最高峰の治癒師
ユーカさんはしばらくぶりの左手の感触を楽しんでいる。
拳を作って右手に打ち付けたり、小指から人差し指に順に開いて閉じたり、逆立ちをしてみたり。
「って、逆立ちとか駄目! それ可愛いワールドでは女の子がお外でやらない奴!」
「えーいいじゃん、手が生えた時ぐらい」
「そうじゃそうじゃ。可愛いから良し!」
マード翁はそう言ってユーカさんの無防備パンツを満足そうに鑑賞している。
「パンツを他人に見せないの! 普通の女の子は! 手が生えても!」
「どうせマードはケツどころか臓物もだいたい見てるから今さらだぞ」
「それはそれでどんな修羅場潜ったの」
腸を見られたとかなら異常ではあるけど想像はつくとして、「だいたい」ってどういうことなんだ。内臓全部お見せしちゃうような怪我なんかあるのか。
しぶしぶと逆立ちをやめたユーカさんは、土埃を払うように手を叩き、その感触に満足そうに微笑む。
「やっぱ両手揃うと嬉しいな。いつもは切断されてもマードが即生やしちゃってたからなー」
「お前左手をトカゲのしっぽか何かだと思っとらん?」
「それリリーにも言われた。がはは」
「ワシがいるときゃいくらでも生やしてやるけどのう。普通こんなのできんじゃろ。ワシの知ってる暫定世界二位の治癒師だと、生やすのに三日はかかっちゃうぞい」
「あー、何人も無理無理言ってて改めてお前すげーなって思ったわ」
「すげーじゃろ。褒めろ褒めろ」
なんだこのノリ。奇跡みたいな治癒術を使ったのに軽すぎる。
「り、料金とかは……」
今さら、何か礼金を出さなきゃいけないかと思って聞いてみたが。
「パンツ見せてくれたからタダ!」
「いや別に見せようと思って見せたわけじゃねーけどな。てかお前アタシのパンツとか見向きもしなかっただろ、ずっと」
「ゴリラのパンツと乙女のパンツは全然違うんじゃぞ。謝れ! 一緒にするでないわ!」
「なんでアタシが謝れとか言われるんだよ! どっちもアタシのパンツだよ!」
……本当に軽すぎない?
しばらくしてアーバインさんとファーニィが到着した。
「ようマード爺さん。面白ぇ恰好してんじゃん」
「アーバイン! 曲射で頭狙うとかわけわからんことするでない! さすがに脳味噌はまずいじゃろ!」
「いやー、そういう打ち合わせだったからさあ」
「そんな話でしたかね!?」
ファーニィが僕の代わりに突っ込んでくれた。
っていうか本当にどこから撃ったんだ。屋外ならどこでも狙撃するって言ってたけど、見えない位置から曲射で狙うとか無理過ぎないか。しかも声上げた僕じゃなくてその目の前にいる誰かを、って。
……でも、そういう芸当を当たり前のようにやるのがこのパーティなんだよな……。
「脳味噌以外だったらギャグで許したんじゃがの」
「それもそれでどうなんですか」
「どうせ即死でないならすぐ治るからのー。実際冒険中に腰から下ぐらいなら丸ごともげたことあるぞい」
「……生還したんですかそれで」
「帰りにちんちん丸出しで歩かざるを得なくて難儀したがの。ま、人生そういうこともある」
「…………」
ユーカさんもアーバインさんもちょっと型破りが過ぎるが、この人はさらに上を行っているかもしれない。
「……あ、ユーちゃん、手が生えてる!」
「おー。元通りだ。でも手自体はともかく、ちょっと左の腕力落ちてる感じがするからリハビリが……」
「え、待って、いなくなったのさっきだよね!? そんなすぐ生える!?」
「うん。マードだから。それは納得しとけ」
「治癒術としておかしくない!? これ本当に治癒術!?」
「うん。マードだから」
ファーニィの驚愕は僕より激しいようだ。やっぱり治癒師である分、すごさがより鮮明なのかもしれない。
「なんじゃこの子。アーバインの新しいコレか」
小指を立ててチョイチョイ動かすマード翁。
アーバインさんは肩をすくめて。
「いんや。そっちのアインの下僕だってさ。俺には全然懐いてくんないの」
「ほー。そりゃ珍しい」
「冒険者としては珍しいよねー。でもこの子、先週まで冒険者じゃなかったみたいだから」
「なるほどのう」
アーバインさんは弓手という役割上、単独で華々しい伝説を作りづらいこともあって、一般人にとっては少々渋好みな立ち位置ではあるが、冒険者としてしばらく過ごせば、そのすごさがわかるようにもなる。
その彼が若い女子冒険者に声をかければ「女ったらし」の評判を差し引いても、勝率はかなり高くなるのだろう。
冒険者歴が浅いからこそアーバインさんになびかない、ということでマード翁は納得したらしい。
「いつのまにか下僕ってことで話が固まりつつあるけど、いいのファーニィ」
「ふっ。あれだけいろいろ舐めましたしね。実質下僕でしょう」
「……僕は何も舐めさせた覚えないからね?」
あえて下僕という認識を受け入れることで僕にプレッシャーをかけてくるつもりだ、この子。
初心者にしてはわりとスキル豊富だから、別に僕にこだわらなくても欲しがるパーティは結構いそうではあるんだけどな……美形種族と言われるエルフだけあって、外見もいいし。
というのを口にすると逆にさらに追い込まれる気がするので黙っておこう。
せっかくだから、ということでマード翁を先頭にして「冒険者の酒場」に向かう。
