演説と仇
マード翁のマッチョ化は、常に細かいコントロールが必要な代物らしい。
またファーニィが初手から「あんなの無理です」と否定したように、治癒術が上手ければできるようになるというものでもない。
治癒術を「悪用」して異常発達した筋肉を生成し、全身の体格を制御する……というのは非常に多くのノウハウとセンスを駆使した、一種の「奥義」ともいえる秘術だ。
本来、パーティの弱点であるはずの治癒師が、一流の前衛に遜色なく動けるというのはとんでもないアドバンテージであったが……脳へのダメージを修復した結果、その肝となる感覚が一部欠落してしまったらしい。
「治癒術そのものはおそらくそんなに影響なく使えるはずじゃが……ちと鉄火場を前にして、この退行は痛いのう」
「リハビリでまた使えるようにするってわけにはいかないんですか」
「なんとも言えんな。いつかはまたやれるかもしれんが、今は無理じゃということしか」
……そう。
冒険者というのは危険と踊る職業であり、「今の今」しか語れないものだ。
明日のことは明日にしかわからない。今日、死ぬかもしれないのだから。
それに、もちろん一度失った能力をまた取り戻せるか、なんていうのも、答えられるはずのない質問だった。
そんなものはやってみなくてはわからない。
脳をやられるというだけでも一般的には死ぬレベルの受傷だ。そこからの回復を断言できるほど、脳を損傷した経験があるはずもない。
「……とっととマッチョ化しておけば、ナイフなんぞにも咄嗟に反応できとったかもしれんな。痛恨じゃ」
悔しげに呟くマード翁。
「次があったらそうしろ」
ユーカさんは突き放すように言う。
……冷たくも聞こえるが、じっくり後悔しても、それでどうなる話でもない。
手札は減った。事実はそれだけだ。今はそこからまたやっていくしかない。
「……クリス君やアーバインさん、それにユーカもコレだし……これで、あの頃のままやれるのは、私とフルプレートさんだけになっちゃうわね」
「面目ない……」
「……いえ、もしかしたら必然かもね。私たちはあのパーティだからこそ無敵だった。でも今は違う。それを、ついつい忘れてしまう」
リリエイラさんは溜め息をつく。
さて。
どうやらデビッド・フィンザルがこの街に来たというのは間違いないようなので、僕たちとしてもいよいよ行動を起こす……前に。
僕たちは巨大犬の死骸を町の広場に運び、演説をぶつことにする。
「聞いてくれ! 僕はこの国の辺境に生まれた!」
アテナさんに渡していた古代剣……なんか名前がないのが面倒になってきたので仮に「ブラックザッパー」としておこう。
拵えが異質な分、他の剣より恰好がつくので、それをガシンと地面に立てながら声を張る。
「名もなき山村、決して豊かでない生活だったが、たった一人の家族である妹と平和に暮らしていた! それだけで幸せだった! しかしある日、その生活は突然奪われることになった! 残虐なる襲撃者によって、妹は思い出すのもおぞましい死に様を晒すことになった! ……何かの獣の仕業とも見えた、だが『男たちに連れ去られた』という証言と話が合わない……不可解な死を遂げた妹のことが忘れられないまま僕はハルドアを出て、そして知った! 『人食いガディ』という名で噂される、庶民賎民を狙って襲い、弄んで殺す猟奇殺人者の存在を!」
何事かと僕らを遠巻きに眺める住民たち、あるいはそうでない者たち。
かれらは巨大犬の死骸にギョッとしつつ、大仰な「ブラックザッパー」の存在感に及び腰だ。
それでいい。馴れ馴れしくして欲しいわけじゃない。
これは、僕たちの復讐を正当化するための手続きでしかない。
「僕はそれを粛正するために帰ってきた! これは腐りきったハルドアの支配者たちが裁けない、裁かない邪悪に対する正当な報復である! 既にこのモンスターの如き獣を使う貴族を数度撃退している! もはや敵は明らかだ!」
そんな僕に対し、遅ればせの兵士たちが駆け寄ってこようとするが、それはリリエイラさんが許さない。
「邪魔をしないでくれるかしら?」
ヒュッ、と杖を振り、僕と兵士たちの間に炎でできた柵を構築する。
