森の怪人
できるだけ万全の準備をして、僕たちは「謎のアンデッド」がいるという地に赴いた。
剣は黒赤二刀。「雷迅」は、今回は予備として絨毯積載の荷物に忍ばせる。
性能自体は高いが、そもそもこれが活きるのは過剰な威力を遠慮なく振るうべき場面。つまり、大型モンスターや大群相手だ。
人間大のモンスターの一体に使うべき威力ではない。
「この辺で待機。ここなら飛び道具もそうそう来ない」
「油断はするなよ。くれぐれも」
ひとまずは僕とユーカさん、アテナさんだけで先行する。
アテナさんは地力が高く、鎧も高性能で、殺気への反応も鋭敏。一撃でやられる可能性が一番低い。
僕は言わずもがな、もし戦闘になったら最速で葬れる。たとえ何の関係もないアンデッドや「邪神もどき」だったとしても、同じことだ。
ユーカさんは……見届けるために、置いていくわけにはいかない。
口にはお互い出していない。
とびきり嫌な想像には違いない。そうでないことを祈るし、実際のところ必然性は低い。
でも、「それ」がアーバインさんの成れの果てではないか、というのは、僕たちには決して除外できない可能性だった。
……合成魔獣技術を人の死体に使うのは、言うまでもなく外道の行いだ。
しかし、事実として「邪神もどき」は、アンデッドでありながら合成を受けている。やる技術自体はあるのだ。
アンデッド化……ゾンビやスケルトン化すれば、生前の人格は失われると言われている。
だが、アーバインさんは肉体強度ではなく、その技量でもって英雄である人物だ。
普通に考えても、狂戦士的な行動しかできないただの「ゾンビ」として使うのは無駄が多いだろう。
合成によって何らかの調整を受ければ、行動パターンを変化させることはおそらく可能。
そうして生まれたのが「それ」であるならば……その生態の不可解さも、大部分納得できてしまうのだ。
納得できてしまうからこそ、違っていて欲しい。
考えすぎであって欲しい。
アーバインさんは今もどこかで生きていて、僕たちの前には出て来れていないだけ。そうであって欲しい。
……祈れば祈るほどに、それが裏切られたあの夜のことを思い出す。
そんなに都合よくいくわけがないだろう、と、神に嘲笑われるような。
あの変わり果てたシーナを目にした瞬間を思い出さずにいられない。
だから、顔は自然と険しくなり、誤魔化すために僕はしきりにメガネをいじる。
ユーカさんも軽口の一つも言いそうなものだが、この時ばかりは無言。表情は……窺う気になれない。
アテナさんは元から表情の見えないフルフェイス兜だ。
そのまま三人で峠道を上り……そして、見つける。
最初はわからなかった。
針葉樹の深い緑の中に、ひときわ濃い影があると思っていた。
だが、注目すればわかる。
それは、暗緑色のマントとフードを纏った人影だ。
その表情は、目深に被ったフードの影になってよく見えない……が、まるで顔の皮を剥がされたように赤黒く爛れているのだけはよくわかった。
話しかけるか。戦いに移るか。
相手はアーバインさんなのか、どうなのか。
一歩近づくごとにヒリヒリと緊張感が募る。
声をかけるとしても僕でいいのか。
どのタイミングでなんと言えばいいのか。
……やがて、高まった緊張感を断ち切るように、ユーカさんが声を上げる。
「テメーは、何だ」
「…………」
「目を合わせたら襲ってくるんだったか? こっち見やがれ。アタシは喧嘩ならいつでも大安売りだぜ」
影は、何も言わない。
動かない。
……なんとなく、逡巡しているように思えたのは、僕の願望だろうか。
だが、ややあって、影は……構えた。
狙いは誰だ。僕か。アテナさんか。
……ユーカさんにだけは行かせない。
僕は意を決し、両剣を抜き放つ。
「やるなら僕が相手だ。何も言わないなら、斬らせてもらうぞ」
「アイン君」
「やらせて下さい」
違ってくれ。
アーバインさんじゃない誰かであってくれ。
そう思いながら、彼の動きを注視する。
……身体が沈む。
そして、掻き消える。
……速い!!
「シッッ!!」
目を疑う速度で踏み込んでくる緑色の怪物。
僕はその攻撃をまともに受け止めるのは不可能だ、と早々に断定する。
だから、抜いた両剣をそのままに、タックルで正面から突撃する。
激突。
さすがに剣を構えながら、のっけから振るための距離すら潰して突っ込むのは予想外だったようだ。
鎧の分の重量差、それと体勢の違いで緑色の怪物は軽く吹き飛び、木に背中から衝突する。
フードが後ろに落ち、頭部が露になる。
……そこにはすでに頭髪はなく、やはり人間とは思えないほどに損壊している。
耳は情報通り、両方とも失われている。
だが、腐り落ちた感じではない。ただただ酷く爛れている。
それだけなのが気になった。
しかし、動きが予想以上に機敏だ。手抜きであしらえるスピードじゃない。
一瞬でも気を抜けば出し抜かれる。逃げられる。ユーカさんに手を出される。
覚悟を決めよう。
これが、たとえアーバインさんの成れの果てでも……。
「斬るっっ!!」
「シューッ!!」
彼の裂けた唇からは唾液が散り、声らしきものはなく、ただただ運動に伴う過剰な呼気の音だけが聞こえる。
僕は彼の持つ短剣を叩き折るつもりで剣を振るう。「バスターストライク」なら、大抵の剣なら一撃だ。
が、彼の技巧は思った以上だった。
「……なっ!?」
斬撃がいなされる。振り抜くその瞬間に真横から力を加えられ、あらぬ方に押し退けられて体が泳ぐ。
フォローのために二の太刀を逆の手で振るうも、それも鍔元をいじるようにいなされて届かない。
必殺を期した連撃を、完全に空振りさせられた……!?
まずい、追撃が……!
「ふんっっ!!」
キィン、とアテナさんの鎧から音が鳴る。
割り込むように飛び出したアテナさんが鎧で防ぎ、僕への斬撃を阻止した。
「思った以上に巧いようだな。……礼を知らぬ怪物なら決闘にこだわることもない。やるぞ」
「……はい」
アテナさんと共同で相対する。
予想外の技巧派。だがアテナさんなら充分に渡り合えるだろう。
これで足りないとなったら誰を頼ればいいのか。
改めて、アテナさんと呼吸を合わせるように構えを揃えて。
「待ってーーっ!! ストーップ!!」
後ろからファーニィの叫び声が聞こえてきた。
「今取り込み中だ!!」
「いいから止めてーっ!! 戦闘中止ーっ!!」
ファーニィは予想以上の速度で僕たちに追いついてきた……と思ったらジェニファーに乗ってきた。
「アイン様、殺しちゃ駄目!! それアーバインさん!!」
「はぁっ!?」
薄々疑うだけで口にも出していなかった可能性を、ファーニィは断言する。
そして、一拍置いて。
「意固地になってんじゃねーですよクソジジイ!! 子供一人守れなかったからって!!」
叫んだ言葉は、確かにボロボロの顔貌に、何かの変化をもたらした。




