停止する迷宮
急に、大気に漂っていた何かが消える。
まるで毎日絶え間なく聞いていた音が突然消えてなくなるような。
どう違うのかと言われると困るのに、しかし致命的に感じる終わりを、肌で感じる一瞬。
「……これでこの空間はダンジョンじゃなくなった」
呟くエラシオに、僕はちょっと不安になって愚にもつかないことを聞く。
「急に崩れ始めたりしませんよね」
「環境再生機能が死ぬだけらしい。この中のものは何も復活できなくなる」
ダンジョンそのものが崩壊するイメージでいたので、ちょっとホッとする。
核だとドドンパさんが断定して壊したのは、壁に埋め込まれていた土のように暗い色の、琥珀みたいな石だった。
壊してなおさら色艶がくすみ、割れた今はもう宝石というよりただの岩くずにしか見えない。
「これってアレの材料に使えない?」
リノに確認してみる。
「まあ使えなくもないと思う。あんまりいい素材でもなさそうだけど……」
「そうなの?」
「魔導材料としては二級品ね。全部の核がこうなのかは知らないけど、少なくともこれはそう」
「うーん……」
でもまあ、用途的にはあって困るものじゃないし、と破片を拾う。
「何の話だ?」
エラシオが興味を示したので、一通り話す。
「……というわけで、虚魔導石ってのを作りたいんです」
「そういう話なら早めに共有してほしかったが」
「まあ帰りしなでも探せるんで……」
行き道は結局素材漁りなんかしてる雰囲気ではなかったが、帰りはその辺をゆっくり眺めて漁れるはずだ。
「しかしそんなにいい素材があるダンジョンでもなさそうだがなあ……」
頭を掻くエラシオだったが。
「おめぇどこに目ぇつけてんだエラシオ。そこら中にいろいろあんぞここ!」
ドドンパさんがそう言う。
「そうか?」
「人間はこれだから駄目だぁな。地面を地面、石を石としか思っちゃいねえ。……今回の恩返しだ。帰りは俺がドワーフの目利きってぇヤツを見せてやるよ」
「ありがたいですけど恩返しって」
「今回は予定通りだったらエラシオ以外みんな死んでたぜぇ。エラシオはそれでも生きてそうだがよ。……あの治癒師たちにも、お前にも感謝ってもんだぁ」
ヒゲはもうちょいかかりそうだがな、とアゴを撫でながら笑うドドンパさん。
ドワーフは特に大地の産物への知識と感覚が強いと言われる。魔導石素材への彼の嗅覚は期待できそうだ。
親玉の死体は結局もう動くことはなく、ファーニィとアルベルトが何発か魔術攻撃で確かめた後に、マード翁とアテナさん、そしてジェニファー(リノ騎乗)が腑分けにかかる。
「リノってそういう残酷作業平然とやるよね」
「作業は私じゃなくてジェニファーがやるし。……血の付いた肉はジェニファーがいつも食べてるから、そんなに忌避感ないわね」
「そういう感じかー……」
妙に血に慣れてるなあ、と思っていたが、大型肉食獣と親しく育てば納得するしかない話だった。
ちなみにクロードは遠巻きだ。未だに腑分けは苦手らしい。それはそれで問題だけど。
「俺たちも手伝うぜ。副収入だしな」
トーレスやマルチナといった向こうのパーティの手すき組も手伝ってくれる。
大物モンスターの身体は売れば価値ある素材がたくさんある。今回の依頼の達成条件はダンジョンの核破壊だが、それによる親玉の「素材化」も充分に収入源として見込まれることだった。
普通ならダンジョンのモンスターの生体素材は外にはほとんど持ち出せない。入り口に近い場所ならまだしも、最深部で倒したものを外に出すのは難しい。ダンジョンの分解再生機能に途中で取り上げられてしまう。
だが、こうしてダンジョンを停止させるならその心配はない。
とはいえ、巨体の親玉をそのまま外に持ち出すのはいくらなんでも大仕事過ぎる。
現実的に考えれば、この場で腑分けしなければならないのだった。
「アイン君が胴体ズバーッとやったおかげで内臓系はほとんど駄目じゃのう」
「すみません……」
「いや、まあ内臓まるっと残っとる方がおかしいがの。どう殺したんじゃって話じゃし」
「はっはっはっ。まあ首だけスッ飛ばしてもこれほどのモンスターだと死ぬとは限らんだろうしな」
「そうなんじゃよなあ。……あ、アテナちゃん、その綺麗な緑色の奴は有望じゃぞ。慎重に切り取れ」
「ああ、こういうのが素材になるのか。モンスターの体は神秘だな。人間と全く違う」
「人間の内臓よく知ってそうじゃのう」
「まあ、剣で人と戦えば見んわけにもな」
殺伐としたことを言いつつ老人と全身鎧騎士はモンスターの内臓をザクザクと切っていく。
ジェニファーも別のところで作業しているが、時々咀嚼音がするのであんまり見ないことにする。
内臓からはいくつかの特殊器官が取れ、頭部からも眼球や脳内の謎の結石状のものを入手。
そして手に持っていた武具も全部回収。布にくるんでジェニファーが引きずっていくことになる。
「どっかで寝ないとみんな持たないかもしれないな」
「さすがに親玉の死体と一緒に寝るのはちょっと」
「それは同感だが。親玉部屋以外だと、敵掃除の済んでいる地区を慎重に選ばないと寝込みを襲われるからな」
エラシオと相談しつつ戻り道。
ダンジョンでの休息は安全確保が難しい。でも休まず戦い抜くのは身体もそうだが神経が磨り減る。悩ましいところだ。
「でもあの親玉を片付けちゃったなら、もう何も怖いものなくない?」
マルチナが短槍をくるくるしながら気楽に言う。
確かに親玉だけあって段違いだった。
あれ以上がまだいるとは思わないが。
「落とし穴だぞ、それ。強い奴と戦った後だと他は雑魚に見える。そのせいで気が大きくなって、戦い方が雑になるってのはよ。……マードにも死体は治せねえ。死んでくれるなよ」
ユーカさんが注意する。マルチナは肩をすくめる。
やっぱりユーカさんの言葉はあまり届かないようだ。マード翁ならともかく、彼女は未だに「なんか偉そうな小娘」でしかないせいか。
行き道でテンタクラーの触手に殺されかけたんだけどな、彼女。
「あれじゃ長生きできんのう」
マード翁も小声で嘆息。
そしてその隣に何故かいる、向こうの治癒師のキュリオ嬢は。
「でも、鬼畜メガネさんのあれを見た後じゃ……仕方ないです。普通の戦士じゃ、ちまちま戦うのが馬鹿らしくなっちゃうと思います」
「鬼畜メガネさんって僕のこと?」
「……? そうですけど?」
「頼むからその名前で僕の話を他人にするのやめてね?」
それはともかく、確かにすごい他人の戦いぶりを見た後に、妙に自分も強くなった気になっちゃう人っているよね。
彼女はともかくクロードの教育にも悪いかもしれない。あまり雑に大技で戦うのは控えた方がいいかも。




