王都と武勇伝
「おっ、しばらくだねお兄さん。……あれ? メガネ違うね?」
「あー……前のは修復不能な感じになっちゃって。今度のは普通に新調したんだ」
ヒューベル王国首都アルバルティア。
ドラセナは開口一番にメガネを気にしてきた。
まあ、随分形が違うしな。気にしない人は気にしないんだけど……「メガネをかけていた」という記号しか記憶されていないだけかもしれない。
「それで、またメガネの、なんだっけ、亜生命化処理? だっけ。あれしたやつ、作ってくれないかな。ドワーフの間じゃ有名な技術なんだろ?」
「あー、まぁ、技法自体は古くからあるけどねぇ……まず触媒として新鮮なドラゴンの血が必要なんだよ。あの水竜の死体がまだ残ってた時ならともかく、もう骨すら残っちゃいないからねぇ……」
「それなら大丈夫。ちゃんと持ってきたよ」
ポーションサイズの瓶をコトンとカウンターに置く。中には赤黒い液体が満たされ、その腹の部分には鮮度維持のための魔導石も取り付けてある。
ドラゴンの血は高濃度の魔力を持つ肉体を流れているため、魔力が希薄な状態だと急速に劣化してしまうんだそうで。
リリエイラさんは既にいなかったが、その辺のことは「常識」としてユーカさんが知っていた。
……世間の九割九分の人間にとっては使う機会のない知識だと思うけど、まあユーカさん的にはドラゴンの生体素材を扱うことも幾度もあったんだろうな。
「……何これ。本当にドラゴンの血……?」
「いや、そりゃもちろん。ダークドラゴンから直接取った生き血だよ」
「ちょっ、ちょっと待って。ジジイどもに聞いてくるから」
ドラセナは瓶を持って走っていき、しばらくして戻ってくる。
「……ほ、本物だって……アンタ本当にまたドラゴンぶち殺してきたのかい……?」
「殺してはいないよ。追い払っただけ。……まあ、見逃してもらった感じに近いかもしれない」
「モンスターに見逃してもらう……って、そんなんあるんだ……?」
「……そういう意味では、ドラゴンはモンスターとは別のもの……って話も嘘じゃないかもね」
モンスターと呼ばれる生物は、ほぼ例外なく人類に対して過剰な攻撃性を持っている。
その苛烈さは尋常なものではなく、どんなに知能があっても共存は不可能と言われている。過去に家畜化しようという試みも幾度となくあったが成功した話は一つもなく、一説にはダンジョン同様、この世界ではないどこかからの侵略の尖兵であり、人類をこの世から排除することが目的の生物なのだとも言われる。
ドラゴンがそれに漏れないものであるならば、人類はとっくに全滅しているだろう。
少なくとも、ポチに関しては会話可能であり、リリエイラさんを保護し、育てるという行動すら見せているのだから、僕たちの把握している「モンスター」の定義には当てはまらない。
彼の言っていた「摂理」というのも、何か関係あるかもしれないな、そのへん。……結局、僕が知ったところでどうなる話でもないとは思うけど。
「それじゃあジジイどもにやってもらうけど……今のそれでも見えるんだったらそれでよくない? ドラゴンの血って使い道山ほどあるし、すごい値がつくよ」
「キズがね……どうしても冒険すると付くからね。後衛なら許容範囲で済むかもしれないけど、僕、前衛だからさ」
メガネの冒険者が少ない理由がよくわかる。
雑な言い方をしてしまえば目をやられても治癒術で癒せるが、メガネはそうはいかないのだ。
直接攻撃を当てられずとも、跳ねた泥や砂が当たるだけでも結構取り返しのつかないことになる。今まではそんなのも適当に拭いておけば自然に治っていたのだけど、今のこれはもうすでに結構傷だらけだ。
メガネそのもののみならず、ドワーフ技術の謎加工がこんなにも僕の冒険に重要度が高いなんて、失ってみるまで全然わからなかった。
便利どころじゃない。必須だ。
そうでなければメガネの予備をそれこそダース単位で用意しないと、本格的な白兵戦なんてできたものじゃない。
今の財力ならそれくらいメガネを作らせるのも不可能ではないけれど、後詰冒険隊呼びつけてそんなの運ばせるのもなんだかなぁ、と思うし。
……あと、血に関してはここだけの話、元手タダみたいなものだし。
僕の説明をイマイチ理解してくれない(目に補正具をつけるということ自体がドラゴンにはよくわからなかったらしい)ポチに対し、ユーカさんが「いいから血をよこせっつーの! テメーぐらいデカけりゃ樽いっぱい抜いたって誤差だろ!」と叫んで、なんか勢いで本当に樽一杯分の血を取らせてくれたのだった。
図体が大きすぎるので、少量取ろうにもどこを切ったらちょうどいいのかわからなかったというのもある。思い切り刺しても血が出ない場所とか結構あったので、えいやと切ったらダバダバ出てしまい、慌てて村で借りてきた樽で取った。
……そして「もういいぞー」の一言でキュッと傷口が締まり、それで治ってしまったらしい。
実際羽根をぶった斬ってもそんなに堪えてなかったぐらいだから、彼にとっては毛を一本くれと言われるのと変わらないのだろう。
