#036 タリス村の攻防
二千にも及ぶゴブリンに攻囲されたタリス村に、日没が訪れようとしていた。
ゴブリンに新たな動きは無い。
それだけが救いだった。
その間、騎士達は、
「女子供を優先しろ! 歳を召した者達はその後だ!」
「これ以上は無理だ!」
「ならば早く行け! 少しでも休み、また戻って来ることを期待してるからな!」
「悪い……<転移>!」
住民の避難に精を出していた。
(とは言え、日没までに全員の避難は無理そうだな)
日が暮れると、ゴブリンの一斉攻撃が始まる。
猶予は無かった。
「ルイ君はここに居ましたか」
イーノスだ。
彼は作戦会議とやらに駆り出されていた。
「決まったのか?」
「ええ、明日の日の出まで籠城する事になりました」
「そうか……」俺はそう答えたが、内心(一万相手に、日の出まで持つ訳無いだろうに)と頭を抱えていた。「参考までに聞くが、こちらの総兵力は?」
「百程かと」
「馬鹿じゃ無いの!?」
俺の言葉を、新たに訪れた者が諌める。
「これこれ、騎士様が立てた策です。言葉が過ぎますよ」
アーマンだ。
美しいキセルを手にしている。
(ここで煙草を吸うのか? やめて欲しいんだが……)
と思ってる間に彼はキセルに火を点し、煙をくねらせ始めた。
「ゴホッ、ゴホッ……」
これ見よがしに咳き込んでみる。
すると、
「風邪ですか? そんな予感はしませんでしたが……」
イーノスが俺の顔を窺うので止めた。
「だが、村に残るのは騎士と村人合わせて僅か百人。それでゴブリンとは言え一万の軍勢を相手に、日の出まで籠城を続けられるとは思えないぞ?」
「軍勢って、大袈裟な」
イーノスはこの事態を呑み込めていないらしい。
二千の別働隊が村を攻囲したのが偶然だとでも思ってるのか?
「それにタリス村には、私がこの日の為に長年施した<結界>があります。低レベルの魔物など寄せ付けませんよ」
とアーマンが続いた。
「結界?」
そんなのが有るんだったら、何故最初の襲撃に使わない?
「はい、結界です。そして、日の出までに迎えに来るであろう転移士と共に村を離れます」
「成る程」俺は首肯した。「だが待てよ。それでは村を、無傷のままゴブリンに明け渡す事になるんじゃ……」
タリス村がゴブリンによる領都侵攻、その橋頭堡になる恐れがあった。
「心配には及びません。私の祈祷魔法がそれを防ぎます」
アーマンは自信満々にそう答えた。
その直後、
「お、おい! あれを見ろ!」
「何だあれは!?」
村の見張台に立っていた兵士達が俄に騒ぎ始める。
「どうしたんだろう?」
「何かあったのかも知れません。行ってみましょう!」
見張台によじ登る。
そして、俺は目にした。
村を囲うゴブリンの大群を。
それをモーゼの如く掻き分け、近付く、
(ゴブリンの御輿だと!?)
丸太を格子状に組み合わせた代物の上に乗る、鎧姿のゴブリンをだ。
普通のゴブリンより二回りほど大きい。
それだけで無く、顔から知性が感じられた。
「な、何でしょうかあれは……」
「分からん。だがもしかすると、ゴブリンの王……ゴブリン・キングかもな」
「ゴブリン・キング……」
これもまた、ゲームで定番の存在である。
その御輿が止まった。
時を同じくして、日が地平線に沈んだ。
開戦の時を告げるかの様に、御輿に乗るゴブリンが大きく吼える。
それに呼応する形で、村を攻囲するゴブリンが一斉に咆哮を轟かせた。
「来るぞ!」
俺の言葉通り、ゴブリンが村の門に迫った。
ただし、一万匹が一斉にではなく、十数匹がだ。
(様子見! あのゴブリン・キングは石橋を叩いて渡るタイプか!)
俺はゾッとした。
その間、様子見に出されたゴブリンはと言うと……
——ギャギャーッ!
——ギャッ!
——ギャ?
——ギャーッ!?
村とある一定の距離にまで近付いた途端、メラメラと燃え始める。
「な、何が一体!?」
俺の問いに、
「これこそが父の<結界>です!」
とイーノスが自慢気に答えた。
「これが<結界>……」
凄いな!
