第75話
「ッ……! 後ろ!?」
突如として実体化した剣が彼女を四方から襲う。
1撃、1撃は大したことのない攻撃だが、その全てが直撃となれば話は別だ。
必死に避けるこの瞬間も剣は数を増し続ける。
上を避ければ、下から。
それを避けても今度は斜めから。
縦横無尽、あらゆる方向から襲いかかる剣の群れ。
太陽の輝きを受けて光っているように見えるそれは正しく『曙光の剣』だった。
「橘、立夏……! こんなに――」
「強いとは思わなかった?」
「なっ……」
声が聞きとれる程の距離に近づかれるまで気付かなかった。
優香の前衛としての誇りを砕かれるような出来事だ。
攻撃を受けているにも関わらず呆けてしまうのも無理はない。
剣軍に意識を集中させていようとも立夏を無視したわけではないのだ。
まるで、意識の隙間を通り抜けるように攻撃を受けた。
「ダメよ。戦闘中に他の事に気を取られてるようじゃあ、合格点も上げられないわ」
快活な印象を感じさせた容貌も今は戦士の如く引き締まっている。
常の振り回されていたような印象は皆無。
歴戦の魔導師として立夏は冷徹に双剣を振り下ろす。
『九条選手、ライフ80%! 開幕から調子が良いです! これはやや『明星のかけら』が優勢でしょうか!』
『立夏さんかっこいい~』
「っ、まだ!」
「このまま――」
『立夏さん、来ます』
「っと。危ない、危ない。……ふふ、やっぱりうまいわね」
優香に追撃を掛けようとした立夏を襲う砲撃。
難なく避けてはいたが冷や汗ものもタイミングではあった。
気勢を制することがうまい。
莉理子からの警告のおかげと立夏自身も警戒したため無傷で終わったが支援としてはベストだった。
優香の実力に拍子抜けしたため、些か気が抜けていた。
「1人では互いに半人前だけど揃えば十分、か。莉理子、準備だけはお願い」
『了解しました。立夏さんもご無理はなさらずに』
試合開始からまだ3分。
いつも通りの開幕だった試合は既に『クォークオブフェイト』の必勝パターンから外れようとしていた。
ズレの始まりは真由美の砲撃からであった。
カウントダウンからの試合開始、そして真由美の砲撃開始。
流れはいつも通りだったのに、空気が既に軋んでいた。
「あの性悪っ……。そういうことする!?」
真由美の怒声が響き渡る。
本陣に詰めていた剛志と圭吾は幾許かの驚きを持ってリーダーを見る。
後輩の視線に気付きながらも、説明する余裕のない真由美は前線にいる葵と妃里に対して命令を下す。
「来るわよ! 砲撃は下から! 慶子のやつまともに相手をするつもりがないわ!」
真由美の警告にまるで返答をするかのように海から砲撃が放たれる。
普段の気性そのままに相手をからかうことに心血を注ぐ女傑の策が真由美を相手に発揮されていた。
「流石によくこっちのことがわかってるな」
健輔の独白が空へと消える。
相手側の戦略がこちらの動きを綺麗に読んでいることに気付いていた。
試合開始と同時に相手はほぼ本陣を破棄、海中に身を隠して直接真由美と撃ち合うことを避けている。
後はちまちまと嫌がらせに徹しているのだ。
真由美が砲撃体勢に入ると急に海面を吹き飛ばして視界を奪う、など良くこれだけ思いつくなと類の地味な攻撃が本陣を襲っていた。
真由美相手に正面から殴り合う危険性をよく知っていた。
「話に聞いてたよりも性悪だな。……知り合いたくないわ」
真由美の砲撃が有効打を発揮できないまま、両翼は激突を開始する。
健輔たち右翼は攻撃を受け止める形で、逆に隆志たち左翼は攻勢を掛けている。
普段ならば守りと攻撃が一致しているのだが、相手の意図もあり思い通りに事が運ぶようなことはなかった。
「右翼はあの人、1人だけか? 流石にそれはどうだよ」