「ゼメカイトはしばらく離れるつもりか。いい拠点じゃが、ま、ダンジョンや遺跡は他にもあるからのう」
「どうしようかなーと思ってるわけさ。いっそエレミトとか行こうかとも思うんだけどな」
「エレミトねえ。あのジャングルはゴリラのほうなら似合いだったんだけど、今のユーカにはちょっと辛いんじゃない?」
「私の地元エレミトなんですけどー……アーバインさん、ファーニィポイントさらにマイナス10ですよ」
「今のって悪口だったかなあ!?」
お喋りしながら酒場に入ると、たむろしていた強面の冒険者たちがマード翁を見て急に居住まいを正す。
「うおっ……お、おはようございます」
「ざいぁーっす!」
「ほほ。もうこんばんはが近い時間じゃぞ」
マード翁は上機嫌で彼らに手を挙げ、慣れた様子で奥のテーブルに座る。
「随分躾けてるじゃん?」
「ちょっと前にカツアゲされてのう」
「はは、アホな奴ら。そりゃビビるよね」
アーバインさんは納得顔をする。
僕やファーニィは全然わからず、顔を見合わせて首をかしげる。
……治癒師ってそんなに恐れられるもんだったろうか。
魔術師のリリエイラさんやクリス君は下手に喧嘩に巻き込まれないようにいろいろ注意を払うくらいだし、治癒師のマード翁も同様なのかと思っていたけど。
と、疑問を共有しているのを察して、ユーカさんが解説してくれる。
「マードはこんな見た目だけど喧嘩クソ強いぞ」
「……えっ」
「正確には『絶対負けない』。ま、手足もげたくらいじゃ鼻歌交じりで即治す奴相手に喧嘩しようってのが間違ってるよな」
「……っていうか喧嘩するのこの人!?」
見た目完全に背中丸まった爺さんなのに!?
「あと、治癒術を悪用してフルプレに負けないぐらいのマッチョ化もできる。あれ見ると雑魚冒険者は漏らすぞ」
「悪用と言うでない。あくまでちょっと変な使い方程度じゃ。あれやると普通の男の子に戻るのにちょっと時間かかるから、あんまりやりたくないんじゃが」
「男の子言うな」
……割と本気でゴリラユーカさんと同じくらい異常な人材なんじゃないだろうか。
「ファーニィ、パンプアップできる?」
「できませんできません」
まあ僕も聞いたことない。
治癒師は前衛中衛が力を合わせて最優先で守るものだ。当人にそんな自衛力があったら、そんな扱いにはならない。
「正直、前のアタシでも最終的に勝てるかは微妙なところだな」
「そこまでではないと思うがのう。さすがに頭吹っ飛んだら死ぬと思うぞい」
「アタシは喧嘩で人の頭吹っ飛ばすほど外道じゃないが? それくらいは心得てたはずだが?」
「でもユーカならできたよね、素手で人間の頭粉々にするくらい余裕で」
「やらねーっつーの。てか頭さえ吹っ飛ばされなきゃ負けねえって言ってるよな、暗に」
これ人間の話かな?
僕、近い将来これに混ざる前提になってるのかな?
……そんな非現実的な会話を聞いていると、深刻そうな顔をした店主がおずおずと近づいてきて、マード翁に話しかける。
「あの……エックスさん、折り入ってお願いが」
「む? なんじゃ、また恥ずかしい病気にでもなっちまったかの?」
……エックスさんって。謎の凄腕冒険者Xって名乗ってるの、本当に?
「いえ、その話は置いといて下さい……それより、先日ここを通って遺跡に行った冒険者パーティ、ご存知ですよね」
「あー、おったのう。あいつらがどうかしたか」
「同行した後詰冒険隊から救助要請が来てるんですが、ウチの連中は遺跡に向かわせるのはちょっと……」
「……そうじゃのう」
要は助っ人を頼みたい、ということか。
「……酒盛りしてからじゃ無理そうかの?」
「ええ。できればすぐにでも……」
「……仕方ないのう。早馬はもちろん、今夜のこいつらの飲み代はそっち持ちで。それなら行ってやらんでもない」
マード翁はしぶしぶという感じで一度下ろした腰を上げる。
「ちゅーわけでちょっと行って来るわい。好きに飲んで食って元取っといてくれ」
「いや、ちょっと待って下さい。僕も」
慌てて立ち上がる。
「なんじゃ。タダ酒は飲めんか」
「お酒はあんまり好きではないです。それより、少しでも手伝えれば」
「なんじゃユーカ。こいつ真面目過ぎんか」
「真面目過ぎるよなー。……ったく。どうせアタシも酒出してもらえねーし、付き合うか」
ユーカさんも左腕をぐるぐるしながら椅子を飛び降りる。
そしてアーバインさんとファーニィは。
「……どうする? 俺と飲む?」
「嫌です♥」
「ちょっとぐらい考えてくれても良くない?」
アーバインさんを置いてファーニィはこっち側に。
「それじゃ行きましょうか♥」
「んじゃアーバイン、ここは頼むぜー」
「馬、僕乗れないんですけど……」
「ユーカと二人乗りすりゃええじゃろ。ワシはファーニィちゃんとぐふふ」
「変なとこ触ったら遠慮なく殴りますよ!? 効かない気がしますけど!」
「え、えーっ……ほんとにみんな行っちゃうんだ……? いや、まだついたばかりだよ? 若さありあまり過ぎてない?」
情けない顔をしながら最後まで腰を上げなかったアーバインさんを置いて、僕たちは遺跡に向かう。
マード翁と一緒ならまず死なないだろうと思えたし、せっかくだから遺跡に自分も踏み込んでみたかっただけなので、マード翁と僕だけでも良かったんだけどな……。




