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過去への眼差し

「……い、いや、旦那のはずはねえな。いけねぇいけねぇ。歳食うとこれだ。……昔の知り合いによく似てたんだ」

「確かに僕はランダーズですが」

「……何?」

「昔の知り合いっていうのは?」

 バルバスさんは視線をさまよわせ、少し言い淀んでから。

「……今からだと40……50年は昔の知り合いだ。それに当時でも、お前より年寄りだった。……ルイン・ランダーズって人間がいたんだよ。さる国の宮廷魔術師だったと聞いた」

「……僕の祖父です」

「何ィ?」

「宮廷魔術師ってのは初耳にもほどがありますけど……」

 僕が祖父について知っているのは、このメガネをかけていたということだけ。

 僕が生まれる前に死んでいたし、そもそも両親ですら顔が曖昧なくらいだ。祖父の話なんていくらも教えてもらう機会はなかった。

 だいたいにして生まれた時から身分は農奴だ。まさか身内がそんな偉くて資産もありそうな人間だなんて思いもしない。

 そこからどうしてそんな転落人生になるのか。

 ……いや、まあ、転落なんていくらでもしようはあるけれど。

 と、僕は自身の人生を振り返って思う。

 妹がいた頃は、農奴でも幸せだった。それに農奴といっても一応は認められた身分だ。ほぼ身分制度の外にある冒険者の方が、法の上では実際のところ転落ではある。

 いくら強くなったとしても、金を持ったとしても。

 冒険者のままでいるうちは、身分はないも同然だ。まあ誰でも自称した瞬間になれるんだからそんなもの。

「だった、というからには……祖父も宮廷魔術師ではなくなったってことなんですよね?」

「ああ、まーな……なんでも嫁さんの病気が厄介だとかで、どうしても地位を捨てて放浪せざるを得なくなったとかでな。……それでも立派な人だった。ま、大仰な言い方をすりゃ、隠れた偉人って奴だ」

「偉人……いや、本当に何した人なのか、全然知らないんですが。ウチに残ってたのはこのメガネだけですし」

「まあ、なんだ。何でも知ってる知恵者ってヤツだよ。人に求められりゃどんな貧乏人にでも知恵を貸したし、魔術も山ほど暗記してた。ワシも色々教わったよ。ワシ自身は魔術なんざロクに扱えんが、魔導具作りができるのはあの旦那のおかげさ」

「へえ……」

 そういう人だったのか。

 全く情報がないので、人となりを聞いても全く実感がわかないが。

「うむうむ。アイン君の祖父らしいお方のようだ」

「確かに。納得しますね」

 アテナさんとクロードはなんか納得している。

 え、全く重ならない気がするんだけど……。

「僕には魔術も教養もほぼないんだけど……」

「無私の情愛の人という感じがいかにも君と似ているではないか」

「弱い相手に頼られたら決して見捨てない人って印象ですよね」

 えっ。そんなつもりは別にないよ?

 そりゃ人並みには知らない相手に親切するのもやぶさかではないけど、そこまでお人好しのつもりはない。

「アイン君は人徳があるのう」

「悪人と見れば真顔で首スッ飛ばしますけどねー」

「それは普通じゃね?」

「普通じゃないわよ……怖いわよそんな人……」

 残りの仲間たちも概ね異論はないようだ。

 いや、ないのかな?

