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ユーカの兄

「名乗ってなかったね。僕はトーマ・レリクセン。ユーカの兄だ」

 青年はやんわりと僕の手を肩から離す。

 その所作からは、あくまで僕に対する敵意や脅威は感じられず……僕はそのあたりでようやく、彼が相当に異質な人間なのかもしれない、と気づく。

 見た目通り、印象通りの「ただの気弱な貧弱男」ではない。

 僕を冷静に観察して間合いを計りつつ、そういう人間を演じている。そんな風に見える。

「ユーカにかかった呪いは強烈だ。殺意の強さに応じて、その身に余るほどの破壊性能を与える……多くの人間は、その反動で再起不能になってしまう。それをユーカはギリギリで乗りこなす才能がある。稀有な力だ。あるいは、あの子が本当は殺意から遠い人間であるせいかもしれない」

「……殺意から遠い……?」

「一緒にいて気づかないかい? あの子は一見乱暴だし、冷酷に見えるけど……それは理論的に、後天的に身につけた振る舞いに過ぎない。自分がどう反応し、どう動けば最善なのか、いつも数手先まで熟考している。感情や欲求を爆発させ、事態を悪化させることは滅多にないだろう。……本当は明るくて、優しい子だ」

 言われてみれば……そう、かもしれない。

 ユーカさんは乱暴者のわりに、滅多に人を困らせない。

 いつも強気でありながら、引き際を見誤ることなく「最善の態度」を見せる。

 他の“邪神殺し”パーティメンバーが土壇場で動揺しがちな面を見せるのに対して、ユーカさんはそういう時こそ行動が冴える傾向がある。

 パーティリーダーとしての責任感ゆえなのかな、と思っていたが……そう言われると強く納得せざるを得ないところは、ある。

「……ユーカさんの“邪神殺し”……いや、“殺意の禁呪”が、掛かりが遅いのは……」

「きっと、あの子の殺意がそれだけ高まりにくいせいだろう。だからこそ、身体が手遅れになる寸前で自らを捌けるのだろうね」

 ……そして、僕のそれが、ほぼ自在に高められるのは……殺意が、嘘偽りない本物だから。

 そして、それを制御できるのは……きっとシーナの件で壊れてしまった感情のおかげだろう。

 自分と相手の死を前にして、僕はフラットな感情でいられる。

 そのおかげで、ユーカさんのように「入り込んだ」状態になることもなく、この呪いのメリットだけを乗りこなしていられるのだろう。

「……しかし、多くの人間……と、簡単に言うもんだな。随分、この禁呪で殺したのか」

「…………」

 青年は聞こえていないかのように表情を変えない。

 それが答えか。

 それが……レリクセン、ってことか。

「人類には武器が必要だ。それは、いくつもダンジョンを渡り、あの合成魔獣(キメラ)を狩り、そしてドラゴンとも渡り合った君にはよくよくわかることじゃないか? ……人は治癒術を手にするまで、傷ついた人間を闇雲に弄ぶことしかできなかった。腫れあがった手の治療として関節で切り落とした時代があった。眼病は抉り取ることでしか治せない文明があった。頭痛の解決策として頭骨に穴を穿ち、高熱の対処に血を捨てさせた頃もあった。でも今は違う。それと同じだよ。正しい知識を手に入れるまでに、無数のそれらが必要なのは、どうしようもないんだ」

「そんな言葉で包み込めば……その優しいユーカさんを呪い、天井知らずの巨大な恐怖と戦い続けるよう仕向けたことも、まるでいいことをしたみたいに思っていられるわけか?」

