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第9話 嘆きの灯台-9 化物

 音と言う物が伝える情報は多い。こんな実験がある。森で生活する力量差の少ない二人の狩猟者を用意し、片や耳を塞ぎ片や何もせず二人を同行させる。その状態で狩りをさせたところ、同じ瞬間に耳を塞がれた者は獲物を発見できなかったという。どころか終日通して獲物を発見できなかった、という記録がある。

 元は聴覚が視覚に影響を及ぼすかどうかの実験だったのだが、それは兎に角として五感が持つ能力の重要さはお分かりいただけると思う。


 さて、先ほどから扉越しに危険な物音が連続している。野獣のような叫び声、振動音、発砲音。睨みあう形で銃口を向けられている俺だが、今や銃口よりも扉の向こう側の方が気になって仕方が無い。


「俺よりもあっちを気にしてはどうだろう」

「そう言って逃げるつもりだろう」

「否定はしないが、物事には優劣を付けるべきだ」


 バンッ、と勢いよく扉が開かれ、次の瞬間アース青年とマリアベル女史が走りこんできた。


「エリク、援護をッ!」


 アース青年の声に銃口が向きを変える。ようやくか。その瞬間、出口へ向かって走り出す。何をするにしても壁際でもたついているより断然その方がいい。


 開いた扉が勢いで閉まる頃、今度は轟音と共に扉が丸ごと吹き飛ばされた。

 中から現れたのは醜悪な魔物。世にも珍しい水色の肌をしたミミズみたいな化物だ。二人はこいつから逃げてきたのだろう。


「アース! あれはなんだ!」

「デアネミー刑事だ! マリアベルの拳銃では歯が立たない!」

「わかった! 炸裂弾を試す!」


 足を止めず駆け抜けた二人と入れ替わるように弾丸が発射された。

 湿った爆砕音が空気を震わす。

 臓腑に響く重たい音は、爆炎を伴い弾けて燃えた。


 違和感。


「ヌオオオオオオオオッ! 男! 殺ス!」

「ッ! 表面が妙な物で覆われている! 衝撃が殺された!」


 さらに観察すれば発生した魔術の炎が体表で掻き消されている。何某かの手段で魔術に抵抗していると思われる。


 アース青年の言葉によればあれがデアネミー刑事であるらしい。人間があのような姿に変われるものなのだろうか。いや、今そんな事を考えても仕方が無い。肝心なのはあの魔物が人間をトマトのように潰す銃弾を肌で受け止め、内臓された爆裂術式すらも効果が無い不思議な生き物であるということだ。つまり、今の俺の装備で撃破は不可能。