ここまでは合理的なのだ。だからこそ、違和感が浮き出る。
本陣が撃ち合わずに牽制に終始するなら、もう1人こちらに付ければ1対1に持ち込める。
先程の攻防から見ても立夏対優香が1対1で進行するならまず敗北はないはずだ。
なのに実際は健輔を含めての2対1になっている。
合理的な行動の中にある非合理的な動き、気になるのは当然だった。
「あえて不利な状況でやるため? いや、意味ないだろう。……ロマンとかか? それでももう少しやりようはあると思うんだが……」
『正解ですよ。そこに至るだけでもあなたは優秀ですね』
「は?」
突如として聞き覚えのない声から話しかけられる。
念話など健輔は開いたつもりもないし、この早奈恵とも違う理知的な声の持ち主は記憶になかった。
可能性としては1択だが、健輔の少ない経験でもそんなアホなことをやるチームがあるとは思ってもみなかった。
「……あなたが三条莉理子さん?」
『試合中でも礼儀正しいですね。はい、そちらは佐藤健輔君ですね? 初めまして』
敵から試合中に念話を受ける。
ありえないとしか言いようのない事態に流石の健輔も戸惑いを隠せない。
『さて、混乱されてるようですし、こちらの目的をお伝えします。ここには立夏さんしか送りませんのでそちらも2人だけで対峙していただけませんかね』
「…………」
『ふふ、即答しないのは評価が高いですよ。そうですね、メリットを並べましょう。あなたたちが落ちなければ立夏さんを2人で拘束できますよ』
「……それはメリットじゃないだろ。このままでもやれることだ」
『ふむ……。なるほど、そういうタイプなんですね。ご自分を下に見せる、確かにうまいやり方ですけど、本当の格上には効き難いですよ?』
突然発生した交渉という予期せぬ戦闘行為。
こうして話ながらも健輔は優香の援護を続けてはいる。
向こうも同様に立夏の支援も行っているのだろう。
腹を探り合いながら相手の狙いを読み取らなければならないが思考が戦闘にシフトしている健輔は些か以上に不利だった。
(この女、めんどくさい)
意図が読めない。
このまま2人だけで立夏と戦うことが一体どんなメリットを向こうにもたらすのかわからないのだ。
優香は普段の実力を出し切れていないが仮に本気を出せれば、立夏を圧倒できる可能性もある・
試合中にも関わらず、力を引き出してやろうとしているようにしか見えない。
『あまり時間を掛けるのもあれですから、すっぱりといきましょう。別にここで約束したからと言っても拘束力はないですし、もうちょっと気楽にしていただいて大丈夫ですよ?』
「……タダより高い物もないだろう?」
『道理ですね。では、わかりやすく通告しましょう。これから、中央――本陣に向かって突撃します。この情報はお好きにどうぞ』
「っ……」
『ただ、わかってると思いますけど念話は使えませんよ』
敵陣の潜入し相手の念話を掌握するなど健輔では想像もできない領域の技量だ。
何より、ルールのギリギリを突くのが恐ろしくうまい。
バックスの明確に規定されている違反に攻撃を仕掛けること、とある。
バックスは自身でダメージを与えることが禁止されているため、大規模魔導などの出番がないのだ。
だか、莉理子はその前提を覆す。
『聞いていると思いますが私の『魔導連携』は技術ですから、一朝一夕でどうにかできませんよ』
純然たる技術が固有能力扱いなのだから、その規格外さがわかる。
万能系の汎用性も彼女には意味がない。
にわかに過ぎない健輔のバックス技能では抵抗すら不可能だった。
「わかった。ここは俺たち2人が動かない。ただし、橘立夏が落ちるまでだ」
『ふふ、それで大丈夫ですよ。では、封鎖は解除しておきますからご自由に会話して下さい。自分で言い出した以上、ご自身に嘘は付けないでしょう?』