ただの炎ではなく、実体もあるらしい。一人の兵士が構わず体当たりで抜けようとして、ぶつかって跳ね返されながら炎上し、周りの兵士たちに慌ててそこらの水桶から水をかけられていた。
「き、貴様ら! それ以上の狼藉は国家への反逆とみなすぞ! いや、とっくに反逆罪だ!」
「そりゃいい。僕は理不尽に、遊びのために無辜の妹を殺した奴らを許すつもりはない。それをやったのが国家だというなら、滅ぶべきだろう」
手をかけていた「ブラックザッパー」をおもむろに引き抜き、突き上げて、たまたま人の少ない方に向けて振り下ろす。
飛びすぎないように斜め下に向けた「オーバースラッシュ」は、それでも十数メートル先までの地面を引き裂き、真っ黒い特徴的な軌跡を引いて……数秒後に醜く歪んで、黒く裂かれた空間が閉じる。
「たいていの化け物を殺せるだけの道具は用意してきてやったぞ。さあ、お前は僕の敵か。僕の妹の仇か。名乗り出てみろ、犬ども!」
「ひぃっ……」
「な、なんだあれは……魔術か!?」
「み、見ろよ。よく見りゃエルフも連れてる。あのライオンも何だ」
「とんでもないことが始まりやがった……!」
恐れおののく兵士たちと観衆。
……まあ、ここまではだいたい台本通り。
事前にリリエイラさんが流れを想定し、こういう風に言いなさい、と指示した通りだ。
僕としてはこんな茶番をやらなくてもいいんじゃないかと思うのだけど、やっておかなければ仲間たちに後々まで累が及ぶとなれば、多少の劇で誤魔化すのもやぶさかじゃない。
……が。
「はははははは」
そんな僕たちに、手を叩きながら笑い、近づいてくる男がいた。
「それは傑作だ。つまりお前たちはたった数人寄り集まって、不確かな噂のために革命家ごっこをするわけだ」
年の頃は僕と同じくらいか。いや、僕よりやや年下かもしれない。
若い……というより、幼い雰囲気がある。
しかし、身なりですぐにわかる。この国では貴族の恰好は貴族にしか許されないのだから。
この男は貴族。それも、かなりの高位。
「なかなか狂ってるじゃないか。俺は大好きだよ、そういうの」
「……お前は誰だ」
「なんならお前たちの革命家ごっこ、応援するよ。どこまで行ってもつまらない、泥臭い田舎の国。飽きていたところだ」
男は、そう言いつつもリリエイラさんに目を向けている。
「代価はそこの女を差し出してくれればいい。ああ、実に俺好みだ。遊び甲斐のありそうな女を貰えて、老人どもも減らしてくれる。最高においしい取引じゃないか」
「何一つ僕には得が見えないけどな」
何かがおかしい。
何言ってるんだこいつ。
相手は名乗ってもいない、従って僕が彼を頼る意味もない。
なのにもう取引とやらが成立したつもりになっている。
そして、勝手にいい取引だと喜んでいる。
しかも。
「そんなのは俺の知ったことじゃないよ」
いきなり話をぶん投げた。
仲間たちもみんな「???」と怪訝な顔で彼を見る。
頭おかしいんだろうか。
……という視線を受けて、若い貴族は肩をすくめて。
「なに変な顔をしてるんだ? ……ああ、そうか。これは失礼。お前たちは賎民だった。当然の話にも説明が必要なんだな」
そして。
パチン、と彼が指を鳴らすと、広場の四方に何頭ものモンスターが突然現れ、その場にいた兵士も庶民もパニックを起こして逃げまどい、そこらの家や店の中に逃げ込み始める。
……モンスター。
いや、合成魔獣。それもトロールと格闘できそうな3~4メートルくらいの体高を誇る、双頭の犬……狼の化け物だ。
それを、ざっと四方の道に二、三頭ずつ。
「この犬どもをその革命ごっこに使うか、この犬どもを相手に食われるか。まずはそこから話を始めようか。見れば老人や子供もいる中で、考えるまでもないよな。……つまり、お前たちには最初から答えなんか聞いていないのさ。ハルドアの貴族なら当然理解していることなんだけどね」
「……アイン君」
リリエイラさんが僕に視線を送る。
それを見て、僕は溜め息をついて。
「話にならないのは分かった。それじゃあ、始めようか」
僕は「ブラックザッパー」を肩に担いで宣戦布告する。
デビッド・フィンザルは目を細めて。
「気に食わないな。やっぱり賎民は損得がわからないのか」
もう僕は答えない。
その代わりに、メガネを押して……視界が色づくのを、確認した。