 ちょっとだけ疑問は残るか。いや、それは別に今議論することでもない。

「しかしよく見りゃそのメガネ、ちょいと手が加わってんな。そんな仕立てはワシの仕事じゃねえが」

「ああ、やっぱりコレ作ったのあなたですか」

「おうよ。……いや、それが旦那のモンなら、って話だがな。可変メガネの技術自体はドワーフ(ワシら)にとっちゃそう稀少なもんでもねえ」

 まあドラセナも作り方や原理は知ってたくらいだから、そういうものなのだろう。

「なんなら少し調整するかい? 旦那の孫ってんならアフターサービスだ。安くしておくぜ」

「……無料じゃねーのかよ」

 ボソッとユーカさんが呟くが、老ドワーフはガハハと笑う。

「そう貧乏なようにも見えねえからな。さっきも言ったが古道具の修理で糊口凌ぐ身だ。小銭くらいとっても罰は当たらんだろうよ」

「てか、アインのメガネは勝手に合わされるんだろ? 調整も何もねーんじゃねーか」

「技術ってのは進歩してんだぜ? いつまでもそんな昔のままじゃねえよ。……ま、そういうのも色々ある。奥に来てくんな」

 ずっと入り口での立ち話だった。

 ようやく工房の中に通される。


 奥はゼメカイトのロゼッタ商店のように、物が雑然と積み上げられていた。

 その多くの品物に圧倒されている中、バルバスさんはガチャガチャと雑にメガネが放り込まれた箱を持ち出す。

「これが最新のメガネコレクションだ」

「こんなホコリだらけで最新……?」

「ホコリなんざ払えばいいだろ! 例えばこいつは基本、暗視メガネだ。お前ら人間でも、地の底の坑道が、真昼間のお天道様の下みたいに見えるようになる。いいだろ」

「……え、そりゃすごい」

 かけてみる。

 ……ぼんやりして見えない。

「……僕には度が入ってないと意味ないです」

「がっはっはっ。そりゃそうだ! まあ、ワシの手にかかればそういうメガネにもできるってわけだ」

 え、すごい。

 僕のメガネもそれになるのか。

 今まで苦手だった夜間戦闘も、それなら全く怖くなくなる。

「そしてこいつは水中メガネ。といってもよくあるガラスを箱にハメたアレの間違いじゃねーぞ? これかけて湖でも川でも眺めてみろ、反射も水の揺らぎも関係なく水の中のものが見通せる」

「……それもすごいな」

「だろ? だろ? まあ、魔術師連中に言わせりゃそんなの見たきゃ魔術でどうにでも代用できるって一蹴されちまうんだがな……」

「えー」

 無情だ。

 まあ確かに一時的に感覚強化する魔術って結構聞くから、あるっちゃあるんだろうけれど。

「そしてこいつは男の夢、服が透けるメガネだ。これだけは時々売れてく」

「……それは良くない技術なのでは」

「魔術師に言わせりゃそれだって魔術でなんとかなっちまう範疇よ。道具にして何が悪い!」

 胸を張るバルバスさん。

 そしてファーニィやリノは冷めた目。

「まあそんなもんかけてると知れた日には割りますよね。女としては」

「割るわね」

「宝石と引き換えるくらいの値なんだが……」

「覗きがバレてもそれを主張できる男いますかね?」

 ファーニィの言葉にバルバスさんはグッと詰まった。

 まあそうだよね。

「そしてこいつが最新型、死霊メガネだ!」

「いや、そんな禍々しい……」

「普通はアンデッド化しないと見えない死者の念が、こいつなら微量でも残っていれば見えるようになる! まあ声は聞こえないんで対話は無理だが……」

「…………」

「ん? どうした、孫」

 ……へらへらと流そうとした僕は、ふと。

 その道具の示す可能性に気づいて、動けなくなる。


 死者は語らない。

 アンデッドは狂い、話せない。

 だから、死の謎は、越えられない。

 妹の死の真相は、わからない。


 本当に、そうか?


 それは、僕たちハルドアの農奴が、あまりにも無知だったからじゃないのか?

 魔術師たちの力を借りたら、妹は何故死んだのか……誰に殺されたのか、わかるんじゃないか?


 ゾクリとした。

 自分の中で既に終わっていたことが、まだ「そうではないのだ」と呻く声を聞いた気がした。


 この世界には魔術がある。

 死者は蘇らないが、その死の謎を追うことは理の外ではない。

 ……暗い火が、もう冷えて消えたはずのそれが、確かに燻った。

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