瘴気の中で
あの巨体でありながら、親玉の動きは極めてなめらかで安定感があり、機敏。
そして警戒心も強い。
僕の「ハイパースナップ」攻撃による聴覚ダメージはそれなりに嫌がっているようだが、隙を生じるには至っていないのが残念だ。
そして、どうやら瘴気を操る力があるらしい。
少なくとも任意の場所の瘴気を濃くすることはできる。それ以上のことは何もわからないが、これだけでも十分に強敵だ。
なにしろあの体格の多脚多腕だ。パワーもスピードも侮れない。油断すれば充分に一撃で死ぬ。
瘴気がこれ以上濃くなれば位置も見えなくなる。飛び道具や魔術で狙えないのはもちろん、同士討ちを恐れれば下手に接近攻撃もできない。
相手側は最初から一人なので、手当たり次第に攻撃すればいい。こちらが一方的に不利だ。
まあ、少なくとも耳を塞いでいたということは、聴覚も大幅に減じた。向こうだけがこちらを認識して攻撃するという最低の事態は避けられているはずだけど。
「……瘴気を何とか払わないと」
「『ハイパースナップ』はそれ以上やるなよ! アタシらもすぐ耳塞ぐのは難しいからな!」
ユーカさんはさっきの発動時は主にジェニファーの耳を塞いでいた。本人は気合。
一応、音の発生方向は前方に集中するはずの技なのだけど、狭い迷宮内ではそう遠くまで行かずに反射してきてしまう。
使用者の僕自身はだいたい音の大きさもタイミングも理解しているのでそれほどでもないが、覚悟ができていないと脳髄を殴られたような感覚だろう。
これ以上は使えないか。
「ファーニィ! 風魔術で瘴気を何とかできる!?」
「靄や霧なら何とかできますけど、瘴気は場の魔力に紐づいてるんで、風だけじゃ揺らすのがせいぜいです!」
「魔術なら魔力も押し流せそうなもんだけど!」
「そりゃ場を支配するレベルの大魔力ならそうですけど! 基本風を発生させるだけの魔力なんてそんな強くないですよ!?」
思ったより厄介なようだ。
その瘴気を自在に操れているということは……少なくともここらの空間の魔力は親玉の意のまま、ってことか?
下手したら大魔術も出してきそうだな、と、デルトールでのクリス君の雄姿を思い出して舌打ち。
……いや、待てよ。
「ジェニファー! 匂いで辿れ匂いで!」
「ガウ……!」
「うわぁ!? 誰ですか!?」
「おっと、クロード君か」
「アテナさん!? 何で蹴るんです!?」
「いきなり斬ったら死ぬだろう」
「つつくつもりなら転がるほど強く蹴らないでくださいよ!」
「優しく蹴ったら相手が敵だった場合丸損だろう」
瘴気の中でみんな難儀しているようだ。
どうやらエラシオだけは親玉を捕捉しきれているようで、ズドッ、ドスッ、という、肉に剣が食い込む鈍い音と彼の掛け声呻き声が断続的に聞こえる。
そちらを追えばいいのだが、親玉の機敏さがここで非常に厄介に働いているようで、仲間たちの足音がそっちに向かったと思うとまた見当違いの方でエラシオの攻防音が始まる。
「だーっ! どうなってんだもう!」
「ガルルル」
一応ジェニファーは頑張ってついていこうとしているようだが、音や光に対して匂いはどうしてもワンテンポ遅れてしまうようで、ユーカさんと彼は右往左往している気配。
クロードとアテナさんは組んで走り回っているようだが、やはり今一つ追いきれない。
……こうなったら、試すか。
思い出すのは、目に見えるほどの濃密な魔力を自在に練り上げ、操作するクリス君の姿。
僕は彼とは完全に天地の差があるが、この「場」にある魔力を僕が直接操作できないだろうか。
