第21話 嘆きの灯台-21 青
『君を守る!』
『信じられないわ!』
博士に子犬を任せ、無事に待ち合わせの場所に間に合った俺は今日も麗らかなシーリィ女史と合流し週末のお約束デートを始めた。
行く場所を決めている日もあればそうでない日も有る。今日は決めていない日で、元々外で活発に動く性質ではないシーリィ女史に合わせ映画を鑑賞することとなった。
ここで妙な冒険心を発揮してしまったのが敗因だ。興が乗って二人して下調べしていない映画に突撃し、見事にハズレを引いている所だ。傍らのシーリィ女史の白けた雰囲気から、彼女がこの映画をどう感じているかは明白だ。これで意外と逞しいところの有る彼女は、つまらないものでも最後まできちんと咀嚼しようとする鑑賞根性の持ち主だ。クソ映画愛好家のCとは話が合いそうである。
最後までズレた盛り上がりを続けた映画は、ズレた結末を見せつつ続編の存在を匂わすように幕を閉じた。是非とも続編は製作されずに終わって欲しい。
室内に明かりが灯り、シーリィ女史がうんざりしたように大きく溜息をついた。
「映画の下調べは大切であることが身に染みたわ」
「三年に一度くらいなら同じ事をやってもいい気がするよ」
「なら三年後きっかりにまたここに来ましょう」
「やっぱり十年にしておくよ。それならシーリィも忘れていそうだから」
顔を見合わせて笑い、映画館を後にした。
「あの子はどう?」
映画館近くのカフェテリア。映画館は以前襲撃されたケールニクト劇場の近くにある。というよりそれら施設が集中している劇場街という地区があり、今日のデートはその中で遊ぶ趣となっているだけだ。
休日の劇場街は家族連れや恋人が多く、テラスから眺めていても人の流れが途切れることなく続いている。
「楽しそうに跳ね回ってるよ。隣人が動物好きらしくてね、その人とも仲良くやれていたから日中も暫くはやっていけそうだよ」
「そう。よかった。あ、そうだ。今日も貴方の部屋に行ってもいい? あの子の様子も見てみたいし」
「もちろんいいさ」
「う、うん……それでその……」
「勿論今日も、ゆっくりしていってくれるよな?」
顔を赤くしてシーリィ女史は小さく頷いた。実に微笑ましい姿だ。
と、そんな時。視界の片隅に何かが映った。
目で追うと、通りの向こう側、20m程離れた場所を一人の男が歩いていた。トレンチコートを着て、懐に何かを抱えるように背を丸め何かを追いかけ早足になっている。彼の視線の先を追うと、路地裏へ入り込む野良犬の姿があった。
男もそれを追って路地へ入る。その刹那、左手をコートから出した。その手には遠くからでもそれと分かる程、ギトついた水色の何かが握り締められている。
「……どうしたの?」
俺が何かを見つめていることに気付いたのか、シーリィ女史が俺の視線を追って背後を振り返る。
どうする。俺一人で居るならば最優先で確認するべき事案だ。あの男が何をしようとしているのかは不明だが、あれは間違いなく"尾薬"の詰まったアンプルだ。
「ちょっと見逃せない物を見かけた。ここで待っていてくれるか?」
「えっ……ちょっとどうしたの?」
「野良犬に悪さしようとしている奴を見かけてね。子犬を預かる身としては注意したくなるだろう? すぐに戻るよ。5分ほど待っていてくれないか?」
「ええ……分かったわ。危ないこと、しないわよね?」
「まあ口論くらいにはなるだろうが、動物にあたろうとする連中が人間をどうこうしようとはしないだろ。じゃ、行ってくる」
短く言い置いて、通りの向かいの建物の隙間、路地裏へ駆け出す。
路地へはいると通りの喧騒が一枚隔てたように遠くなる。同時に路地の奥に人の気配を感じる。奥へ進み、角を二度折れるとぽっかり開いた場所が出現した。中の様子を伺う。
「オラッ、大人しくしろ!」
「ギャウ! ギャウギャウ!」
すると、トレンチコートの男が小汚い毛並みの野良犬を取り押さえ、"尾薬"と思しきアンプルと注射器を構え――たので背後から襲い掛かり、こめかみを蹴り飛ばして意識を刈った。
突然倒れた男の身体に潰され野良犬が暫くバタバタもがいて這い出る。
「ぎゃうん!」
礼が欲しかったわけでもないが、勢いそのままに逃げ出していった。まあ犬の方に用はないのでどうでもよくはあったのだが。
倒した男の懐をあさる。すると、青色のアンプルだけでなく、赤色のアンプルが見つかった。青が"尾薬"だとすれば赤は……
「"起薬"だね?」
「ッ!」
瞬間的にその場を飛び退き、転がるようにして背後を確認する。
紫色の紳士服に萌黄色のシャツ。男何だか女何だかはっきりしない怪しい面貌。我が上司ピエッタの姿がそこにあった。
心の中で紛らわしい真似するなと百回罵倒してから口を開く。
「ピエッタさん。なぜここに?」
「君の方こそ、と僕は問いたいところだよ? 僕はここ最近"そこの彼"みたいな人を探し回っていたのさ」
見かけないと思ったらそんなことしていたのかこのピエロ野郎。それにしてもいつも謎の情報網を持っているなと思っていたが、案外こうやって自分で調べていたのか?
