王都リンドブルムの夜は更けて(ボルゾイなSS)
友人に送ったSSの再録です。第二部終了時のボルゾイの第三者視点です。
ここは、ドラゴニア王国首都リンドブルムの城下町である。
先の内乱も落ち着き、大分賑わいを取り戻してきた界隈。
一人の青年が、ふらりと街角の高級酒場に現れた。
「いらっしゃい」
小さな木の扉が開かれる。
カウンターに立って、グラスを磨いていた鰐人の若い店主は、新しい客の顔を見て驚いた。
とんでもない美形なのだ。
絶世と言う言葉を人生で初めて使った。しかも男に。
亜麻色の髪に、物憂げな亜麻色の瞳のまなざし。
けぶるようなまつげが実に妖しい。
彼が一人でカウンター席に座ると、周囲の女性の空気があからさまに変わる。
「ドラウイ(ドラゴンウイスキー)とプリン。できればバルーンで」
「かしこまりました」
熱心に見つめるカップルの女性。
彼女の片割れから殺気が飛んでくるが、彼は一切気に留めず壁に書かれたメニューを眺めていた。
あまりにも余裕の態度で、日常茶飯事なのだろうと分かる。
内心苦笑する店主。
(人生一度くらい、こんな面に生まれたいよな)
ふう、とため息をつく彼。
どことなくしぐさが優美だ。
片腕をテーブルに付き顎を支える姿にも品がある。
『誰と待ち合わせかしら』
『声かけても良いのかな』
ひそひそと色めきだつ女性客の声。
黒いドレスシャツに細身の黒パンツという人を選ぶ格好が、実によく似合っていた。
月の光もかくやという流麗な雰囲気だが、よく見れば身長も高く、ドレスシャツから覗く腕も筋肉質だ。細身だからさりげなく鍛えられていると分かる。
初っぱなに度肝を抜いてくれた客は、手ぶらでカウンターに座った。
(ん。手ぶら?)
上着は着ていない。
細身の黒革のズボンのポケットが膨らんだ様子もない。
……ふと、不安になる。
店主はプリンを取り出すと、謎の美青年に訊ねてみた。
「風船プリンです。お客さん、もしかしてケンネルの人?」
「分かりますか?」
低音の声もまた色っぽい。
ますます妬ましい気分になってしまう。
「ええ。あえてプリンを風船で頼むのは犬人か猫人くらいですからね。猫人は最近来ないし。お仕事でここへ?」
「まあそうですね。仕事です」
それ以上彼は語らず、そっと差し出されたグラスのドラウイを舐めるように味わい始めた。
静かな店内に、外の雑踏の音が静かに響いて来る。
絵になる彼の姿に集中する女性の視線。
音はない。
だけど次第に息苦しいほど、空気が熱されているような幻惑に囚われる。
子供の頭ほどもあるプリンを、三分の二くらい食べた頃だろうか。
彼の隣に、一人の女性がテーブルから移ってきた。
とても色っぽい鰐人の美人で、この店の常連だ。
美人は店主に注文した。
「ドラウイで良いかしら」
「そうだな」
なんだ。
この二人は知り合いだったのか。
店主は安心して二杯目の酒を用意した。
違うテーブルの注文に調理室に入って揚げ物を作り始めていると、ひそひそと美女が美青年に囁いているのが見えた。
声は聞こえないが羨ましいなと思う。
あの美女は有名だ。
たまにふらりと現れては酒を飲んでいくが、決して男たちの誘いになびかない。
むしろ甘い声で相手を翻弄し、おごってもらってはすぐに帰って行ってしまう。
こんな商いをしていると、男女の恋愛ゲームの勝者と敗者を、常日頃見物するはめになる。
今回は……美青年の方が余裕で勝ちだな。
あの玄人はだしの美女が美青年に寄りかかり、頬を赤らめている。
実に珍しい。
店主は料理に集中した。
「亭主さん、籠にお金を置いていくわ」
「あ、はい。よろしくお願いいたします」
三皿ほど小料理を作り、奥のテーブルに運ぼうとすると常連の美女の声がした。
反射で反応して奥に行き、しばらくして戻ってくると……。
美青年の隣には、別の女性が隣にいた。
しかも両側に二人。
積極的に囀りかける女性たちに挟まれて、青年は言葉少なくフォークで二つ目の風船をつついている。
店主は瞳孔の細い目をシパシパさせる。
一度ぎゅっと目をつぶった。
再び見開くと、やはり違う女性たち。
あれは旅行者だろうか。華奢で可愛らしい、鳥人の少女たちだった。
「マスター! ホネホネボーン追加ね、二人分!」
「あと、バウムクーヘンも!」
「あ、はい」
食糧庫に戻ってお皿に入れる。
あの二人が本当の待ち合わせだろうか。
ならば常連の美女は何だったのだろう。
疑問が湧いて来るが、とりあえずお皿を差し出した。
二人はお皿を美青年の前に持っていくと「あーん」「あーん」とプリンを食べ終わったばかりの彼の口に放り込んでいく。
彼は否とは言わず、静かに食べて咀嚼していた。
その様子に喜ぶ二人。
(あんなのは見知らぬ男性にする態度でもないよな)
店主は随分と仲睦まじい様子に肩をすくめ、次の注文を取りに行った。
―————どうもおかしい。
そう思ったのは、美青年の隣に十番目の妖艶な美少女が絡みついているのを見た時だった。
いつの間にか、女性たちが立ち代わり入れ替わり現れては、美青年に何かをおごり、昔から恋人だったかのようにふるまい、代金を払って帰っていく。
まさか、商売男なのか?
