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第16話 嘆きの灯台-16 足音

 所帯染みた所作というのは人それぞれに思い描く物が異なるであろうが、足を開いて椅子に腰掛け新聞を読む、というのは恐らくおおよその人間にとって所帯じみた、飾らずに言えばおっさん臭い動きなのではないだろうか。

 その日の作業を完了した清掃員更衣室には、そんなおっさん達がたむろしていた。定時まではまだ僅かに時間が有り、打刻までの時間、皆で集まって一服しているのだ。観察者を気取る俺も実のところその一員である。なぜなら俺は清掃員のヤカであるのだから。


「はー。最近市内に魔獣が入り込んでいるんだとよぉ。ヤカ。物騒だなぁ。協会員はなにやってんだろーなぁ」


 非喫煙所故火のついていないタバコを咥えた課長が新聞をめくりながらふがふがと言う。


「なんで俺に言うんですか」

「そりゃお前アレよ。そういうの慣れてんだろ?」

「鉄火場と害獣退治じゃ勝手が違いますよ。あと一つ付け加えておくと、もし街中で魔獣に出くわしたら倒そうなんて思わないほうがいいっすよ。小さい奴でも簡単に骨とか折ってくるんで」

「こわっ、近づかんどこう」

「それがいいっすよ」


 作戦決行期日まであと40日を切った。冬の気配が色濃くなるそんな時候、サンベイル市では魔獣の侵入被害が顕在化しつつあった。


 実のところ、市内への魔獣の侵入はそれほど珍しい事ではない。何せ東西10kmに及ぶ敷地がある。大陸における都市とは基本的に魔獣避けの外壁に囲まれた内側を指すが、これだけ広大な都市ともなると場所によっては老朽化していたり、そもそも壁の高さが十分でない箇所が存在してしまう。多くの魔獣はそうした場所から侵入しているのだそうだ。

 なら補修すればよいのではないか、というご意見はごもっともだ。とはいえ外壁はあまりにも長く大きい。簡単な補修であれば可能であろうが、何分相手は魔獣である。奴らの身体能力をご存知だろうか? 個体差はあるものの、体長の二、三倍程度の高さならば平気で飛び越えてくる。生半可な補修では通用しない。日夜外壁業者が補修しているが手が回っていない、というのが現状である。この辺りの話は市議会選挙でよく争点にされているとは課長の言である。


「けど妙な話ですね。協会員が討伐し損ねているんですか?」

「ああ。魔獣が廃墟を根城にしてた、なんてとこもあったみたいだぜ。流石に今はもう討伐されたみてーだが」


 侵入した魔獣の殆どは即日、ないしは目撃情報より数日以内に討伐される。専門業者たる協会委員にはそれほどの手管がある。それだけに違和感が強い。そもそも市内に侵入するような個体は大体が小型で、協会員が手を焼くような強力な個体はほぼ現れない。

 理由はいくつかある。手を焼く魔獣とは大型の魔獣とほぼ同義なのだが、大型の魔獣は野生の環境において餌(動植物や下位の魔獣)に困らない立場である。そのため生活の拠点を捨ててまで人里に降りてくる理由がない。

 そして奴らは賢しいため、群れて生活している生き物の縄張りには決して近づかない。どれだけ己が肉体に自信があろうとも、数を頼みにされればたちまち劣勢となる事を知っているためだ。逆説的にそうした事柄を学べなかった個体は大型に至る前に死んでいくのだろう。


「夜間の外出を控えるようにーだなんてここ何十年も聞かなかったがなあ」

「へーそうなんですか。まあ俺はそういうわけにもいかないんでね」

「ん? ああ、例のバインバインの彼女か」

「言い方言い方。付き合いたてで楽しい時期なんで、控えるようにーなんて言われてもそうそう止めませんよ」

「おあついことだなーおい。俺も偶には母ちゃんにイイモン買って帰るかなァ?」

「甘いものがオススメですよ。おっ、じゃあ時間なんで上がります」

「へいよーまた明日な」




 陽が沈みかけた外の空気は少し肌寒さを感じさせる。コートの襟を立てつつ通用口を出る。妙なところで恥ずかしがり屋なシーリィ女史との待ち合わせは市庁舎の敷地を出た所だ。