 そうとなれば取れる手段は無い。逃げよう。

 全く同じに考えたアース青年チームも脇目を振らず駆け出していた。


 扉を開け廊下へ飛び込む。親切心から強めに引いて扉が開いたままにしておく。囮にすれば逃げ切れるかもしれないが、万が一戦闘になった場合戦力が足りない恐れがある。


 幸いあの化物は素早い性質ではないらしい。俺の後ろを更に遅れて走る彼らにも追いつけていない有様だ。後ろに向けて声を張る。


「確認する! 地上に応援の協会員は居るのか!」

「てめーが仕切るな不審者ッ!」

「エリク今そんな事言ってる場合じゃないでしょ! 救援要請にすぐ対応できたのは私達だけよ!」

「何名かに連絡がついていたのは確認しています!」


 居るかもしれないし、居ないかもしれない。なんとも頼りない状況だ。

 しかしあの魔物が鈍重であることは知れた。身体が硬く魔術も通用しないが、外へ出ればやりようはあるだろう。


 廊下を進み最初の左右に分かれた地点まで戻ってきた。湿った足音はまだ曲がり角の向こうだ。

 と、正面からピエッタが現れる。


「フフフ、新しいお友達かい?」


 俺と異なり顔を晒したピエッタの姿に三人が驚く気配がする。が、そんな事に構っている場合ではない。


「デアネミー刑事が化物になりました。手持ちの武装で撃破は出来ません」

「へえ? ああ、なるほどね。大体分かったよ」


 肩眉を上げ顎に手をやったピエッタは俺の言葉で納得した様子を見せた。本当に分かってるのかコイツ。


「地上へ向かいます」

「それがいい」


 扉を開いて機械室、市庁舎地下へと抜けていく。

 ふとあの化物はあのでかい図体で地下の扉を抜けられるのだろうかと疑問に思ったが、轟音と何かを引きずる音に無駄な期待であった事が知れた。


「攻撃方法は分かるか」


 少し距離が開いたので実際に対峙したアース青年に訊ねておく。


「口に相当する部分から液体を噴出しました。あとは体当たりと、今のところ魔術の使用は認められません」

「使わないという保証もないか」

「そうですね。人間が魔物に変化した以上、魔術的な何かが関わっているとしか思えません。何らかそういった手段に訴えてくる可能性は高いでしょう」


 今俺といがみ合っても仕方ないと割り切ったのか情報交換は円滑に行われた。傍らのマリアベル女史とエリク氏は不満そうな表情だが口を挟んでこない。

 ところで訳知り顔のピエッタ君。何か知っているのなら教えてくれないだろうか。視線をやると、いつもの胡散臭い笑みを浮かべて手を振られた。


「君ってそんな主体性もあったんだね」


 主体性とかそういう話なんだろうか。

 階段を駆け上がる。


「地上でやりあっていた警官は?」

「俺たちである程度制圧した。たぶん片がついてるんだろ」

「マリアベル、もう無線が通るはずだ今のうちに協会に連絡を」

「! わかった」


 アース青年の指示にマリアベル女史は携帯無線機を取り出して連絡を始めた。本当に冷静な協会員だ。あと先ほどから彼らを見て笑みの深いピエッタは何なんだ。

 階下から響く湿った足音が消えた。諦めたのか? 疑問に思う間に地上階に到着した。


「――わかったわ。アース! 応援の協会員が来てるみたい!」

「もう到着するけど状況を伝えて」

「わかった!」


 戦闘跡の残る廊下を抜け、いよいよロビーホールへ出る、その時だった。


「上だッ!」


 突然エリク氏が叫ぶ。

 上とは。

 疑問に思う間もなく身体は危機を察知しその場を飛び退いた。


「女ァ……オカァァス」


 ベチャリ、と湿った音を立てて現れたのは水色の化物。


「どうやってここに!?」

「空調菅だ! 地下からあれを伝ってきやがったんだ!」

「とにかく走れ!」


 ミミズに手足が生えたような外見だ、図体より狭いダクトを伝うのは出来ない事ではないのだろう。知性の欠片も見当たらない形をしている癖に、こういう所には頭が回るのか。

 幸い出口方面への道を塞がれたわけではない。このまま走り抜ければ――


「ッ!」


 息を吸い込むように身体をたわませた魔物を目にした瞬間、咄嗟に伏せる。頭上でビチャリと湿った反響音。口から何かを飛ばしたらしい。


「アース! どうやらアイツ飛び道具を覚えたみたいだぞ!」

「ッ! いや、ここは気にせず走って!」

「あんなの浴びたくないわよッ!」


 外れた体液は粘性高くどろりと壁を伝い水色の跡を残している。液体そのものの性質は不明だが、単純に発射の勢いが強い。銃弾相当と見積もって回避するべきだろう。


「僕にあわせて銃で撃って。君は見えない(・・・・・・)


 唐突にピエッタが言う。地下で見せた視界を奪う魔術だ。しかしこの魔物の体表は弾丸を通さないぞ? とはいえ身体は素直なもので予備の拳銃を取り出し魔物の顔面目掛けて放っていた。

