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竜の背

 ユーカさんは脱力してしまった。気絶まではしていないがものすごく気分が悪いような顔だ。

 まあ、多分“邪神殺し”で無効化するはずの反動……痛みだとか魔力の過剰駆動とかの影響をいきなり強制的に受けさせられた状態なのだろう。

「うぐっ……おい……なんでアタシ突然抱きしめられてんだ……?」

「……出来れば強い意志でそのまま支えてて欲しい。今放すと立てない」

「は……? って、おい、アイン!? めちゃくちゃ血ィ出てないかお前!?」

 ユーカさんの足に僕の足首から出た血がダバダバかかって、ようやく事態に気づいたらしい。

 斬った自覚なかったんだろうな。

 僕も“邪神殺し”を今まさに使っているからわかるけれど、本当の意味で冷静でいるわけではない。本来あるはずの精神負担を消してしまったことで、細かいことを考える能力が減退している。

 今のユーカさん本来の身体能力と、この上げ幅を見るに、ユーカさんの“邪神殺し”の方がより純粋に破壊に特化しているのだろう。

 僕はそれより中途半端にブレーキをかけられるから、このドラゴンを早期に倒すイメージまで辿り着けないのだと思う。

 どっちがいいかはまた別の問題として、この性質の違いはよく覚えておくべきかもしれない。

「マード! マード、アインが!!」

「わかっとるわい! まったくお前さんがこのデカブツの両翼ブッタ斬ったせいで足場最悪じゃ!」

 ただでさえゴツゴツと平坦ではないドラゴンの黒と緑の鱗の上に、ドラゴンの翼の根元から吹いた大量の血液が乗っているので、移動はめちゃくちゃ難しい状態だ。しかもドラゴンは動こうとしている。

「ここで治癒してる時間はないかもしれない。振り落とされる」

「何冷静に言ってんだよお前! ほっといたら何分も持たないぞ!」

「まあ何分かは持つってことでもあるし……今、僕の方は“邪神殺し”パワー充分残ってるから痛くはないし」

 正確には痛いんだけど、それがなんだか脳に響いてこないというか、完全に他人事になっている。そういうチカラだ。

「ていうか何だよそれ……コレってお前、吸ったり散らしたり任意でできるもんなのか」

「やってみたら出来た」

「……マジでお前、ウチの……“邪神殺し”パーティの連中よりずっとメチャクチャやってっからな? 今ごろ下でリリー絶対大興奮してやがるぞ」

「あー……まあそれより、ここからとにかく退避しないと……」

 この山のような巨体が動き、この血糊まみれの背の上で一度足場を失えば、どうなるかわからない。

 攻撃手段がない、と先ほどは思ったが、僕たちに飛行手段がない現状、転落するだけで十二分に危険だ。

 ただ落ちるだけではなく、筋肉や鱗の隙間に挟まれてもアウト。行き場を制御しようにも、踏ん張る場所も掴まるとっかかりもない。

 僕だけは「ゲイルディバイダー」で強引に飛べなくもないが……いや、無理か。片方が魔力容量の小さいナイフだから推進力に不安があるし、両手を使うからユーカさんを抱えたままで飛ぶこともできない。そもそも小さいとはいえ人を抱えて飛ぶのはパワー的にも難しい。

 ユーカさんを置いて逃げるのは最初から論外だ。それくらいなら「メタルマッスル」でなんとか無事に転落する方に賭ける。この硬度と質量のドラゴンから雑に落ちる行為で「メタルマッスル」が通用するかは甚だ怪しいけど。

 結局は今まであった「程度」の攻撃では破られなかったというだけで、無敵の防御手段では決してない。

 でもマード翁やアテナさんにどうにかしてもらうのはちょっと期待薄だな。そういう方向性の力は二人にはない。

 下にいるクロードやファーニィ、リノの助けでなんとかなる……というのは期待できないな。クロードの「嵐牙」でどうにかなる状況じゃないし、ファーニィの「ウインドダンス」は本人からそれほど遠くに風を起こせない。リノの重量物浮遊魔術ならなんとかみんな無事に退避できるかもしれないけど、あれも遠くで使うタイプの魔術じゃないし。

 ……まずいな。詰んでる?

