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悪魔が憐れんだ男  作者: 赤井"CRUX"錠之介


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17/22

解体の日

 小沼秀樹は、浦田智也の家に向かっていた。

 彼は、ようやく理解したのだ。ペドロは本物の怪物である。自分にどうこうできる相手ではない。こうなると、警察の手を借りる必要がある。

 しかし、今のところペドロは目立った行動はしていない。警察を動かすには、何らかの物的証拠が必要だ……あるいは、誰か身近にいた者の証言が。

 そのためには、智也に協力してもらわなくては。



 智也と同じクラスにいた後輩から、彼の住所を聞き出した秀樹。そのまま電車に乗り、智也の自宅へと向かった。


 智也の家は、いかにもな下町の中にある小さな一軒家だった。辺りは木造の家が立ち並び、すぐそばには小さな工場もある。その工場からは、独特な機械音が聞こえている。

 そんな中、秀樹は浦田家のブザーを押した。

 ややあって、中から中年の女が顔を出す。どこか疲れたような雰囲気だ。恐らく智也の母親であろう。秀樹は精一杯、愛想のいい顔を作る。

「あ、すみません。僕は智也くんの友人の小沼秀樹という者なんですが、プリントを届けに来ました」

 出来る限りの笑顔で、秀樹は言った。すると、母親の表情は一変する。

「あら、あなた智也の友だちなの? よくいらしてくれたわね! 早く入ってちょうだい。あの子、昨日から具合が悪くて……」

 急にニコニコ顔になった母親は、半ば強引に秀樹を招き入れる。秀樹は面食らいながらも、おとなしく従った。




「智也、小沼くんが来てくれたわよ」

 ドアの外から、母親がそっと声をかける。

 ややあって、ドアが開いた。中から、やつれた表情の智也が顔を出す。

 智也は、じっと秀樹を見つめた。その顔からは、生気が感じられない。死んだ魚のような目で、秀樹を見ている。

 一方、秀樹は智也の顔色の悪さに思わず目を見張った。確かに、普通ではない体調だ。しかも、これは単なる体調不良ではない。目は落ち窪み、頬はこけている……まるで、ヤク中のような痩せ方だ。

 少しの間を置き、智也は口を開く。

「入ってください」


「おい浦田、あいつは……ペドロは、何なんだよ?」

 ドアを閉めると同時に、秀樹は尋ねた。だが、智也は顔をしかめている。

「僕が知るわけないじゃないですか。わざわざ来たのは、そんなことを聞くためですか?」

 ひどく疲れた口調で、智也は言葉を返す。その態度に、秀樹はムッとなった。

「んだと……」

 秀樹は低く唸り、智也を睨む。だが次の瞬間、どうにか気持ちを落ち着かせる。今は、そんなことに構っている場合ではない。

「最近また、トウコウ《東邦工業高校》の奴らがボコられたらしいんだよ。しかも、その犯人がウチの生徒らしい。お前、何か心当たりはあるか?」

 だが、智也は首を横に振った。

「知りませんよ。トウコウが何しようが、僕には関係ないです」

 投げやりな口調の智也。それどころではない、とでも言いたげな様子だ。

 秀樹は首を捻った。智也の態度は妙だ。つい二〜三日前までは、他人の顔色を窺う臆病な少年……という印象しかなかった。しかし今は違う。秀樹のことなど眼中に無いとでも言わんばかりである。

 これは、体調が悪いせいだろうか。それとも……。


 秀樹は基本的に、智也を自分より下に見ている部分がある。まだ十七歳の少年であり、昔は手の付けられない不良だった秀樹から見れば……智也は頭は悪くないが、要領の悪いヘタレでしかないのだ。しかも、実際に秀樹はスクールカーストにおいて、智也より遥かに上位にいる。

