21
女神に逢った。
それは本当に偶然で、中庭で女神が瓶を転がしていたところに私が通りかかった。
沢山の瓶を転がし困っているようだったので、拾うのを手伝っただけだったのだが、拾った瓶を渡そうと彼女を直視した瞬間、私は雷に打たれた。
長く艶やかな黒髪に白い肌。華奢な体はローブに包まれてよくは分からないが、きっとしなやかなのだろう。
女神だ、女神が目の前に居る。
なんて美しいのだろう。
彼女の黒曜石の瞳に私が映っている事が、これほどまでに私の心躍らせる。
暫し呆然とする私に、彼女は困ったように首を傾げる。
「手、放していただけませんか?」
彼女の言葉に私はハッとした。
女神は私が拾った瓶を受け取ろうとしていたが、私が一向に放さないので困っていたのだ。
「も、申し訳ない!」
女神は私が放した瓶を受け取ると、「ありがとうございました」と口早に発し、踵を返してこの場を後にした。
私はその後姿を、ただ、見つめることしかできなかった。
あっっっっっぶなかった!
あれはアウトか!?いやセーフだ!セーフという事にしておこう!
だって過剰接触はしてないもの!
私は額から流れる冷たい汗を拭うと、持って来た幾つかの瓶を机に置いた。
殿下の執務室からの帰り、私は騎士団医務室へ引越しの際、持ち出すのを忘れていた薬品を自分の研究室へ取りに行っていた。
その帰り道、中庭を通っていた私は足を取られ躓いてしまったのだ。
しかも何も無い所で。
悲しいかな、最近、何も無い所でよくコケる。
それはさておき。
躓いてバランスを崩した私は、持っていた薬品瓶を転がしてしまったのだ。
あー、やっちゃった。と思いつつ、私は溜息を吐きながら瓶を拾っていった。
そして、そこにやって来たのが、見たことのないデザインの魔術師風のローブを着た若い男だった。
良い人らしい彼は、私が落とした瓶を拾ってくれたのだが、私は彼が着ているローブに見覚えがあった。
確か、ロダンに連れて行ってもらった三階回廊で。
それを思い出した瞬間、私の背筋に冷いものが伝った。
彼が着ているのは隣国の魔術師達が着ていたローブだ。
という事は、彼は隣国の魔術師一行の一人ということだ。
や、やばい。怒られる。
私は慌てて瓶を拾い集め、そそくさと逃げることとした。
が、私の他にも隣国の人も瓶を拾ってくれていることを思い出した。
取り敢えず、さっさと受け取ってさっさと逃げようと私は彼から差し出された瓶を受け取ろうとした。
だが、強い力で握られた瓶は、なかなか彼から離れない。
どうしたものかと思案していると、慌てた様子で放してくれた。
なんだ?この過剰反応は?
とにかく、私はブツを回収したのでお礼もそこそこに、そそくさとその場をトンズラしたのだった。
特に粗相もしてないし、今のところはセーフだろう。
取り敢えず、今度からあの辺りは近寄らないでおこう。
私は小さく決意するのだった。
「く、黒髪の女性ですか?」
魔術師長の言葉に隣国の王弟であるリャドムは頷いた。
「はい。」
「そ、そうですなぁ。」
と、笑顔のリャドムに魔術師長は平静を装い曖昧に返してみるものの、内心、非常に焦っていた。
心当たりが一件しかない!
「黒髪の女性はそれなりにおりますからねぇ。」
嘘です!
我が国に黒髪の人はとっても少ないです!
しかも女性となると王宮内ではごく僅かです!
しかも当てはまるのにちょっと危ないのがいます!
「王宮魔術師のローブをお召しだったので、魔術師の方だとは思いますが。」
「左様ですか。いやはや、酔いが回ったのかすぐには思いつきませんなぁ。」
嘘です!
魔術師のローブを着てたとか、もう特定したも同然です!
酔っててもすぐに分かります!
最近お酒に弱くなったなぁ、いやーよわったよわった、と言いながら、魔術師長は杯を傾けた。
一旦落ち着きたかったのだ。
今は晩餐の席。
歓迎会以降の食事は、基本的に他の王宮勤めの人達同様、隣国の魔術師達にも大食堂で食事をしてもらっていたが、今回は、本日から案内に加わったフェルークの紹介と挨拶のために交流会という形で晩餐の席を用意していた。
だから今回は、魔術師長だけでなく、リャドムの隣にはフェルークの姿があった。
どうするのだ、と魔術師長はリャドムを挟んで反対隣にいるフェルークにチラリと視線を向けるが、かの王子は大層な役者のようで、「そうなんですかー」と言わんばかりの顔で相槌を笑顔で打っていた。
「それで、その魔術師がどうかしたんですか?」
などと素知らぬ顔してフェルークが話を続けた時には、魔術師長は心の中で「止めて!続けないで!」と叫んでいた。
喉元まで悲鳴は出かかっていた。
もうこれ以上はぐらかす自信ありませんよ!
