無いと言えば嘘になるが、まあクソ親だったからな。二言目にはこんな簡単なこともできないのか、レリクセン失格だ、ってなオカンだ」
「……そう」
彼女の心中はわからない。だが、険しい顔はしているものの、動揺は少なくとも表には出ていない。
……敵対すると決めた時から、この親への引導も心に決めていたのだろうか。
何より家族が……妹が大事だった僕には、その気持ちは理解できないところがあるけれど。
「自分、仲間、他人、最後に法……だった、よね」
「……ああ。この女はもう、他人だ。アタシにとっては、アインたち以上の相手じゃねえ」
ユーカさんは、強くその優先順位を意識して行動している。
僕も今はそれだけを信頼しよう。
心に寄り添うのは、もっと余裕ができてからでいい。
そして。
屋敷の最も奥まった場所。
何度も階段を上がり、下り、方向感覚も定かでなくなった先にある部屋を前にして、ジェニファーが唸るように吠える。
「ガウ……!」
「……何かいるんだね」
「ガウ」
さすがに今回はわかった。
ジェニファーは死臭と生活臭を嗅ぎ分けている。だから、先ほどは「強い死臭がする」と、僕たちに進むことを促したのだ。
そして今回は、死体ばかりだった屋敷における「異変」。
つまり、生者の匂いだ。
僕とアテナさんが扉の両側に立ち、頷き合って、ゆっくりと開く。
「遅かったじゃないか。少し慌てたんだよ。まっすぐ来たらいけないと思ってね」
部屋の奥には、ひときわ立派な執務机。
そこに当然のように座る、トーマ・レリクセンと……脇に控えるディック、そして数体の「邪神もどき」。
「大急ぎで片付けたんだ。この期に及んで老人たちの無意味な説法に興味はないだろうからね」
「……兄貴」
「まだ僕を兄と呼んでくれるんだね。ユーカ」
「事実は事実だからな。これから縁を切ることになるかもしれないけどな」
「ああ、うん。それはきっと確実だろう」
彼は微笑み、視線をちらりと部屋の隅にやる。
よく似た三人の髭の男たちが、揃えられたように胸の真ん中を剣で貫かれ、壁に並んで縫い留められていた。
恰好と年齢からして、おそらくユーカさんが言っていた父、祖父、大叔父だろう。
「なんで全員殺した?」
「僕が殺ったのは疑わないんだね」
「疑って欲しいのかよ。この状況でニヤニヤしてる奴を」
「……ああ、殺ったよ。理由はただただ、邪魔だったからだ。全員ね」
トーマは、虚ろな瞳に薄紫の光を宿した。
「世界をも変える力を独占する。それがどれほどの価値になるのか、どれだけの地位を王国から約束されるのか……あるいは、ヒューベル以外にどれだけ高く売りつけられるか。そんな話に夢中になってる連中なんていらないだろ? 当人たちは何もしないくせにさ」
トーマはそう言って立ち上がる。
「時代は変わるだろう。だがその前に、ひとつの時代を終えなきゃいけない。古い魔術師たちの時代と、ユーカ、君たちの時代もだ」
「あ?」
「次の時代は、僕たちが受け持つよ」
彼らは。
トーマは、ディックは、そして「邪神もどき」たちは。
“殺意の禁呪”で、揃って瞳を染めてみせた。




