25話
今回は無双回だと言ったな。
アレは嘘だ。
side ロイ・ラーキン
眩い光が収まり視界が回復する。オレの眼に映ったのは旧市街の外れに佇む廃墟と化した古城跡だった。
以前は花々が咲き誇っていたであろう庭園には我が物顔の雑草が蔓延り、窓に嵌め込まれたステンドグラスは割れ落ちて見る影もない。
そんな古城から目を離し、ぐるりと視界を動かせばオレの班員を含め演習場に居た騎士全員の姿があった。
本当に、全員を転移させたのか……。
天変地異にも等しい所業を易々と行ってみせたカイトは、この程度造作もないと言わんばかりに顔色一つ変えずに古城を観察している。
「ここが『コープス』のアジトでよいのか?」
「正確には城ではなくその下、ですよ」
司令の疑問にカイトは地面を指差しながらそう返した。
「まさか、地下だと?」
「そのまさかです。掘りも掘ったり全長二百キロにも及ぶ地下道。逃走経路はもちろん武器庫や食糧を保存するための施設まで完備しているらしいですよ。
人と物の出入りも各地の商業施設や物流倉庫、はたまたギルドを隠れ蓑にする徹底ぶりです」
易々と捕まらないはずですね、などと呆れたような口調で司令と言葉を交わすカイト。
なぜそれを知っているのか問い詰めたくもあるが、一方でこの少年であればその程度知り得る方法などいくらでもあるように思える。
戦場をはじめとして様々な場面で不測の事態を経験している司令ですら困惑気味なのだから、どれだけカイトがズレているかということが知れるだろう。彼の言葉が事実であれば王国の至る所に『コープス』の勢力が広がっていることを意味している。
仮にオレがアイゼンシュミット司令の立場だったとしたら今の時点で深く考えるのをやめてしまっているかもしれん。
「なんとも頭が痛くなる話だ。しかし二百キロとはとても一盗賊集団如きが掘削できる距離には思えぬのだが」
「もしかしたら彼等を支援している存在が居るのかもしれませんね」
「『コープス』ほどの巨大な犯罪組織を手助けを行える支持母体か。そのような唾棄すべき存在が居るなどおぞましい限りだな」
「あくまで可能性の話ですよ。今は居るかも分からない黒幕ではなく、目の前で傲り高ぶっている者達に灸を据えることに集中しましょう」
カイトがオレ達へ向き直る。
ここまできても未だに緊張感や高揚が感じ取れない落ち着き払った声色でオレ達へ状況の説明を始めた。
「ではこれから騎士団の皆様に作戦をお伝えします」
作戦という言葉に改めて気が引き締まる。
常識はずれの彼が組み込まれた作戦となれば突拍子もないことを要求されるかもしれない。
そう思い警戒していたオレ達に出された指示はひどく簡潔なものだった。
「現在『コープス』の主要メンバーがここへ辿り着くように炙り出しを行っています。もうすぐ城内から飛び出してきますので騎士団の方々は彼等を拘束して下さい。その際少なからず抵抗が予想されますがそこは僕と彼でサポートを行います」
黒髪の青年が一歩前に出て軽く会釈し再び元の位置、カイトの右手後方に下がる。
彼はカイトの従者なのだろうか?
「ですので皆様はアイゼンシュミット司令官の指揮に従っていつも通りに行動して頂いて構いません」
笑顔で「いつも通りに」など気軽に言ってくれるが司令直属の指揮下になど滅多に入れるものじゃない。というかこの場にいる全員がアイゼンシュミット司令と同じ戦場に立つなど初めてのことだ。
そういう意味ではかなり貴重な経験を積めるだろうし、こんな機会を作ってくれたカイトには感謝してもいいのかもしれんが。
「何かご質問は?」
「一ついいだろうか」
カイトが唐突にブリーフィングを打ち切り、デューク隊長が向けられた水を受け取ってすかさず聞き返す。
「なんでしょう?」
「貴君は先程主要なメンバーを炙り出すと仰ったが、その具体的な数をお教え願いたい。兵数差は如何程と睨んでいるのですか?」
「そうですねぇ」
問われたカイトの足元に突然魔法陣が出現する。
それがどんな意味を持つかはさっぱりだが、魔法陣をしばし見つめたカイトはこう答えた。
「ここへ到達する頃には百五十名ほどになっているかと思います」
「こちらの三倍弱、といった所ですか」
正直な話、捕えるには厳しい戦力差だ。いや、単純な殺し合いでも五分以下の勝率だろう。
しかしカイトに不安の色は見えない。
「まあ武器を手にして騎士団と戦える状態の者は半分にも満たないと思いますけどね。大半の人間は逃げ惑うか心折れて大人しくお縄についてくれるかと」
「なぜそのように思われるかお聞きしても?」
「未知の恐怖と集団パニックですよ」
「はあ」
隊長が要領を得ない回答に曖昧な反応を示す。
「つまりですね……」
「あ、あそこに誰かいますっ!」
カイトの言葉を遮って騎士の一人が古城を指差す。
指し示されたのは二階、テラスの割れたガラスの窓辺。そこに髪の長い女が佇んでいた。
まさか彼女も『コープス』の一員か!?
