王都の酒場
夜の王都は賑わいが他とは違う。
地方だと賑やかなのは酒場周辺だけだ。
夜は起きているだけで明かりが必要なのだから、特に必要がなければ日没の後にはさっさと寝るのが庶民の暮らし。
日暮れからあまり間を置かずに寝て、夜明けに起きて働くのが、燃料的にも体力的にも理に適う。
酒場がその例外である理由は、日のあるうちに醜態を晒すのが好ましくないからだとか、酒は夜の神の恵みだから昼間に飲むのは罰当たりだとか、単に集まって楽しく飲むならみんなの仕事が済んだ夜に、だとか、まあいろいろ言われているし、どれも一面の真実はあるのだろうけど。
王都はそんなに大きくない店でも燃料のいらない照明魔導具を導入してたりするし、防犯のためか街角の篝火も絶えない。
警邏の兵士も数人連れで金属質の足音を響かせているし、目抜き通りはずっと何かしらの喧騒が響いている。
王侯貴族は夜の宴こそ本番とばかりに馬車を行き交わせて、その邸宅からお雇い楽士の上品な演奏や歌声を外に響かせている。
「まさに夜のない街って感じだ」
「嫌いじゃねーが、たまに来るぐらいでいいな。あいつら昼間に体力使ってねーから夜に元気でいられるんだ」
ユーカさんがらしいんだからしくないんだか微妙なことを言う。
「お酒は別腹です! 酒盛りは別体力です!」
ファーニィもファーニィで謎の理論を展開しつつ、どの店に入ろうかとキョロキョロ。
まあ、うちのパーティはそうそう潰れて醜態を晒すのはいないから、ひとつの店にみんなで入る必要はないんだけど……今日はそういう流れなので、未成年組のクロードやリノを除くみんなで入れる店を選んでいる。
ちなみにジェニファーはいい感じの空き家を紹介してもらえたので、夜はそこで待機。
かしこいので室内で糞尿する心配もないし、人間が出入りできる間口があればだいたい入れるので、本当は宿屋も普通に部屋取ったっていい気もするんだけど……やっぱり他の客もいる場所でライオンがウロウロするのは大騒ぎになりがちだから仕方ない。
「今日はここがよさそうな気配がする」
アテナさんが賑わう店を指さす。
「どーゆー理由で?」
「うまそうな匂いがするからだ」
「王都暮らしが長いくせに完全に勘かよー」
「はっはっはっ。私とて食い道楽飲み道楽を長年やれるほど年寄りではないぞ。この広い王都で行きつけの店など、限られたものだ」
妙な風格があるので微妙に錯覚しがちだけど、アテナさんもユーカさんと歳は変わらない。つまりまだ二十代前半だ。
よほどせっせと開拓しないと、大都市全ての飲食店に精通するというわけにはいかないだろう。
「まあ、賑わっておるからハズレではないじゃろ」
マード翁も甚だ大雑把に判断し、結局そこに決める。
「王都には上級酒場みたいなのはないんですかね。ゼメカイトの竜酔亭みたいな」
「あれはええ店じゃったなあ。何より給仕がみんな若くて綺麗でステキな恰好じゃった」
「なんだよー。アインもエロい給仕の店に興味が出てきたってか」
「アイン様、この下僕美少女エルフのことお忘れじゃないですかね。ご用命なら大抵の衣装で」
「そういう意味ではなく。……アテナさんやマードさんぐらいの知名度だったら、なにも大衆酒場でなくても、ああいうところでゆっくり呑めるんじゃないかって思うんですが」
「王都は貴族がいっぱいおるから、高級店となるとそういう連中の密会所じゃぞ。ワシらみたいな半端な相手に絞った商売は、ここじゃ成り立たんわい」
「人間の貴族って自分のお屋敷に招いて宴会のイメージが強いんですけど。わざわざ店に食べに行くんです?」
「王都に大邸宅持ちの大貴族なら全部それじゃろうが、そうでもないのも多いからの」
まあ、冒険者の酒場が成立しないくらい冒険者のいらない街でもあるしな。
有名冒険者に商売の鼻先が向いていない、というのはあるだろう。
「それに、ああいう上級酒場は居心地はいいが噂は拾えんからのう」
「まあ、そうですね」
情報収集も大事な目的。
マイロンで酒場の店主にも頼んでいるとはいえ、王都は活発に人が行き交う。
冒険者の絡まない噂にも耳を傾けておくのは、決して無価値ではないだろう。
