古びて赤錆だらけの両手剣(未鑑定)②
幽騎の軍勢を割るようにして彼が現れた。
巨大な首なしの黒馬に跨る者。
壊れかけた甲冑を身にまとう首なしの騎士。
眠れる亡霊、黒の歪曲者。
彼は様々な呼び名と逸話を持った恐ろしいアンデッドモンスターだ。
しかし元は人間。
この地下十四階で命を落とした騎士団の主導者。
アドニス・L・アンバーライト。
『百鬼夜行』の呪いによってアンデッド化したアネモネのただ一人の兄だった。
彼が携えていた黒い何かを投げ放ったのを見逃さなかった。
上空へと飛ばされたそれは視界から外れる。
視線すらろくに動かせない状況下では、目で追うことすら許されなかったが、こちらに向けて落ちてくるだろうことは予想できる。
すぐに避けなくてはいけなかったが、幽騎の魔眼によって拘束され、身動きがとれなかった。
「う……ご……け……っ……!」
何かが風を切って近づいてくるのが分かる。
このままでは避けるどころか、防ぐこともできず、直撃を受ける事になる。
為す術がない、と覚悟したその直前――。
◆
「!?」
横からの衝撃。
予期せぬ出来事に驚きながら、体勢を崩し、転倒する
僅かに遅れて何かが地面に激しくぶつかる音と振動。盛大に舞い上がり、勢いよく降ってくる土砂。辺り一面に漂い、視界を覆う砂埃。
何が起こったのか分からず混乱していた。
すぐ目の前にはアネモネを殺すはずだった巨大な黒い塊が突き刺さっている。
それは物質ではない。思念の固まりのようなもので構成された黒い槍だった。
そして傍にいる奇妙な二人組。
ひとりは巨躯の戦士。桶のような兜を被っており、全身を無骨な甲冑で覆っている。胸には寺院の所属を示す十字の百草が刻まれていた。
もうひとりは小柄な戦士。極東風の鎧――当世具足を身に纏い、老翁面具を被っている。侍なのだろう。
自分はこの二人に助けられたらしい。
その姿はどこで見た覚えがあった。
「君っ」
礼を告げようとするより先に、老翁面が声をかけてくる。
「どこまで道草食ってるんです! 方向音痴ですか! 迷子ですか! 敵陣ですよ? 愚かですか? 死ぬのですか?」
いきなり説教を食らった。
「いやー。無事見つかって良かったっす。超途中はぐれちゃうから心配したっすよー。大丈夫っすか?」
同時に桶兜が明るい声で、気遣かってくる。
「君のおかげで迷子です。どうしてくれるんです」
「でも恩返しに行くって飛び出したのはこの唐紅っす」
「余計なことを言わないで下さい。そもそもタルホさんに同行を頼んだ覚えはありません」
「まーたつんつんかりかり。そんなんじゃ嫌われちゃうっすよう?」桶兜がこちらにちらちら視線をやりながら言った。
「小生はただ恩を返しに来ただけです」
「にやにや」
彼女たちは何というか非常に騒がしい人物だった。
百鬼狩りに参加した探索者たちのなかで見かけたことがある。
どちらも物々しい武装をしているが、声から察するに、中身は若い娘だったらしい。
紛らわしいことこの上ない格好である、とアネモネは思った。
「よし。そこに直れ」
「なんすかー? やるんすかー? やっちゃうんすかー? 受けて立つっすよう」
「ま、待て。取り敢えず助けてくれたことに感謝する。だが戯れている時間はない」
置いてけぼりを食らって、傍観していたアネモネだったがが、我に返り間に割って入った。
何なのだろうか、この二人。
「……仰るとおりです」
「仕方ないっすねえ」
薄れてきた土埃の向こうには無数の黒い影が見える。
幽騎たちがすでにすぐ近くまで迫っているのだ。
◆
桶兜は、祈祷術が使えるらしい。
その場で印を組み、祈り始めると、手にしている大盾が仄かに輝き出した。
周囲を取り巻いていた怨霊たちは、それに反応。一斉に半歩身を引いた状態になり、襲いかかってこなくなる。
「『悪霊退散』の祈祷です。怨霊の方は、これで踏み込んでこないでしょう」
祈祷を続けている桶兜の代わりに、老翁面が説明してくれる。
「このまま逃げることはできるのか?」
怨霊が避けてくれるのであれば、退路は開かれたも同然だった。
「残念ながら無理でしょう。修練を積んだ高僧であれば別ですが、この祈祷術は歩きながら効果を得ることは難しいのです」
「どちらにしても私は一旦退却したい。幽騎たちは三人では、到底叩けないと思う」
「そうですね。できるなら何よりもまず仲間と合流すべきでしょう」
老翁面が頷きながらそう言った。
「ただその術がありません。怨霊共を、力技で押し退けながらでは、何れ幽騎に追いつかれる事は目に見えています」