騎士の間に緊張が走る。
オレ達の姿を見られたのだからいち早く追って捕らえるべきだなのだが、もし彼女が炙り出された集団の一人とするならば間もなく後続も到着するだろう。だとすると彼女を追って一部が突出して先行しては危険だ。
一瞬の思考。空白の時間。瞬き一つする間に女の姿が部屋の奥へすーっと消えていく。
逃げられたと思ったのも束の間、閉じていた木製の扉の片側がギギギギと音を立てて半分ほど開かれた。
そこから顔を覗かせたのは今まで二階の窓辺に佇んでいた筈の女性。
まさかこの一瞬で移動したのか?
「――ヒッ」
事態に頭が追い付かず立ちすくむオレ達を前に、彼女は息を飲んだようなひきつった声をあげる。それが笑い声であることに気付いたのは、耳元まで裂けた口が笑みを形作っていたからだ。
よく見ればその形相は人間ではあり得ない。耳元まで裂けた口に黒く窪んだ両目。
眼球が無いのだから目と表現することが正しいかは分からないが。
ただ一つだけ理解出来たのは禍々しい気配を放つアレが人間ではないということ。
不意に、ずるん、と。
人が一人通れる程度に開かれた扉からこっちを凝視していた彼女の頭が地に落ちる。それでも依然として眼球が抜け落ちた暗闇の穴はオレ達を捉えて離さない。
「ヒッ」
二度目の笑い声。それは先程より鮮明に耳朶を打った。
そして一段と深まる、見た者の正気を犯すような笑み。
それが合図だった。
バァン、と扉を鳴らしながらソレが飛び出してきた。
「ヒイヒヒヒヒイヒッヒッヒヒッヒッヒヒイヒッ!」
その様を形容する言葉はオレの中になかった。
地面に這いつくばり、狂気に満ちた笑い声をあげ、四肢をバラバラに動かしながらこちらを目指して一心不乱に地を駆けるソレ。
「うわああああっ!」
恐怖に耐えきれず団員から悲鳴が上がる。
いつもならその醜態に一喝を入れる所だが、今のオレにそんな余裕はない。
恐怖と混乱。
他の者と同様にその二つがオレを支配する。悲鳴をあげなかったのではなく、あげることすら出来なかった。
アレはきっと、人が触れてはならない禁忌だ。
「このようにして『コープス』の人間を追い込んでいるわけです」
阿鼻叫喚の場にあって聞き取れた者など一握りだろう穏やかな声。
それと同時に禁忌の姿が煙が霧散するように消え去った。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
自分の呼吸音が耳障りだ。全身にじっとりとした汗が滲む。
声がした方に顔を向ければ禁忌がいた方へ右手をかざして苦笑を浮かべているカイトと目が合った。
「少し刺激が強すぎましたかね。申し訳ありませんでした」
「な、んだったんだ、今のは……?」
「僕が作った幻ですよ」
幻?あれほど強烈な悪意を孕んだ存在が?
