出陣前夜
先ほど倒したサーペントの肉が実は焼くと美味だというので、魔術学院に運び込む。
重さはリノの重量物浮遊でなんとかなるので、運搬には騎士組やジェニファーをフル活用させてもらった。
遺跡襲撃となれば相当な激戦になる。空腹のままではもたないのはもちろん、突っ込めばしばらくは食べる暇もないかもしれない。
時間は惜しいが、腹ごしらえと十分な準備をしてからの出発とし、そのための肉調達が必要なのだった。
「学院でも小麦粉やワインは充分に確保したのだけれど、肉はなかなか用意できなくてね。助かるわ」
「しかしサーペント肉の味なんて……そもそも誰が食べたんでしょうね……」
「ワシ、前にメルタで山籠もりした時に常食しとったが」
「いやオメーは腹壊しては強引に治癒して無理やり食ってただろ。ちゃんと料理したら違うってことだろ」
「まあ生で食う以外なかったからのう……ええのう魔術師は火が使えて」
「あ、頭部から喉にかけては毒袋のしみ出しがあるから使っちゃ駄目よ。そこより後ろね」
知識の蓄積というのは偉大だ。
ちなみにゴーレムは嗅覚に関しては鈍感……というか、多分ないだろうと言われているので、ライトゴーレムが匂いを頼りに学院を襲うという可能性は限りなく低い、らしい。
音も外には聞こえないように(風の魔術の応用でできるらしい)してあるので、騒いだり歌ったりしても平気。
……とはいうものの、学院の魔術師たちは肉に喜びはしたものの羽目を外すことはなく、僕たちもこれからの突入を考えれば、そこまではしゃげるはずもない。
無邪気に楽しんでいたのは、ユーカさんとジェニファーくらいのものだった。
「アイン君」
「……リリエイラさん」
僕は食事もそこそこに、学院長室にある「遠見の鏡」という魔導具をずっと眺めていた。
一応遠見の魔術の触媒らしいのだけど、古いために組み込まれた術式は単純で、そんなに大したものではない。単に学院上空50メートルくらいからの眺めを居ながらにして見られる、という以上のことはなく、ただ施された装飾が豪奢なために学院長室にあるらしかった。
この部屋の主である学院長は真っ先に逃げ去っていたらしい。まあ元々ゼメカイトの人間というわけでもなく、学院が妙な知恵をつけすぎて暴走などしないように、と王国側から派遣されていた人間だったというので、命惜しさの方が勝ったのだろう。
リリエイラさんがいなかったら学院もとっくに廃墟だろうから、その彼女がちょっと前まで留守だったことを考えれば、武力で防衛するというのは選択肢として思い当たらないのも無理はない。そう考えると仕方のない行動といえるかもしれない。
「……多いですよね」
「ええ。……この群れの根源に、あなたたちは乗り込むのよ」
街の外に延々と、ライトゴーレムの徘徊する荒野が広がっているのが鏡に映っている。
元々荒れ地ではあるが、ざっと見渡すだけで何体かわからないほど視界いっぱいにライトゴーレムがいるというのは異常だ。この世の終わりのような光景とさえ言える。
「…………」
とはいえ、不可能とは思わない。
僕の「バスタースラッシュ」なら、固まってくれれば一振りで数十体砕くことも不可能ではない。
機敏とはいえ、ドラゴンや「邪神もどき」に比べれば致命的な攻撃力はないのだ。一体ずつであればクロードやアテナさんも充分に相手できる。
それを繰り返すだけだ。制限時間はない。何千体でも、いつかは倒せる。
問題は、その先で何をやればいいのかがわからないところだけれど。
「遺跡の完全制圧はユーカさんも経験がない。遺跡が半永久的に稼働する理屈は学者たちの研究でも未だによくわかっていない……暴走に関しても。どうしたら攻略と言えるのか……」
「……相変わらずね。アイン君は」
「?」
「ハルドアでの戦いを経験して、復讐を終えて。ちょっとは情緒が変わるかと思ったのだけど」
「……よく、わからないんですよ」
僕はメガネを押して、リリエイラさんの方は見ず。
「もしも元凶が一人で、そいつが全てを悪くしているのだったら、もっと何かを感じられたかもしれないですけど。……本当の下手人はデビッドだったのか、他の誰かだったのかもはっきりしない。デビッドですら、あの歪んだ社会、歪んだ家の一部でしかない。それに……妹は、結局戻ってこない。やらずにいることはできなかったけれど、やったからって何も変わるわけじゃなかった。何も……」
「……復讐なんてそういうもの……と、したり顔で言えるほどには私も人生経験豊富ではないんだけれどね」
「でも、その通りです。……復讐って、こういうものなんですね」
ただ、妹をこの世界から消された理不尽を返そうとして、それが叶った。
相手は消えた。
消えたところは、埋まらない。妹のいた場所も、奴らのいた場所も。
だから、プラスマイナスゼロになんてならない。
残ったのは奴らも僕も、それぞれマイナスされた世界だけだ。
埋めることができるのは、ただただ時間と、復讐とは関係のない人々の営みによる「忘却」だけなのだろう。
空白を感じたままの日々が、これからも続いていく。もうできることはない。それを突きつけられただけ。
……だから僕は、朧げな夢に身を任せるしかない。
「もうあとは、ユーカさんのような冒険者になるしかない。今は、そう思ってるだけですよ」
「……安定感のある危うさ、とでもいうべきなのかしらね」
「危ういですかね」
「ある意味ね。……こればっかりは、ユーカを巻き込まないでとも言えない、か。ユーカがそうさせたんだもの」
リリエイラさんとしては、ユーカさんの隣にいる僕には、きっともっと「正常」な人間であって欲しいんだろう。
怯えられる時に怯え、引くべき時に引き、あるいは挫折することができる人間。
そうであった方が、きっとみんな幸せになれる。
……僕は薄々理解しながらも、彼女の希望には添えない。
「僕は進むだけです。ただ、前に」
英雄になるか、あるいはそれを目前に死ぬか。
どちらも僕にとっては、納得がいく結末だ。
それに背を向けて守るべき安穏は、もうどこにもない。
……横顔にリリエイラさんの視線を感じながら、しばらく時間が過ぎる。
「ところで、アイン君に話したかしら。例の魔導書のこと」
「……例の?」
「ユーカをゴリラから人間に変えたアレ」
「一応、もともと人間なのでは……?」
「あれから呪文構造の分析、ずっとしてたんだけどね。……この前、ようやくどういう意図の呪文なのか解明できたのよ」
リリエイラさんはそう言って、僕の視線を引き寄せ。
「……結論から言えば、あなたはユーカのようには、絶対なれない」
断言した。