「くそっ……マード! アインだけ何とか持って跳べ! お前遺跡であんだけ飛んだり跳ねたりしてたんだからなんとかできんだろ!」

「ユー!」

「アタシはアテナと降りるから……」

「アテナさんだって降りる手段ないじゃないか!」

「つってもお前、仲間だぞ!?」

 ユーカさんを抱きしめる……というか、放すこともできずに支えてもらいつつ、叫び合う僕ら。

 だが、アテナさんはその隣に、ガシャッと鎧を鳴らして飛び降りてきて。

「アイン君もユーカも少しは私を信用して欲しいものだ」

「アテナ!?」

「マード殿、アイン君の足を拾ってくれ! 私はふたりを連れて降りる!」

「できるのかアテナちゃん!?」

「私はできないことは言わん!」

 アテナさんは僕とユーカさんをまとめて抱き、持ち上げる。

 最近あまり発揮されないんで忘れていたけどこの人、めちゃくちゃ怪力だ。

 そして、そのまま軽快に立ち幅跳びで血に濡れた部分を避け、ドラゴンの背を駆け下り始める。

「おまっ……なんだこのパワー、フルプレと相撲して勝てるんじゃねーか……!?」

「はっはっは、負けると言った覚えはないぞ? これでも風霊の男どもに腕相撲で負けたことはない!」

 全身鎧着たまま人間ふたり抱えて軽業師よりも身軽に動けるとか、もう腕相撲がどうとかじゃない気がするけど……やっぱり風霊騎士団も国内最高の四騎士団の一角なだけあって、超人的な腕力の持ち主だっているんだろうな。

 それでも無敗。

 やはり、この人は……特殊な方向性ではないだけで、基本能力自体がデタラメに強い。

「飛び降りる! 二人とも、着地の瞬間だけでも『メタルマッスル』できるな!?」

「できます!」

「やってみるけどマードいるんだから大丈夫だと思うぜ!?」

 ユーカさんはマード翁にちょっと依存し過ぎだと思う。



「とりあえず、お礼は言っておくわ」

 なんとか無事に全員集結して、僕の足もマード翁が接合。

「別に生やしても良かったんじゃがの」とは言われたが、まあ足首をドラゴンの背中にこれからずっと放置というのもちょっと気持ち悪いし。



 ──妨害は必要ないと言ったはずだ、幼子よ。



「あなたに必要だからやったんじゃなくて!! 私に!! 必要なの!!」

 リリエイラさんは僕らに見せる顔とは一変した形相でドラゴンにキレた。

「全部が全部自分を喜ばせるための奉仕行為だと勘違いしてんじゃないわよこの怪獣は!! 私は!! あなたがどう思ってようと関係ないの!! どっちも死なすわけにいかないの!!!」



 ──理解ができぬ。



「理解して欲しいなんて言わないわ。どうせあなたたちドラゴンにはそういう情の概念が希薄なんだろうし。……あなたにとって、ユーカみたいなのと戦うことに何かの意味があるっていうのも多少は理解できる。でも駄目」

「待って下さいリリエイラさん。意味があるんですか、ドラゴンがユーカさんと戦うことって」

「詳しくは知らないわよ。ポチってあまり細かいことまで説明しようとしないし。というか思考共振って説明に向かない伝達方式だし」

「……まあ、そうなのかな」

 考えてみると、自分が思考したことを他人に強引に伝える……というのは、その場の意思を伝えるのには便利そうだけれど、すでに頭の中にある知識を相手に教えるのは……前提知識から順番に思い浮かべなければならず、結構厳しいかもしれない。

 僕たちは少し慣れたから今はなんとか我慢してるけど、やっぱりこの思考共振は精神に負担もかかる。

 ドラゴンと同じ考えを、自分自身の思考の脈絡と関係なくトレースすることになるので、それがドラゴンの考えだ、と理解するまでにワンテンポ置くことになるし、耳で聞く音の理解と違って、自分の感想を差し挟むこともできない。

 これを何かの説明として延々と続けられたら、遠からず発狂してしまいそうだ。

「私が思うに、ポチはこの世界に対して何か自任している役割がある。それは、ユーカのような人類の特異点に対してのことなんじゃないかって、私は思ってるの。……博物学的な研究をしてるのは、そういったドラゴンの果たす役割を特定しようという意図もあるわ」

「直接聞いて教えてもらったり……は、できないんですね」

「お前が知る意味はない、で終わっちゃったわ。……多分、本当に私が知っても意味なんてないんだと思う。少なくとも彼のスケールで見た上では。……それでも知りたいわね、いつか」

 そこで言葉を切り、リリエイラさんはメガネを軽く押して。


「……じゃあ、報酬の話に入りましょうか。私に何を求めるの、アイン・ランダーズ」

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