賢者の部屋
ローブの老人はヴォルコフと名乗った。
そしてリノがその名前を聞いてリリエイラさんを二度見した。おそらく魔術業界では有名人のようだ。
「さて、想像ならいくらもしておりましたが。ご用向きを伺いましょうか」
通された古く頑丈そうな建物の奥で、ヴォルコフ老は大儀そうに豪奢な椅子に座り、リリエイラさんを眼光鋭く見る。
リリエイラさんは眼鏡をクイッと直しながら、重厚な場の雰囲気に全く怯んだ様子もなく、ズバッと。
「『人食いガディ』と呼ばれる怪人物の情報よ。周辺国の商人に出回る噂、まさか当国の貴方たちが知らないというなら笑うけれどね」
のっけからそんなに挑発的な言い方しなくても、と心配になるが。
ヴォルコフ老は小さく唸り、言いにくそうに逡巡しつつ、リリエイラさんの視線を確かめるようにしばらく間を取り、口を開く。
「……そのご様子では、誤魔化すのは得策ではなさそうですな。……ええ。お察しの通り、非常に困ったことに、その者はこの国に存在しております」
「それはわかっているの。被害者の兄がここにいるから」
「……なるほど。つまり……」
「今回はこのハルドアという魔界に巣食う人非人を狩りに来た。そういうことよ」
「……なかなか言いますな」
「私たち冒険者はね。世界を人の手に取り戻すのが社会的意義なのよ。どんな小さなモンスター一匹にしろ、邪神を擁するダンジョンにしろ、それを違えることはない。……あなたはそれとも、私たちが間違っていて、この国は人非人を生み育む魔界などではない、と嘯くのかしら?」
「…………」
「それならそれでも構わないわ。私は、この国の魔術師たちの聡明さを覚えておきましょう。……物覚えの良さが自慢でね。決して、忘れることはない」
「……ふう。やれやれ。若い方は言葉が強い。老骨には刺激が強すぎる」
ヴォルコフ老は首を振り、そして少しだけ間をおいてから口を開く。
「この国の支配層を敵に回す、というのは、わかっていてのことでしょうな」
「なるほど。そいつらはこの私を敵に回して戦えるつもりだというのね?」
「……若くして邪神を仕留めるというのは、こういうことなのか、と震えております」
「思い上がっていると笑うかしら」
「いいえ。……その程度は造作もないでしょう。……それよりも、ここまで一切、貴女の背後にあるものを使わずに解決しようとしておられることに慄いておるのです。お仲間たちがそうであるように、いかな邪神を征した強者とは言え、国を一人で相手取ろうと思える冒険者はいるものではない。それができることを実感として確信できるものではない。そんな英傑が私の時代にいてしまったということが、恐ろしい」
「なるほど、カレのことは把握済みなのね。話が早いわ」
なにやら重々しい言葉のやり取りをポカンと眺めている僕。
多分、リリエイラさんが脅して、ヴォルコフ老がそれに恐縮しつつもチクリとなんか当て返してる感じなのだろうけど。
ユーカさんは多分分かっているのだろうけれど、あくびをしつつ興味なさげに。
「話が進まねーなら次行こうぜリリー」
「いきなり短気を起こさないの。話はここからよ」
まあ、そうなんだろうなと思いつつも、リリエイラさんに目配せされてユーカさんを抱え込み、口を塞ぐ。
「完全にお兄ちゃんだ……」
リノの呟きは聞こえないことにする。
「良いでしょう。……『人食いガディ』とは、次期フィンザル公爵ガドフォード様の若き頃の異名。しかし現在はその子たるデビッド様、及びその悪友たちによる数々の猟奇犯罪の符丁として使われております」
「随分面倒な話ね」
「その異名をつけられたそもそもの発端が、同じような嗜癖による殺戮の逸話でありましてな。武勇伝の二代目として、半ば誇るようにその名を使っているのですよ。伝説の『人食いガディ』が出た、とね」
……つまり、どういうことだ?
「親の代からクソ野郎だったってことだ。絶やしてやらなきゃいけねー家系だな」
「家族まで皆殺しってのはあんまりやりたくないがのう」
「善良な家族がいるのならいいがな。そんな悪事を野放しにしながら善良でいられるなら、それはそれで狂気だが」
アテナさんが硬い声で指摘する通り、まともな家族であるなら、そもそも親のその悪名に相乗りするなんて思いつきもしないだろう。
おそらく、隠してすらおらず、恥じる気もないのだ。
「デビッド様の悪友もいずれ名だたる貴族の子弟ばかりとのこと。誰一人とっても、冒険者に殺されたとあって黙っている貴族はおらぬでしょう」
「なるほど。つまり、ほとんどは上級貴族……その線から調べれば早いということね。ありがとう、感謝するわ」
「……ええ。その『冒険』が終わる時、この国は形を保ってはいられぬでしょうが……ご武運を、と申し上げましょうか」
「私が何もしなかったら、この国は文字通り形も残らず灰になるのだけどね」
「……わかっております。裁きの天災が訪れるまで、この国にありながら腐敗に目を背けてきた我が身を恥じるばかり」
「天災じゃないわ。……全ては必然の、罪と罰よ」
リリエイラさんは僕をちらりと見た。
……ドラゴンがこの国に導かれたのは、決して偶然ではなく。
僕という復讐者を生んでしまったから。
絶望し、故郷を憎み、灰になってしまえと思える怒りを持ちながら、ドラゴンと対話できるだけの力を持つ僕を生み出してしまったから。
それは天災ではなく、来るべくして来た応報なのだ、と、彼女は主張したのだ。
ほんの少しだけ、ありがたい。
いくらかの手掛かりをしたためてもらい、僕たちはその場を辞する。
「そういえばリノ、あの人の名前知ってるみたいだったけど」
「……魔術の世界では有名人よ。大賢者ヴォルコフといえば、魔力量は史上最大、開発した魔術は数知れず。こっちの世界では千年に一度の大天才って言われるくらいの」
「それってリリエイラさんより格上……?」
「それは……どうかしらね。リリエイラさんは実際に前人未到の“邪神殺し”の共犯だから……実績という点で言うとこれも比べようがないっていうか」
「まあ、一般的には格上よ。だからこそ腹が立つのよね」
リリエイラさんはメガネをクイクイといじりながら苛立った声を出す。
「あれほどの力と叡智を持ちながら、こんな腐った国にぼんやりと奉仕してるなんて。むしろ私の物言いにカチンと来てくれた方がまだしも救いがあるのだけど」
どうやら、やたらと挑発的な物言いは、そういうことだったらしい。
……マード翁はそんなリリエイラさんに、ゆっくりと諭す。
「リリーちゃんよ。……ジジイになるとな、誰しもそんな元気でもいられなくなるんじゃよ。どんな嫌な国でも、自分の祖国にはしがらみもある。殴ったって暴れたって解決できねえ話も、いくらでも出てくる。何より、自分の生きられるのがあと何年なのかと指折り数えるような時期になってまで、世の中ブッ壊してやり直そう……なんて威勢のいいことはとても言えん。名声があるならなおさら、その名が綺麗なままに死にたいと思うもんじゃ」
「それでもブッ壊すんだけどね、私たち」
「……まあのう」
首を振るマード翁。
……偉大な天才だからって、世の中に対して高潔にあれるかといえば、そうとは限らない、か。
少しだけ、考えさせられる。