「ちょっと貴方」


 少し急ぎ気味に足を出したその時だった。唐突に横合いから声をかけられた。

 吊り気味の眉をした勝気な顔立ちの女性だ。ここいらではあまりお目にかからない銀髪をしている。何処かで見た顔のような気がするが、あまり顔を見つめてもよろしくなさそうだ。生半な返事を返す。


「俺ですか?」

「そう。貴方。貴方ここの人よね?」

「ここで働いてはいますが、それが何か」

「ちょっと訊きたい事があるのよ。付き合ってくれない?」

「人を待たせているので遠慮していただきたいのですが」

「いいじゃない。A級協会員のエリナ様が質問してあげているのよ? 大した時間じゃないんだから付き合いなさいよ」


 話しているうちに思い出した。

 化物になった刑事を氷漬けにした"氷結"キャリー嬢だ。

 見た目は表情を除けば深窓の令嬢といった風体だが、これまた随分と協会員的な性格をした人物であるようだ。強引で大雑把。つまりけなしている。


「よし分かった。少しだけ付き合うから早く済ませてくれ」

「初めからそう言いなさいよ。貴方から見て最近変わったことはなかった? この市庁舎の中での話よ」


 変わったことばかりだし、何ならその渦中にあると言っても過言ではないがそれを素直に話す訳には行かない。


「例の何とか刑事の事件くらいかねぇ。あれから警察がぞろぞろ歩いてるの見かけるぞ」

「ほかには?」

「他ぁ? あとは身の回りの事ばっかりだぞ。あんたが聞きたいのはそういう事じゃないんだろう?」

「ふーん? じゃあもういいわ」

「おいおい。礼の一つも無いのかよ」

「ありがと」

「どーいたしまして」

「あ。やっぱりちょっと待、きゃっ!?」


 すれ違い様、呼び止めようとしたのか振り向こうとしたキャリー女史。しかし上手くいかずそのままボスッと音を立てて地面に転げてしまった。

 無視するわけにもいかず渋々手を貸してやる。


「へぶっ」


 すると今度は頭突きでもする勢いで俺の胸に飛び込んできた。


「なんでそうなる」

「知らないわよ! ほらもう行っていいから!」


 ベシベシ叩かれた肩や胸をさすりながら今度こそその場を後にする。

 あんなドンくさい奴でも協会員は務まるのか。別の意味で感動した。もしかしたらそんな奴ばっかりだから市内の魔獣騒ぎが起きているのかもしれない。まあ、そんなわけはないのだが。





 駆け足気味に待ち合わせ場所へ向かえば、シーリィ女史の姿が見えてきた。

 忙しなく時計を確認しつつも市庁舎側に目をやろうとしない姿は、なんともいじらしく彼女らしい可愛らしさがある。


「ごめん遅くなった」


 ぱっと顔が上がる。一瞬浮かべた明るい表情。隠すように現れたしかめっ面。どちらも等しく彼女の顔。


「遅いじゃない」

「変なのに捕まってたんだよ」

「ふぅん。歩きながら聞くわ。行きましょう」


 そう言って腕を絡めるシーリィ女史。最近はこうした積極的な態度が増えてきた。慎ましい態度を好むものだと思っていたから少々意外だ。

 と、ふいにその表情が歪む。


「……ヤカ。女の人の臭いがするわ」

「はあ? ……あぁ、さっきのアイツか。転んでいたから手を貸したんだが、その拍子にちょっと」

「ちょっとって何?」

「怒らないでくれよ。鈍臭い女だったみたいでね、立ち上がる拍子にまた転びそうになったから支えてやったんだよ。ちょうど抱きとめる形にはなったさ。でもそれだけだ」


 答えがお気に召さなかったらしく、片腕から幸せの感触が離れてゆく。


「私は寒い中待っていたというのに、貴方は知らない女性と楽しく過ごしてたのね」

「待たせたのは悪かったって。次からは何があっても待たせはしないって。だから機嫌を直してくれよ」

「別に怒ってません」

「わかった。わかった。降参だ。なんでも言ってくれ。なんでもするから」

「それじゃ私が悪いみたいじゃない。でもそうね、指先が冷たくなってしまったから、暖めてくれない?」

「お安い御用だ」


 少し冷たい指先に自分の物を絡めて繋ぐ。

 結局、片腕に幸せが戻るまでそれほど時間はかからなかった。




風邪っぽいなにかにやられていました

まだあたまいてーですが投稿!

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