「策はある」
アネモネの手には錆だらけの両手剣が握られていた。
すでに魔力を叩き込まれていたそれは。光の筋を散らしている。
当初の予定通り『電鎚のはげしきいちげき』を発動させて、背後にいる怨霊を殲滅させて道を作るのだ。
「私が逃げ道をつくろう」
「一応確認しておくのですが、それ(・・)は放った先にいるかもしれない味方を、巻き込みませんか?」
「う」
失念していた。
同士討ちが起きる可能性については考えが及んでいなかった。
確かに雷鎚の威力は広範囲だ。もしこの付近まで他の探索者達が辿り着いていれば、被害が及ぶことになる。
それは非常にまずい。
「ならば幽騎共に向けるしかあるまい」
他にこの剣を活かす術はない。
ただ幽騎に対して、どの程度効果を持つのか見当がつかない。全く効かないという事はないだろう。怨霊たちのように全滅させることができるのであればいいが。
「つまり戦うという事ですね?」
「やむを得ないだろうな」
「……来るっすよ」
桶兜が静かな声で口を挟んでくる。
次第に近づいてくる幽騎たちの間から、再び黒い槍が放たれたのだ。
狙いは正確で、アネモネ目掛けて落ちてくる。
「小生が撃ち落とします」
老翁面はそう宣言した。
刀を抜き放つ。いつの間にか、彼女の周囲には無数の鬼火がまとわりついている。
彼女が下方からすくい上げるように刀を払うと、同時に鬼火が動き出した。
矢のように飛んでいき、空中で黒槍と衝突する。
「ちっ」
老翁面が舌打ちをした。
鬼火は勢い負けしてあっさりと霧散。
だが効果はあった。軌道を逸らされた黒槍は、見当違いの方向に墜落していく。
老翁面は撃ち落とすつもりだったらしく、悔しそうにしていたが十分だった。
彼女たちはかなり腕が立つようだ。
怨霊は一歩も前に出てくることがなかったし、こちらに向かってくる幽騎たちが飛ばしてくる矢を的確に排除してくれる。
アネモネの準備はすぐに整った。
ふたりを背後に下がらせると、黄金のように輝く両手剣を振りかぶる。
「電鎚のはげしきいちげき!!」
轟音と共に溢れ出す眩しい光。
再び現れた巨大な稲妻。
剣からのびるそれは幽騎の行軍へと向かい、ぎざぎざに延び、細かく枝分かれしていく。
幽騎たちが身体を貫かれ、裂かれ、薙払われていく。
「残りの幽騎を頼む」
「しゃーないっすね」
「承知した」
彼女たちは二つ返事で動き出した。
◆
アネモネもまた駆け出す。
正面から直撃した幽騎の殆どは、跡形もなく消し飛んでいる。だがまだは全滅したわけではない。倒せたのは半数。残りの十数体は損傷を受けただけ。
片膝をつき動けない幽騎をすれ違いざまに斬りつけながら進む。彼らの多くが動きが鈍くなっており、未だこちらには手が出ないらしい。
何より彼もまだそこにいた。
距離にして後十歩。
首なしの騎士はまだその場から動かない。
膝を地面に下し、両手を交差させた体勢のままだ。
そのわきには首なしの黒馬が倒れている。泡を吐き痙攣しておりすぐには動けない様子のようだ。
彼はもしかしたら雷鎚の威力で力尽きたのだろうか。直撃したのだから、甲冑は残っていても魂だけは昇天した可能性はありえた。
後六歩。
足が重い。
先程まで羽のように軽かったはずの甲冑の重さを感じ始めていた。まだ辛うじて魔力は残っているようだが、時間切れはもう間もなくだった。
後四歩のところで、彼が動き出した。
防御の姿勢を解くと、立ち上がり焦げ目ひとつない甲冑姿をあらわにさせる。手には巨大な剣が握られている。
アネモネは剣を振りかぶっていた。
首なしの騎士を倒すには依り代である甲冑を破壊するか、防具の継ぎ目を切断する必要がある。狙いは胴。胸当てだ。一撃は無理でも撃ち続ければ破損できるはずだった。
後二歩。
だがもう引き返せる距離にはいない。
逃げることはできない。
多分これが運命だ。
今が兄の魂を救う、その時なのだと己に言い聞かせる。
そして――。
刃と刃がかち合う。
腕に伝わる重い衝撃。
全身の力を振り絞り、受け止める。
交差する鋼鉄の仕切り越しに彼がいる。
こんなにも近くにいる。
本来あるはずの頭部がない。
呼吸が聞こえてこない。甲冑の隙間から漂ってくるはずの熱も感じられない。人間らしい気配は皆無。
あるのはただ不気味で虚ろな存在感だけ。
彼はもう自分の知る兄ではないのだと知った。
ただそれでもアネモネは言わずにはいられなかった。
「……お久しぶりです。アドニス兄様」
それは三年ぶりの再会だった。