「探していた、とは?」
「うん? ほら、市内で最近多いじゃない。魔獣の被害。あれの原因を探っていたのさ」
「原因というと、魔獣の侵入ではないのですか?」
「君も直接対峙したと思うけれど、今市内で暴れている魔獣っていうのは全部"尾薬"を使われた魔獣なんだ」
確かに、大した能力を持ち合わせていなかったが、公園で狩った魔獣は二本の青い尻尾が生えていた。"尾薬"による変貌と似た現象だと感じたので、てっきり"組織"が一枚噛んでいるのかと考えていたのだが。
「外部から侵入するにしても、あまりに数が多いと思わないかい?
しかも発生初期ならまだしも、厳戒態勢の今も尚魔獣の被害は収まるどころか増加してさえいる。
フフフ……まるで市内に魔獣が突然現れているみたいだね?」
「もしや市内で暴れている魔獣は……」
「そうだね。どこかの誰かが"尾薬"と"起薬"を野生の動物に使って生み出しているのさ。そこの彼は街中の野良犬で試そうとしていたみたいだけどね」
ピエッタはそう言うが、疑問は残る。
真っ先に思い当たるのは"尾薬"そのものに動物を魔獣にするような効果がない事。そして"起薬"を使ったところで発生する事象は、個体の内面を能力を付与した尾として顕現させるものであったはずだ。
公園で対峙した魔獣を思い出す。猫のような狼のような、そんな姿の魔獣だったが、その体躯は少なくとも2m近くはあったはずである。あの時は魔獣であると思っていたので特に違和感を覚えなかったが、"起薬"を使われた動物としてみた場合、元からそんな生き物であったとは考え難く、デアネミー刑事のように肉体の再構成が行われたと見るべきであろう。そこに違和感がある。
「ピエッタさん。デアネミー刑事は特殊な例だったはずでは?」
「うん。僕もそう思っていたからおかしいなと思っていたんだけれど、どうやら秘密はその"尾薬"にありそうだね?」
そう言って、伸びている男が持っていたアンプルを指差す。
「たぶんその"尾薬"は濃い。濃いだけじゃなくて、『何かおかしい』。
僕等は"起薬"の補助薬として利用していたから考えが浅かったけれど、恐らく肉体を変化させる方法があるのだと思う。特に小、中型動物ともなれば必要とされる量は人より少ないのだろうね。
弱火から強くするか、強火から弱くするか。それがこの差ってことかな……フフフ、実に彼らしい」
「つまり、この"尾薬"には人を魔物や魔獣に変化させる効果があると?」
「実際に見てみた訳じゃないからまだ分からないけれど、そこの彼はその心算で事にあたっていたようだね。いやはや、危ない物を思いつくね?」
「兵器としては有効であるように感じます」
「恐らく"深淵"の手による工作だね。彼らもそう思ったから『こんなもの』造ったんじゃないかな」
なるほど、下手人は市庁舎事件の時に戦りあった糸使いのアイツが所属しているという"深淵"が有力か。確かにこの街で"尾薬"と結び付けられるのは"組織"かあいつらしか考えられない。そうなると魔獣を暴れさせる目的が不明だが、ああいう手合いは特に目的も無く破滅的な行動を起こすこともあるので考えるだけ時間の無駄かもしれない。
「元の効果の催眠や暗示がどうなっているのかが気になるところだね。それを差し引いても、体内に打ち込めばそれだけで勝負がついてしまうか……。
いや? もしかしたら意外と意識もしっかりしていて、身体が魔獣や魔物になってしまうだけかもしれないか。そうしたら場合によっては戦力増強?」
「仮に強くなれるとしても、魔獣や魔物にはなりたくありませんよ」
「フフフ、それもそうだね。それじゃあヤカ。"尾薬"は預かっておくよ。デート中に『そんなもの』持っていたら興ざめもいいところだよ?」
さっきから特濃"尾薬"を指す時、妙に引っかかる物言いをするな。何か変だろうかと薬瓶を眺めてみるが、どこからどう見ても気色悪い蛍光水色の液体だ。まあ渡すことに異論は無い。どうせ博士辺りにでも回折を依頼するのだろうから結果はそこから聞けばいいだろう。
というか。
「ピエッタさん。何故私がデート中だと知っているのですか?」
「フフフ……その服、よく似合っているよ?」
今日の予定は特段報告していなかったはずだ。さてはコイツ、どこかで見ていたな。半目で睨みつつ回収したアンプルを渡す。
5分とは行かなかったがまだ10分と経っていない。急いで戻ればなんとか機嫌を損ねずに済むだろうか。
「それでは任務に戻ります」
「うん。楽しんできなよ」
「? はい。では」
路地を抜けて通りに出る。さっきまで居たカフェテリアは丁度反対側なのですぐにシーリィ女史の姿が目に入った。向うも俺の姿を確認して表情を明るくする。
「ごめんな。ちょっと説教に力が入った」
「もう。心配したのよ」
「いや、本当にすまない。頭に血が上っちゃって。デート中の恋人を置いて何処かに行くなんて最低だな。お詫びがしたい、何でも言ってくれ」
「な、なんでも!?」
「ああ。なんでもする」
「そ、そ、そう。それじゃあ、あと。後の楽しみにしておこうかしら。そうするわ。それよりも折角観劇街にまで来たのだからもっと他にも色々見て回りましょう?」
「りょーかい。それじゃあ出ようか」
なんでもすると聞いたときのシーリィ女史の態度が若干気になったが、なんとか機嫌を損ねずに済んだようだ。
その後は色々見て周り、日が暮れてからは自室で子犬と戯れた。
勿論、ゆっくりと何でもいう事を聞きながら。
シーリィ女史は意外と乙女願望が強いことが発覚した。
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脊髄でかいている作者のキャパを越えた展開になりつつある(白目
うまく纏まるように頑張ります




