逃走本能 5
彼方まで連なる白雲に覆われ、巨大マングローブ頂上付近へ根を下ろす樹上都市。
空域に鳴り渡る荒々しい衝突の轟音は、閃く干渉光と重なって大空に白の波涛を広げる。
それは、蜚蠊を模した《ザザ》と赤黒い武者の《ダイアンサス》が織りなすものだ。
「いい加減でェ、墜ちろよォッ!」
「おまえがなァッ!」
既に数十を超す、真っ向からの激突。
右肩部ブラスターシールドの残弾が少ない以上、今の剣山には選択肢が他にないと言っていい。
鷺森も理解はしているが、元より《ザザ》も白兵戦寄りのVDなのだ。こうもなる。
しかしまだ見せていない手札が心に余裕を持たせてもいた。
慢心にも似た表情を浮かべながら、カクテルのソードとライフルで蜚蠊が肉薄する。
「――――ッ!?」
「甘いんだろッ!」
痛烈な破砕が空に奔る。剣山は懐に潜り込み、下方からの斬り上げで右腕を溶断した。
続けて左マニピュレータのカクテルライフルが放つ光軸を躱し、ツインテイルで砲身を刺し貫いていく。
そのまま流れるように背後へと回り込んで決着をつける――筈だった。
「はんッ、ろくに戦術へ組み込めもしないで何がカクテルだよッ!」
「ならコイツはどうだよォ、ヒャハハァッ!」
「チ――ッ!」
蜚蠊の背部に備わる翅状スラスター。その奥が蠢き、体内から鋭い光棘を生やす四本の腕が展開された。
抱擁を企むそれらはブレイドブースター一刀を絡め取り、紙屑の如く挟み切る。
背面四腕――ホールディングツイスター。剣山は即座に推進器を噴き返し、距離を取る。
「背中に腕を仕込んでやがったか!」
「ここまでの試合で温存した甲斐があったんだろォ?」
蜚蠊は右腕と共に落下していくカクテルソードを回収し、左マニピュレータへ。
対し武者は背面四腕の射程が不明なまま前へと果敢に踏み出す、その刹那。
「――はァ? 負けやがった、あいつ」
「やりきったのか、あの女……」
《ジルナパ》の撃墜と戦力ゲージ減少の旨が、両機のディスプレイに通知されたのだ。
「本当にィ! 役にも立たない男だ、なァッ!」
「あぁ、あいつと大会に出るなんて余程の間抜け面なんだろうよッ!」
ブレイドブースター一刀のみで、五本腕から放たれる斬撃の全て凌ぎ切る。
幾度かの刃を交え、互いに仮想肺の空気を入れ替える為か。自然と距離が開く。
(ったく何が勝ち負けとかどうでもいいだ! ちゃっかり勝ち切ってんじゃねぇか、あいつ)
「やるがなァ、ハハハハハッ! オレはお前の弱点をまだご存知なんだよォ!」
「はッ、何を言っ――」
想定外に押し切れずいるから戯れているのだ、と。そう決めつける言葉が音に成る間際。
鷺森の告げる文字列は剣山の精神を揺るがし、戦慄させるものだった。
「オレはお前がだぁいすきさッ、愛してるって事ッ! 須方剣山くぅううんッ!」
「――――なッ!」
疑いようもない。告げられたのは純度一〇〇パーセントの――嘘告白である。
「ハハハハハッ! よく出し抜かれてくれてるッ! そういうところ、大好きだぜェ」
「う、ぐッ。お、えぇ――」
胃の奥底からせり上がってくる、どうしようもない嘔吐感に剣山は酷く嗚咽した。
かつてのトラウマが招く悪夢のような絶望。視界が黒く塗りつぶされていく。
当然その隙に乗じ、接近戦を仕掛けてくる《ザザ》。
振り抜かれたレッグリーパーに左脚と二尾の片方を呆気なく蹴り払われ、溶断される。
弾ける爆光に機体を押されながらトリガーを引き、逃れたシングルテイルが仕込み刃ごと蜚蠊の左脚部へと突き刺さった。
「うおいおいぃ。情けない角なし男は、想いに応える事すらできやしないのかァ?」
「ク、クソ揉上がぁ……」
この確かな心の乱れは、二人の間にある能力の優劣を覆す要因となり得るものだろう。