 一方、智也から見れば、秀樹はそこらにいる不良と大して変わらないような人間である。智也の中では、不良という人種は力ずくで物事を決めるバカな連中でしかない。

 しかも、智也は観察眼の鋭い少年である。秀樹が自分をどう見ているか、既に気づいていた。秀樹が智也を見る目……そこには、僅かではあるが蔑みの感情がある。

 普通の少年なら、気づかないかもしれない微かな感情……しかし、智也は気づいてしまった。


 両者の間にある溝は、端から見れば些細なものである。しかし、当人……特に智也にとっては重要なものであった。

 もし秀樹がつまらない意識を捨て、智也もプライドを捨て、お互いを理解しようと努めていれば……この件は違った結末を迎えたのかもしれない。

 だが、双方ともに歩み寄ることが出来なかった。しかも、前日に経験したことは……智也のキャパシティを遥かに超えていた。


 智也は、無言のまま秀樹を見つめていた。彼にとって、もはや秀樹は仲間でも何でもない。学校にいる、その他大勢の不良と同じ扱いである。

 そんな人間が、あのペドロに対抗できるはずがないのだ。

「小沼さん、僕は具合が悪いんです。今日は帰ってもらえませんか?」

 淡々とした口調で、智也は言った。彼は疲れていたし、気分も悪い。秀樹に対する恐怖心は無かった。

 一方、その言葉を聞いた秀樹は……胸の奥から、怒りが湧き上がってくるのを感じていた。この態度は何なのだろう。わざわざ家まで来てやったというのに。彼は、その場で智也を殴り倒したい衝動に駆られた。

 しかし、その気持ちを必死で押さえ込む。ここで智也を殴っても、何もならない。

「そうか……分かったよ。お大事にな」

 低い声で言うと、秀樹は立ち上がった。不快そうな様子で、無言のまま部屋を出ていく。


 一方、智也はベッドに寝転がり、じっと考えていた。秀樹が、わざわざ家までやって来た……学校で、よくよくのことがあったのだろう。

 だが、智也にとってはどうでもよかった。

 なぜなら、智也の頭の中は、昨日見たもので占められていたからだ。


 ・・・


 昨日。

 目の前で、手際よくホームレスの死体を解体していくペドロ。ホームレスの服を脱がせ、用意していた刃物で人体をバラバラにしていく。いとも簡単に、ペドロはやってのけた。

 だが、そばで見ている智也にとっては、その場所は地獄以外の何物でもない。彼は耐えきれず、何度も吐いた。にもかかわらず、ペドロの「作業」から目を離すことが出来ない。

智也は取り憑かれたかのように、ペドロの悪魔のごとき所業を見つめていた。


 やがて智也の目の前で、ホームレスは綺麗に解体された。骨と肉や内臓とが、きちんと分けられている。ペドロは、肉と内臓をゴミ袋に詰め始めた。ひどい匂いが辺りにたちこめている。しかし、ペドロには気にする素振りもない。

「さて、肉や内臓は川に捨てれば済みます。しかし、骨となるとそうはいきません。細かく砕かないといけないですね。このまま海に捨てても見つかることは無いでしょうが、念には念を……です」

 そう言うと、ペドロは地面に置かれていたハンマーを拾い上げた。ニッコリと笑いながら、智也にそれを手渡す。

「浦田さん、吐いたばかりのところを申し訳ないですが、骨を細かく砕いてください」


 あの作業は、本当にキツかった。

 ペドロから手渡されたハンマーは、大きく重い。その重いハンマーで、血や肉のこびりついた骨を砕いていく。智也の体には、ひとかけらのエネルギーも残されていない。にもかかわらず、彼はハンマーを振るい骨を砕いた。

