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ロゼッタ満身創痍

「ルリ! ハーディもこっちに来てくれ! 怪我人だ!」

「ええっ!?」

「マジですか!? ダンジョンですよここ! グールとかじゃなく!?」

「アタシの知ってる奴だ! グールじゃねえよ!」

 ユーカさんが急いでルリさんとハーディを呼び、ロゼッタさんに駆け寄る……のを、僕は寸でのところで止める。

「待って!」

「な、なんだよ。お前まで」

「多分、空間のひずみがそこらへんにある。注意しながらこっちに引っ張ろう」

「そ、そっか、さっきまで居なかったもんな」

 メガネを押して、改めてロゼッタさんのいるあたりの空間の違和感を注視する。

 違和感を覚えたということは、見える……いや、ほんの兆しのような形かもしれないけれど、知覚はできる、はずだ。

 それなら、僕がそれを捉えようと強く意識すれば、メガネもそういう形に最適化してくれるはず。

 バルバスさんに確かめたわけじゃないから、もしかしたら「そこまではできねえよ」と一笑に付されるかもしれないけれど。

 今は少しでも可能性を感じることをやるべき場面だ。

 ……やがて、ひずみがはっきり見えてくる。

「そこか……」

「アイン、見えんの?」

「なんとか」

 少しでも気を抜いたら見失いそうな感覚。

 だが、倒れたロゼッタさんの斜め後ろに、楕円形の不可思議な境界線を感じる。

 あれがいわゆる「迷いの森」、正確にはその伝承の種になった部分。

 それに触れないように……いや、近づくだけでおかしなことになると嫌だな。

 ちょうどそこらには、先ほど大伐採した木や草、岩の残骸がたくさんある。

 試しに適当に木の枝を振る……いや、触れたら突然全身吸い込まれるとかそういう仕掛けだったら困るな。

 剣よりやや長めの枝を、思い直してさらに小さく折って、手のひらサイズに。

 それを……投げるのもいいけど、ロゼッタさんに当たったら申し訳ないし。

 ……無詠唱魔術の出番だな。

 小枝を魔力で包んで浮かせ、ゆっくりと「迷いの森」空間に近づける。

「……お前そんな怪しい真似もできたのかよ」

「今話しかけないで」

 無詠唱魔術は呪文詠唱をしない、ということは、意志力以外に魔力の動きを制御する道筋が全くないということ。

 集中が途切れたらそこでおしまい。

 極端な話、何かにちょっと驚いただけでイメージが散ってしまう危険もある。そうなればそこで魔力は方向性を失い、ただの無駄な浪費と化す。

 これが呪文であるならば、余計なことを考えていてもきちんと唱えれば最低限の成立は保証される。らしい。

 そういう意味で、無詠唱魔術は「洗練された技術」とは対極にある。腕と魔力量次第で大魔術にも勝る即興が許されるが、二度同じことができる保証は全くない。

 ……なんて、大層な話を口に出すほどの芸当ではないけれど。

 小枝をただ空中に浮かせ、ゆっくりとロゼッタさんの体の上を通過させ……あるポイントで、パッと幻のように消える。

「そこにひずみがあるのか」

「気を抜くと接触しちゃいそうだ。……ちょっと乱暴だけど、ロゼッタさんの手にロープをかけてこっちに引こう」

「どうやって結ぶんだ? そっちのがムズくね?」

「今の奴の応用で」

 道具袋からロープを取り出し、魔力で先端部を包んで……いや、無理に操作部位を手から分離させて動かすより、ロープ全体を魔力伝達媒体にした方がいいな?

 やってみる。

 握ったロープの逆端まで魔力を満たして、意識を集中して動かす……できた。結構自由に動く。

 これ応用度高そうだな、なんて思いながら少し離れたところからゆっくり蛇のようにロゼッタさんまで伸ばし、片手に縛って準備完了。

 引きずって安全な場所まで移動させてから抱き上げる。

「……ロゼッタさん! ロゼッタさん、目を開け……って、開けても見えないんだっけ」

 揺すってロゼッタさんに反応を求めるが、そういえば元々ある目は生まれつき見えないままなのだ。

 なら第三の目を開けているかどうかを見るべき……いや、透視能力持ちなら開ける必要すらないのか。

 というか。

「……第三の目が、やられてる……?」

 額に斜めに、痛々しい切り傷。

 古い血が固まったそれは額の目の上を通っていて、開けられるとは思えない。

 でも、それならどうやって「迷いの森」を……?

