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悪魔が憐れんだ男  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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18/22

最悪の日

 浦田智也の自宅を訪問した翌日、小沼秀樹はいつものように登校した。駅を降り、商店街を抜けて学校へと向かう。

 今、何が起きているのか……全てを把握している訳ではない。しかし分かっていることもある。東邦工業のバカ共は、黒岩がやられた以上おとなしくしているとは思えない。おそらく、何か仕掛けて来るはず。

 もっとも、秀樹に出来ることは限られている。せいぜいが、他の者に注意を促すことくらいだ。

 こうなった以上、まずは藤井たちに自分の知り得た情報を話す。次に、ペドロのことを調べる。もう、智也は当てにならない。自分でやるしかないのだ。

 だが、遅かった。


「おい、藤井って奴はいるか?」

 数人の少年たちが、浜川高校の生徒に絡んでいる。制服から見るに、東邦工業の生徒たちだ。

 うち一人は、さほど背は高くない。しかし肩幅が広くガッチリしており、耳が潰れている。柔道もしくはレスリングの経験者であろう。

「おい、さっさと藤井ってバカを呼んで来いや! でねえと、てめえ殺すぞ!」

 東邦工業の連中は喚きながら、浜川の生徒の襟首を掴んでいる。

 ため息をつく秀樹。こうなると、見過ごすわけにもいかない。

「おいおい、いい加減にしろ」

 言いながら、秀樹は近づいて行く。すると、彼らの視線が一斉にこちらを向いた。

「何だてめえは!」

 一人の少年が、喚きながら秀樹に迫る。だが、秀樹は襟首を掴むと同時に、腹に膝蹴りを叩き込む。

 次の瞬間、少年は腹を押さえて崩れ落ちた。

「お前ら、朝っぱらからご苦労だな。話だったら俺が聞いてやるよ」

「んだと……」

 低い声で唸り、前に出てきたのは耳の潰れた少年だ。秀樹は僅かに後退し、間合いを離す。この男には、掴まれたら終わりだ。

 すると、男は忌々しそうな表情を浮かべた。

「俺はトウコウの村上だ! さっさと藤井を呼んでこい。でねえと、てめえを先に殺すぞ!」

 凄む男。秀樹は一瞬、迷った。素直に言うことを聞いてしまっていいのだろうか。

 だが、これ以上揉めると騒ぎが大きくなる。秀樹はため息を吐くと、村上と名乗った男を見つめた。恐らく、この男がリーダー格なのだろう。

「分かったよ。付いてきな……藤井はまだ来てないかもしれねえが、そん時は俺が相手してやる」

「はあ!? 偉そうにすんな! てめえは何モンなんだよ!?」

 凄む村上。だが、秀樹はすました顔だ。

「まあまあ……村上くんよう、お前が用があんのは藤井だろうが。俺なんか相手にしてる場合じゃねえだろ。付いてきな」

 そう言うと、秀樹はくるりと背を向け歩き出す。まずは、相手のやる気を削ぐことだ。この手のタイプは、自身の面子を重んじる。仲間の前で、敵を背中から襲うような真似はしないはずだ。

「ざけんじゃねえ! もし藤井がいなかったら、てめえをボコってやるからよ! 覚悟しとけ!」

「ああ、そん時は俺が相手してやるよ」

 冷めた口調で言葉を返し、秀樹は進んで行った。正直言うと、うっとおしくて仕方ない。こんな男など、相手にしている場合ではないのだ。

 しかし放っておくわけにもいかなかった。このままだと、村上は無差別に生徒を襲いかねない。

 面倒くさい話ではあるが仕方ない……秀樹は東邦工業の生徒らを引き連れ、すたすたと歩いていた。

 その時、見覚えのある後ろ姿を見かける。標準の制服、妙にガッチリした体つき、さほど高くない身長……だが、どこか威圧感を感じさせる。


 もしや、あいつか?


 秀樹は、歩く速度を早めた。目当ての者に追いつき、さりげなく顔を見る。

 彼の予想通り、男はペドロであった。平然とした顔で学校に向かい、真っ直ぐ歩いている。村上を始めとする東邦工業の面々が、周囲の生徒たちに影響を与えているというのに……気づいていないのか、あるいは気にも留めていないのか。

 不意に、ペドロの顔がこちらを向いた。歩きながら、秀樹の目を見る。

 その瞬間、秀樹の背筋がぞくりと寒くなった。やはり、この男は普通ではない。周囲の空気の変化に、気づいていないはずがないのだ。にもかかわらず、平然としている。

 だが秀樹は、ふと思いついたことがあった。


 いっそ、こいつらをペドロにぶつけたら?