 刹那、視界の隅で化物の三本ある尾が輝きを増したのが映った。


「ウゴッ!? ヌオオオオオオオオオオッ!」


 効果が無い、と思われた拳銃による一撃は予想に反して効果的だった。悶える化物を尻目に出口へ駆け出す。協会員チームはとっくに走り出していた。


「やっぱりね。魔術か物理、どちらかに反応して無効化しているんだ。同時には出来ない」

「そういう性質の魔物なのですか?」

「ちょっと違うんだけど、彼に限って言えばそうかな。フフフ、従順と忍耐、そして嗜虐って所かな?」


 またわからない事を呟き始めたので分かる事だけを聞き取る。

 つまりあの化物は魔術か物理を選んで無効化出来る。だがどちらも無効化は出来ない。ならば今やって見せたように同時攻撃すればどちらかは通るのだろう。


「さ、外につくよ?」

「あの化物は協会員に任せましょう」

「そうしよう。さて、大勢の前に顔を出すのは止めておこうかな。僕って恥ずかしがりやなんだ」

「左様ですか」

「もう。ノリ悪いなあ」


 視界の先に盾を構えた警官達の姿が映る。構わず玄関から飛び出し駆け抜ける。奴らも俺ではなく間もなく現れる化物への対処を優先したようだ。


「げぇ! "氷結"かよ!」

「なによオレンジ頭! 人がせっかく助けにきてやったっていうのに!」


 何やらそんなやり取りが耳に届くが構わず叫ぶ。


「打撃、魔術、どちらかを無効化するぞ! どちらもは無い! 銃で撃つ間に魔術で仕留めろ!」

「確かか!」

「顔面を短銃で撃った! 間違いない!」


 誰か――この場を預かる協会員と思しき男の言葉に応える。


「ヌオオオオオオオオオオッ! 男ォッ! ユルサアアァァンッ!」


 そして遅れること数秒。元デアネミー刑事であった化物は宵闇を切り裂く眩い照明の下に姿を現した。滴る水色の液体。同じ色の襞が顕になった巨躯。おぞましい姿にその場の誰もが息を飲んだ。


「斉射ァァッ!」


 警官達が構えていた銃を一斉に放つ。火線は水色の化物に殺到し、尾を輝かせた化物のたるんだ襞に弾かれる。

 刹那、魔力の奔流。まるで高空の大気まで根こそぎ掻き集めている様な凄まじい魔力の収集。その全ては"氷結"と呼ばれた銀色の少女が織り成す術式へ集約されて行く。針仕掛の時計の内部を覗き込んだような精密かつ複雑な魔術式は与えられた魔力に従い青光を増して行く。


「"氷結"! あわせるぞ!」

「うっさい! それに私はエリナ様よ!

 凍って固まれ(フリーザンフリーズ)! 死ね化物!」


 瞬間、世界が凍る。市庁舎の芝が、発射された弾丸が、水色の化物が。

 僅かに遅れて炸裂音。エリク氏の放った弾丸が大気の水分ごと氷塊となった化物を粉々に砕いた。


 あれだけの憎悪を振りまいていた化物は、叫ぶ間もなく無機物と成り果てた。


「あれが"氷結"……ね。フフフ、楽しくなってきたよ」


 相変わらずご機嫌なピエッタはさておき、離脱の機会は今をおいて他に無い。そろりと乗り付けたままになっていた俺の車両に乗り込み、やや遅れて搭乗したピエッタを確認したところでアクセルを踏む。

 外で誰かが何かを喚いているが気にせずに進む。


「脱出計画"A"で行きます」

「はいはい。また後日、君の家に顔を出すとするよ」

「お待ちして居ます。それでは」


 言うが早いか、光学迷彩の魔術を起動し走行中の車両の窓から身を投げ出す。反対側でピエッタも同じく飛び出したことだろう。

 ちょうど車両が門に差し掛かった所で、中に残しておいた燃料が爆発する。

 何だか今日は爆発物に縁が多い気がする。


 何をしているのか?


 そのまま車両で逃げても足がつく。追われないように入り口を崩し、それらを目晦ましに徒歩で逃げる。歩きで帰るのはしんどいが、足がつくよりマシだろう。


 今日はシーリィ女史との食事から色々とありすぎた。

 ピエッタ、警官、尾薬、地下空間、変な褐色男、化物刑事、氷結、最後に爆発。

 増えすぎた情報に頭が痛いが、情報を整理するのも明日にまわそう。

 さすがに勤務時間外だ。

 すっかり高くなった上弦の月を見上げ、仮面の中で溜息を吐いた。


あるある:意外と戦わない

昨日は別作品の方に手をとられ更新休みました(´・ω・`)

また明日から毎日更新にもどしていきます!

ブクマ、ご感想、ご評価、とても励みになります。ありがとうございます!

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