「そう尖らないでくれよ。ユーカが冒険者になったのはあの子自身の選択だろう。家の方では何か命令してるわけじゃない」

「…………」

 僕は青年をじっと見つめる。

 ヘラヘラと笑っている彼がユーカさんの兄と言われても、共通点を見出せない。かろうじて髪色くらいか。

 まあ、子供の頃ならともかく、大人になって兄妹にそんなもの見つけ出すのは難しいけれど。

 ……だが、内面は……ある意味で、近いかもしれない。

 彼はきっと、何層も心の膜を持っている。

 僕の怒りをいなす演技を心得ている。

 頼りない気弱な青年の仮面を強固に被り、きっとその奥にある冷徹な視線を表面に出すことはなく、そのさらに下にある本当の感情は、きっと絶対に表に出さない。

 何の確証もあるわけじゃない。僕のメガネに、本心を見通す機能なんてついていない。

 だけど、不思議な確信がある。

 この男は、絶対に見た目通りでは、ない。

「……それで?」

 小さい深呼吸に次いでそう言うと、トーマは笑ったまま僕の目を覗き込むようにした。

「なに、さっき言った通り。君にどうして“禁呪”が伝染したのか。……ユーカの肉体が縮んだのはまあ、知っている。珍しい現象だけど、原因となった術式はおおかた推測できる。でも、それじゃ呪いは引き継げない。既知のものと全く魔術的な作用機序が噛み合わないんだ。それなのに、君は各地で禁呪の特徴的な呪光を発している」

「……詳しい事なんか何も知らない。あるから使っている。それだけだ」

「ということは、見取りによる呪法再生産……確率的には天文学的に低いけど、本当にやってのけたのか……? いろいろと珍しい特性持ちみたいだけど、ここまで来ると本当にユーカと同等以上に希少な……」

「質問がそれだけなら、もう行く」

 ユーカさんの人生の損失を当然のように流す彼は、正直に言って苛立つ相手だ。

 襟首をつかんで締め上げてやろうかと思ったけれど、少なくとも今、そうすることの意味が乏しい。

 魔術師たるレリクセン家の中で、若い彼の立場は決して高い方ではないだろう。

 彼を今、感情的に攻撃したところで多分何も状況は改善しない。それどころか余計な問題が起きる可能性もある。

 ユーカさんを実験台にして弄ぶ奴らが、トーマを囮のようにして何か企んでいないとも限らない。

 僕は彼に背を向ける。

 トーマは「ああ、もう一つ」と僕の背に声を投げる。


「その当の魔導書はリリエイラ・アーキンスの所有ってことでいいんだね?」


「……どういうつもりの質問だ?」

「だからいちいちそんなに脅すような声音を出さないでくれ。僕は気が強い方じゃないんだよ」

「リリエイラさんに何かするつもりか?」

「落ち着けって。出来るわけないだろ? ただの確認だって……」

 ヘラヘラしながらそう言って、後ずさるように離れていくトーマ青年。

 僕はそれを、立ち尽くしたまま見送る。



 宿に帰ると、まるで当然のように双子の姫君たちが使用人を連れて部屋に侵入し、優雅にお茶を飲んでいる。

「……この宿、客を何だと思ってるんだろう」

「ごきげんよう、アイン様♥」

「宿の者を責めてはいけませんわ。彼らは商人であるより何より、まずヒューベルの民なのですから♥」

 双子姫は揃って立ち上がり、鏡のように線対称を保って一礼。

 そして二人して僕の手を引き、二人で僕を挟み込む形でテーブルにつかせる。

「まずは謝罪と御礼を。ハルドアの件では父と兄が大変失礼致しました」

「しかし南方のラウガン連合の攻めっ気を鑑みるに、ハルドアは拙速に獲るしかありませんでしたの。フィンザル家への不満が限界を迎えれば遠からず瓦解すると予想しておりましたが、それを見過ごして他国の介入を許せば戦乱は泥沼となり、いずれラウガンとの両面作戦になってしまいます」

「ハルドア一国なら取るに足らずとも、ラウガンと戦線を分け合えば楽勝とは言えなくなりますわ。さらにヒューベルの落日と見て他の第三国まで参戦すれば大乱。ドラゴンの動きを機と見た父を悪くは思わないでくださいませ」

「……ええまあ、それに関しては恨む気はないですよ」

 リリエイラさんは最後まで不満そうな顔をしていたが、僕らも今となってはあれ以上に綺麗に始末をつける手段を知らない。

 故郷が乗っ取られたのは少し思うところがなくもないけれど、もうあそこには、僕にとっては何もない。

 あれでよかったんだ。

「それと、いくつかのご報告を」

「?」

 双子姫は相変わらず、どこで合図をしているのかと思う揃い方で表情を引き締める。


『ゼメカイトが数日前に落ちましたわ』


「……は?」

 落ちた?

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