「あの、その、何と言いますか、とても個人的な事でして。」
ここでリャドムが言葉を濁した事に魔術師長は、おや?と片眉を上げた。
先程まで淀みなく話していたと言うのに、突然、言葉の歯切れが悪くなり、モジモジとし始めた。
その上恥ずかしそうに頬まで染めている。
何だこの反応は?
魔術師長は首を傾げる。
何というか、この反応は遠い昔、彼がまだ若かりし頃に見た事があるような。
「その、私は女神に会ったのです。」
め、めがみ?
魔術師長の目が点になった。
「一目見て、直感しました。彼女は女神なのだと。そして、それを理解した瞬間、私は心を奪われたのです。」
恍惚とした表情で語るリャドムに、魔術師長は点になった目をそのままに問いを重ねた。
「えーと、それは、その、つまり?」
「一目惚れ、と言うのでしょうか。この歳にもなってお恥ずかしいのですが。」
頬を染め照れながらもそうリャドムが言った瞬間、ガシャーンッという音が魔術師長の反対隣から聞こえた。
何事だとそちらを向くと、そこにはグラスの折れた足だけを持つフェルークの姿があった。
「ど、どうなさりましたか?」
「ああ、力加減を間違えてしまいました。私も随分と酔ってしまったようです。大変失礼致しました。」
嘘だ、貴方のような酒豪がたった一杯のお酒で酔うわけがない。
確かに、少々、予想外というか衝撃的な解答ではあったが、グラス割るほど?
「お怪我はございませんか?」
何の疑いも持たずリャドムはフェルークに声を掛けた。
「はい。お心遣い痛み入ります。」
「それはよかったです。」
にこやかに答えるフェルークの様子に、リャドムは安心したように息を吐いた。
割れたグラスが片付けられた後、何か考えていたフェルークはリャドムの方を見ると、ニコリと一つ笑って言った。
「そんな事よりリャドム殿下のお話です。恋に年齢は関係ありませんよ。友人のお父上は、毎日奥方に恋しているそうですよ。」
「わぁ、それは素敵ですね。」
「愛の告白は二人の出会いから始まるそうで、なかなか聞き応えがあると言ってました。」
「そうなのですか。」
「そう言えば、リャドム殿下はいつその女性と出会ったのですか?」
えー、これ以上話を広げるのは止めて下さいよぉ〜。どうなっても知りませんからね。
魔術師長はマジマジとフェルークを見るが、本人はそんな視線を気にもとめず、新しく渡されたグラスで酒を上品に煽っていた。
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「と、言うわけなんだが、どういう事かな?ニーナ。」
「いえ、いきなり、どういう事かな?とだけ聞かれても、何のことだかサッパリ分からないのですか。」
ほら、私って心当たりが多いですから。
出勤早々、ハリストール殿下に呼ばれて行くと、胃の辺りを押さえた殿下から言われた台詞が先の通りだ。
物語によくある回想がそのまま説明に繋がっているわけではない。
本当にそのまんまの言葉しか聞いてない。
胃痛に耐える殿下の代わりに、殿下の後ろに控えていたロダンが説明をしてくれた。
「ニーナ、昨日リャドム殿下に会っただろう。」
「リャドム殿下?隣国の王弟に?いえ、会ってませんけど。」
「質問を変えよう。昨日、瓶を中庭で落として隣国の魔術師に拾うのを手伝ってもらわなかったか?」
「げ、何故それを知ってる。」
「その、手伝って下さったのがリャドム殿下だ。」
まじで?
隣国の人と接触したのバレてるし、てか、あれはリャドム殿下だったと?
王弟と言うくらいだから、もっと年上だと思ってたよ。
こう、おじさんと言うかおじさんな歳かと。
実際、この国の王弟もおじさんだし。
「隣国の現国王は、若くして王位についているからな。それに、リャドム殿下は末の弟で、現国王陛下とは10以上歳が離れているんだ。」
私の顔を見て考えを察したのか、痛む胃を摩りながら殿下がそう言った。
「そうでしたか。」
「会わないように気を付けろと言ったのに。」
「うう。」
「まあ、瓶を拾ってもらっただけだったら、別に構わなかったんだけどな。」
そう言うと殿下は溜息を吐き、椅子の背凭れにに深く体を預けた。
「ニーナ。もしかしたらこれから、頻繁にリャドム殿下に会うかもしれないから覚悟しとけ。」
「え?どういう事です?」
「のらりくらり、やり過ごすんだ。」
「いやいや、意味分からないんですが。」
「外交問題に発展しかねない案件だ。まさか、そっち方面で問題が起こるとは思わなかった。」
「殿下ー聞いてますかー?」
虚ろな目をして話し続ける殿下に状況説明を求めるが、一向に返事が返ってくる気配は無く、ブツブツと恨み節が聞こえるばかりだった。
そんな状態に見かねたロダンが、簡潔に私に教えてくれた。
「昔ニーナに教えられた言葉を使うなら、『もて期』が来たみたいだぞ。ニーナに。」
ん?それってつまり?