あまり調子に乗ってもぎ取りまくるのは当然よくないのだろうけど、ユーカさんとは意気投合しているみたいだし、必要なものがあったらあと数回ぐらいは頼みに行けるかもしれない。
「そういや、ダークドラゴンの翼ってなんか武具に使えるかな」
「……翼? 翼ってどれぐらいの大きさ?」
「広げたらここの敷地ぐらいある。今は人に預けてあるけど、一応戦利品」
「……想像がつかないね」
「僕もどう使うべきなのか全然わからなくて……話によると何に使ってもすごい性能らしいんだけど」
「とりあえず持ち運べる大きさにして持ってきてくれないと何とも言えないねぇ。というか、翼ひとつでここの敷地以上って、ホントにそんなドラゴンと勝負になったのかい……?」
「なんとかね」
本当はユーカさんが……とは、言わない。
ユーカさんの手柄を強調してしまったら、結局またユーカさんは表舞台から降りられず、引退できなくなってしまうし。
……っと、そういえば。
「剣と鎧の手入れもお願いしていいかな。こいつらも結構酷使したから」
腰から「黒蛇」「刻炎」の二刀、そして胸鎧を脱いでカウンターに並べる。
ドラゴンブレスを強引に裂いた「ブレスディバイダー」を始め、「フルプレキャノン」もどきの技での鎧の酷使や、下劣だが確かに強かったガドフォード相手の剣戟など、だいぶ無茶はしている。
今回は「ブラックザッパー」という予備武器も手に入ったので、心おきなく預けられる。
「また随分と……こりゃしっかり直してやらないとねぇ。全く、仕事させてくれるお客だよ」
「そんなにひどい?」
「特にこの二刀はね。……こりゃもしかしたら妙な属性入っちゃってるかもね。炉に入れると変な反応して大変なんだわ」
「…………なるほど」
鍛冶屋ってどうして属性とかすぐに気にするんだろうなあ、と少し思っていたが、加工時に反応しちゃうのか。そりゃ気になるよね。
もし属性が沁みついてても下手にいじらないでくれ、とドラセナに頼んで、僕は工房を出た。
「ブラックザッパー」はアテナさんに預けてあるが、流石に今の僕なら喧嘩で負けるということはないし、わざわざそういうところに首を突っ込むつもりもない。
……リリエイラさんとの別れから、約一週間。
僕たちはハルドアを後にし、ラゼミアスに寄ってルザーク・スイフトに改めて報告。
そこからは寄り道の冒険もすることなく、まずはメガネのためにアルバルティアまで戻ってきた。
ジェニファー+空飛ぶ絨毯の機動力は相変わらず素晴らしく、今までの徒歩移動はなんだったんだという速度で動けている。
そしてアテナさんとクロードは、それぞれに装備の修理や情報収集のために実家と騎士団本部に向かい、ファーニィとユーカさんは服の新調。
そしてマード翁とリノは、情報収集のためにサンデルコーナー本家に向かっている。
王家の仲介でリノは本家と和解したはずだが、それでも義父や義母、あるいは義兄弟たちの態度によっては委縮してしまうかもしれない。マード翁はそういう時のための付き添いだ。
とはいえ、リノもどこまで冒険者としてやる気なんだろう、と心配になるところではある。
僕たちのパーティに入った時は貧窮していて、儲かるんだったら何でもいいや、という勢いだったが、もう充分にまともに生活するだけの資金はある。
元々リノは冒険魔術師としては戦力外だし、ジェニファーも勇敢だが、冒険が似合いの血気盛んなお年頃というわけではない。
それに対して他のメンバーの実力はますます研ぎ澄まされ、今後はそれこそ「邪神」に挑戦することさえ視野に入る。
リノがいなければ魔術方面のフォローが治癒師兼任のファーニィ一人にのしかかってしまうが、それでもリノが危険を押してまで参加する意味があるか……というと、少し難しいところだ。
もう抜けます、と言われれば、引き留めるかどうかは安易には決められない。
死なせるのだけは最悪だ。パーティの機動力としてのジェニファーの存在は惜しいが、それは普通に歩けばいいだけのことではあるし。
「……パーティ、か」
リリエイラさんが、マード翁に対して言った言葉が蘇る。
──私たちはあのパーティだからこそ無敵だった。でも今は違う。
「……このまま駆け上がるのか、それとも……」
もっと正しい形があるのか。
メンバーを入れ替えることは考えていないけど、それもまた選択肢で……パーティの形を整えることはリーダーとしての責任でもある。
僕はどうすればいいんだろう。
復讐は、思いがけず果たしてしまった。
あとはユーカさんから受け継いだ“力”を覚醒させ、最強の冒険者としての責務を継ぎ。
ユーカさんを引退させて、彼女に第二の人生を送らせる。
……それでいいんだろうか。
頭を掻きながら、職人街から宿への道を歩く。
……背後に、気配を感じた。
「……よくよく、こういう時にばかり客が来るもんだな」
立ち止まり、振り返り。
「何か用か」
メガネを押しながら僅かに腰を落とす。
素手でも、ちょっとしたチンピラなら負ける気がしない。
……果たして、そこにいたのは。
「ひぃっ……あ、あのっ……」
「……誰だ?」
全く見覚えのない、ローブを着た青年。
見るからにヒョロヒョロで、喧嘩なんてできなさそうな奴だった。




