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逆襲と代償

 以前の僕には、よくしてくれる仲間なんていなかった。

 だからこそ躊躇もなく冷たくなれたのかもしれない。

 マードさんは間違いなく恩人で、見捨てていい相手ではない。

 そんな人の、致命的な場所に何かが刺さっている……ナイフだ。投げるのに適した形状の特殊ナイフ。

 早く何とかしなければ、死んでしまう。

 いや、もう手遅れかもしれない。

 抜いたところで何になる。腕や腹とはわけが違うぞ。

 待て。ファーニィがいる。

 いや、ファーニィは依然としてマード翁に比べれば数段劣る。特に命に関わる怪我で頼りにはできない。普通の治癒師に比べればもう十倍以上の治癒速度が出るとはいっても、あくまでマード翁のバックアップとして働いているのみだ。

 取り返しがつかない。一瞬一瞬が長い。

 逃した時間が、取り返せたはずのチャンスが遠い。

 掴みたかったそれがどうしようもなく、逃げていく。


 ……そんな風に動揺し、焦り、壊れていく感情から遊離して、僕本人はもうメガネを押しながら腰を落とし、「黒蛇」を引き抜いていた。

 マード翁に対して僕にできることはない。あるとしたら他のみんながやるだろう。

 ならば僕のやるべきことは、これ以上の被害を出さないように、全部殺すことだ。

 動揺と冷徹。二つの感情が同居する。


「いぇーい、見たかよ俺天才じゃね!? マジ凄くね!?」

「女には当てんなよ! 次はあのメガネだ!」

「いやいや、あのオスガキにしようぜ」

「あれはもったいねえだろ、変態ジジイが欲しがるって」

 マード翁にナイフを投げたと思われる、チンピラめいた貴族の若者たちのはしゃぎ声。

 殺気を感じなかったのは、奴らが僕らを「動く的」だとしか思っていないからか。

 人間だと思っていない。反撃されるとすら思っていない。

 完全に感性が腐っている。この調子で庶民をゴミのように弄び、殺しているのだろう。

 それをよそに、アテナさんの正面にいる貴族がこれまた品のない笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。