「リャドム殿下がニーナにほの字だそうだ。」
ぐはっっっ!!!
「惚れた腫れたで外交問題とか、ホント嫌だ。対処無理。ニーナ挟んでやりあってプププとか言ってらんないし、ホントやだ。冗談に今すぐして欲しいんですけど。あ、胃が、いててててて。」
負傷した精神を引き摺りながら、私は医務室へとなんとか辿り着いた。
取り敢えずお茶でも飲んで落ち着きたい気持ちでドアを開けると、そこにはフェルーク様が鎮座していた。
フェルーク様は医務室に用意された私の机に腰掛け、悠然と足を組みながら窓から外を眺めていた。
丁度、訓練場では騎士達が打ち合いをしていた。
外を向いているから彼の表情は窺えないが、自分自身の表情は鏡を見ずとも分かった。
き、きまずー。
いや、フェルーク様。このタイミングはさすがにナシでしょ。
私だってね、ちょっとくらい落ち着きたい訳ですよ。
椅子に座って、ふー、とか言いたい訳ですよ。
分かります?
なのに、気不味いタイミングでいるとか。
絶対、用件はアレでしょうが!
「お早うございます、フェルーク様」
取り敢えず、このままドアの前で突っ立っていてもラチがあかないので、私は声を掛けてみた。
しかし、彼が振り返る事は無く、視線はそのままに「ああ」と声が返ってきただけだった。
気不味さに拍車をかけないで下さいよー。
「今日はどうなさったんですか?」
再び取り敢えず、この状況を見られたらマズイので、医務室に入りドアを閉めた。
さらに立ったままもアレなので、診療用に置かれた椅子に私は腰掛けた。
ちなみに、診療用の椅子なので、彼とは自ずと向かい合う形になっております。
私の机は、診療・執務・研究、全て兼用になっている万能型です。
私が近付いたことに気配で察したのか、ようやく彼は重い口を開いた。
「兄上から、聞いたんでしょう。あの話。」
きたー!
「えー、あの話というのは、アレですよね。」
「リャドム殿下が君に一目惚れしたって話。」
結構ど直球でイッテキター。
濁したいこちらの気持ちは丸無視ですね!分かります。
「あー、えーと、はい。さっき聞いてきました。」
私がそう答えると、彼はこちらをクルリと振り返り、真っ直ぐに私を見つめた。
その顔には、いつものような笑みすら浮かんでおらず、彼が何を考えているのか、私には分からなかった。
すっ、と目を細めたかと思うと、彼は徐に手を伸ばし、私の白百合の髪留めに触れた。
二、三度髪留めを撫でると、そのまま顔のラインに沿うように彼の指は流れ、私の頬を包むようにして手の動きを止めた。
視線が彼と絡む。
私は固唾を飲んだ。
「君は・・・・・・。」
彼はそう言うと口を閉じ、少し目を伏せた。
暫く動きを止めたかと思うと、軽く目を閉じ、ふー、と息を吐きながら私の肩へと顔を埋め、萎む風船のようにしな垂れかかった。
彼は「あーあ」と言うと両腕までダラリと投げ出し、完全に脱力しきっていた。
それを見て、私もいつの間にか詰めていた息を細く吐き出した。
彼はもう一度、私の肩に埋もれながら息を吐き出すと、消えそうな音で呟いた。
「君が、僕のものだったらよかったのにな。」
それは、本当にとても小さな声で、だが、私の肩に頭を預けていたので、私の耳にもその声は届いた。
暫くして彼は顔を上げると、そのままの勢いで立ち上がった。
「兄上から聞いたならいいや。まあ、そういう事だから気を付けてね。僕からはそれだけ。」
さっきまでの雰囲気が無かったように、彼はいつもの調子でそう言うと出口へ足を向けた。
部屋から出る前に、こちらを振り向き一瞬私の顔を見たかと思うと、
「今日はその顔見れただけで満足だよ。」
じゃあね、と言って彼は一つニコリと微笑みを残してその場を颯爽と離れていった。
その顔、ねえ。
ええ、ええ、私にも自覚がありますとも。
自分がどんな顔をしているかですね。
勿論分かっておりますよ。
だからですね、
どうしてくれようか本当に!
後処理くらいしろよ!あ、いや、余計ひどくなるからやっぱいいです!
「こんにちはー。今日も怪我しちゃって治療お願いしたいんですけど、て、あれ?ニーナさん、どうしたんですか?顔真っ赤ですよ?熱でもあるんですか?というか、変な顔ですよ?」
なんちゅう間に来る青年騎士Aよ!
しかも、変な顔とか言うな!!
その日、騎士団医務室からは青年騎士Aの断末魔が聴こえたとか。
※主人公が相当な美女の様に書かれていますが、十把一絡げです。
思うのは個人の自由です。