店は商売女が店内で客引きするのを拒否している。
同伴は可だが、意味が違う。
ありえなくない考えに、帰り支度をし始めた(手ぶらなので椅子から立ち上がっただけ)美青年に思わず訊ねた。
すると、
「私は今日初めてこの街に来て、初めてこの店に来ましたが?」
と答えるではないか。
ではあの女性たちは――――?
と思わず問い詰めると、予想外の答えが返ってきた。
「知りませんよ。私はただ座っていたらお隣に来て、色々注文をしてくれ、勝手に払ってくださっただけです」
「……」
たらしだ。
本物のたらしが、ここいる。
女が勝手に貢ぎたくなる嫌なたらし犬が、ここにいる!
思わず男の嫉妬で、鰐口を開いて襲いかかりたくなる。
薄い色彩の目を細めた美青年はどこ吹く風で、「トイレを借りますよ」と言って場を去った。
「おっと。ハンカチはどこだったっけ」
彼はハンカチを探してズボンの横・後ろの両ポケットを探った。
裏地を出して、左後ろのポケットに入っているのを見つけ―――――待て。待て待て待て。
やっぱりこいつ。
金持っていない。
その驚愕の事実に、店主が口をあけっぱなしにしていると、事務局から「あのっ」と年配の女性の声がした。
店主の母親。
普段はバックヤードで経理をしている。
なぜかよそ行きのワンピースに着替えた老婆が頬を赤らめて、小走りで美青年に駆け寄っていく。
「これを使ってくださいな」
「どうも」
彼女が押し付けたのは愛用の花柄のハンカチ。
美青年は当然という顔をして受け取り、扉の向こうに消えていった。
おいおい、乾いた雑巾でいいだろう、そんなもの。
――――たかが便所だぞ?
しかもよく見ると。
母親はわざわざ唇に、しっかりと口紅を塗っていた。
(おいおいおいおいおい)
店中の女たちが見せる滑稽さに、店主は気が遠くなっていく。
青年は「どうも」と感慨もなく受け取って、店の裏に消えていった。
俺はこれ以上母親の赤らめる顔を見ることが出来なかった―――――――。
次の日。
酒場は美青年狙いの女性たちで溢れていた。
「ねえ、マスター。あの方いつくるの」
「知りませんよ」
「私、今度金塊をプレゼントするって約束したのに、まだ来ないのよ」
「氷ありますよ。頭を冷やしてください」
「ねえマスター。言ってよ。あの人の微笑みは私に注がれていたって……!」
「なぜそこで呑んだくれるんですかね。そもそも会話すらしてなかったじゃないですか」
「同じ空気を吸っていただけで幸せだったのよ……!」
「後ろ向きなんだか前向きなんだか分かりませんが、どうせ飲むならもっと高いのありますよ」
「もらうわ……!」
何がなんだか分からないフィーバー状態。
それは集団狂騒とも恋とも言えぬ大混乱だった。
女の欲望により店は一時期大いに儲かったが、酒場の常連美女たちが熱を入れる姿に、下心を持つ男性の常連客と、静かな空間を好む年配客が減る結果となってしまった。
からん。
カウンターで、自分用のドラウイを飲む。
今晩も客が来ない。
母親だけはぼおっと幸せな顔をしてそろばんを弾いているが、肝心のおまんまが吹っ飛んでいる。
あれはきっと、男を不幸にする月の悪魔だったのだ。
そう思うことにした。