 何故なら、ペドロに言われたからだ。しかも、彼は隣で同じ作業をしている。智也もやらない訳にはいかなかった。




 やがて、骨は全て粉々に砕かれた。端から見れば、そこら辺に散らばっているゴミくずやコンクリート片と代わりないように見えるだろう。

「これなら問題ないでしょう。まあ、念のため掃き集めておきますか」

 言いながら、ペドロはホウキと塵取りを手に掃除を始める。

 しかし、智也は限界であった。へなへなと崩れ落ち、きびきびした動きで掃除をするペドロを呆けたような表情で見ていた。

 やがて、智也はクスクス笑い出す。無性におかしくなってきたのだ。眉一つ動かさず、一人の人間を解体してのけたペドロ。

 そんな極悪人が、目の前でホウキと塵取りを手に、いそいそと床の掃除に励んでいるのだ。客観的に見れば、コントのような風景である。

 今の智也は、笑うしかなかったのだ。もっとも、ただおかしかったから笑っていた訳ではない。笑うことで、様々な感覚や思考を麻痺させていた部分もあるのだが……。


 すると、ペドロもニッコリ微笑んだ。

「フッ、あなたは大したものですね……この状況で、笑っていられるとは。あなたはやはり、彼らとは違う。実に面白いですね」

 そう言うと、ペドロは置いてあった水筒を手にした。蓋を外し、中の液体を注ぐ。

「さあ、これを飲んでください。あなたの体には、カロリーが必要です。これは味は今いちですが、栄養に関しては申し分ないです」

 勧められるまま、智也はその液体を飲んだ。ドロリとしており、恐ろしく甘い。だが、その甘さが彼の疲労を癒してくれた。僅かとはいえ、体力が戻って来た気がする。

「さて、これで死体の始末は完了です。ところで浦田さん、僕たちはしばしの間お別れとなります。やらなくてはならないことがありますので」

「お、お別れ?」

 聞き返す智也に、ペドロは頷いた。

「ええ。お別れとは言っても、すぐに戻りますがね……恐らく、終業式の日には会えますよ」

「終業式?」

 智也は訳が分からなかった。この男の言動は、全く理解不能だ。いったい何をするつもりなのだろう。


 混乱する智也に、ペドロは語り続ける。

「そうそう、宮崎さんと安原さんも、しばらく学校を休むことになると思います。彼らには、してもらうことがありますので……彼らは、自身の願望を叶える機会を与えてあげますよ」

 そう言うと、ペドロはいかにも楽しそうな表情を浮かべた。

「えっ、どういうことなの……」

 呆然となりながらも、智也はかろうじて声を発した。ペドロだけならともかく、宮崎と安原までも休むとは、一体どういうことなのだろう。


 しかし、ペドロは語り続ける。

「彼らはもう、ボーダーラインを越えてしまったんです……あなたと違ってね。あの二人は、本当に愚かで臆病な人間です。そんな彼らが、果たして変われるのか……実に面白いですね」

 そう言うと、ペドロは深々と頭をさげる。

「そういう訳です。申し訳ないですが、僕たち三人はオカルト研究会をしばしお休みすることとなります。我々は、来る日に備えて合宿しなくてはなりませんので」

「どういうこと……君は、何をする気なの?」

 狼狽えながらも、智也はどうにか言葉を発した。

「今に分かります。恐らく、明日は僕たちにとって最後の登校日となるでしょう。そうそう、オカルトといえば……あなたは、幽霊というものを信じますか?」

 突然、訳の分からないことを聞いてきたペドロ。智也はきょとんとなった。この怪物は、いきなり何を言い出すのだろうか。

「い、いや……僕は見たことないけど……」

 戸惑いながらも、智也は言葉を返した。すると、ペドロは笑みを浮かべる。

「僕も見たことはありません。しかし、ほとんどの人間は霊を信じています。中には、霊が視えると言っただけで無条件に崇め奉る者までいますから」

 ペドロは言葉を止め、クスクス笑いだした。

 一方、智也は唖然とした顔でペドロを見つめる。何がおかしいのか、全く理解できない。

 だが、笑うペドロの姿を見ているうちに、何故かおかしさがこみ上げてきた。智也もまた、クスクス笑いだす。

 すると、ペドロは智也を真っ直ぐ見つめる。その目には、純粋な感情が浮かんでいた。


 二人は、肉や内臓の詰まったゴミ袋の置かれた廃墟内で、古くからの友だち同士のように笑い合う。

 智也は、不思議な想いを感じていた。目の前にいるのは、全てがデタラメな上に人殺しであり、かつ人間の死体をものの二十分ほどで解体してしまった男なのだ。

 にもかかわらず、智也は生まれて初めて、他人に対し親愛の情を抱いた。

 ペドロという名の怪物に対し、友情らしきものを……。







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