第10話 嘆きの灯台-10 政治家
犯人は現場に戻るなどというが、現場が職場の場合、これに当てはまるのだろうか。当て嵌まりそうだな。
明けて翌日。実に間抜けな話なのだが、俺は通常通り市庁舎へ出勤しようとしていた。ピエッタだ、尾薬だ、協会員だ、氷結だなんていうのは俺が勝手に疲れただけで、仕事は仕事でド平日なのだから。
で、何が間抜けなのか。それは昨夜の帰り際の行動に起因する。
「やだ、門が崩れてる。昨日のうちに何かあったの?」
「これじゃ入れないね。今日の業務はどうなるんだろう」
「警察も来てるし物々しいね……あたし聞いてくる」
目の前に広がる崩れた瓦礫とひしゃげた鉄柵そして一際大きな穴の開いた地面。
姦しく会話する職員達の声を聞きながら、己の愚かさを呪う。
そりゃああれだけ派手な振る舞いをすれば警察は調べにくるだろう。ついでに言えば市庁舎内も道の空間が発見されていたり、謎の液体が飛び散っていたりと安全とは言いがたい。現場保存の鉄則に従うなら無関係な人間を入れるなど持っての他だろう。
つまりは市庁舎には入れない。入れなければ仕事が出来ない。手元の個人端末に連絡が入る。本日休業。壮年の課長らしい端的な文章だ。
要するに、俺は休みになりそうなことが予想できたにも関わらず職場まで来てしまった間抜けさんなわけだ。
まあ、隠蔽工作としていつも通り出社するのは間違いではないと自分に言い聞かせ帰るとしよう。
「ンン? どうしたのだねヤカ君。夜にはまだ早いぞ」
突然だが最近俺の住んでいるアパートメントに隣人が出来た。
マル・イーノ。四十二歳の自称研究者。白髪の無い茶髪の精悍な顔立ちをした美丈夫で、その年齢は浮かぶほうれい線でしか感じることがなく、身体的特徴からもあまり研究者然とした印象は受けない御仁だ。
別に引っ張る心算も無いのでさっさと明かすが、"花怪盗"ことブルーマン博士である。
「市庁舎が爆発事故かなにかで入館禁止になってたんだよ。だからこうしてすごすご帰って来たわけよ」
「ふむ? ……あぁ、なるほど。それは実に滑稽だな! 折角だ、茶でも飲みながらゆっくりしようではないか。"彼"も来ることだしね」
人の目のある場所なので誰に聞かれても良い会話を心がける。つまらない積み重ねだが大事なことだ。
そして博士やピエッタと会話していると思うのだが、知能に差がありすぎると会話が部分的にしか成立しない事がままある。恐らく今、博士は俺の短い言葉から聞き及んだ昨夜の脱出方法を思い出し、何も考えず出勤しその結果訪れた無様な状況とその時の心境を想像したのだろう。
そうと分かる程度に賢いつもりだが、こうまで短い時間で色々と察されると思考に追いつこうとするこちらも一苦労だ。しかも既に話題も変わっているし。
二人して建物に入る。市全体からすれば所謂貧民街に当たる南西部だが、別に全部が全部あばら家だったりボロ家であるわけではない。俺の暮らすこのアパートメントもそれなりにしっかりとした作りだ。
間取りは入り口から入って共有空間のエントランスとなっており、両脇の階段を上ると各部屋への扉が並んでいる。さりとて珍しくない作りの生活に不便しない家だ。
右手側の部屋が博士の部屋だ。奇声や笑い声が聞こえてきそうな物だが、不気味なほどに物音がしない。静かだとそれはそれで気になるという二度迷惑な男だ。
案内に従い部屋に招き入れられる。中は意外と普通だ。妖しげな機材が所狭しと並べられていそうだと思っていたのだが、少し拍子抜けだ。
「掛けてくれ給え。ああ。しないとは思うが、引き出しは不用意に開けないように。内臓がいくつか消える事になるのでな!」
そう言ってキッチンへ消える。言われずとも動く気はない。
「フフフ、博士の冗談はいつも分かり難いね」
ギョッとして傍らに目を向ければ、そこには優雅に脚を組んで椅子に腰掛けるピエッタの姿。いつの間に現れたんだ? 部屋に入ったときには居なかったはずだ。
「君が気付かなかったという事は、コレ、中々具合がいいみたいだね?」
そう言ってピエッタは膝上に丸めたブランケットのような物を肩にかけた。
その瞬間、ピエッタの首から下が消失した。
「……ブルーマンスーツのような技術でしょうか」
「そうみたいだね。外套で包んだ物を不可視化しているのかな? 博士って器用な事するよね」
器用というか凄いことなのではないか?
