幻想物語
それはいつも通りの太陽が眩い夏の日のことだった。私と君が、同じ幻を抱き始めたのも、丁度その日のことだ。
「この中にあるものを入れた。何を入れたかは秘密だよ」
君は、少年のような邪気の無い瞳を私に向けてそう言った。右手には鉄製の小さな箱を潜めている。君の言う“あるもの”はその中に入っていた。
「……いつか、私に何を入れたか教えてくれる?」
「うん。その時が来たら教えてあげる。きっとだよ」
中学二年生にもなるというのに、君の顔はいたずら好きな少年のそれだった。ころころと変遷していく君の表情。どれも見る度に私をときめきの中に引きずり込む。
「……僕が何を入れたと思う?」
「教えてくれるの?」
私は、聞きたいという期待半分、まだ聞きたくないという拒絶半分で言った。すると、君はそっぽを向いて一言、
「教えない」
そのときに心に抱いていた感情の名前を、私は知らなかった。
私が君に出会ったのは丁度一年前のことだった。私は勉強も日常生活も卒なくこなす平凡な女の子として周囲から認識されていた。君は、特に好きな異性もいなかった私の心を揺るがせた。胸の奥が、じんわりと熱を持ってくる。こんな気持ちを快く思う反面、何故か心苦しくもあった。
「始めまして」
「えっ……あ、うん」
私と君との最初の会話はこれだけ。急に火照り始めた頬。その熱が全身に行き届いて、私は俯かざるを得なかった。君と目を合わせることだって恥ずかしかった。
「君、綺麗な顔だね」
「ええっ……そっ、そんな……」
いきなりこんなことを言われて、私は戸惑った。その拍子に、シャープペンを落として失くしてしまった。純真無垢な瞳が私の方にずっと向いていて、何で自分ばかりこうも恥ずかしい思いをするんだと心の見えないところで理不尽に怒っていた。
私と君は、すぐに仲良くなった。性別も性格も考え方も、何もかも違う。共通する部分なんて全く見当たらない。だからこそ、お互いに惹かれ合ったのかもしれない。
君と会って間も無い頃、私はこの形容することが難しい感情だけを抱いていたわけじゃない。別の感情も抱いていた。私は、その感情の名前は知っていた。恐怖という、とても怖いもの。
目の前の夜景は、私にそれを思い起こさせた。恐怖は、徐々に私の心を埋め尽くしていった。それを耐える術を、私は知らなかった。頭の上を、一筋の流れ星が瞬いた。
「ねえ。ちょっといい?」
「どうしたの?」
君の髪が、瞳の上で揺れた。私の心はその髪に仮託して恐怖を表していたのかも。その大きな瞳で私を見つめる君に、私も悪戯っ子のように囁いた。
「君に一つ、隠しておいたことがあるの」
「隠しておいたこと?」
君は唖然としたのか、そう言って口を開けたまま、硬直した。私が今まで見た中で、一番可愛い君の顔。いつか見れなくなるかもしれないから、今のうちに目に焼き付けておこう。
「秘密。いつか、箱の中身を君が教えてくれたら私も教えてあげる」
そう嘯いて、私は君が残念そうな顔をするのを期待した。そして、私自身が残念な顔になった。君は一言だけこう言った。
「そっか」
なんだか、とても寂しく感じた。残された時間は半年しかない。なのに、君との思い出は私にとってはまだ足りない。焦ってもしょうがないと自分を諌められない。焦燥だけが、募っていったんだ。
約束した夏の日から、一年以上が過ぎた。私は星空を見ていた。綺麗に瞬く一等星のシリウス。全天で一番明るい恒星と言われてる星。だけど、今私が見ている光は何百年も前のもの。地球とシリウスがとても離れているからだ。
そのことを心の中に思い浮かべたとき、ふと君の顔が思い浮かんだ。それが何故か、私はすぐに予想がついた。
想い合うにはあまりにも遠すぎる、君と私の心の距離。恐怖が、焦燥が、時を重ねるごとに重なっていった理由もそうなのかもしれない。吸い込まれそうなほど黒い夜空に、沢山の星が散りばめられている。不意に、横に人がいると気付いた。
