力の証明
丸一日。
リリエイラさんと会話しながら、こちらを見つめているドラゴンの視線を意識せずにはいられなかった。
そして、ずっと考えていた。
このドラゴンと、交渉が成立するのか。
こいつが欲するものはなんだ。
何かをさせるなら、それと同じだけの価値を持つ何かを与えるのが道理だ。
しかし根っからスケールが違う。何もかも。
人間を小虫程度にしか感じないスケールの生き物が、人間から「与えてもらう」という事態は有り得るのか?
例えば土地なんて、いくら人間が「ここは君のものだ、ここから先は我々のものだ」と規定したところで、この生物にとって何の意味があるのか。
その場所に人間が立ち入らないと約束したところで、大した得にはならないだろう。元々人間なんて鼻息ひとつで死ぬ小虫なのだ。
逆に、どうして「それ以外」を「自分たちの土地」だなどという主張を認め、遠慮する必要があるのか。
そんな必要はどこにもないだろう。
それは人間同士ですら、結局は武力によってのみ規定されることなのだ。
この圧倒的な存在にとって、その交渉はただただ自分の自由を理不尽に縛るだけの話でしかない。取引として成立しようがない。
ならば食料? 財宝?
それこそ話のスケールが違い過ぎる。
全長だけで牛のざっと100倍の体躯だと考えて、その重量は……ええと、確かそれを二回掛けるとざっと近似値になるって話だから、100×100×100……100万倍。
牛、100万頭分。
いや、そもそもドラゴンが草食というのは望み薄な話だ。
それだけの、肉。
それを与えてやろう、なんてスイフト家やヒューベル王家が言えるか?
そして、それでさえ交渉材料としては最低限に見積もってのことだ。
それ以上を必要とする交渉なんて、誰にできるものか。
財宝なんてそれこそ町じゅうの金品を揃えたところで、こいつにとっては一掴みにもならない。そんなものを欲しがって言いなりになるモノには全く見えない。
そう考えると、僕たちは最初から取引という形を成立させられない。
と、なれば。
──他者に対し、己の要求を通す方法はたった二つだ。弱き者共よ。ひとつは交換。そしてもう一つは、征服。
「話し合うって手はあるでしょう!? 知性あるもの同士なんだから!」
「そいつはちょいと違うぞ、リリーちゃん。それで人同士がお互いに良いように動けるのは、カネってモノがあるからじゃ。多少損してもそれを補填する方法があるからじゃ。それが介在しない中じゃあ、何も信用に値する話は成立せんよ」
「マードさんっ……」
「まして、相手は孤高の存在。社会の助けがなければロクに生きていけん人類とは根本が違う。誰かに従うという習慣のない生き物にとっちゃ、取引の最前提たる約束、契約というものに、価値がありゃあせん」
「つまりは、所詮ケモノってこった」
ユーカさんはそう言ってまとめる。
……まあ、雑に言うとそうなるよね。
いくら会話ができたとしても、整合性を保証できるのは信頼という概念があるから。
あまりにも価値観が違う相手には、それは通用しない。
「戦えばどうなるか、僕たちが相手を害し得るか。それを証明しないことには、たとえお喋りが弾んでも『お目こぼし』をもらうだけだ。お互いの言葉に対等の価値が成立しない。約束なんて強い方が破り放題、弱い方は泣き寝入りしかできないままだ。力を示す必要がある」
僕がメガネを押しながら宣言すると、ユーカさんも力強く頷く。
「ユー。作戦を。やりようがあるって言ってたよね」
「大したこたぁねーさ。要は、奴はデカブツだってこった」
パシ、と剣の平を手に叩きつけ、ユーカさんは口角を上げる。
「不意打ちや連続攻撃に気を配る必要はねえ。やることの規模はデカいが、ああいうデカブツはその分予備動作も息入れも必要になる。こっちの攻撃は外れる心配もねえ。……アタシらだけの“アレ”の使いどころってことだ」
「了解。確かに作戦ってほどじゃないな」
まあ、牛が僕らの十倍くらいの重さだとして。
雑計算で、1000万倍の体重差。
それでも、元々戦う気で来たんだ。
「マードさん。ユーのケアよろしく。ファーニィは僕に何かあった時に頼るから」
「おうよ」
「えっ、アイン様がデレた!?」
「無茶の加減で優先順位付けただけだよ」
ユーカさんも自分の体の使い方を学んではいるが、多少は体が仕上がってきた僕と違って、やっぱりまだまだ少女の肉体というのはそう変わっていない。
でも、今回のような戦いではユーカさんにも頼らざるを得ない。
僕の“邪神殺し”は、まだその限度は未知数。その危険を乗りこなした経験は、あの「邪神もどき」のただの一度しかないのだ。
このドラゴンを屈服させるには、あの時よりも格段に強い力が必要になるはず。あの時のトドメの一撃だって、こいつを相手に決め手になるかは怪しい。
……と、同時に、それが必要になる場面に少し心が躍ってもいる。
──かかって来るがいい。
「そうさせて……もらう!!」
「おおおお!!」
僕とユーカさんは、ドラゴンまでの未だ遠い距離を走り出す。
まだ間合いは数百メートルはある。それでも大きすぎて、その圧力に膝の力がゆるみそうになる。
だが、もう引けない。僕たちの背後にはマード翁とファーニィ、それにアテナさんやクロード、リノ、ジェニファーもそれぞれにサポートを企図して走り出している。
「やめてってばっ……!」
リリエイラさんが悲鳴のように叫ぶが。
──幼子よ、妨げるな。我は摂理。人の挑戦を、祝福する者なれば。
ドラゴンは対決を望み、それを最後に彼女の声は聞こえなくなる。
ドラゴンは僕らが近づくと、畳んでいた翼を広げ、吠える。
もうその全体像を視界に収めることはできない。
世界の全てが震えるような、強烈な音の衝撃を、突き出した剣で突き破りながら突進を続け、飛ぶ。
いきなり飛ばなかったのは、反応して遠距離から攻撃されたらどうしようもないからだ。多分この咆哮も、空中で受けたら剣を取り落とし、墜落しかねなかった。
背後の仲間たちがまだ無事かどうかを確認する余裕はない。
ユーカさんは耐え抜き、加速している。胴体側を駆け登って攻撃する気だろうか。
そちらを攻撃させないためにも、僕は頭に正面勝負を挑もう。
「来い……!」
念じながら空中で腕をクロスする。
ユーカさんの“邪神殺し”は、重ね続ける攻撃の中でテンションを上げていかないと発動しない。だが、僕は条件はわからないが、もっと早い。
火をつけろ。
それが発動したからって、単純に強くなるわけでもないけれど、僕はユーカさんを守るためにも派手に行く必要がある。
……視界に、色がつく。
本当に来た。
……いける。
「いくぞ、ドラゴン!!」
剣を左右に広げ、ドラゴンを眼下に見下ろしながら、僕は叫ぶ。
虚魔導石の魔力は、リリエイラさんとの会話中にリノに補充してもらって満杯だ。光り輝いている。
──見せよ、弱き者。世界を変えんとするその意志を!