ピエッタの生首とお話していると、茶器を手にした博士が戻ってきた。
「おやピエッタ君。居たならそうと言ってくれれば君の分まで用意したのに」
「おかまいなく、さ、博士。それよりこれ凄いね。いつ完成したんだい?」
「完成と呼べるものでもないさ。包める物しか不可視化出来ていない欠陥品だよ」
「そうかな。コレはこれで使い道があると思うけれど。ほら、例えば今みたいにして肝試しとかに」
「ほう! それはいいな! ふむふむ……ふむふむ! なるほどなるほど! アイディアが浮かぶが、君も居ることだし今後の事について話したほうが良さそうだな!」
「フフ、そうしてくれると助かるよ。さてヤカ。昨日はお疲れ様。"組織"としても中々興味深い進展があったよ」
この雰囲気のまま真面目な話をするのか。
「ヤカ。君は昨日の潜入でいくつか疑問を抱いたんじゃないかな?」
「疑問、ですか」
"組織"に関わってからというもの疑問は尽きないが、昨日のは割りと身近な危険として迫ったので聞いて置いた方がいいのかもしれない。
「"尾薬"について。貴方は随分と知っていたようでしたが」
「そうだね。まずはそこからかな。君が疑問に思っているのは"尾薬"で刑事が魔物に変化したこと、それでいいかな?」
「大まかには」
「うん。まず、"尾薬"そのものに人の体組織を変化させる力は無いんだ。道中簡単に説明したけれど、アレは人の内面と外面の境界を曖昧にさせるための薬。
そして君に渡したあの対抗薬、あれこそが対となる魔薬さ。"起薬"なんて呼んでるね」
「その"起薬"なる物を使用すると、あのような姿に?」
「少し違うかな? ああなったのは結果であって効果ではないよ。
この"尾薬"と"起薬"、二つを使用することで得られる効果、それは人の精神を"尾"の形で具現化し、その有り様で現実世界に介入することさ」
尾、いわゆる尻尾。そう言われて見ればあの水色のミミズは、ミミズの化物みたいな姿をしていた癖に三本の尾が連なっていた。
「あの刑事の場合は魔術の無効化、衝撃の無効化、そして肉体的な強化、ってところかな。身体があのように変化したのは肉体的な強化が影響しているだろうね。報告にあったけれど、あの刑事はプールみたいな水槽一杯の原液に浸かっていたらしいね。そんな状態で尾の力を使えば力の加減を間違えてしまうのも納得だよ」
納得なのか。正直話されている以上の情報がなくてさっぱり分からない。
まあそれはいいとして必要な情報を手に入れるとしよう。
「それで、貴方は何故この薬についてそれほど詳しいのですか?」
合格、とでも言いたげにピエッタはニッコリと笑う。なまじ中性的であるため妙な色気があって気持ちが悪い。
「それはね、この薬が"組織"から流出したものだからなんだよ。
流出させたのは元"組織"の委員でね、今では"深淵"なんて組織を作って南部戦場で暴れているみたいだよ? 君の報告にあった褐色肌の糸使い。特徴からして間違いなく"五線譜"のダミルだね。言うまでもなく"深淵"の幹部さ」
生憎とその組織名は聞いたことが無いが、年がら年中殺しあってる南部戦場であれば、後ろ暗い秘密組織など掃いて捨てるほど存在する。それほどの驚きは無い。
「これ、君に渡しておくよ」
ピエッタから青い薬液の詰まった無針注射が放られる。
「昨日渡した薬と使えば、君も"尾"が生えるよ。試してみるといい」
「ご冗談を」
こんなわけの分からない代物使うはずが無い。
ピエッタは一瞬面映そうに眉を上げ、
「ま、いいさ。使いたくなったら使うといい。実験がしたいのなら手伝うから」
それからいくつかの質問と答えを貰った。
あの後、なんとあれだけの攻撃を受けていたにも拘らずデアネミー刑事は生きていたらしい。
どうやらあの化物の身体は外皮が膨れ上がったような代物であったらしく、A級狩人協会員"氷結"のキャリーによって氷付けにされ、粉々に粉砕された中から五体満足の状態で発見されたらしい。
しかし生きてはいたが無事ではなかった。命に別状はないものの周囲の呼びかけに全く反応せず、それどころか食事や排泄すら自発的に行わない無気力状態になっていた。生きながら死んでいるようなデアネミー刑事は心神喪失状態と診断され、現在は市内の特別病棟で監視されている。
「もう一つ。今度改めて面通しはするけれど、サンベイルにおける"組織"の協力者、委員を紹介しておくよ」
言いつつ電管テレビの電源を点けた。ちょうど市議会の中継が放送されていた。
『サンベイル市は正に今! 転換点にある! 従来通りの何も出来ない、何も進まない政治方式を選ぶか、革新的で前進的な、新たな政治方式を選ぶかだ!
つまり! より中央集権型の議会の開設こそがサンベイルの、否! 大陸東部の繁栄へと繋がるのだ!』
画面に映る赤髪の男は野心的な口調と主張を繰り返し、自らの支持者達の拍手を受けながら降壇した。
「彼はクラウン・ゴールドス。サンベイル市の名家ゴールドス家の当主にして政治家。停滞した従来の政治方式を変えるべく発足された市民党の代表でもある。
何よりも。
"組織"が求めるサンベイルの遺産"嘆きの灯台"について協力関係にある人物さ」
ブクマ、ご評価ありがとうございます。めっちゃ励みになります!
皆様のおかげで初期目標だった1000ptを超えることができました!
とっても嬉しい
嘆きの灯台編までは毎日更新で突っ走ります
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