瘴気という証拠が、その空間の魔力の存在証明なら、それを動かすこともできるはず。
僕自身の魔力容量は小さくとも、少なくとも直接扱う速度は魔術師に負けないはず。
やってみる価値はある。
空間に手をかざす。
……それだけでは何も起きない。魔力をどう扱うか、吸うのか押すのか、変質させるのか、まず決めなくてはならない。
僕は意を決して、さっき火炎弾を弾いた時のように魔力を回転させる。
火にも水にもするわけでもない、変換理論上は何の意味もないただの回転運動。
それだけに必要な集中力は低く、消費も少ない。
低出力でありながら干渉力を高め、敵の魔術をかき乱して防ぐ盾にできる使い方だ。
無詠唱での簡単な使い方としてクリス君からレクチャーされたことのひとつだけど。
……そのへんに滞留する魔力を回転に巻き込む。
ひたすら回転を上げ、巻き込んだ魔力ごと周囲に振り回す。
手応えがある。
農業用フォークで大量の藁を巻いていく感覚。
感じたこともないほどに、魔力が重くなる。
が、それと同時に、まだまだいけるとも感じる。
僕の「動かす力」は、まだ余裕がある。
そうか。この「動かす力」と「持ち出せる量」が、もっとバランスが取れているのが通常の魔術師なのだろう。
ただただ魔力を無意味に回転させ、渦として手元に従えていく。
瘴気が従う。怪しい澱みが僕の左手にどんどん誘引されていき、まるで見えない棒が僕の手から伸びて、瘴気を巻き取っているような絵面になっていく。
瘴気が集まれば、色もドス黒くなっていく。とても邪悪な力を発動しているような、極めて怪しい光景。
「何してんだあれ……」
「まさか……あいつは魔術師ではないんだろう……!?」
トーレスとアルベルトがうっすらと現れた僕の姿を見て驚愕している。
正直僕もちょっと引いてる。僕が全力で魔力ぶん回していくだけでこんな事になるんだ、と、思った以上の効果に慄いている。
けど、これなら瘴気はもう怖くない。
巻き込み続けながら踏み込んでいくだけで、もう奴は裸同然だ。
「さあ……仕事しようか……!」
剣を握ったままの手でメガネを押しつつ、僕は瘴気の渦を従えて前進する。
見る間にエラシオと切り結ぶ親玉の姿が露になる。みんなの位置も見えてくる。
こうして冷静に数えると、親玉は八脚五腕。腕はもしかしてもう誰か切り落としたのか、それとも元々五本なのか、そこまでは判別できない。モンスターって切っても血が出ない奴とかたまにいるし。
相変わらず筋骨隆々の巨躯には迫力があるが、僕が剣を持ったまま意味ありげに手を挙げると、それだけで腕を二本使って耳を塞ぐ。
ああ、やっぱり爆音攻撃は二度と食らうまい、とは思ってるんだ。
「なかなか賢いじゃないか」
「おいアイン。今お前ものすごく邪悪な雰囲気漂ってんぞ?」
「失礼な」
「謎のドス黒オーラ従えたメガネがニヤニヤしながら近づいて来たら誰だってそう思うだろ!?」
ジェニファー越しに、親玉を目の前にしているとは思えないやり取り。
親玉はクロードとアテナさん、そしてエラシオを五本……いや耳塞ぐ手を除いた三本の手で相手するしかなく、剛腕とはいえ分が悪い。
上半身に躍りかかるエラシオに対し、足から落としていく方針なのか、クロードたちは低めに攻撃を集めているので余計やりづらそうだ。
そこに僕が近づいてきて、ジェニファーの殺気も感じ、親玉は意を決したように全ての腕を広げて突き出し、瘴気噴射ポーズ。
噴射される瘴気を、僕は渦ごと振り回して巻き取る。
そこに。
「$%+G&¥‘#!!」
謎の叫びを上げる親玉。
次の瞬間、手元の瘴気の渦が不気味な光を放ち、暴れ始めた。