世界に変わって欲しいわけじゃないけれど。
もしもユーカさんを守るためにそうしなければならないのなら。
ドラゴンだって、陰謀の主だって、たとえ邪神だって。
「倒させてもらう!!」
心の熱が、魔力となって剣に伝わる。
内部螺旋で加圧された斬撃に、さらに逆手に持ち替えた左の剣で肉体加速を加え、「バスタースラッシュ」を超高初速で発射する。
名付けて「バスタースラッシュ・アクセル」!
──!!
ドラゴンの顔面に、深々と傷がついた。
しかし、でかすぎる。
トロール程度なら楽に真っ二つにできるほどの斬撃でも、目玉ひとつ潰せるかどうか、というスケール。
「この程度じゃそんなもんか……!」
着地しながら呟く。クロードが追いついてくる。
「いきなりドラゴンにダメージを与えましたね」
「あの程度じゃドラゴンは簡単に治癒するよ」
「でしょうが、通すだけでも偉業です」
「殺すのはともかく、せめて『二度とやり合いたくない』程度は思わせないと意味がない」
──それは難しいぞ。久々に興が乗った。
ドラゴンの思考共振に愉悦が混ざる。
なかなか痛いところに初撃を決めたと思ったが、予想以上に痛みに無頓着なようだ。
骨が折れそうだな。
──では、返礼だ。燃え尽きてくれるなよ。
ドラゴンはゆっくりと口を開く。
燃え尽きる、ということはファイヤーブレスか。
なかなか親切だ。
「クロード、僕の後ろに」
「アインさん!? 減衰なんてできるんですか!?」
「できないよ」
ドラゴンの喉の奥から、灼熱の光。
「だから、まあ死にそうだったらすぐファーニィにパスね」
……そんなに器用な真似はできないけれど。
“邪神殺し”で目覚めた「僕の中の僕」が、できそうな選択肢を幻視させている。
灼熱が、来る。
「耐えろよ、『黒蛇』……!!」
左の剣を、前に投げる。
そして、すかさず右の「刻炎」を突き出し、二つ繋げて一本の剣に見立てて“破天”で概念化、灼熱との距離を担保。
その状態で、「ゲイルディバイダー」同様、魔力現象を突き破る。
「ブレス……ディバイダー!!」
切り裂く。
普通に「ゲイルディバイダー」をやると、炎を二つに割ることは成功しても、服や髪が燃え上がってしまうだろう。それで済めばいいけど、全身やけどで立ったまま全感覚喪失……なんてことも有り得る。
それで強引に「ゲイルディバイダー」の射程を双剣直列で伸ばした。
理屈なら“破天”だけでもいけなくもないはずだが、何しろ魔力の激流への抵抗だ。芯もなしでは延長概念ごと溶かされてしまうかもしれない。
……そして、僕の目論みは成功し、双剣直列の即席超大剣は、ブレスを左右に断ち割って、僕の背後を焼くことを防ぐ。
……が、「黒蛇」は、カランと落ちても真っ赤なまま。グリップに巻いた布も焦げている。
しばらくは持てそうにない。
「……凌げはした、な」
「その技、即席ですか……?」
「うん。まあ、しくじっても『ゲイルディバイダー』はできてたはずだから、クロードは多分助かってたと思う」
「……全然焦ってませんね……どんな精神力なんだ……」
「僕はそういうスタイルなんだ」
まあ、一応ファーニィにすぐパスしてもらえれば助かりはするしね。……ユーカさんがフォロー頑張ってくれれば、だけど。そこは心配していない。ユーカさんだし。
ドラゴンのブレスにそれで対応できるという謎の自信については……まあ、それもユーカさんがあんまり心配してなかったし、だったらいけるだろう、という楽観。
実際なんとかなった。もう一回は……難しいかもしれないけど。
──凌いだか。
次の攻撃が来る前に。
そして、ユーカさんに注意が行く前に、僕も次を出さないといけない。
「クロード。合わせて」
「……え……」
「君の『嵐牙』なら、ちょうどいい」
巨大なドラゴンの眼光を前に。
僕は、さらに強い攻撃の可能性を目指す。




