クローサ緊迫
何者なのかわからないスパイをそのまま戻すのは気持ち悪さもあったが、あまり手間取るわけにもいかない。
もしもヒューベル側のスパイなら、今のところ直接害にはならないだろうし。
ということでそれぞれを倒れていた位置に戻し、僕らは念のためその宿を引き払う。
「でも本当にヒューベルの連中なのか? もし『人食いガディ』の方の奴らだったら……」
「その可能性もちょっとあるから、一応使い魔をつけさせてもらってるわ」
「……使い魔?」
「相手がちょっとつつくと自殺する奴らだからね。あんまりあからさまな猫だの鳥だのは使えないし、こういうのよ」
「……あー」
リリエイラさんがユーカさんに見せたのは、指先に乗る大きさの小虫。
「こんなので何かわかるの?」
リノがしげしげとその虫を眺める。意外と虫は平気な方か。……まあ時々ノミ取りとかしてるしな。ジェニファーの。
「ほとんど位置くらいしかわからないけど、それで充分よ。フィンザル公爵側に繋がってるなら王都の方にすぐに行くだろうし、ヒューベルから来てるならそっちに帰るでしょう」
「……しかし使い魔なんてものまで使えるのね、リリエイラさん」
「エルフにしか使えないような種族依存の魔術とか、やることなすこと魔力が伴うドラゴンの真似は難しいけれど。魔術文字で記述できるような魔術なら難しい話じゃないわ。ただ覚えるだけだもの」
「そのために覚えなきゃいけない基礎の量が一年や二年で学べるものじゃないんだけどね……普通なら」
「ゼメカイト魔術学院にもそのへんは結構揃ってたわ。そのうち行ってみるといいわよ。ポチの件でドラゴン退治が実績になるだろうから、リノさんもきっと講師になれるだろうし」
「……やめとく」
リノがげんなりした顔で辞退する。
リリエイラさんが簡単そうに言うことは多分全然そんなことはない。僕にもそれくらいはわかる。
さらに数日。
クローサ各地の情報屋との接触を続けていると、デビッド・フィンザル側の動きが見えてきた。
「デビッドがクローサ入りしたようだ。モンスターみてえなペットを何頭も連れて」
「……なるほど。お仲間が返り討ちになったのは、うまい具合に伝わってるようね」
「ヘッ。その辺の町人相手じゃ何人かで囲めばどうしようもないが、冒険者相手なら返り討ちもある……しかし、お嬢ちゃん方、本当に腕の立つ冒険者だったんだな。そう長くも突っ張っていられねえと思ってたが」
「メンバーの何人かは『アルバルティアの水竜』とも戦ってるわ。奴らの使う犬くらい何の問題にもならない」
「……あの大事件で生き残ったってんならそれも納得だ」
リリエイラさんはあえて“邪神殺し”パーティの実績には触れない。そのうちの半分がここにいるんだから、そっちの方が脅しが利くと思うんだけど。
……まあ、ユーカさんのことを守りたいのが第一だろうし、一応ヒューベルの第一王子だというのもそこそこ有名になってきたフルプレさんへの配慮もあるか。
「だが、奴らの“犬”。取り巻きが連れてる奴とデビッド本人が連れてる奴は、違うらしいぞ」
「へえ?」
「アレはどうも、この国のどこかで……まあお前らに勿体ぶる必要もねえか。フィンザル領で長年交配が進められてきた大型種らしいんだが、デビッドはそれを素体に合成魔獣技術を使って、ほぼモンスターに仕上げてる。噂じゃ半端なワイバーンなら楽々仕留めちまうほど強いらしい」
「いい趣味してるわね」
「『アルバルティアの水竜』に比べりゃ、ワイバーン如きは大した敵でもないだろうが……そんなモン連れてクローサに入られたってんじゃ、たまったもんじゃねえ。俺は顔見知りには外に出ないように言い回ってるぜ。ただでさえ奴ら、貴族以外は人間と思ってねえんだ。オヤツにされちまう」
「さてさて。これで本物の『人食いガディ』が一網打尽ならいいのだけど」