残弾数が二のブラスターシールド。その射撃を口笛混じりに躱された挙句、残った兜の角を墜とされたのだ。決定打こそ逃れていたものの、いつ撃墜されても不思議はなかった。
「他に語彙はねぇのか愛しの剣山ちゃんよォ。なら、トドメは貰うことにしたァアアッ!」
「ぅ、ぐ――ッ!」
そうして幾度か剣戟の火花を散らし、ついに致命の一撃が届きかけた――その時だった。
「ほんと、構わないけどさ! 私はあなたと違って優しいんですからね!」
呆れて混じりの声が届くのは下方からであり、また一回戦の嫌味をなぞるものだ。
雲の切れ間より放たれたスカートの一撃は鷺森の意識を分散させ、《ダイアンサス》が離脱する余白を作り出す。されど《アガーテファ》は既に満身創痍である。
出来得る最大の献身と言えば、自機の爆発へ敵を巻き込むことに他ならなかった。
〝勝たせてあげる〟為に彼女はゆく。意図を悟った鷺森も苛立ちを露わにして相対した。
「男同士の間に入って来るなよォ、間女ァッ!」
「ま、間女ぁ!?」
「ハハッ! 隙は頂いてェエエッ!」
「うわっ、きゃああああっ!」
一瞬の油断だった。つぐみは一刀で斬り伏せられ、無造作に踏みつけられて蹴落される。
「ちょっと何やってるのよ! ゲーム中の吐き気なんて、あなたの勘違いで――」
飛行不能に陥り、落下。遺す言葉も雲海への突入で途切れてしまい、通信は途絶えた。
画面を埋め尽くす警告とレッドアラートの中。再びの上昇を試みる。だが、
(……限界かなぁ。流石に被弾し過ぎたよね。でも、もう少し練習してたらきっと――)
そう当たり前のように繋がった思考が、彼女に激しい自己嫌悪を促すのは当然の事で。
やがて《アガーテファ》もそんなつぐみの心へ鞭を打つように海面と激突した。
「あーぁ……こういうとき、なんて言うんだっけ」
飛沫が上がり、砕けた令嬢が沈んでいく。
直後。システムに辛うじて生存判定を貰っていたつぐみの眼前に現れたのは、鯨程の体躯を持つ巨大機魚。
その開いた大口だった。
「あっ、そうそう。南無三――っ!」
呑気に失敗を嘆いてみせた瞬間。残骸と化した機体ごと彼女は海の藻屑と消える。
されどもその被撃墜通知を気に留めるだけの余裕が、今の剣山にはなかった。
「ハヒィッ! 大好きなママがはしゃいで海に墜ちたぞ、これがほんとの海楽墜ち!」
「うるせぇッ!」
上空。仕切り直しを図る《ダイアンサス》を《ザザ》が舌なめずりするように追走する。
本来ならば両機に明確な速度差はない。しかし精細さを欠いた単調な回避は、鷺森にとって格好の的。
即座にカクテルソードのカートリッジを切り替え、撃ち放つ。
「みっともなく逃げ回ってるとこ悪いが、サヨナラなんだよォ! 甘えんボーイィッ!」
剣先から唸るように空を裂く青の螺旋。接近戦において敵の意表を衝く事を想定した単発式ビーム兵装であり、一直線に突き進む光軸は武者の右肩部を抉り飛ばした。
「チッ、カス当たりかよ。だが当たるって事は、オレが勝つって事だろォ? ハハッ!」
(うっ、ぐ――ッ! クソッ、あいつらの言う通りだ。何をやってるんだ俺はッ!)
仮想領域内の嘔吐感などまやかしで、思い込みに過ぎない。剣山自身それは理解している。
しかしそれを自覚してなお、耐え難い眩暈が容赦なく剣山に襲いかかっていた。
(こんなんで負けたら絶対、好き勝手言われるに決まってる! それに、それに……負けたくない、負けるもんか。勝つんだ。勝たなくちゃ、そうでなきゃ……俺は、俺はッ!)
今にも気が狂いそうな激情の渦中。剣山は追ってくるものから逃れるように樹上都市へ飛び込んでゆく。
蜚蠊もそれに続き、生い茂る緑に呑まれた街並みが両機を出迎えた。




