挙兵の時
「まだこんなの揃えてるの? 小出しはやめた方がいいわよ。こちらの有利にしかならないから」
リリエイラさんは奇妙な水晶に向かって言い放つ。
果たして、老いた声は鼻で笑うような音を返してきた。
「ガドフォードが片づけたなら話が早かったが、な。……再三言っておる通り、貴族とは血族全員でやるものよ。デビッドとて、ガドフォードとて、替えが利くものに過ぎぬ。あの親子ほど剣才に優れた者は他におらぬが、だからといって奴らが死ねば目的を達することができぬというわけではない」
「へえ。結局タマ切れってのは認めるのかしら」
ガドフォードよりもさらに強い奴が出てきたらどうしたものかと思っていたが、そうではない……のか?
だいたい、フィンザル公爵家を狩り尽くすのが僕らの目的ではない。奴らが手を引けば深追いする理由もないのだけれど。
後継者と目されたガドフォード、そしてデビッドを殺されて、老公爵本人がどう判断するかは読めない。
メンツを重視してさらにこちらに畳みかけてくるか、あるいは利なしとして狂気の後継者たちを切り捨てるか。
「礼を言ってやってもいいぞ、小人どもよ。……貴様らが好き勝手にやってくれたおかげで、天領であったクローサに侵攻し、我がものとする理由が強固なものとなった。ガドフォードは強い当主になり得たが、考えようによっては政敵に付け込まれ得る悪癖持ちの厄介者を処分できたとも言える。そのうえクローサが手に入れば、実に30年ぶりの領地拡大よ。帳尻が合うどころか、プラスといえる」
「…………!!」
老人の声は。
一度は後継者とした息子ガドフォード、目をかけているとされた孫デビッドを殺されてなお、それらを捨て石にする戦略を、弾き出した。
「貴様らがそこで子と孫を相手に暴れた以上、家族を殺されたこの公爵が兵を差し向け、平定することに王家も貴族どもも文句はつけられぬ。貴様らに従った者もそうでない者も、今おる民は皆殺し。デビッドの乱行の最後の始末にもなって一石二鳥よ。なに、掃除の後は移住者をすぐにでもかき集めてやるから安心せい。もとより栄えることの約束された要衝の街、住みたい者はいくらでもおるわ」
「……はっ。そんなにうまくいくかしら。その前に貴方の息の根を止めるわよ」
「威勢のいいことよ。ならば、遠慮なく来るがいい。……この三万の兵の陣中に」
「!!」
三……万……!?
まさか、そんな数の兵士を……。
「斥候!!」
「待たれよ。私が使い魔を使う方が早い……!」
アテナさんが城塞内のレジスタンスに偵察を頼もうとしたのを遮り、ヴォルコフ老がその場で手を複雑に振って光る鳥のような使い魔を作り、フィンザル軍の向こう側に飛ばす。
……しばらくして、老人は眼を見開いた。
「おります……た、確かに……正確な数は簡単には把握できませぬが、凄まじい数の兵が、森の向こうに構えております……!!」
「……千や二千ならアイン君の大技や私の魔術で薙ぎ払ってもいいけれど、三万となると……難しいわね。散開戦術取られたら、いくら一人一人が雑魚でも押し負ける……」
「何故そんな距離になるまで気づかなかったのだ!」
「落ち着けアテナ。レジスタンスにまともな練度期待すんな。……見えてても言わなかったのかもしれねーし」
「ユーカ! それは明確な背信……!!」
「それが有り得るのが有志によるボランティアってやつだろ」
つまり、裏切り。
……だが、フィンザル公爵なら、事前にこの事態まで見越してスパイを紛れ込ませていてもおかしくない。
おそらくは、僕たちが「人食いガディ」を闇雲に探し始めた当初から。
いや、このクローサを狙っていたような口ぶりからして、それ以前から別の形でクローサを転覆させるために仕込んでおいたのかもしれない。
となれば、レジスタンスの活動は何も信用ならない。どこで梯子が外されるか分かったものじゃない。
この状態で、僕らとヴォルコフ老だけでクローサを守って戦う……そんな芸当ができるかというと、かなり厳しいと言わざるを得ない。
僕も含めて魔力は有限だ。敵がまとめて殺されてくれるような隊形を保っていてくれない限り、一撃で何十人も倒すのは厳しい。
そして僕らは疲労する。数発、十数発程度なら元気に放てたとしても、それ以上になれば肉体的な疲労と集中力の減退と戦うことになる。とても勝つまで暴れ続けられるとは言えない。
僕の「メタルマッスル」も永遠に安全ではありえないし、他の仲間たちはそれこそ矢の一本でもまぐれ当たりすれば死ねる。三万という数字は、そのまぐれを狙い続けることだってできる数だ。
数は、力だ。
「……降伏は、もう受け入れんぞ。それが得となる段階は過ぎてしまったのでな」
無情な老人の宣言を最後に、奇妙な水晶は沈黙する。
伝令兵はそれを確認すると、慌てて背を向けて逃げ出した。
「どうする、アイン君? 始末しておく?」
「アレを倒して戦局が変わるようには思えません」
「……まあ、そうだけれど」
……とはいえ。
僕には戦争の知識も何もない。
三万の兵隊相手に、たった八人と一頭しか実質頼れない状況で、どうやって戦うのか。
頭を抱えたい状況だった。
クローサの胸壁の上に登り、策を考える。
といっても、対軍戦闘となるとどうしようもない。
