ミスの挽回
油断をしていなかったので、万全の態勢だった。
しっかりと腰を落として、ハーディは斜め後ろに突き飛ばし、僕自身は間髪入れずに右足を後ろに滑らせつつアームガード、もちろん魔力は出せる限り全身にみなぎらせる。
肉体の強度を跳ね上げるユーカさん得意の防御技「メタルマッスル」。
そこに、トロールがよろめきながらも踏み出し、蹴りつぶすような踏み足を叩き込んでくる。
大丈夫、僕の体は……今は、鋼!!
「ゴオオオオ……オゴァアア!?」
衝撃は、僕の肉体を揺らした。
それだけだ。
身を沈めていたおかげで吹き飛ぶこともなく、もちろん潰れることもない。
僕のアームガードは逆にトロールの足に突き刺さり、皮を破って肉を裂き、骨にぶつかる感触がした。
……が、それと同時に、僕の背後でカシャンという音がする。
「……しまった」
「あ、アイン! お前……っ」
「僕は大丈夫……それより下がれ! 標的にされる!」
「で、でも!」
尻餅をついたハーディの頭の上をユーカさんが飛び越えて、僕の横に並ぶ。
「モタつくな! ハーディが今のを食らったら一発だろーが!」
「わっ……わかり、ました」
ようやく声が落ち着きを取り戻すハーディ。
そして僕は動けない。
「メタルマッスル」を使うと、どうしても解いて数秒は動きが鈍くなるし、何より僕はまだ完全には解いていない。
解いていいものかわからない。一応喋れるようにちょっとは緩めたけど。
「アイン、平気だな!?」
「……体の方はノーダメ」
「体じゃないとこは?」
「……メガネがどっかいった……」
「そりゃまずいな」
ただでさえ暗闇。
ダンジョンと外界の不明瞭な境界は、外からの見通しを謎の理由で遮り、外の光はうっすらとしか入らない。
それでも僕の視野をけなげに、わずかに確保してくれていたメガネは、トロールの一撃の衝撃でどこかに跳ね飛んでしまった。
もうなんにも見えない。
すぐそばのユーカさんの人影すら、闇に紛れてかろうじてなんかいる気がする程度だ。
「討ち漏らしはコイツだけとは限らねえ。見えるコイツだけでもお前のぶった斬りで始末しちまいたいもんだが……」
「ごめん。見えてない」
「だろーな」
かろうじて音はわかる。トロールは僕から足を引き、数歩ほどカカトをかばいながら下がったのだろう。
だがその音だけを頼りに戦うなんて、そんな達人じみた真似は僕に期待しないで欲しい。
農奴から冒険者になってまだ二年未満。まともに戦い方を知り始めたのはこの数か月という、達人どころか「中級者」と名乗るのすら恥ずかしい有様の戦士が、そんなことできるわけないだろう。
というわけで。
「メガネ探してくれると嬉しい」
「却下だ。そこまでのんびりしてられる様子じゃねえ」
「僕が『メタルマッスル』で前は支える」
「あいつ次は踏まないぞ。掴まれりゃ相手のやりたい放題だ。齧られるかもしれないし天井にゴリゴリされるかもしれねーし。お前が攻撃できねーならアタシが叩くしかねえ」
「ユーじゃ簡単には殺れないでしょ」
「簡単じゃねーがやるしかねえだろ。……ハーディ! 次のタマはいつ撃てる!?」
「お、俺ぇっ!?」
「アインがメガネ落としてんだ! もう敵が見えねー! お前がやるしかねーんだよ!」
「っ……」
ハーディは少し反応に詰まる。しゃしゃり出たのにキメきれなかったのが尾を引いている感じだ。
だけど。
「アーバインやクリスも殺り損ねはちょくちょくやってた! フルプレなんて毎回自信満々に外しやがる! しくじりを気にしてたらキリねーぞ! 腹決めろ! テメーが片づけるっきゃねーんだ!」
「ゆ、ユーカさん……」
「細かいことこだわんな! 冒険者なんて予定外だらけが当然だろ!?」
ハーディが気弱になる気持ちは、よくわかる。
僕らの手伝いのはずなのに、ルリさんの目を気にして色気づいて、調子に乗ってカッコつけて、僕らに結局助けさせて。
羞恥心と心苦しさで震える心持ちだろう。
だけど、僕らにしてみれば、まぁ。
それこそアーバインさんなら、そういうポカは日常だったし。
勝てる気のしない戦いなんて、いくらでもあった。
しかし最後に生き残ればそれでいいのだ。
「僕らは君らを守るために最初からいるんだ。『悪い』じゃなく『ナイスガード』と言ってくれよ?」
メガネを押そうとして、かけていなくて指が空を切る。
そんな自分に苦笑しつつ。
「さあ、もういっちょキメよう」
