貴族の価値観
クローサは城塞都市だ。
つまり、戦争を想定して建設されている。数千の敵兵を前にしても、適切に人手をかければ充分に跳ね返せる地の利がある。
そして、人手に関しては足りないながらレジスタンスの協力が得られ、さらに大賢者ヴォルコフの超規模の魔術がフォローできるので、僕たちが対人戦闘を行わずともいきなり負けるということはない……はずだ。
「クローサを占拠するつもりにしては足りないわね」
「領主と呼応するつもりではないのか?」
アテナさんの予測にも首を振るリリエイラさん。
「元々ここは特定の貴族じゃなく代官が治める都市だから、政治基盤が弱いの。代官自体も先日資金を渡して隣国に飛ばせたはずよ」
「よく短期間にそこまでできたものだな……」
「ヴォルコフさんの手引きでちょっとね。……おかげで憲兵隊も麻痺して治安が怪しいことになってはいるけど」
「最近街が荒れてるのはそういう事か……」
「それはともかく、どうも動員が半端なのが気になるわね。下手をすればデビッドの双頭狼部隊の方が戦力高いんじゃないかしら」
「元々手元に兵力が少ないというのもあるのではないか? 戦時でもなくば急に何万も用意はできまい。兵も飯を食う。常備すればするだけ負担が大きくなるからな」
「でもね……実質的にハルドアの半分を仕切るほどの公爵ともなれば、クローサを落とす程度の兵力に不自由することはないはずなのだけれど……」
「侮られているのだろう。アイン君やヴォルコフ殿の戦力が文字通りの一騎当千などと、魔術すら珍しい国の者には理解しづらい……というのは、先の戦いでわかったはずだ」
「そのアイン君を手こずらせたデビッドを飼っていたのに、それでも……っていうのがね」
「気になるか」
「デビッドに好き放題戦力を持たせた思惑を考えればね」
よくわからずに話を聞いている僕に、ユーカさんが補足してくれる。
「多分、その公爵とやらはデビッドを有事の切り札として使う気で甘やかしてたんだろう……ってことだ」
「有事って、それこそ隣国との戦争とか?」
「それもあるだろうし、あるいは内戦なんてのも有り得るだろーな。あの良識クソ食らえって態度だ、やっていいと言われりゃ自国の街を合成魔獣で蹂躙なんてのも、楽しんで出来ただろ」
「うへ……」
「血に狂った殺人鬼も戦時には頼りになる。士気を保つのに苦労がいらねーからな。というか、矯正もせずにあんなクソを甘やかして双頭狼まで与えてたことに意味があるとすれば、そういう想定くらいしかできねーよ」
「……平和ボケじゃなく、そこまで荒んだ思考があったのに、いざそれを撃破した僕らを前にして、足りない戦力を押し立ててきた……ってことか」
「ああ」
城壁から見たところ、フィンザル家の軍勢は数百……多く見積もっても二千人はいない。ちょっとした祭りの人出といったところだ。
デビッドの双頭狼部隊は、この軍勢に飛び込めば数頭でさんざんに食い荒らしてしまうだろう。それこそ中にフルプレさんやアテナさんクラスの猛者がいたなら話は別だけど。
「使者です!」
「会いましょうか。ヴォルコフさんも呼んで」
雑用を買って出てくれているレジスタンスの構成員に頷き、リリエイラさんは僕たちにも手ぶりでついてこいと指示する。
「このような形で失礼させてもらう。ワシはフィンザル家当主ジャック。そちらはデビッド殺しの首謀者か」
「……ええ。魔術師リリエイラ・アーキンスよ」
使者は奇怪な形の水晶を布で捧げ持ち、そこから声がしていた。
本人がどこにいるかはわからない。あの軍勢に紛れているのだろうか。
どうやら暗殺を避け、会話だけができるようにという魔術的処置のようだ。
「用件はわかるな。まずは我が孫デビッドの遺体を寄越してもらおう」
「アンデッド化しないよう、早期に火葬させてもらったわ」
「貴族の遺体の扱いも知らんか。貴族はアンデッドになどならぬ」
「そんな世迷言を真面目な口調で言われるとは思わなかったわね」
リリエイラさんは呆れ顔で額に指をかけて嘆息。
貴人はアンデッドになどならない、というのはハルドアのみならず各国でよく言われているらしい俗説で、無根拠だ。これと並行して貴族の死体が往時の居宅や古戦場をウロつき回った話もまるで美談のように語られるので、結局誰も本気になどしていない。