「ヴォルコフさんの魔術で背後に入られないようになんとか防備を固めて、リリエイラさんができるだけ広範囲の魔術でどうにかする……」
「『なんとか』『どうにか』じゃ話にならないわよ」
「細かく術を指定できるほど詳しくないんですよ……」
「こういう時こそお前が策を出せよリリー」
「……一番現実的な策としては、いったんクローサから撤収しちゃうことなんだけど」
「そんな! リリエイラ様!?」
「仕方ないでしょう。後ろが信頼できない以上、ここに地の利はない。それにアイン君の直接の仇でない公爵と、このまま戦う意味は薄いのよ。私たちはアイン君の仇を殺したいだけなんだから」
ヴォルコフ老はまたも絶望的な顔をする。
彼としては庭とまで言ったクローサを見捨てる選択肢は有り得ないのだろう。
僕たちとしても決して放置はしたくない。
が、実際にこのまま戦えば消耗し、そのうち仲間の誰かが死ぬことになるだろう。
パーティから誰かが欠けた瞬間に、全ての勝手は変わる。
無敵の“邪神殺し”パーティがそうでなくなったのと同様、僕たちもバラバラになれば、できるはずのことは不可能になり、取りこぼすはずのないことを取りこぼし、全く不本意な状況ですり潰されることになる。
それを避けるには、現実的には撤退しかない……かもしれない。
「……ね、ねえ」
そこでおずおずと手を挙げるリノ。
「全員撤退は……あれだけど。リーダーとユーだけで逃げて、ドラゴン連れてくるっていうのはどうかな」
「ちょっ、ちょっと待ってよ。そんなことをしたら今度はポ……ドラゴンが悪い事になるじゃない」
リリエイラさんが抗議するが。
「でも、ドラゴンはどの道、人類としては共存のしようがない相手だし……どっちにしろ見つかったら大ごとになるから、さっさとハルドアひっくり返しちゃおうとしてるわけでしょ? 今引っ張り出しても大して変わらないんじゃないかな……」
「そんなの最後の手段よ!」
「…………」
リノは不服そうに黙る。
……名案とまでは言わないが、いっそのこと、と踏み切る手段としてはアリだと思う。
このまま公爵に好きにされるくらいなら、ドラゴンを呼び込んで殲滅させるのは大いにアリにも思える。
……とはいえ、あのドラゴンは人類をあまり区別するつもりがなさそうだから、ついでにクローサまで滅ぼしそうなところもあるし……結局、やらかしの規模的にはとんでもないことになりそうだ。
「ユーカを英雄に仕立ててどうのこうのってのは難しそうじゃのう」
「ンなこと言ってられる状況じゃねーだろーよ。英雄どころか無事に凌げるかどうかも怪しくなってきてんぜ」
マード翁も年長者だ。何か妙案はないだろうか、と思って期待の視線を送るも、首を振るだけ。
数が多すぎる、というのはマード翁でもいかんともしがたいか。
……クロードやファーニィに頼っても仕方ないしなあ、と二人を見て、仕方なく撤退か、ドラゴン誘致か、どっちかを選ぼうとメガネを押し……なんかファーニィの様子がおかしいので二度見。
「ファーニィ?」
「……ちょっとだけ待っててもらえます? 『ウインドダンス』!!」
そう言って、ファーニィは風の魔術で自らの身を上空に浮上させた。
……それはあんまり実用的じゃないって言ってたような気がするんだけど、という僕のツッコミは空を切り、ファーニィは下着とかめちゃくちゃに晒しつつも空高くに舞い上がって、そしてまた降りてくる。
「……ふー」
「なんだよ。何かあったのか」
「あー、えーと」
ファーニィは服とか髪とかを手早く直し、少し言い淀んで。
「……意味が分からないんでそのまま言いますけど」
「うん」
「あっち側ってもうヒューベルまでロクな街ないはずですよね?」
「そうだね」
「……なんか軍隊っぽいのが見えるんですけど。……めっちゃたくさん。それこそ何万とかの」
「は? なんで?」
「わからないから言ってんですよ! 援軍にしては早すぎるし!」
ぽかんとする僕。
思わずリリエイラさんやユーカさんを見るが、二人とも困惑した顔。
あ。
いや、ちょっと待て。
……そういえば。
「リリエイラさん。……あの、前にヴォルコフさんが気絶させたスパイたち。あれ結局、どうなったんです?」
「どう……って、それは……多分、予想通りヒューベルからの……」
そこでリリエイラさんもピンときた顔をして。
「……!!」
もとよりヒューベルは軍事強国。隙あらば領土拡大の野心を持っていることは周知の事実だ。
……フィンザル公爵が野心を持ち、クローサを取りに動くために、前々から仕込んでいたように。
そのフィンザル公爵の動きを待っていた……このクローサに事件が起きるのを待って「漁夫の利」を、ヒューベル王国が狙っていたとしたら……?
フィンザル公爵は国内の貴族の半分を影響下に収めるほどの大貴族。その兵力は侮れないが、もしも単独で、軽率に動くことがあれば、それを横撃するのは戦略的に非常に効果的なファーストアタックになり得る。
デビッド周辺の流れを知り、そうなることを感知して軍を侵入させたとするなら……このタイミングでの登場に辻褄が合う。
合ってしまう。
お互いにまさかという流れだったはず。
でも、うまく利用された……!!