「早くいけ。ここから真っ先に落としてやるよ」
『楽しみにしています。では、ご武運を』
ぷつりと念話が切れると同時に早奈恵からの緊急コールが入る。
「はい、健輔です」
『莉理子はそちらか。すまん、後手に回った』
早奈恵の謝罪を聞きながら、いつもと勝手が違う戦場に眉間の皺を深くする。
やりづらい、真由美が今まさに感じてるのと同じ思い健輔は感じていた。
莉理子が宣言した通りに中央部、本陣へ進撃を始める『明星のかけら』。
中心にいる人物は逆光で輝く頭を持つ巨漢の男性――源田貴之である。
「ふむ、実にいい。進撃するだけでいいと言うのがシンプルで素晴らしい」
「先輩、ちゃんと作戦覚えてますよね?」
共に進行する後輩の声に豪快に笑い返す。
真由美の砲撃が飛んできているにも関わらず、そのような余裕があるのは本陣にいる慶子を中心とした後衛を信じているからだ。
生理的に受け付けないのは事実だが、実力は信頼していた。
当てさせないと断言したからにはなんとかするのだろう、と。
貴之の内心など知らない後輩は狂人のごとく笑う先輩にドン引きしていたが。
「莉理子のやつは頭が良い。同輩の貴様らの方がそれは実感しているだろう?」
「はあ、まあ、そうですけど」
「ならば、悟れよ。奴が俺に複雑な作戦など任せるわけがない」
前方から接近してくる闘気に反応してギアを上げる。
水が巻き上がり鉄柱の様な形に固まる。
その軽く10メートルはある武器を彼は向かってくる女性に叩きつける。
「故に我が役割は貴様を潰すことだ」
「ふん! 去年の借りはここで返すわ」
脇目を振らずにやって来た葵は鎚に向かって拳をぶつける。
海水は爆音を上げて元の海へと帰るが貴之の笑みは崩れない。
「無駄だ。俺の武器など、そこら辺に転がっているわ」
拳を上に振り抜くと同じ形となった海水が葵へと襲いかかる。
収束・浸透系――常ならばゴーレム操る事に特化した系統で肉弾戦を行う超物理型前衛、それが源田貴之だった。
対人に優れた葵にとって苦手な相手である大質量物理型の闘士。
本来戦ってはならないはずの相手に正面からぶつかる葵は笑みを浮かべる。
「そろそろ去年の私を超えたいの。踏み台にちょうどいいわよ、貴之さん」
「抜かせよ、野犬。今年も躾けてやろう」
「やってみなさいよ! このむっつりが!」
「ぬん!」
襲い来る自然の暴威に拳で葵は挑む。
中央での進行の開始に合わせて左翼も戦闘が激化する。
両者一歩も譲らず戦いは更にヒートアップするのだった。
「和哉、お前は真希と自分の身を守れ。俺の援護は最小で、元信のやつには下手をすると同士討ちさせられるからな」
攻勢に出た隆志たちを待ち構えていたのは元信率いる3名の魔導師だった。
数の上では同数だが、隆志は幾分不利だと判断していた。
理由は簡単だ、平良元信の2つ名――『傀儡師』である。
遠距離・浸透系、中でも操る事に特化したこの男は例え他人の魔力でも容易く操る。
対抗するには意識して抵抗するのと、真由美のように超出力で粉砕するかのどちらかになる。
もっとも、敵に対する操作などおまけのようなものだった。
「来るか」
相手側から1人がこちらに向かってくる。
身体から僅かに見える糸の様なもの、あれこそが『傀儡師』の真骨頂。
味方の魔力を操作して補助を行うこと、それこそが平良元信の全力なのだ。
「はああ!!」
「ふむ、変わらずだな」
身の丈を超えた力にうまく適合している2年を見ながら、よく練習していると評価する。
攻撃する後輩を媒介として、操作用の糸を伸ばしてくる辺りも変わっていなかった。
だが、1年もの期間があって成長しないことなどあり得ない。
あえて隆志の認識をなぞることで何かをしようとしているそう考えた方が良いだろう。