「……何してるの」
横を見ると、やっぱり君がいた。その優しそうな横顔は目の前数十センチのところにあるのに、どんなに手を伸ばしても触れない……それどころか、君に気付いて貰えないんじゃないかって思えてきた。
「星を見てたんだ。……一つ一つ瞬いていて、全部が誰かの心みたいで綺麗だ」
真剣に、楽しそうに語る君を見て、思わずクスッと笑ってしまった。こんなに寂しいのに、馬鹿みたい。
「……君らしくないね」
それとも、寂しいからこんな馬鹿なことをするんだろうか。余計に寂しさが際立って、苦しいだけなのに。
「そうかな。僕は体裁なんか気にしてないから別に構わないけど」
君は、笑ってるとも起こってるともつかない、氷のような表情で答えた。私は、悲しみで喉が詰まって何も言えなかった。代わりに、君が言葉を紡ぐ。
「ねぇ、僕たちの秘密、覚えてる?」
「箱の中身のこと?」
私は唐突に飛んできた問に、詰まることなく答えた。君は、無言で頷き返す。何故そんなことを問われたのか分からなかった。そんな私に、君はあの箱を差し出した。
「えっ……」
「今日を限りに、もう会えなくなる。だから最後に渡しておくよ」
その言葉は、蛇のように滑らかに滑り込み、私の心に楔を打ち込んだ。君と、会えなくなる?
「どう、して……?」
「貰って。もう、二度と会えないかもしれないから」
私の手が動くのを、悲しみが遮った。会えないだなんて……どうして――――!?
理由を尋ねても、君は答えてくれなかった。今から桜舞う春までの四カ月。それまでが、私と君が共にいられる猶予だって思ってたのに。
「……」
私の手がいつまでも動かないのを見て、埒が明かないと思ったのか、君は私の手に箱をそっと握らせた。それは冬の冷気を溜めこんでひんやりと冷たかった。
「開けて」
言われるまま、私は箱を開けた。開けるしかなかった。でも、手が震えて、視界が溜まりゆく涙と悲哀で滲み、いつまでも開かなかった。君は手を添えて、私と共に開けるように、箱の蓋をそっと開けた。カランと乾いた音が響く。目を拭いて中身を見ると、拭き取った涙が、今度は込み上げるどころか零れてきた。
中に入ってたのは、私と君が始めて出会った日に、私が失くしたはずのシャープペンだった。何の変哲もない無機質なそれは、私の悲しみを駆り立てて深く深く、衝動を刻みこんでいく。
雫が私の頬を流れ落ちる。嗚咽が喉から這い出てくる。
君と私との距離は遠いままだ。今日を境に、私たちは会えなくなってしまうのかな。どんなに思い出しても、どうにもならない。そう、まるで幻想のように。
「……ねぇ」
私が泣き止みかけたのを見計らって、君は私に話を切り出した。
「この箱を見せた日、僕に対して秘密があるって言ってたよね」
「……」
君が箱の中身を教えてくれたら、私も私の秘密を教えるって約束した。そして、君は箱の中身を教えてくれた。
「そう、だね……。私が、ずっと胸にしまいこんでた秘密……聞いて。ずっと、君が――――」
私は、今でも感じてる。君といた日々を。今、私は知っている。恐怖と共に感じていた感情の名を。秘密という名の物語は、君を最後に見た日を皮切りに、私と君との間では秘密じゃなくなった。でも、私の中では今でも秘密として残ってる。君の想いが、今でも私の手元にあるから。
拙作に時間を割いて頂いて有難う御座います。
今回、お話を読まれる上で色々分からない部分があったかと思います。比喩や擬人法に頼りすぎた部分もあるかもしれません。自分でも至らなさを感じております。
色々書き切れていない部分もありますが、そこは読み手の想像力に委ねるつもりです。私が曖昧に表記してある部分は大いに妄想……ゲフンゲフン、想像してお楽しみください(笑)
それでは、機会があればまたお会いしましょう。




