世界のバランス
「お前ら、天誅気取りか。混乱に乗じて憂さ晴らしに貴族を殺し回って……それで新しい支配者に尻尾を振って懐くのか。庶民なんぞ支配者の養分、どうせまた虐げられるとも知らずに」
最後の復讐相手は、デビッド程ではないにしろ戦闘の心得があるようだった。
しっかりと鎧を着込み、ハルバードを握り締め、乗り込む僕たちを待ち構えていた。
「この期に及んで下のモンを犬コロ扱いとは、肝が太いというかオツムが鈍いというか、のう」
マード翁が呆れ果てる。
僕はメガネを押して、「黒蛇」を抜いた。
「『人食いガディ』を知っているな?」
「……何」
「今からお前が死ぬのは天誅なんて恰好のいいものじゃない。僕の妹を殺した奴をこの世に一人も残しはしない。それだけの話だ。貴族対庶民なんて大枠の話にこじつけるな。そんなに立派なお題目で死ねると思うな」
「ま、待て……何の話だ。いや、その話なら知っている。知っているが、私はほとんど関わってなど……き、君の妹の話を聞かせてくれ。誤解だと思う」
急にオタつきはじめた鎧の貴族を、僕は冷めた目で見て。
「手遅れだ」
ヒュ、と「バスタースラッシュ」を振る。
鎧は、中身ごと二つに割れて、それ以上の言葉を紡ぐ機会を永遠に失った。
用は済んだ。
もしかしたらまだ「人食いガディ」の残党はいるのかもしれないが、当事者たちをあらかた亡き者にした今、これ以上は手掛かりがない。
既に多くのハルドア貴族はヒューベル王家に恭順し、彼らはヒューベル王主導の元、属国と化したハルドアを統治する補佐を務めていくことになっている。これ以上しつこく時間をかけて貴族を屠り続ければ、ヒューベル王家とて僕らを放置もできなくなる。
潮時だろう、と、僕たちは無言のうちに意識を共有していた。
「貴族とは、醜いものですね」
クロードがぽつりと言った。
「お前が言うかよ」
ユーカさんが呆れ顔をする。
クロード自身が貴族なのは言うまでもない。今回の攻撃対象を総括するにしろ、もう少し絞れよ、と言いたくなるのはわかる。
が。
「私だから言うんですよ。……ある程度、分かってしまうんです。庶民を別の存在と考える仕組みも、そこから飛躍し、庶民に何でも強いる権利があると解釈して、やがて醜悪な蛮行に走りながら『悪い事をしているつもりはない』と言ってしまう感性も。私はもう少しマシなつもりでいますが、ただ出会いに恵まれただけかもしれない」
「クロード……」
「決してアインさんのしたことを間違っているというつもりはないし、妹君の命はどうあっても奪われていいものではなかった……その上で、私は彼らの『じゃあどうすればよかったんだ』という叫びに、同情してしまうんです。デビッドやガドフォード、そしてあのジャック・フィンザルのような、人の枠を踏み外した外道を前にして、彼らを絶対上位の存在としなければいけないこの国の貴族が、異を唱えられるはずもない」
「……奴らも被害者、ということか」
「いえ、ですから、そこまで言ってしまうと……まるでアインさんが間違っているみたいに……」
ユーカさんに説明しようとして、口ごもるクロード。
……ややあって。
「……結局、あのフィンザル一家のような者を生み出してしまう構造が、貴族なんですよ。自分たちが一段上の存在であるという前提は、あんな愚行を容易に肯定してしまう。『いくら庶民相手だからって、そこまでするのは許されない』という、当たり前のことが当たり前ではなくなる。デビッドならきっと『じゃあどこまでならいいんだ? 誰がそれを決めてるんだ?』と問い返すでしょう。そして私が彼らのような弱い貴族なら、答えることはできません。他人を対等の存在と認めなくなるというのは、そういう深淵に常に繋がっている……」
「……なるほど。だから『貴族は醜い』って言ったのか」
そういうことなら、同感だ。
対等であるという前提を持たなければ、物事に歯止めはかからない。
どんな残虐で狂った遊びも、「そこまでやってはいけない」というラインを誰も引けなくなる。
僕らが家畜やモンスターに対し、常に一方的に処遇を決めるように。
貴族は庶民に何をしてもいいと考えてしまう下地があり、それを否定するには圧倒的な暴力が必要になる。
「貴族が兵権という暴力を独占することで、危ういバランスが保たれている。……その兵権をすら蹴散らすほどの力が庶民側の個人にあるなら、それは体制にとって恐るべき脅威……アインさんやユーカさんがヒューベル王家に注目される理由が、ここにきてようやく実感できました。手懐けなければ、明日にも栄華が終わる」
「…………」
僕とユーカさんはなんともいえない顔を見合わせる。
……それがあの双子姫やフルプレさんが僕らにアプローチしてきた理由なら、嫌な納得感はあるな。
とはいえ。
「それなら君たち貴族は、せいぜい僕たちが冒険だけやっていればいいと思える政治をしてくれ。……この世界には人間同士のいざこざなんて、埃ほどにも思わないような脅威がたくさんあるんだから」
「……そうですね」
邪神もどき、ドラゴン、そしてこのハルドア動乱。
僕たちは立て続けにいくつもの脅威を経験した。
それを共に戦ったクロードは、僕やユーカさんの考えを切り捨てられはしないだろう。
人の社会にとっては僕らの強さは既に脅威かもしれないが、それとの折り合いすら馬鹿らしいほどの脅威は、いつもすぐそこにある。
僕らが戦う相手は、人類社会の外側。
……そして。
「さて。復讐完了なら、私の契約は満了ってことでいいわね、アイン君」
リリエイラさんがそう言って旅支度を始める。
「どこに行くんですか」
「思ったより長くなっちゃったけど、本来私は冒険引退した身だから。ポチのこともとりあえずは収まったし、ゼメカイトに戻るわ」
「寂しくなるのう」
「マードさんも無理は利かないんだから、身の振り方は考えた方がいいわよ」
「……うむ」
枯れ枝のような腕を組むマード翁。マッチョの体は見る影もない。
彼は治癒師としては今でも間違いなく最高峰の人材のままではあるが……老人なりの運動力しかなくなってしまった今は、ついてくることに少し不安があるのも事実だ。
贅沢な話ではあるが、通常の治癒師と同じように「弱点」といえるような存在になってしまうと、ファーニィの方が身軽さも攻撃力もあるだけ安定感が高い。
それに治癒師が二人必要な事態はもう壊滅寸前の状態だ。冒険でそういう事態になるのは実力に見合っていない時だろう。
「じゃあね、ユーカ。また何かあったらゼメカイトで聞くわ」
「おー。……っていうか、結局お前が絡んでないなら……『邪神もどき』って、何だったんだ?」
「ああ、それなら、もう十中八九の推測はできるでしょう」
リリエイラさんは、肩越しに言った。
「“邪神殺し”が、人に造られた力だという前提に立てば、ね」