「んじゃ、ここからしばらくは自由行動ってことでな。アテナちゃんやファーニィちゃんは、いつも通りユーカがつまみ出されんように注意してやってくれ」
「心得た」
「はーい」
一つの卓に集まるのではなく、バラけて他のグループに耳を傾けたり、時には奢って話を聞いたり。
そういうことをしばらく試みた後に集まって共有、というのが最近の呑みでの行動パターンになっている。
まあ、元々望みの薄い場所。
しかも相手はみんな意識の怪しい酔っ払い。
一晩聞いても結局ロクな情報がない、なんてのもザラではあるのだけど。
……ちょっと見た目が幼過ぎるユーカさんはともかく、見目麗しいアテナさんやファーニィにはすぐに男どもが寄っていく(そもそも酒場に女自体がそんなに来ない。人前で酔っぱらうと危ないし)が、彼女らに何かしらの危険が及ぶことはないだろう。
というかほとんどの場合、男たちの身が心配だ。
……まあ、うまくあしらうことを願いつつ、僕は僕で情報収集をする。
「……へぇ。あんたハルドアの出身か。昔親父についてよく行ったよ」
「行商人か何かだったんですか」
「そうさ。いい農産物が安く手に入るし、ヒューベルより魔導具関係が随分ショボいから、地味だが確実に儲かるってんで得意にしてたんだ。モンスターも少ないから護衛も少なくて済むしな」
「まあ、そうですね」
「で、あれか。……『人食いガディ』か」
酔っ払いは僕の探りを先回りして片目を細めた。
「……有名なんですか? 僕は最近初めて聞いたんですが」
「ハルドア人は知らない。だが、こっちの人間には有名な話……ってなると、それが鉄板だ。本当のことなのか、って大抵何度も確認されるのさ。あんたもクニに家族を残してきたクチかい?」
「……家族は、もういないです」
「……まさか」
酔っぱらいは僕のメガネの奥を覗き込むように、心持ち顔の角度を変える。
僕は答えず、メガネを押した。
「……近づかん方がいいぜ。ヒューベルに比べりゃ弱小の国とはいえ、それでも貴族って奴は縄張りの中じゃ無敵だ。庶民なんざ奴らにとっちゃ虫と変わらんぜ」
「そんなにヤバい血筋なんですか、その『人食い』は。いくらなんでもそんな不祥事、他の貴族が知ったら蹴落とす絶好のネタでしょう」
疑問点はそこだ。
有名になるほどの不祥事ならば、周辺の貴族が嬉々としてそれをあげつらい、失脚を計るのが常。
いくら貴族の権力が強いといっても、相対的な話だ。あまり好き勝手に無法を繰り返せば、その立場を狙えるような人間にとっては、いい弱点にしかならないだろう。
が。
「……公爵筋らしいぜ。ハルドア最大の領地を持ってるフィンザル公の孫の一人じゃねえかって言われてる」
「言われてる……って、確かな話じゃないんですね」
「そりゃあ確かな話じゃねえよ。そもそも単なる噂話だ。俺の言葉を証拠と思って吹き上がられても困るぜ」
「……それもそうですね」
フィンザル公爵。
確かに国内最大の名門として有名だった。王家との関係も深く、押しも押されぬ、というにふさわしい家だ。
庶民は国王と自分の領主くらいしか名前を知らなくても生きていけるが、それでもやはり名門貴族なら噂ぐらいは聞く。
僕らの領地はもっと些末な貴族の領地だったはずだが、そんな大貴族の孫なら、領内で無体をしても……まあ、泣き寝入りだろう。
フルプレさんがデルトールの領主にあまり強く出られなかったことを考えると、もう少し何とかなりそうな話だが、逆に王家だからこそ辺境領主に離反されてはかなわない、ってところもあっただろうし。貴族同士なら関係が悪化したところで、力づくで何の問題もない場面もあるのは想像に難くない。
「……あんた、本気なんだな」
「えっ?」
「これでも代々商人だ。人の顔色を見るのは得意でね。……今の話を聞いて、青ざめるわけでも面白がるわけでもねぇ。そんなに怖ぇ顔をする奴が、聞きっぱなしで黙ってるようには思えねぇぜ」
「……別に、大それたことは考えてませんよ」
実際、ハルドアに向かう予定なんかない。
まだ。
……ただ、もし出会ってしまったら。
なんの躊躇もしないだろうな、と、想像していただけで。