 藤井はこの時間帯、来ているかどうか分からない。もし藤井がいなかったら、村上は自分に向かって来るだろう。

 ならば、村上をペドロにぶつけたら、どうなるだろうか。

 ペドロの喧嘩っぷりを、間近で見てみたい。


 秀樹は立ち止まった。村上の方を向き、意味ありげに目配せする。

 訝しげな表情の村上に近づき、耳元で囁いた。

「村上よう、あのペドロくんもかなり強いぜ。まずは、ペドロくんをぶっ飛ばしてみせてくれねえか」

「はあ?」

 すっとんきょうな声を上げる村上。この男、かなり単純な男のようである。ならば、押してみよう。

「あのペドロはな、一年生だけど強いんだよ。まずは、藤井の前にあいつをぶっ飛ばしてみてくれ」

 そこで、秀樹はニヤリと笑う。


「それとも、あいつが怖いのか?」


「んだと……ざけんじゃねえ! あんな一年、秒殺だよ!」

 喚くと同時に、村上はつかつか近づいて行く。何のためらいもなく、ペドロの肩に手を伸ばす。

 だが次の瞬間、村上はビクンとなる。一瞬、体が痙攣したようにも見えた。まるで、電流が全身を走ったかのように。

 一方、ペドロは立ち止まった。そのまま、ゆっくりと振り返る。

「あなた方は、東邦工業の生徒さんですよね?」

「だ、だったらどうしたんだよ!」

 吠える村上。しかし、明らかに動揺している。そばで見ている秀樹には、彼の変化が手に取るように分かった。

 間違いない。村上はペドロを見て、何かを感じ取ったのだ。自分と同じく、あの外国人のような風貌の裏に秘められた危険なものを……。

 しかし、何も感じなかった愚か者もいたらしい。村上の手下の雑魚Aが、肩を怒らせながら近づいて行った。

「村上さん、何やってるんすか!? こんな奴、俺がやってやりますよ!」

 怒鳴りながら、ペドロを威嚇する。臆している部分はまるでない。

 すると、ペドロはため息を吐いた。

「あなた方の役目は、もう終わりなんですよ。さっさと消えてくれませんか?」

「はあ!? てめえ殺すぞ!」

 雑魚Aは、ペドロの襟首を掴む。と同時に、右手でペドロの頬を殴り付けた――

 だが、ペドロは表情一つ変えない。無言のまま、雑魚Aを見つめている。痛みを感じている様子はないし、怒っているようにも見えない。

 一方、殴った雑魚Aは怯えていた。今になって、ようやく目の前にいる者が普通でないことに気づいたのだ。

 しかし、それだけでは終わらなかった。

「あなたは……百六十八センチで五十七キロ。不良たちとつるんでいますが、実はアニメを観るのが大好きですね。好きな作品は、魔法使いの女の子が主人公の作品ではありませんか?」

 先ほど殴られたにもかかわらず、ペドロは淀みなく語る。その言葉に、みな唖然となっていた。この男は、何を言っているのだろうか?