もしかするとそう思わせる事が目的の可能性もあった。
平良元信に限らず、『明星のかけら』は常とは違い心理戦も多用する。
真面目に相手をすると損をする、そんな表現がぴったり当てはまるチームなのだ。
実力もそうだが性格的な趣向が噛み合わないと厳しい相手である。
「まあ、どうせ深くは考えていないだろう」
己が役割と分を隆志は承知している。
よって、彼は成すべきことを成すだけだった。
「しばらくは遊んでやろう。ふざけたように見えて根は真面目だからな。――どうせ、聞いてるんだろう?」
『めんどくさいやつだよ。すかした顔をして殴りたくなる』
「よく言われるな」
『葵だろう? よくお前と普段から居れると尊敬しているよ』
「小学生メンタルよりは良いだろうさ」
『……それを言ったら戦争だろうが!!』
後輩を媒介にして念話を飛ばしてきた元信を軽く挑発する。
隆志の冷たい表情で鼻で笑う感じで言われると頭にくるという葵のアドバイスに従って磨き上げられた挑発術は見事にクリティカルした。
「まあ、そこまで簡単だといいんだがな」
どこまで予想通りなのかわからない。
この戦闘は常にそんな不安との戦いである。
お互いに伏せた札をチラつかせながらの静かな戦いがここでは行われていた。
『莉理子は右翼、つまり立夏のサポートのようだ。健輔が優香の支援を行っているが多対1は立夏の得意な範疇だからな』
「ちょっと厳しいかな。こっちも慶子を見つけれないし。香奈ちゃん、相手の本陣は誰もいないんだよね?」
『そうですねー。ただ、こう、なんていうか気持ち悪い感触があるんでなんとも言えません』
「視覚妨害か……。本陣ぐらいには莉理子ちゃんなら余裕かな」
『解呪は試みるが期待するな。はっきり言ってあいつは学園最高のバックスだ。正面戦闘力はともかく支援力はあっちには勝てん』
ルールに抵触しない範囲で三条莉理子は全力の支援を行う。
彼女はバックスにおける桜香のような存在なのだ。
対抗できる人材はアメリカの『ゲームマスター』と呼ばれるバックスしかいない。
「術比べはダメで、こっちの式もやばい。……相変わらず厳しい」
真由美の放火が全てを焼き尽くすとしてもそれが届かなければ意味がない。
慶子はこの瞬間も狙える隙間を生み出そうとしているのだ。
後手に回るのはまずい。
「かと言って拙速に逸るとそれはそれで向こうの思惑通りかも……」
『読み合いだな。予備戦力はきちんと確保しておけよ?』
「剛志君を置いておくよ。中央は、葵ちゃんたちが頑張ってくれるでしょう」
『右翼は九条の頑張り次第だな。健輔に立夏と莉理子を崩すことはできないだろう。立夏に穴らしい穴はない。力押しとも違う相性の悪い敵だな』
あくまでも表面上はお互いにイーブンだと言える状況だろう。
しかし、真由美は額に浮かぶ汗を隠せなかった。
望まずイーブンになったこちらと違い、相手は何かしらの意図があってこの配置を選んでいる。
主導権が向こうにあるのだ、その状態でただ流されていては敗北してしまう。
普段ならば力押しで通ろうとするのだが、『明星のかえら』にはうまいこと受け流されていた。
受けて立つというポーズだけは見せて、実態は真由美たちにリソースを吐き出せていた。
「このじわじわと追い詰められる感覚久しぶりだよ」
『その点『天空の焔』はわかりやすくてよかったな。真っ向のからの殴り合いはこちらも自信がある』
「頭も使えるけど結局私も力押しが根元にあるからね。頭脳戦はちょっと厳しいかな」
試合開始から10分。
この先を思いつつ真由美は杖を振るう。
相手の思惑を読む努力だけは忘れずに。
未だその全貌を見せない演奏者の譜面に僅かな懸念を抱きつつ膠着した状況は続く。
そして敵の策略は健輔たちが守る右翼から動き出すのだった。