「……チェッ。やっぱお前、カッコよすぎんだよ。……40秒だ! もたせてくれ!」
「ユー!」
「聞いてた! 任せろっ! ……そんだけありゃアタシが倒しちまうかもな!」
僕はメガネなしなのであとはガードだけ。でかい敵の接近くらいは音で辿れるので、余裕をもって「メタルマッスル」をキメていくだけ。
だがユーカさんは、そんな僕を掴まれないようにオフェンス。悠々とする時間さえ相手に与えなければいい。
まあ僕の「メタルマッスル」は、魔力量と操作速度の関係で防御力には余裕もあるので、最悪齧られてもゴリゴリされても耐えられる、とは思うけど。
飛び出していったユーカさんが何をしているかはもう見えないのでわからないが、持ち前の身軽な速さで相手の攻撃圏をチョロチョロして攻撃を誘っているか、あるいは「旋風投げ」を狙っているか。
40秒。目を瞑って黙って待つには長い。
だが、ユーカさんが今さらできないレベルの話ではない。信じて待つ。
「アインさん! メガネ! ありました!」
「うぇっ!? ルリさん!? もっと後ろに……!」
すぐ後ろでルリさんの声がして焦る。
今は器用に動けない。もし敵がルリさんを狙ったらもう防げない。
が、ルリさんは僕に駆け寄って背伸びし、メガネをかけさせようとする。
「せ、背が高いっ……もう少ししゃがんで……」
「いいから! 手に持たせて下がって!」
「そ、そっか」
僕が「メタルマッスル」をもう少し緩めて下ろした手に、ルリさんはメガネをアワアワした動きで持たせる。
ああ、怖い。今敵に攻撃されたら。みすみす僕が至近距離にいるときにルリさんに直撃したら。
ハーディは今度こそ立ち直れない。
持たされたメガネは案の定、乱雑に床を跳ね転がった結果ズルズルで、かけてもろくに見えない。
本当は治癒術もかけてもらいたかったが我慢して。
「早くハーディの後ろへ! 僕は食らっても平気だから!」
「でも、あんなの受けたら怪我してるんじゃ……腕が真っ赤に染まってるし」
「それはトロールの血! ああもう、ハーディ、詠唱中断してでも後ろに連れてって!」
「だっ、大丈夫ですから!」
ようやく離れていくルリさん。
そこでズズンと地響きが鳴ってビクンとする。ユーカさんがなんかしてトロールが倒れたようだ。
……あ、なんかうっすら見えてきた。
メガネの最適化処置のおかげか、自然修復も早まっているようだ。
片目側は相変わらず傷による曇りが酷いが、片方あれば充分。
案の定、ユーカさんがトロールの太い脚に組み付いて倒している。トロールは起きようともがいている。
だが。
「ユー! そのへんで離れて! まだ動いてる気配がある!」
「マジかっ……おいマジかよっ!」
闇の奥から現れた半壊したゴーレムが、まるで害虫でも払うようにユーカさんを裏拳で叩き、吹き飛ばす。
一応声をかけたから「メタルマッスル」する時間はあったと思いたい。
問題は。
「ハーディ! ユーを巻き込まないように撃てる!?」
「……なんとかする!」
ハーディの魔術の効果範囲から、ユーカさんが確実に退避したと確認できなくなったこと。
「メタルマッスル」なら大声で返事できるまで数秒。いつもなら待てるが、今は敵との距離がこれ以上接近すれば撃つに撃てない。
「威力は下がる……もしもの時は、アイン!」
「わかってる!」
僕を巻き込まないためか、僕より数歩踏み出して、改めてハーディが魔術展開。
「『インフェルノ』!!」
爆発。乱撃。
さっきより勢いの弱い爆発が、その分密度を高めるように固まって発生し、ゴーレムとトロールを打ちのめし、砕き、静まる。
……。
「ユー! 大丈夫!?」
「……あー……死んではいねーな……」
「ルリさん、メガネに治癒術かけて! 急いで!」
「え、ええっ? メガネに!?」
「そういうメガネなんだ。今は考えないでそういうもんとして、早く」
ルリさんをせかしてメガネを修復し、吹っ飛ばされたユーカさんを回収しに行く。
「ちょい間に合わなくて鼻血出ちまった……」
「後でマードさんにきっちり全快してもらおう」
「だな……ったく、アイン、光は作れるんだろ。ハーディが攻撃するんだったらお前が視界確保しろよなー」
「あっ……その手があった……」
無駄に暗さを我慢して戦ってしまった。
「……反省点アリアリだな。酒の肴が増えた」
「……今夜は僕も参加する」
ユーカさんを抱き上げてルリさんとハーディの元に戻る。
もう動く敵はいなくなっていた。




