大義
「私は……私は、人を守るためにこそ戦う意味が見いだせる……なのに、それでは……!」
ヴォルコフ老は、まともな人間だ。
それは責められることではない。
普通なら人殺しの因果なんて、好んで背負えるようなものじゃないのだ。
故郷のため、国のため、社会のため……もっと多くの誰かのため。
そういう大義名分があってこそ、人は他人の死に冷たくなれる。
ジャック・フィンザルの言葉は、そういうまともな人間にこそ効く。
どんなに悪逆に見えたとしても、それはもっと多くのために必要な計算だ、と。
あの人非人のデビッドを飼うことさえ、外敵に対する備えと言い切ってしまえるなら正当化できる。
餌にされた庶民の命さえ、無垢な幸せさえ、もっと大きなもののための「コスト」と呼んでしまえる冷徹さがあるならば。
そして、そんな大貴族の絵図に対し、お前のやることはどれだけの価値を持つのか?
お前たちの即物的な青臭いその正義は、本当に大義足りえるのか?
そう言われて、無鉄砲に頷いて返せるほどの熱量は、ヴォルコフ老にはない。
彼はただ、才能を持ってしまっただけの男でしかないのだから。
ここで人を多く殺し、その怨嗟を背負ってなお前に進むほどの目標なんて持っていないのだ。
が。
「なかなか興味深い論理展開だったわ」
すごく興味なさそうにリリエイラさんがそう言って、僕もフッと我に返る。
少しだけ、フィンザル公爵の弁舌に魅入られそうになっていた。
が。
「で、クロード君。感想は?」
「えっ。私ですか」
「ここで一言言うには適任でしょう?」
「……はぁ。まあ、随分とカビ臭いことを言うんだなあ、とは思いました」
難しい顔をして反論もできず聞き入っていたように見えたけれど、それは単に場をわきまえて真顔で黙っていただけのようで。
「ああ、名乗らせていただきます。私はクロード・ラングラフ。隣国の貴族の末席たる者です。……庶民への威圧としては良いですが、私のようなものが相手にいる場合、その理屈はどうなるのでしょうね」
奇妙な水晶に対して、クロードは気負いもせずに言葉を返す。
「……ラングラフ。はて」
「ああ、聞き覚えていなくても結構。正直、同類と括られるのも不愉快ですので」
クロード、いつになく言葉が不敵で強い。
まだ仲間になったばかりの頃の生意気さが蘇ってきたようだ。
「貴族は民を背負うからこそ権利を持つ。お説ごもっともです。しかし……アインさん。農奴たるあなたは貴族に、我々をぜひ背負ってくれと頼んだことはありますか?」
「……いや」
「今の時代、貴族はその権勢を奪い合うための道具として領民を囲い込み、使っているにすぎません。領民と土地は切っても切り離せぬ富そのもの。彼らの生活から奪えるだけ奪う貴族が、そのうえ命まで奪って『責任を持っている』かのように振る舞う。率直に言って、醜悪ですね」
「……貴様も貴族であると言うなら、同じであろう」
「我が国ではもう少し貴族も開明的ですので。ああも愚かな殺戮を見過ごすほど鈍してもおりません」
それに、とリリエイラさんは付け加えて。
「もしも私たちが貴方の兵と戦うとしても、それを命ずるのは貴方よ、ジャック・フィンザル。領地から離れたこの地に派兵し、勝ち目のない戦いに兵を駆り立てた責任を自らに帰さず、私たちの罪となす。それが責任ある態度にはとても見えないわね」
アテナさんがそれに頷いて。
「悪党のよくやる手口に、親しい二人を殺し合わせて勝った方だけ命を助けてやる、やらねば両方殺す……と脅す手法がある。よしんば勝って生き残っても、我が身可愛さに愛する友を、兄弟を、あるいは親や恋人を殺した……という引け目に付け込んで悪の道に引きずり込むというものだ。いつの間にか強制した当人の存在は消え、哀れな被害者がただただ罪の意識を背負わされる。……兵をぶつけて殺させ、その怨嗟を囃し立てる貴殿の論理展開によく似ているな。虫唾が走る」
絶望していたヴォルコフ老は、僕たちの姿にぽかんとしている。
……僕はメガネを押して。
「何より。……知ったことじゃない。そんなことは、何一つ」
ああ。
それは、この国の民衆に、いや、ジャック・フィンザルの領民に、奪われたもの以上の価値を感じていればこそ意味のある話だ。
「どう言い繕おうとも、僕は妹以上の価値なんてこの世にあるとは認めない。それを奪ったものを誰一人認めはしない。それがこの国そのものだというなら、国ごと滅ぼすまでだ」
そうだ。
口にして、確信する。
僕は、ドラゴンがこの国を滅ぼすならばそれでもいいと思っていたじゃないか。
怖気づくことなんて何もない。
「そうであるなら、全て殺す……!!」
これは、そう。足し算引き算じゃない。
ただの、決して覆ることのない過去への力いっぱいの返答でしかない。
心の中に、妹との日々と、その死が。
悲しみと怒りが、例えようもない強さで蘇る。
視界が色づく。殺意に、“邪神殺し”が反応する。
「……やれやれ。所詮は賎民か。始末の悪い事よ」
奇妙な水晶はゴトリと地面に落ちる。伝令の兵士は、僕の殺気に怯え、水晶を捧げ持っていられなくなっていた。
「伝声魔術の痕跡から、貴方の居場所はすぐに特定させてもらうわ。逃げられるとは思わないことね」
「まるで貴様らが無事にその場を切り抜けられるつもりでいるな」
「たったあれだけの兵で本当に足りると思っているの? デビッドの飼い犬軍団の方がまだしも強そうだけど?」
リリエイラさんの言葉に、慌てた様子もないジャック・フィンザルの声が答える。
「兵だけなら、な。……教えてやろう。その兵どもは、戦力として向かわせたわけではない。後始末のための人手よ」
「何……?」
「デビッドの奴が何故自らの名を誇らず、『人食いガディ』などと名乗っていたか、貴様らは知ることになろう」
見る。
……遠く見える兵の隊列が割れ、その真ん中から、一人の人間が馬に乗って疾駆してくるのが見える。
その人物はこちらに近づいてきたところで乗っていた馬の首を突然刎ねて、崩れ落ちるその背から跳ねて地に降り立つ。
馬の血に、半身が真っ赤に染まる。
……いきなりの奇行に僕たちが呆然としていると、その男は……幼い印象だったデビッドとは打って変わった偉丈夫は、実に獰猛に笑って剣を担いだ。
「貴様らがデビッドを殺った無法者共か! なんだ、随分と女が多い! これはなかなか美味そうじゃないか!」
「お前は……」
「口には気をつけろ賎民! まあ、いずれにせよ死ぬから変わらんがな!」
ベロリと、剣についた血を舐める。
「出来の悪いガキではあったが親父のお気に入りだったのでな。仇を討たせてもらおう。ついでに、臓物をよこせ。子袋が特に美味い」
なるほど。
これが本家本元「人食いガディ」……ガドフォード・フィンザルか。
本当に食うんだな。