「お前ら、ヒューベルの方でイキってた冒険者なんだって? 知ってんだぜ、冒険者は人殺しは不得意なんだってなァ」

「大半はそうだな」

 アテナさんは硬い声で同意。

「俺たちは違うぜぇ? 人間なら何十……何百も殺してんだ。お前らみてえな畜生相手にしかヤレない雑魚とはレベルが違う」

「ほう」

 アテナさんは、ほんのわずか僕の方に兜を傾け、目の部分を光らせる。アイコンタクトのつもりだろうか。

 だが、充分だった。

「奇遇だ。私も実は人間相手の方が長くてな」

 アテナさんがガキンと音を立てて背中のホルダーから外したのは、しばらく前にドラゴンが吐いたあの剣。

 僕にくれたものだが、人間やちょっとした合成魔獣(キメラ)程度にはあまりにも過剰なので、当面アテナさんに使ってもらうことにしたのだった。

 僕は赤黒の二刀を抜き、全周囲に改めて気を張る。

 近くにマード翁以外の人間も倒れている。……先ほど別れた情報屋だ。

 彼の傷は頭ではなく背中。まだ助かるかもしれない。

 だが、それは僕の担当ではない。頭から追い出す。

 武器を持つ人間は……20人前後。一斉にかかられると捌ききれないかもしれない。

 ……普通なら。

「なら、わかんだろ? こんだけ囲まれてたら多少腕が立ったってどうしようもねえ。数が多い方が強いんだよ」

「数?」

 ヴン。

 アテナさんが掲げた剣が“破天”を発動。

 漆黒の概念刀身が、天に伸びる。

「……はっ?」

 貴族は間抜けな声を出して、次の瞬間に、長大に伸びたアテナさんの黒い剣が周囲を水平に薙ぎ払う。


「悪いが私は数字が苦手でな。もう一度数えて教えてくれないか」


「ばっ……な、なんだそりゃっ!? 魔術かっ!?」

 かろうじて尻餅をついて“破天”の5メートル刀身による水平薙ぎを免れたチンピラ貴族は、その姿勢のまま尻で這いながら声をひっくり返す。


 僕は僕で、両剣を抜いた直後、飛んできたナイフを首を傾けてかわしつつ「バスタースラッシュ」を打ち返す。

 通常の「オーバースラッシュ」ならワンテンポ置いて相手が斬れるが、「バスタースラッシュ」は到達速度が段違いだ。振ったと同時くらいに斬れているように見えるだろう。

 そして威力も三倍。岩が並んでいたって防げやしないのだから、人間の体なんて何の苦もなく真っ二つだ。

 ナイフ投げが得意らしい貴族は腰で「バスタースラッシュ」を受け、ヘシ折れるように吹き飛んで血と腸を振り撒く。

「ひ、ひぃいぃっ!?」

 彼の隣にいた、これまた貴族とおぼしき男はそれを見て悲鳴を上げ、慌てて付近にいた手下らしき武装した連中の陰に隠れようとしたが、僕はそちらにもすかさず「バスタースラッシュ」を放ち、身を挺してかばおうとした手下数人をまとめて掻っ捌いた。

「なっ、なんだお前らっ! けっ……剣士ならそんな、そんな妖術じみたやつじゃなくて、け、剣で戦えぇっ!!」

 コケたせいで直撃せずに済み、部下たちの鮮血にまみれながら生きていた腰抜け貴族は、何やら理不尽なことを言う。

 無視して僕は「オーバービート」を放ち、その頭を叩き潰す。

「ファーニィ!」

「わかってますっ!」

 僕やアテナさんが暴れ出すのと前後して、みんなも動き出していた。

 ユーカさんはリリエイラさんと背中を合わせるようにして護衛に入り、詠唱を補助。

 クロードはリノやファーニィを守るように位置取り、ジェニファーは飛び掛かってきた巨大犬の一匹をゴリラハンドで石畳に殴り潰して、さらに二頭を威嚇。

 その数秒の流れを経て、リリエイラさんが詠唱を完成させる。

「魔女に喧嘩を売るには少し準備が足りなかったわね」

 杖でざっと円を描くように体ごと回り、ぱしん、とその杖を手に叩きつけて。

「『メルトボディ』」

 燐光のような何かがリリエイラさんから周囲に散っていったと思われた直後、囲んでいた男たちは軒並みくずおれてそのまま苦しみだし、いくらもしないうちに全身がドス黒く変色して、穴という穴から大量の汁を流して事切れる。

「……いや、普通に焼き殺すとかでいいんじゃねーの。何やべえ疫病みたいな殺し方してるんだよリリー」

「街の中で焼いたり凍らせたり雷使ったりは二次被害が大きいでしょ。丁寧に本人たちの体内だけ溶かして死なせただけよ」

「これはこれで、ある意味火事になるより被害でけーと思うぞ、周辺住民の心理的に……」

 僕はジェニファーが相手していた巨大犬を雑に輪切りにして片付け、ファーニィの方に振り返る。

 マード翁は助かるだろうか。

「どう!?」

「すぐだから何とかなるとは思います! でも頭だから……!」

「頭だとやばいの!?」

「治癒の利かせ方が難しいんですよ頭って! 『経験』ってある意味脳味噌の『傷』みたいなものなんで、治癒術で復元させ過ぎると記憶が消えたり感覚が変わっちゃったり、出来てたことができなくなったり……」

「……でも死なせるよりはいい! 頼む!」

「合点です!」

 増援が現れないように警戒しつつ、ファーニィの施術を見守る。


 しばらくして、マード翁が目を覚まして。

「……ぐ……っ、ワシは……」

「マード、今どこにいるかわかるか? アタシは誰に見える?」

「……ユーカみたいなペチャパイがおるという事は、おっぱい触らせてもらう店ではなさそうじゃ」

「アタシだってちょっと前まではそれなりにあったかんな!?」

「大胸筋じゃろあれは!」

 意外と元気でひと安心。

 ……したのもつかの間。

「……処置したのはファーニィちゃんかの」

「他にいねーだろ」

「…………」

 マード翁は手をにぎにぎして、情報屋を治癒しているファーニィを眺めて、小さく溜め息をついて。

「……まあ、ファーニィちゃんの経験になったと思えばトントンかのう」

「なんだ。感覚が変なのか」

 ユーカさんの問いに少し口ごもって。


「……死ななかっただけで御の字じゃが……マッチョ化はもう、多分無理じゃな」


 少し悔しげに言った。

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