「この話でもう皮算用とは、肝が据わってるねぇ……」
情報屋が出て行ったあと、僕らは顔を寄せ合う。
「多分、サンデルコーナー派ね。そういう仕事は聞いたことあるわ」
「うへぇ……リノんちってもうちょい真面目なトコだと思ってたんだけど?」
「真面目だけど、クライアントの善悪にはあんまり興味ないのよ。充分なお金出して『やって欲しい』っていうなら仕上げるだけ。戦争用でもなんでも、合成魔獣の活躍の場っていったらそういうものだし」
「……もしかしたら、リノが直接聞いたその話が、僕の妹がやられた時の遠因かもね」
リノ出奔も、シーナが殺された事件も、そんなに古い話じゃない。
犬系の動物は成体になるのも早い。僕の妹は……「試し切り」に使われたのかもしれない。
「奴の取り巻きを帰さなかったのが、かえって良かったのかもしれんな。ひねくれた貴族は悪さをした子分に泣きつかれても突き放すことがままあるが、子分自体が帰ってこなかった場合、自分の面子の問題と捉える」
アテナさんの推測に頷くクロード。
「もしも合成魔獣を仕立てているのなら、それに加えて絶好の『活躍の場』を得た、という了見でしょうね。剣や鎧もそうですが、大袈裟なものを手に入れると、人はなんとか実戦で使いたくなるものです」
「……耳が痛いね」
その気持ちはわからなくもない。
が、今はそんなことを言っている場合ではない。
「もう、いつその実戦が始まってもおかしくないわ。みんなそのつもりでいてね。戦うことになったら特にマードさんとファーニィさんは絶対に守って。特にマードさんがいれば、どう見ても死んでるレベルの負傷でも助かる可能性がある。でもマードさんが治癒術を発動できないくらいやられたら取り返しがつかないから」
リリエイラさんがみんなに言う。マード翁は嘆息。
「心配性じゃのう。その程度の奴らにワシがそんなにやられるわけないじゃろ。脳味噌やられたり両腕同時にやられたりでもせん限りは」
「両腕やられると駄目なんですか」
「治癒術は基本として手を使うからの。まあワシくらいになると頑張れば足でもできなくもないが、足を使って手を治癒するのはちょっと無茶じゃし……」
そういえば治癒術ってどういう条件で使えるのか、あんまり考えたことなかったな。
魔術のように何かを唱えるというわけではないのは知っていたけど、基本的に弱点は「手」なのか。
「そう思うならそろそろマッチョになっておいてねマードさん。クローサに来てから随分しぼんでるじゃない」
「ノーマルモードの方がワシとしては楽なんじゃよ。マッチョじゃと動けるのはええんじゃがバランス保つのが大変じゃし、よく骨が負けて全身メキメキ言っとるからの。結構痛いんじゃアレ」
そういえば、気づいたらマード翁は小兵の老人に戻っていた。
すぐにマッチョ化できるのは知ってるけど、確かに少し心配になるな。
そして、情報屋と落ち合った酒場を出る。
……そこで、いきなりマード翁から鈍い音がした。
「!?」
振り向く。
彼の頭に何かが刺さり、血が流れていた。
「マードさん!?」
「敵襲だ! くそっ!」
僕が驚いて立ち止まるのを蹴飛ばし、ユーカさんが全員に声を飛ばす。
……そんな僕らを、武装した男たちが取り囲んでいた。
「ひゃひゃひゃ。冒険者様は人間相手には警戒が薄くて助かるぜぇ……!」
「デビッド・フィンザルか」
「デビッドさんがお前らなんぞにいちいち出るまでもねぇよ」
アテナさんの問いに対し、襲撃者のリーダーらしい男が、立派な衣服とは対照的な、実に品性の低い笑いを浮かべている。
そして、僕は。
「…………」
目の前で、人が死ぬ。仲間が死ぬ。
その事実を前に動揺し……動揺する自分を置き去りにして、冷たくなった僕が、メガネを押しつつ、剣を引き抜いていた。