「アイン、こっちに。ルリちゃんに癒してもらおう。……いける?」

「欠損再生じゃないならいけるけど……全身見せて。パッと見ただけじゃわからないよ」

 ルリさんが困惑するほど、ロゼッタさんの身には出血の跡が多い。

 服は大部分が血で黒く染まり、裂かれたと思われる部分も複数。着ているのがマントやローブ、フードなど、体の線の出ないものであるために、もし手足を失っていたとしてもわからない。

「……右手が手首で切れてる。脇腹にも大きい裂け跡……足も両方捻挫してる。オデコの傷も浅くない。よく死なずにいる、って感じ……」

「手がやられてるのか。アタシじゃあるめぇに」

「その出血でよく死ななかったね本当……」

 僕の呟きに、ルリさんは確認を続けつつ。

「魔術で傷ごと焦がして強引に止血したみたい。メチャクチャするねこの人……」

 壮絶な事実を告げてくる。

「……まあ、ユーカさんがそれくらいなりふり構わず生き抜いてたのを知ってるから、かもね」

「ルリ、治癒できっか? せめて足の捻挫だけでも癒せれば楽なんだが……」

「それくらいなら……でもお腹の傷のせいで立って歩くのも痛いかも」

「じゃあそっちも……いや、もうアインに背負わせてデルトールに戻っちまう方が早いか?」

「そうしようか」

 敵掃除(クリアリング)したとはいえ、ダンジョンの中。どう考えても休むにいい環境ではないし、マード翁に見せないとどうにもならない怪我もある。

 応急処置もそこそこにして、デルトールの宿でゆっくりさせたほうがいいだろう。

「ロゼッタ! 聞こえるか!? 今からマードのところに行くからもう少しの辛抱だ!」

 ユーカさんが呼びかける。

 意識はないままだ。

 誰にやられた、何と戦った……というのは愚問にせよ、僕たちの潜っているこの場に現れたのは偶然ではないだろう。

 結局、クリス君やアーバインさんとは合流できたのか。

 今、彼らはどうしているのか。

 聞きたいことはたくさんあるし、しかしそれをこの瀕死の彼女に慌てて今質問するのは、いくらなんでも無神経だろう。

 とにかく、マード翁に何とかしてもらわないと。

 とりあえず今ある怪我を多少でも癒し、痛み苦しみを低減してから、今日はもう撤退だ。

 そう頷き合ったところで、ロゼッタさんは呻き声を上げる。

「……ぅ……ぁ、こふっ……」

「ロゼッタ!? わかるか!? アタシらだ!」

「……ユーカ、さま」

「ああ、アタシだ! 視えるか……ってのは無理かもしれねーが」

「いえ……視えます……」

 ロゼッタさんは力なく咳をしつつ、身を起こそうとして、痛みにひきつった声を上げて諦める。

「今からダンジョン出てデルトールに戻る! そうすりゃマードがいるんだ、すぐに治る!」

「……ここ、は……デルトール……?」

「……わかってねーのか?」

「……ユーカ様。……私を外に出すのは、おやめ下さい……っ、ごふっ」

「はぁ? なんでだよ、いくらデルトールの低難度ダンジョンっつっても、いずれモンスターは湧くんだ。いつまでも安全じゃねーぞ?」

「……見つかってしまうからです」

 ロゼッタさんは痩せた左手で僕の腕を掴んで、声を振り絞る。


「私と同じ千里眼……あの『邪神のような者』の天眼は、通常世界では私をすぐに見つけ出すでしょう。ですがダンジョンの次元では見通しが利かない……遠く離れた別のダンジョンまで見通すことはできない。外に出れば、すぐに斬りに来ます」


「……何してんだオメーは。だから直接見ようとすんなっつったろーが」

「面目ありません。ですが、ああも早く反応してくるとは思わなかったのです」

 ロゼッタさんは、悔しげに歯を食いしばり、何も見えない瞳を揺らし。

「……お力になれず、申し訳ありません」

「……わかったわかった。……アイン、次善の策を考えるしかねえ」

「だね」

 僕とユーカさんは、揃って溜め息をつき。

 さしあたって、このダンジョンから彼女を出さずに何とかする方法を考える。

 ロゼッタさんを全く知らないルリさんとハーディは、全くついてこれていない顔で僕らを見ながら、応急処置をする手を止めずにいてくれた。

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