ヴォルコフの矜持
街中での襲撃を撃退した翌日、あの“大賢者”が僕たちのいる宿に現れた。
「始めたようですな」
「悪いけど時間がないのよ。……私たちじゃなく、あなたたちにね。周辺の領主がドラゴンに気づいてちょっかいをかけ始めたら、あっという間に街の二つ三つは地図から消えるわ。続けば、王都さえも。どうせ消えるならゴミだけの方がマシでしょう?」
「理解しております。……ここだけの話、私は国に命じられ、対竜級攻撃魔術の開発に長い時間をかけております。ですが、どう術式をこねたところで、ドラゴンの魔術耐性を貫き、常識外の再生力を制して仕留めるには至らない。討ち漏らし、反撃を受けることになる。この私が三人いれば波状攻撃で勝ち目もあろうというものですが、一人ではどう計算しても足らぬ。披露する羽目にはなりたくなかった」
「そうね。私も一人で戦うのは御免被りたいところよ。……ドラゴン狩りはあのアーバインさんでも諦める偉業。こんな田舎の農業国では滅亡必至よね」
「……それこそ“邪神殺し”にしか許されぬ所業、ですな」
ヴォルコフ老は、リリエイラさんの横で退屈そうにしている少女がその“邪神殺し”のユーカ・レリクセンだと、わかっているのかいないのか。
まあ、ゴリラユーカさんの実物を見たことがなければ逆に理解しやすいかもしれないな。
彼女にしろ僕にしろ、その外見でドラゴンと戦える猛者に見えないのは同じ。だが、実際の能力は別だ。
「革命でも血は流れるでしょうけど、それはいずれ流さずには済まされない血でしょう。私たちはその行方まではどうこうしようとは思わないわ。ただ、愚か者に死をもって報いるだけよ」
「……できれば、その先までも若いあなた方に先導していただきたいものですが。確かに交通は不便ですが、糧には困らぬ国ですぞ」
「私たちがやるのは『人食いガディ』の征伐までよ。そこに議論の余地はないわ。無駄に敵も味方も増やす気はない」
「……実り豊かであるからには、周辺国もそれを欲するのです。主なき国には簒奪者が押し寄せましょう」
「それこそ貴方の出番じゃない、“大賢者”ヴォルコフ」
「史上類を見ぬ魔力とおだてられるまま、魔術しか修めずに老いた私に、何ができましょう。もはや七十も超えた。老い先も短い」
「甘えるんじゃないわよ。本当に必要なことなら学びなさい。棒を振り回し、泣き真似をしてでもやりなさい。所詮、ただの人間がしてきたことでしょう。老いを言い訳に、ただの復讐者に何もかも着せようとしないで」
リリエイラさんはあくまで毅然とヴォルコフ老に言い放つ。
「やったことがない、できるわけがない、育ちが違う、もう歳がどうだこうだなんて、私の周りにいる連中はみんな叩き壊して生きてるのばかりよ。この国に愛着があるというのなら、この地を守りたいというのなら、それはあなた自身の仕事でしょう」
「……正論だ。正論過ぎて、腹が立つほどに」
「もしも“大賢者”の称号に何かしらの誇りを感じるのなら、それを事実にしてみせなさい。魔術しか能がないただの老人として何もせず消えるか、賢者らしく人を導いてみせるか。貴方が選ぶのよ」
「……不思議なものだ。貴女は確かに若者であるはずなのに……まるで私のほうがただの小僧っ子であるかのように思える。これが英雄の風格というものか」
ヴォルコフ老はそう言って背を向ける。
「良いでしょう。貴女たちが本懐を遂げた暁には、私が後を引き取りましょう」
「気を付けて帰ってね。もう何が来てもおかしくないわ」
「クローサは私の庭です。……ドラゴンでも来ない限りは、何も恐れるものはありませんとも」
ヴォルコフ老はそう言って、古ぼけた杖を床に打ち付ける。
その音で、急に空気が変わった……いや。
「なんか外で音がしたんで見てきます!」
「待てファーニィちゃん。一人で行くな。アテナちゃん、いっしょに行くんじゃ」
「承知した」
耳のいいファーニィが異変を察知。それを確認に動く。
それを見てヴォルコフ老はニヤリとして。
「心配には及びません。聞き耳を立てていた者を片付けただけですよ」
「片付けた……って」
「詠唱すれば気づかれるのでね。話しながらじっくりと、無詠唱で魔力を編んで捕捉しました。……本当に魔術の研究と鍛錬で過ごしてきたのでね。大抵の魔術は無詠唱で実現できるのですよ」
無詠唱魔術はごく単純な魔術向きだ。
魔力を複雑に動かし、狙った効果を生むのは不可能ではないが、意志の力だけで少しもミスなく長い工程をトレースするより、形の決まった魔術言語の文章を覚えて唱える方が圧倒的に簡単だ。
それがすごい技術なのはわかるのだけど……何をやったんだろう。
よくわからないまま、ファーニィとアテナさんの戻りを待っていると、二人はしばらくして何人かのぐったりした男たちを引きずってきた。
「一人じゃなくてそんなにいたのか」
まだフィンザル公爵家側にこっちの動向はあまり注目されていないはずなので、スパイが何人もついていることにびっくりする。
が、そいつらを見てリリエイラさんは険しい顔をした。
「……フィンザル側の連中じゃないわね」
「え、わかんのリリー」
「あいつら、身分が低い人間は使わないのよ。人間だと思ってないからかしらね。……それなのに庶民の恰好してるのが大半……」
「現場は臨機応変ってことじゃねーの?」
「……違うわ。おそらく、フィンザル家じゃない……これ、ヒューベルから来たスパイかもしれないわ」
「あ? なんでヒューベルがウチにスパイなんか送るんだよ。ってかクローサに来たのなんて、ほとんどリリーの気まぐれじゃねーか」
「だからこそ、私たちを本当に追っているのなら充分な情報網があると考えるべきよ。……おそらく王家か、レリクセンか、あるいはスイフト家か」
「叩き起こして問い詰めればいい」
僕がそのうちの一人の襟首をつかんで、揺さぶって起こす。
……ヴォルコフ老が殺してたら意味ないな、と思ったが、「う……」とうめいたのでその心配はなかったらしい。
「おい、お前は誰だ? どうして僕たちを探る?」
改めて顔を近づけて、問い詰める。
突き飛ばして逃げるとか、突然ナイフを使ってくるとかそういうのも有り得るな、と考えて「メタルマッスル」の用意は怠らない。
が、そいつは僕を見た直後にガリッと口の中で何かして、突然カクンと死んだ。
「……えっ」
「……な、何だ? 何したんだアイン」
「声かけただけで死んだ……」
「いくらなんでも鬼畜過ぎねーかそれ」
「鬼畜関係ある!?」
薄気味悪くなって手を離す。
リリエイラさんは溜め息をついて。
「……なかなか気合の入った連中ね。仕方ないわ、元のところに戻してやって。この調子で全員死なれても処分に困るし」
「何なんだこれ……」
「おそらく、捕まったら拷問される前に死ねって命令でやってるのよ。……厄介ね。ヒューベル側に見張られるような事ではないはずだけど」
「…………」
命が軽い。
今さら過ぎる話だが、いざ間近でそんな使い捨てのような扱いを自らする人間を見ると、途方もなく薄気味悪く感じた。