 しかし、雑魚Aは違う印象を持ったらしい。その顔に、奇妙な表情が浮かぶ。

「な、何を……てめえ、でたらめ言ってんじゃねえ」

 言葉につまりながらも、抗議のセリフをはいた雑魚A。だが、ペドロは首を振った。

「申し訳ないんですが、もう皆さんの役目は終わりです。さっさと引き上げてくれませんかね。でないと……非常に不快な思いをすることになりますよ」

 そう言うと、ペドロは村上を見つめた。

「この中のリーダー格は、あなたですね。さっさと引き返した方が賢明です」


 村上は、小学生の頃から柔道をやっていた。中学の柔道部の上下関係に嫌気がさし、高校に入ってからは辞めてしまったが……それでも、並みの不良とは強さのレベルが違う。

 そんな村上だからこそ、分かるのだ。このペドロという男が、尋常ではないということに。

 もし今が、ペドロとの一対一という状況であったなら、間違いなく村上は引いていただろう。

 しかし、周囲には敵である浜川高校の生徒たちがいる。さらに、後輩たちの目もある。東邦工業のナンバー2である村上は、引くわけにはいかなかったのだ。

「おい、てめえ……ちょっと来いや。藤井の前に、てめえから片付けてやんよ」

 低い声で、ペドロに凄んだ村上。しかし実は、内心の不安を必死で消し去ろうとしていたのだ。


 俺はこれまで、何人もの相手を葬ってきたんだ。

 こんな一年ごときに、負けるはずがねえ。

 俺はどうかしてる。

 こんな奴、アスファルトの上にぶん投げればケリが付くはずだ。




 確かに村上は強い。喧嘩なら、藤井や秀樹とやり合っても互角に近い闘いが出来たであろう。また、それなりに自信もある。

 だが、それだけに隙も多い。しかも、少年ゆえに人生経験も少ない。自分の想像もつかないような化け物が存在することを、彼は知らなかった。

 いや、実のところ……それとなく気づいてはいた。村上もそれなりに修羅場をくぐっている。そんな彼の勘は告げていたのだ。ペドロには勝てない、と。

 ところが村上は、その勘を信じ身を委ねることが出来なかったのだ。これまでにも、多くの不良を叩きのめしてきた村上。だが逆に、その経験が彼の邪魔をしていた。

 その上、周囲の目もある。東邦工業にて、これまで築いてきたものは、決して小さくはない。そのため、引くわけにはいかなかったのだ。


 そんな村上を、ペドロは冷たい表情でじっと見つめる。

「分かりました。このままだと、面倒なことになりそうですね。行きましょう」

 そう言うと、ペドロは学校とは違う方向に歩き出した。少し遅れて、村上たちも付いて行く。

 さらに遅れて、秀樹も付いて行った。ペドロがどんな喧嘩をするのか……好奇心をそそられたのだ。それに、自分の勘が正しいのかどうか、確かめる必要もある。

 しかし、ペドロが振り返った。

「関係ない人たちには、来てもらいたくないんですが……そうですね、小沼さんは立会人ということで来てもらうとしましょう。後の人たちは、ここで引き上げてください」

 そう言って、ペドロは他の者たちを見回す。すると、東邦工業の生徒が騒ぎ出した。

「はあ!? ざけんじゃねえぞ――」

「るせえ! お前ら、さっさと帰れ!」

 怒鳴ったのは村上であった。

「む、村上さん……一人で大丈夫っスか?」

 案ずるような声をかける東邦工業の生徒たち。だが、村上は不快そうな表情を向け一喝した。

「いいから行け! 俺の言うことが聞けねえのか!」




 ペドロは、のんびりと歩いて行く。少し遅れて、秀樹と村上が後を付いて行った。

 村上の顔には、汗が浮かんでいる。緊張しているのだろう……だが、秀樹もまた同様に緊張していた。自分が闘うわけではないのに、なぜか鼓動が早くなっている。足にも、軽い震えがきていた。


 やがてペドロは、閑静な住宅地にある駐車場へと入って行く。中は広く、車が数台停まっている。だが、地面は砂利が敷かれており舗装されていない。その上、あちこちに雑草が生えている。下町によくあるタイプの駐車場だ。

 当然、防犯カメラなどは設置されていない。そもそも、この時代の防犯カメラは高級な場所にしか無かったのだが。

 秀樹と村上の二人は、思わず顔を見合わせていた。まさか、ここでやり合おうというのか。

 その一瞬の間に、ペドロは動いた。


 まるでテレポートでもしたかのように、ペドロは瞬時に間合いを詰めた。村上の前に移動すると同時に、腹めがけ一撃を放つ――

 村上は、何をされたのかすら分からなかった。だが次の瞬間、腹の中で何かが爆発したような激痛が走る。彼は声すら出せず、腹を押さえて崩れ落ちた。

 だが、ペドロの動きは止まらない。さらに村上の頭を掴み、首を小脇に抱える。そのまま首を絞め上げた――

 ペドロの腕が、気道と頸動脈とを同時に絞め上げる。村上は抵抗も出来ず、そのまま絞め落とされた。


 この間、僅か数秒の出来事である。秀樹は唖然としたまま、ペドロの動きを見ていた。

 だが、ペドロは顔を上げて秀樹を見つめたのだ。秀樹はビクッとなり、思わず後ろに飛びすさる。

 ペドロは村上の体を静かに横たえると、秀樹に向かい口を開いた。


「あなたは、気づいているようですね。仕方ないので死んでもらいます」


 秀樹は、またしてもミスを犯した。

 今の闘いぶりを見る限り、ペドロの殺傷能力は自分を遥かに上回っている。万が一にも勝ち目はない。

 となると、秀樹が取るべき手段は一つ。大声を上げながら逃げることだ。ここは住宅地である。誰かがその声を聞き、警察に連絡してくれる可能性がある。

 少なくとも、まともに立ち向かおうとするよりは、生き延びる可能性は高いのだ。

 しかし、秀樹は立ち止まり構えてしまった。彼は、ここに至るまでに様々なミスを犯し、挙げ句に今の状況に立たされている。だが、ペドロに対し逃げなかったのは……もはや、最悪の選択としか言い様がないだろう。

 そして秀樹は、自分のミスに気づく機会を永遠に失ってしまったのだ。







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