最初の一隊が消し炭と化した。
更にもう一隊が迫るも、同じ様に燃え、やがて燃えカスへと変わる。
(これならば、日の出まで持つかも知れない)
俺は淡い期待を抱いた。
だと言うのに……
「おや、今度は一匹だけですね?」
「本当だ。ただ、妙ちくりんな杖を持っているな。ん? 杖? ま、まさか!」
「どうしましたか、ルイ君?」
「誰か! 早くあのゴブリンを弓矢で射て! 然もないと、手遅れに!」
それは瞬く間に掻き消される。
杖を抱いたゴブリンが瞑想し始めたかと思うと、
「なっ!?」
村を包み込む薄いベールが突如現れ、しかもそれが甲高い音と共に崩れ落ちてしまったのだ。
「こ、このアーマンが心血注いで構築した<結界>が簡単に壊された……」
(やはり)
終わったな。
そう感じ取った俺は、
「イーノス、見張台を降りろ!」
声を掛けるだけ掛け、先に降りる。
そして、
「アーマン、他に手は有るか?」
と問うた。
「有るには有ります。ですが……」
そこに、イーノスが。
「父さん!」
「イーノス……」
二人は何故か抱擁する。
直後、見張台から悲鳴が轟いた。
目を向けると、幾つもの火球が迫っていた。
「ま、まさか、ゴブリンが魔法を!?」
(今度はゴブリン・メイジか……)
「アーマン殿! こちらでしたか!」
と駆け付けてきたのは女騎士だった。
「エ、エルマ様! まだこの村に居られたのですか!?」
「騎士として当然! と、その様な場合では無い! <結界>が破られた以上、この村は現時点をもって放棄する! アーマン殿こそ急ぎ逃げられよ!」
女騎士曰く、上級祈祷士であるアーマンの命は、一地方領主が抱える騎士以上の価値が有る。
なので、彼女らが時を稼ぐ間に逃げて欲しいと。
だがアーマンは首を横に振った。
「父さん!?」慌てたのは息子であるイーノス。「一体何を考えているのですか!?」
「イーノス、お前は逃げなさい。私は運命に従います」
「そ、そんな!?」
「何を狼狽えるのです。お前には私が見た〝最後〟の予知を伝えているでしょうに」
「う……」
イーノスの顔が土気色に様変わりする。
「それに、私の胸は病に冒されています。そう遠く無い内に死にますよ」アーマンが寂しそうに笑った。「ですから、これをお前に授けます」
それはアーマンがつい先程まで煙草を飲んでいたキセルだった。
イーノスの目が大きく見開かれる。
そして、
「わ、分かりました。父さん」
彼は父親からキセルを、大変大事そうに受け取った。
一方、愛用していたキセルを、遺品代わりに渡したアーマンはと言うと、
「エルマ様」
「何だ」
「私はこの命を掛けて、ゴブリンに痛撃を与える所存です。ですからその隙に、イーノスと共に領都にお戻り下さい」
悲壮な覚悟を示す。
「アーマン様の決意、確と承った!」
「有難う御座います」
アーマンは最後、俺に振り返る。
「ルイ君、貴方には本当に申し訳ない事をしてしまいました」
「全くだ」
「下賤! アーマン様に何と言う言い草!」
女騎士が何と言おうが、知った事ではない。
こいつは部外者だからな。
「エルマ様、事実なのです」
ほらな。
「そしてそれは、私が力無きがゆえ。情けない事に、予知で見た通りにするしか有りませんでしたから。だから、この様な結末になったのでしょう」
「それは……俺には何とも言えないな」俺は肩を竦めた。「ただ、一つだけ聞きたい事が有る」
「何でしょう」
それは……
「俺はこの後も続くであろう惨劇を生き残れるのか?」
「ええ、貴方は大丈夫です」
アーマンは酷く寂しい顔をして答えた。
それが俺には、いつになっても忘れられない。
「では、北門はこのアーマンが任されました。貴方達は急ぎ南門に向かいなさい」
アーマンが空気を変える様に、俺達の尻を叩いた。
「アーマン様、御武運を!」
女騎士が駆ける。
その後を、
「父さん! 父さんの最後は子々孫々言い伝えますから!」
イーノスと、
「じゃーな」
俺が追った。
向かった先、南門の前は多くの騎士と従士、それに兵士でごった返していた。
女騎士は人波を掻き分け、門の側へと近付く。
そして、
「アーマン殿が祈祷魔法でゴブリンを攻撃する。我らは、それを合図にフィリップ!」
「はっ!」
「貴様の隊は突撃し、敵の壁を蹴散らせ!」
「ははっ!」
「デニス隊は崩した場所に道を作れ!」
「ははっ!」
「ミラン隊はフィリップ、デニス隊の生き残りを拾いつつ、足が続く限り駆けよ!」
大音声を発した。
「そして、我が隊は追い縋る敵を駆逐する!」
女騎士の視線が俺に向けられる。
その瞳は、今にも泣き出しそうであった。
(そんな目で俺を見るなよ。狡いじゃないか……)
俺は小さく頷き返した。
そして、その時が来た。
北門の辺りから、大きな破砕音が轟く。
「父さん……」
魔物の悲鳴が幾つも重なった。
「今だ! 南門を開けぇい!」
女騎士が号令を発した。
門が開く。
と同時に、
「突撃!」
「ゴブリンを一匹でも多く殺した者が、あの世で隊長だ!」
「よっしゃあっ!!」
フィリップの隊がゴブリンの群に斬り込んだ。
続いて、デニス隊も。
そして、ミランの隊が出る、まさにその瞬間、
「ミラン、何を!? ぐっ……」
女騎士がミランに昏倒させられる。
「ミラン様! 一体何を!?」
「黙れ! これは領主嫡子ユアン様の命である! 如何なる犠牲を払おうとも、エルマ様を連れ戻せと仰だ!」
彼はそれだけを言い放ったかと思うと、
「<飛翔>!」
女騎士を抱え、文字通り空を飛んで行ってしまった。
「……」
皆、言葉が無い。
一言も絞り出せない。
ある者は顔を赤く染め上げ、ある者は蒼白にとなり、ある者は怒りかはたまた恐怖か、体を震わせているのに、ぐうの音も出ない。
理不尽ここに極まれり。
それに尽きる。
なので、
「時間が無い」
と先ず最初に俺が口を開いた。
「こうなったら俺達だけで、助けられる者を助けつつ、領都に向かう」
「そう……だね」
「野郎ども! 出発!」
俺達は南門を潜った。
その背中に、凄まじい音が幾度も響く。
(アーマンはまだ戦っているんだな)
俺の前には、藍色の道があった。
先発隊が切り開いた、ゴブリンの血に染まった道だ。
それはまるで、地獄にまで続くかの様に延びている。
事実、この先に待ち受けていたのは〝この世の地獄〟であった。