「……それと、貴様らは貴族殺しの大罪で裁くことになる。大人しく縛につけ」
「まさか、衆人環視の中であんな双頭狼を使って暴れたお孫さんを、この期に及んで擁護するつもりかしら」
「何を言うかと思えば。……そんなことに何の関係がある?」
嘲笑するようなトーンで、奇妙な水晶からフィンザル公爵の声が響く。
「何が罪で、何が正しいか。誰が裁く側で、誰が裁かれる側か。まさか一から説明しなければならぬか?」
「……つまり、あなたは孫の狼藉を……『人食いガディ』の凶行を、誤魔化し切れると思っているのね?」
「誤魔化すも誤魔化さぬも。我が孫が許されるはずがない、というのは貴様らの勝手な定規というもの。このハルドアでは一切、通用せぬ。貴族が庶民を殺そうが、犯そうが、喰おうがな」
「…………」
僕は、手の骨が壊れそうなくらい握りしめる。
リリエイラさんを見る。
彼女も僕を見ていた。呆れるような憐れむような目で。
……僕は、意を決して口を開く。
「何様だ。貴族を神だとでも思っているのか」
「……声が変わったな。名乗れ」
「アイン・ランダーズ! その傲慢に家族を殺された庶民だ! デビッドを斬った人間だ!!」
「ほう。……何も知らぬなら、教えてやろう。何故それが許されるのか、少しは考えてみたことがあるか」
「貴族に生まれたことが特別だとでもいうのか! だから僕らが奪われるのが当たり前だとでも!?」
「違うな。アインとやら。貴様は何も分かっていない」
フィンザル家当主の声は、孫を殺した相手と話しているにしては、あまりにも穏やかで、冷静で。
だからこそ、不気味だ。
「貴様らが背負っていないからだ。人間の数と営みを背負わないからだ。行いが正しいか、間違っているか、それに大した意味などない」
「何を……」
「庶民が貴族に統治を求めるのは、貴族が良い人間だからではない。何かの基準で正しいからではない。貴族が多くを束ねられるからだ。何のことはない、ただただそれだけだ。……誰ぞが異を唱えたからといって小揺るぎもしない数の力こそが、貴族という資格の本質だ。……逆に、貴様ら英雄気取りの小人にはそれがない。自由などと言って他人との関わりを免れ、応えることを放棄し、都合のいい時だけ世のため人のためと唱える得体の知れぬ愚者に、世が力を与えないのは道理、至極当たり前のこと」
なんの強い感情もなく。
老いた声は、僕に説いて聞かせる。
「たとえ愚かだろうが、邪悪だろうが、貴族には民を背負う宿命がある。当人にその資質がなくとも、それを支える親族がある。ゆえに、貴族は何をしても貴族。それにどうこうと物申せるのは、同じく民を背負う貴族だけだ。ただただ民の数で己の道理を証明し、贖える力ある者だけだ。ゆえに、我が孫の罪は罪にあらず」
「……バカバカしいくらいに驕った話だ」
「もっとわかりやすく言わねばわからぬか。……例えば、貴様らが今、この使者の首を刎ねて見せたとする。あるいは眼前の我が兵たち、そのことごとくを撫で斬りにして見せたとしよう。……その者たちにも家族があるのはわかるな? アインとやら。その数だけ、貴様らには罪が生まれるわけだ。いくら我ら貴族の正義を、道理を謳おうとも、それで貴様がデビッドを許しはせぬのと同じく。貴様らは殺した兵の数だけ、許されえぬ『悪』となる」
老いた声は、突きつける。
人が、人の軍勢を前にするという現実を。
「我らは背負うぞ。必要ならばその悪を。犯す罪以上の正しさは、背負う民の命という『価値』が保証する。強くあることが、民を未来に生かすため……となるのが貴族だ。血族すべてでそれをやるのが、貴族という存在なのだ。さあ、貴様らは何を以てその罪を贖う?」
老人の声が、僕たちを追い詰める。
やれるものならやってみろと。
「悪」を殺す「最悪」に、なれるものならなってみろと、突きつける。
そうでないならここで縄を受け入れろ、と。
……皆を見回す。
誰も彼もが、難しい顔をしている。
そして、一番に膝をついたのは……大賢者ヴォルコフ。
「……できませぬ」
彼は、結局。
誰よりも優れた魔力を持ち、大英雄になれたはずの彼は。
……ただ、それだけでしかなかったのだった。