とりあえず禁忌――幻が消失したことで団員達は静けさを取り戻したが、それはただの形だけだ。
皆が息を荒げ喉を鳴らし、中にはへたりこんでしまった者もいる。それほどまでにあの幻がオレ達に植え付けた恐怖は本物だった。
演習場であれほど高まっていた士気は今や見る影もない。
「……理解したよ。これが貴君の言う“未知の恐怖と集団パニック”か」
一見冷静さを失っていないデューク隊長もその頬はひきつっている。
顔色一つ変わっていないのはカイトとその従者、そしてアイゼンシュミット司令だけだ。
「ええ、今頃地下道には僕の幻が溢れ返っていますよ。このような異形がね」
カイトが指を鳴らすと新たな禁忌が現れる。
それは三角錐から手足が生えたような姿をしていて、ド、ド、ド、ド、と一定のリズムで足踏みしながら左右にゆらゆらと揺れ続けていた。
姿形も、何がしたいのかも、一切合切意味不明だ。ただ、あれが迫ってきたらやはり怖いだろうな。
「人は自分が理解できないモノを恐れる。それは分からないから、予測できないから、何が起こるか想像してしまう。その想像力こそ人間が恐怖を感じる最大の根源である、というのが僕の持論です」
彼の言わんとしていることはよく分かる。たった今、身をもって実感させられた。
だからこそ言える。あんな得体の知れない、悪意を具現化したような存在に追われる『コープス』の人間が哀れでならない。
といっても同情の余地はないし、むしろいい気味だとさえ思えるが。
「君の持論はよく分かったが、折角高めた士気を自ら下げるのは感心できんな。何より“アレ”はもう二度と見せないでくれと言っておいたはずだが?」
「すみません。言葉だけでは説明が難しかったもので、つい」
どうやら司令は事前に禁忌が幻であることを知らされていたようだ。だから平気だったのか……。
というか「つい」であんなモノを人にけしかけるのは止めてもらいたい。きっと団員の中に夢で魘されるヤツも出てくる。
冗談抜きでそれくらいに強烈だぞ、あの幻は。
「おっと、そろそろ時間ですね。皆様準備はよろしいですか?」
いいわけねぇだろ!という言葉は飲み込んだ。
だがこの心中はアイゼンシュミット司令やデューク隊長も含めた騎士団員の心の声だっただろう。
そんな恨み節の籠った視線に気付くことなく、カイトは従者と何事か相談し始めた。
……今の内に統制を取り直しておく必要があるな。デューク隊長もオレと同じことに思い至ったらしく、未だに腰を抜かした者や震えの治まらない者一人ひとりに声をかけている。
「よお、アラン。どうした、顔が真っ青じゃねぇか」
「どーしたもこーしたもないっす……あんなん反則でしょーよ。マジでビビりました」
「気持ちは分かるが泣き言は城に戻ってからだ。おら、立てるか?」
座り込んでいたアランの手を引いて立ち上がらせる。
そしてアランと同じように気が抜けちまった連中に声をかけて回る。およそ十分ほどかけて統制を回復させ、迎撃の体制を整える
これでいよいよ司令からの作戦開始の合図を待つばかりになった所でアランが声を潜めて話しかけてきた。
「ねぇ、ロイさん」
「あ?なんだ?」
「さっきあの貴族の坊っちゃんは“人は理解できないから恐怖する”みたいなこと言ってましたよね?」
「それがどうかしたか?」
「いや、なんつーか上手く言葉にできないんすけど……貴族の坊っちゃんは人に理解できないような幻を作ったわけでしょ?」
「まあそうだな」
「じゃあ俺らがワケわかんない幻をどうして貴族の坊っちゃんは作れるんすか?」
「はあ?何が言いたいんだお前は」
「だから、なんつーんですかね……たとえば俺らがどんだけ頭捻って想像力働かせたとこであんなバケモン想像すらできねー気がして……だったらそれを簡単に想像できちまう坊っちゃんの頭ん中はどーなってんのかなって話で……」
今一つ判然としないが、なんとなくアランの伝えたいことが分かる気がした。
「なんか俺らとは見えてる景色とか生きてる世界が根っこから違うよーな気がするんすよね」
アランのそんな言葉によって違和感が浮き彫りになる。
人には理解できないような歪な存在を、恐怖を呼び起こすほど外れた存在を、なぜカイトはああまで現実感を持たせて生み出すことができるのか。
未知の存在を既知として捉えているとしたら、それはまるで始めから禁忌を知っているかのようで。
それはつまり彼は違う世界の人間だということじゃ――。
「アホなこと抜かすな、そんなわけないだろが。大体あの人は王国で知らないヤツはいない大貴族様の息子だぞ?そりゃあオレ達のような平民上がりとは見てる景色も生きてる世界も違うに決まってるだろう」
「……そーっすよね。すんません、変なこと言っちゃって」
「いいから集中しとけ、すぐに『コープス』の連中がお出ましだ」
「うっす!」
首をもたげたバカらしい考えを、アランの言葉諸共一刀両断する。
いくらなんでも飛躍しすぎだ。
「……来ます」
件の少年、カイトが敵の襲来を知らせる。
耳を澄ませば微かな悲鳴が城の奥から響き始めた。
今は余計なことを考える必要はない。
アランにも注意したんだ、オレも目の前の敵に集中しないとな。
「総員、構え」
アイゼンシュミット司令の指示に従い、カチャリと手にした刀剣を握り直す。
段々と悲鳴と靴音がその大きさを増していく。
さあ、お待ちかねの瞬間だ。
大きく息を吸い込んだのと同時、扉が蹴破らんばかりの勢いで開かれた。




